第8話アウター・ワールド

 世界の壁を飛び越えることは簡単だった。

 既に、マモルを監視する世界の目は無い。

 自由の身となったマモルは、ユウキたちの誘いに従い、アンフィスバエナに掴まって世界の壁を突き破った。

 そこは見覚えのある、無数の星が流れ続ける空間だ。


「ふ、ふぅわああああ」


 ミカが目を見開いて間抜けな声をあげる。

 マモルをケアするために存在するAIとは言え、ミカが外の世界を知っているわけではない。

 表の世界から薄皮一枚向こうの光景といえど、この世界の真実の姿は見るものに衝撃を与えるのだ。


「こ……こんなになってたんだ……」

「そう。流れる星は一つ一つがデータを表す数式。黒い宇宙がブランク。恐らく、徐々にこのブランクが広がってきている」


 カリンの説明に、ミカは頷いた。


「確かに、なんか、段々世界が雑になってきてるなあとは思ってたんだよね。でも、マモルと一緒にいるとそんなこと無いから、気のせいかなって」

『気のせいって概念を使えるAIなんて、すげえな……。まるっきり人間じゃないの』


 ファルコンが感心する。

 ミカの言葉が正しければ、彼女はマモルと、五万日以上もの時を一緒に過ごしているのだ。

 学習型のAIだとしても、それほどの長い時間を人間と共に歩み、学び続けてきたものは他にあるまい。


「人間性とはデータの蓄積……ね」


 しみじみとユウキが呟いた。

 その横で、カリンは既に別のことに興味を移している。


「うん、こちらも問題ない。次は、甘神マモルと剣崎ミカの物理的肉体の確保。オシルコが反応を探知した。一旦電脳世界を出ることにする」

「どういうこと? オシルコって?」

「甘神マモルは、本当の肉体ではない。今は意識だけをこの電脳世界に飛ばし、生活させている状態。肉体は別の箇所で冷凍保存されている。旧世界の技術。剣崎ミカを司るユニットの本体も、電力のみを供給される状態で別の箇所にある。それらを回収に行く」

『いやあ、昔ってのは怖いねえ。意識だけを飛ばすとか、俺にはとてもできねえよ』


 ファルコンは軽口を叩きながら、アンフィスバエナを走らせた。

 今回の虚数空間は、表の世界と地続きになっている。

 潜伏の必要が無く、ごく短時間、表の世界と接触するという目的のため、移動の利便性を重視した形だ。


「ここに一つ置いていくわね。旧式だけど、君にはちょうどいいかも」 


 鎮座しているカトブレパスが、後部コンテナを展開していく。

 そこから、灰色のブラックドッグとも思えるようなものが自動操縦で降りてきた。


「ブラックドッグ・ゼロとも言うべき車両だけど、通称はヘルハウンド。使い方はブラックドッグよりもアナログね。バイク乗れる?」

「えっと、いや、乗れないけど、自転車くらいなら……。なんで、僕にこれを?」

「あたしたちが一旦、みんな外に出ちゃうからに決まってるでしょ。ほんの数時間だけど、君は自分で自分の身を守らなくちゃいけないの。あと、ミカのこともね」

「私!?」

「ミカはAIなんだからバイクの乗り方くらいデータにあるでしょ」

「そんなの無いよ! だって私まだ高校生だもん」


 ミカの返事に、ユウキがガクッとなった。

 なるほど、この時代の高校生なら、まだ二輪の免許を取っている者は少なかろう。女子であればなおさらだ。

 AIにすらそのリアルを追求する、この町のこだわりよ。


「カリンー! この人たちバイク乗れないって! ありえないんだけどー」

「けれども、データを送り込むことはできない。二人とも、メインシステムから隔離されているから。やるなら直接乗り込んで本体に送り込んでバイクの乗り方を教える」

「じゃあ……それまでにシステム側が襲ってきたら……まあいいか」

「おーい!!」


 マモルが猛烈に抗議する。

 まあいいか、で済まされる問題ではない。

 思い返してみれば、そもそもマモルとミカは巻き込まれた側ではないか。

 そんなマモルの肩を、サイボーグがポンポンと叩いた。

 表情の分からないターレット付きの顔だというのに、彼が笑っているのが分かってしまう。


『最低限レクチャーしてやる。おいユウキ、姫、一時間だけくれ。それで、少年はこいつを物にしろ。まあ無理だと思うが、やらないよりはマシになるだろう。そして少女は少年のサポートな』

「あっ、はい!」


 ここに来てびっくりし通しのミカである。

 ようやくファルコンがロボめいたサイボーグであることにも気が回り、声をかけられて目を白黒させている。

 自分がAIらしいのだが、メカメカしいものに対する免疫が全くない。

 かくして、一時間だけ時間をもらい、この場に残ったファルコンがヘルハウンドの操り方をレクチャーしたのである。

 

