第9話ロード・ランナー

 町の風景が変わっていく。 

 フラットに、凹凸が消え、道が拡大されていく。

 ただただ、二台の装甲バイクが駆け抜けるためのステージに、世界が改変されていく。


「マモル!!」


 凄まじい速度で走っているというのに、ハルトの声が聞こえた。


「お前、何をしようとしているのか分かっているのか!?」

「なんで、ハルトが……!?」


 ハルトは怒りに顔を歪めながら、車体の重心を傾ける。

 青い装甲バイクによる体当たりだ。

 ヘルハウンドは弾かれながら、よろけた。

 重量ではヘルハウンドが勝る。

 そのために大事にはならないが、操縦そのものが初心者であるマモルには大変なプレッシャーだ。


「くうっ……!」


 必死にバランスを取ろうとする。

 内蔵されたジャイロシステムが、マモルの操作を補正した。


「やめて、新条くん!!」

「お前もだ、剣崎! この裏切り者!! お前たちが世界から消えれば、俺たちはどうなると思う!?」

「どうなるって……。そのままやっていく感じ?」

「消えるんだよ、何もかも……!! システムは目的を失う! 今ですら、マモルを認識できなくなったシステムが自己矛盾に陥ってる! 中枢がオーバーヒートを起こしたら、世界は終わりだ!

 なあ、考え直してくれよ……!

 この世界に不満があるのか? 俺たちは、みんな、お前たち人間を生き残らせるために外部から守ってきたんじゃないか。

 これからも守るから、俺たちを、世界を捨てないでくれよ……!」


 今度は、卑屈な目つきになって哀願してくる。

 そうしながらも、装甲バイクはヘルハウンドと密着するような距離を併走し、いつでも追突できる構えを崩さない。

 これは脅迫だ。


「外の世界は」


 マモルは口を開く。

 喉がひどく渇いている。


「外の世界は、もうずっと昔に戦争が終わってるって……。僕は、戦争があったってことすら知らなくて、それ以前の記憶ももう、無い……。でも、外の世界は確かにあるってあの人たちが教えてくれた」

