嘘つき王女と隻腕の傭兵
永坂暖日
プロローグ
プロローグ
荒い呼吸をして空気が通るたび、喉がしみるように痛い。もっとひどく痛むところがあるのに体は小さな痛みもいちいち拾うのだな、と妙な関心をする。
初夏の涼しい夜にもかかわらず、全身から汗が噴き出していた。ただそれは、なにも走ったせいばかりではない。
疲労と痛みで全身に鉛を流し込んだように重く、足を前に出すのも億劫だった。だけど、立ち止まったらすべてが終わる。もう終わりかけているかもしれないけれど、ここで倒れてそのまま終わってしまうのは嫌だった。
振り切ることができたのか、追いかけてくる足音は聞こえない。聞こえない今のうちに逃げなければ。
――でも、どこへ行けばいいだろう。
ここは異国の地。彼女の故郷は遠い。この地にも知人や友人はいるけれど、彼らを頼れば否応なく巻き込んでしまう。
体が大きくふらつき、彼女はとっさに壁に手をついた。その軽い衝撃でさえ今の彼女の体には優しいものではなかったが、壁に体を打ちつけるよりはましだ。
彼女はその体勢のまま、深呼吸を数回繰り返した。壁により掛からないにしても、このまま一歩も動きたくなかった。だけど、立ち止まってはいられない。行く当てが思いつかないにしても。
壁についていた手で腹を押さえた。熱く、ぬるっとした感触。壁には、彼女の手の形がくっきりと赤くついていた。
振り返れば、点々と、手形と同じ色の跡が地面についている。跡を残して逃げているも同然だ。止血はしたものの、傷は深く、血が止まる気配はない。
彼女は魔術師だった。治癒の術も使える。ただし、体力的、魔力的余裕があれば。
今はもうそのどちらも残っていなかった。深手を負い、その場を逃げ出すために大きな魔術を使ったためだ。治療をするより、逃げることが先決だったので仕方がない。
仕方はないが、治療のための余力を残しておくべきだった。でも、武装した十数人に囲まれた中から逃げ出して完全に振り切るためには、彼女の実力では全力を出すよりなかった。
それに、今更そんなことを考えても意味はない。受けた傷は腹だけではない。左の二の腕も熱を持っている。ひどく痛いのは腹と左腕だけど、大小の切り傷やかすり傷はいくつもあった。これをすべて治療するとなれば、腕のいい医術師か魔術師に頼むしかない。
信頼できる医術師には当てがなかった。でも、魔術師ならば、ある。一人の顔が彼女の脳裏に浮かび上がっていた。
頼れば、その人を巻き込んでしまう。でも、この傷を治せそうな友人はその人しか知らない。そして、巻き込まれても大丈夫だと言ってくれそうなのも、その人しか思いつかなかった。
幸いなことに、ここからそう遠くない。
息遣いが荒く、血が止まらないのも変わらなかったけれど、行く先を決めた彼女の足取りに少しだけ力が戻る。
なんとかたどり着いたら、傷の治療をしてもらおう。それから――他のことを頼まなければならないかもしれない。
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