 まず、ヘルハウンドとブラックドッグの違い。

 それはブラックドッグが変速式の四輪であるのに対し、ヘルハウンドは二輪である。

 どちらかというとアンフィスバエナに近く、それでいてヒューマノイド形態というロボットへの変形機構を備えている。

 この時、前後に展開しているホイールとシャーシ部分が90度回転し、両足に変化する。

 バランスに関しては、内蔵されているジャイロシステムが代行を行うから、ヒューマノイド形態については心配は無い。

 基本形態である二輪モードを操縦出来なければならないのだ。


『武器の扱い方のレクチャーまではできんし、ヒューマノイド形態の操作方法もやる時間がない。とりあえず、走らせることができるようにだけなっておけ』


 ファルコンはそう言いながら、マモルに二輪の運転方法を叩き込んだ。


『ヘルハウンドに逆らうな。こいつが行こうとする意志や慣性に身を任せるんだ』


 等など。

 その他基本的なテクニックを含めて、ざっと教えて走らせて、転倒までさせてみてお開きとなった。

 一時間では全く足りていない。


『少女! 二人乗りで後ろからサポート。少年、走らせることだけに集中。いいな!』

「は、はいっ!」

「ひえーっ! はいぃ」

『では俺も行く。死ぬなよー』


 装甲バイクに跨ったサイボーグが、後ろ手にひらひらと別れの挨拶をした。

 アンフィスバエナはエンジンをかけられると、生物のような咆哮をあげる。

 同時に、ファルコンの前方の空間が砕け散った。

 ブラックドッグが、マモルとミカの前に現れた時と同じ現象である。

 それが逆回しで起こる。

 砕けた空間の穴の向こう。

 そこは、奇妙な世界だった。

 大地が時折淡く明滅し、帯電した埃が舞っている。

 空は暗雲に包まれ、時折唐突に晴れ渡っては、紫色の空を明らかにする。

 マモルが知る世界の姿ではない。


「あれ……なに……?」


 ミカの言葉に、答えられるものではなかった。

 やがてファルコンは現実世界へと帰還し、マモルとミカは取り残される。

 電脳体である二人は、現実世界へ出ることができない。

 どういうことか、ブラックドッグのチームの三人は、現実の肉体を持って電脳世界へ侵入していたらしかった。

 恐らく、それが、彼らがやってきた未来の世界で可能になった技術なのだろう。


「マ……マモルー」

「うん」

「大丈夫、なのかなあ……。私たち、なんかこの、流星群みたいなところに置き去りになっちゃったけど……」

「分かってるよ。僕だって不安だよ……!」

「えええ!? そこは女の子を庇うセリフを言うものでしょ!? 昔の物語とか、みんなそういうのだったじゃない!」

「いやいやいや、これって現実だから!」


 ぎゃあぎゃあとやり取りする。

 割りとこのやり取りは珍しいものでもなくて、付き合いが長い幼馴染ともなれば、何度も喧嘩だってしている。

 それが150年にも及ぶ付き合いなら、きっと数限りないほど喧嘩しているのだろう。

 いつも通りの行動。

 だからこそ、言い合いをした後、二人は落ち着くことができた。

 この二日間で、お互いの全存在が根底からひっくり返ってしまった二人だったが、関係は変わっていないのだ。


「生き残ろうね、マモル」

「うん、生き残ろう、ミカ」


 システムが、己の管理下から切り離された二人を探し出すには、少し時間がかかる。

 だが、この世界がシステムの掌中にある以上、見つかることは時間の問題だった。

 やがて、流星雨の世界にポリゴンの怪物が出現する。

 一つ、また一つ。


「行くよ、ミカ!」

「うん!!」


 マモルがエンジンをかけると、ミカはその背中にぎゅっとしがみついた。

 暖かさと柔らかさが伝わってくる。

 ファルコンは、ヘルハウンドの意思に逆らうなと言った。

 アクセルを開けた瞬間、このモンスターマシンが目を覚ました。

 轟く爆音。

 ホイールが回転を始め、電脳世界に形作られた、仮初の大地を削り取る。

 削り取りながら、走り出す。


「ええい……! ついてこれるもんなら、ついてこい!!」


 マモルはヤケクソ気味に叫びながら、アクセルを全開にした。

 一気に、ヘルハウンドがトップスピードになる。

 方向はポリゴンの怪物たち。

 彼らがこのマシンを挟み込もうとする、その隙間をギリギリで駆け抜ける。

 そのまま、虚数空間と電脳世界の壁をぶち抜いた。

 元の世界へと飛び出していく。

 ついさっき、干渉混じりに振り返った世界だ。

 そこを、経験したことが無い恐ろしい速度で駆け抜ける。

 前方から、側方から、ポリゴンの巨人が、怪物が湧き上がってくる。

 道行く人々は、次々にキューブの人形に変わって襲いかかる。

 だが、これらを回避できるほど、繊細なハンドル運びをする余裕など、マモルには無かった。

 ただただ、一直線に走らせる。

 速く、ただ速く。

 凄まじいダウンフォースがかかり、超絶的な速度が産む揚力が相殺される。

 地面を削り取り、世界にテクスチャを描画する暇を与えない速さが、この偽りの空間を蹂躙する。


「うわああああああっ!!」


 マモルは叫びながら、ただ、ひたすら、このマシンにしがみつく。

 ミカは声もあげず、必死にマモルに抱きつくばかり。

 世界が生み出すガーディアンは、たちまち置いて行かれ、情報処理の負荷になると判断された後方のガーディアンは分解されて消える。

 そして新しいガーディアン……ポリゴンの怪物が出現する。

 しかしそれらでは、世界を疾走する灰色の怪物に追いつくことはできないのだ。

 やがて世界は選択する。

 彼らに追いつくために、ガーディアンとしての機能を集中することを。

 突如として、マモルとミカの背後に、青いバイクが出現した。

 それも、アンフィスバエナやヘルハウンドに近い、装甲に覆われたバイクである。

 世界は、侵入者たちから学習したのだ。

 そして、このマシンの繰り手は。


「…………!」


 ミカが目を剥く。

 見知った顔が、そこにはあった。

 青いモンスターバイクにまたがり、目を吊り上がらせた新条ハルトが、二人を睨みつけていたのだ。

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