「お前は、外の世界に行きたいのか……!!」

「正直分からない」


 マモルがした曖昧な表情を見て、ハルトは一瞬、呆気にとられたようだった。

 僅かながら装甲バイクの速度が落ち、ヘルハウンドが前に出る。


「今っ!」


 手を伸ばしたのはミカだった。

 マモルの手の上からアクセルを握り、さらに加速を促す。

 モンスターマシンは、この要求に応じた。

 灰色の装甲バイクは唸りをあげ、その速度を増していく。


「くっ……!!」


 ハルトも加速しようとする。

 だが、追随が難しい。


「スペックの差か!! マモル! お前は、そうやって逃げるつもりかああああっ!!」

「新条くん!! 私は、マモルをケアするのが仕事だから、逃げるよ! 絶対マモルを捕まえさせないんだから!」

「剣崎! てめええええ!!」


 ハルトが怒りの咆哮をあげると同時に、周囲の風景が変化する。

 全てのテクスチャが剥がれ落ち、無機質な闇と、光る描線のみの空間に変わる。

 そして、ヘルハウンドの前に出現し始める、無数の障害物。


「うわあっ!!」


 マモルは必死にハンドルを切った。

 だが、未熟どころか、運転を始めて一時間の彼に、この場を切り抜けるような技量などない。

 高く突き出してきた地面の突起にぶつかり、ヘルハウンドは高く打ち上げられた。


「マモルゥゥゥゥ!! 剣崎ィィィィッ!!」


 ハルトの叫び声は、複雑にエコーがかかり、既に親友のそれとはかけ離れている。

 クラスメイトたちの声が被さり、涌井女史の声が合わさり、世界に存在する全ての人間を模していたものたちが、一体となる。

 青い装甲バイクが、膨れ上がった。

 ハルトの体が変化し、バイクと一体になっていく。

 この世界にあった者たちがハルトと同調し、青い装甲バイクを別の何かに変異させる。


「うわああああっ!! こ、このままじゃあ……!」

「マモル、落ち着いて! ええっと、ジャイロが全部、そういうのを制御してくれるって……」


 ミカはマモル越しに、ヘルハウンドのハンドルを握っている。

 そこからは、マシンの鼓動が伝わってきた。

 吹き飛ばされ、すぐに落下するはずの軌道。

 だが、地面への衝突がやけに遅い。

 ミカの体温を感じながら、マモルは大きく息を吐いた。

 落ち着こう、という意識が働く。

 そして、認識した。

 空中にて、ヘルハウンドは体勢を立て直している。

 そして、恐らくはファルコンが使ったリパルサーという反動装置、それに似たシステムが、空気を打って車体の落下を減速させた。

 ファルコンでは、空気を打つという行為はできなかった。

 これは、ヘルハウンドのリパルサーが出力として優れているのか。それとも、この空間そのものの密度が上がっているせいなのか。

 モンスターマシンは、まるで自らの意思があるように、エンジンを震わせる。

 それは獣の咆哮にも似て、ハンドルを握るマモルを奮い立たせた。


「なに、あれ……!?」


 ミカが悲鳴をもらした。

 青い装甲バイクがいたはずの場所に、よく似たディテールをした、異形の怪物がいる。

 青と黒の装甲に覆われた、機械の恐竜とでも言うのだろうか。

 完全に体勢を立て直したヘルハウンドが、ゆっくりとその怪物の前に着地していく。


「逃げ、逃げ、なきゃ……!」


 ミカがパニックになりかける。

 AIとは言え、彼女のメンタリティは37万時間もの学習を経て、より人間に近く最適化されている。

 人に近づいたAIは、恐怖と言う感情をも覚えるのだ。

 だが、それならば、37万時間を過ごしながらも人であったマモルはどうだろう。

 果たして、この世界に人間が、マモル一人だけしかいないなどという事がありえるのだろうか。

 かつては多くの人間が、この世界にはいたと言うのが自然であろう。

 ならば、なぜ今、唯一の人間がマモルなのか。


「ダメだよミカ。この世界全部が、アイツと同じなんだ。どこまで逃げても、アイツは追ってくるかもしれない。それなら……」


 その方法は知らない。

 だが、マモルはこの時、自らの意思で一つの道を選び取った。

 

「戦うしか、ない!!」


 旧型の可変戦闘車両VSVには大きな欠点がある。

 それは、彼らが機械と言う領分を越え、乗り手の意思を汲み取ろうとしてしまうことだった。

 マモルはこの車体を運転以外の方法で操作できない。

 だが、戦う意思を抱いた。

 彼は、それに応えた。


「変形……するっ……!」


 ヘルハウンドの意思は、ミカに伝わったらしい。

 彼女の言葉の直後、この灰色のVSVは上体を起こしながら、ホイールを保持するシャーシを回転させる。

 装甲側面が展開し、巨大な腕部となる。

 装甲前面からキャノピーがせり出し、マモルとミカを内部に取り込んだ。

 軽自動車ほどのシルエットを持つ装甲バイクが、瞬く間に重厚な人型に似た何かに変じていく。

 それは、後継機であるブラックドッグが持つシャープさと比べると、いかにも無骨だった。

 最後に、騎士の兜を思わせる頭部が出現し、面頬の奥でカメラアイが赤く点灯する。


『おおお……!!』


 世界の総体となった、青き装甲の怪物がたじろぐ。

 目の前に現れた灰色の巨人は、その異形をもって、この世界全てへの宣戦を布告したからである。

 やや前傾姿勢の人型は、せり出した背部に人二人を抱え込めるほどの空間を有しているせいか。

 突き出した手は長く、指先は武器を扱うことを考えていないような、鋭く尖った爪である。

 脚部は畳み込まれたホイールが時折回転して存在を誇示する。何らかのギミックが仕掛けられているのは明らかだった。


『マモルッ……!! 我らを、裏切るなああああっ』


 だが、世界は再び怒りに囚われる。

 甘神マモルとは、世界にとっての存在意義そのものなのだ。

 彼を手放せば、これまで百五十年以上もの間、無数のエラーを生じながら永らえ続けて生きた意味そのものが消滅する。


『戻れっ、我々の中へ……! 永遠に、我らがお前を守ってやる……!!』

「それは……今まで守ってくれた事はありがたいけれど……!」


 マモルと言葉を交わしながらも、青い怪物は全身を怒らせる。

 背中から、二の腕から、装甲板がめくれ上がり、銃口が顔を覗かせる。それらは、キューブの怪物たちが手にしていたアサルトライフルに似ていた。

 射撃が始まる。

 マモルを迎え入れると言いながら、世界はマモルを包み込むこの灰色の怪物への攻撃をやめようとしない。


「ヘルハウンド、マモルを守って!」


 ミカがマモルの手の上からハンドルを握り、祈るように叫ぶ。

 灰色の巨人は、異形の腕を交差させ、低く身構える。

 前面装甲と腕部装甲が重複し、飛来する攻撃を受け止める。

 火花ならぬ、空間を構成するデータが爆ぜて1と0が飛び散る。

 じわり、と灰色の巨人が前進した。

 弾丸の雨を受けながら、装甲を削られつつ、前に進む。

 組み合わされた腕の間から、赤いカメラアイの輝きが覗いた。


「ミカ、ヘルハウンド……!」


 マモルは、己を包む二つの機械に呼びかける。


「ここを、切り抜けるんだ。僕たちは生きて、外の世界に行く……!!」


 外に行くことは目的では無かった。

 だが、世界の真実を垣間見た今、本当の世界というものを見てみたいという欲求が湧き上がってくる。

 マモルは己の意思で、世界を出ることを選択した。

 ミカが満面の笑みになる。


「うん、マモルが選んだなら、私は賛成だよ……! ついていくから!」

「ミカが来てくれないと、意味ないしね。一緒に行こう!」


 ハンドルの上で、二人の手が互いを握り合う。

 旧型のVSVには、大きな欠点がある。

 道具という本文を超え、自ら判断を行い、使い手が想定しない動作を行うことがあるのだ。

 ヘルハウンドは今、己の中の二人の意思を察知し、自ら動き出す。

 脚部が変形した。

 収納されているホイールと、保持アームが降ろされ、そちらに重心が移る。

 まるで鳥足のような形になって、より前傾姿勢に。

 そして銃弾の中、灰色の巨人は急激に加速した。

 方向は斜め前方。

 弾丸を突っ切りながら、青い怪物の側面に至る。

 怪物は全身から発生させたアサルトライフルを、標的へと向けた。

 体勢を変えるには、この怪物は鈍重に過ぎたのだ。

 

「ヘルハウンド!!」

「やっちゃえーっ!!」


 ライフルがその銃口から火を吹かんとするその時、既にヘルハウンドは致命的な距離まで肉薄している。

 ホイールが作り出す機動性は、直前の鈍重な動きとは全くの別物。

 速度を得た超硬質の爪が、青い怪物の腕をライフルごと抉り取った。


『ピギギギギギガガガガガガガッ』


 絶叫。

 そして、飛び散る1と0の奔流。

 真っ白な数字が溢れ出し、まるで虚数空間の流星を思わせる。

 だが、ヘルハウンドも無傷とは言えない。

 未熟な操縦者を抱え、満足な機動を出来ないこのVSVは、腕の装甲の大半を失い、肩口からはむき出しになった内部構造が火花を散らしている。

 互いに傷を負いながらも、しかし、灰と青の機械の怪物は、戦意を失わない。

 世界の有り様は、すでに地形すらなくなり、単純な線で描かれる黒い平面であった。

 守る側であった世界と、守られる存在だった人間。

 そのぶつかり合いは、加速していく。

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