第6話スクールデイズ・マスカレイド
「おはよ、マモル!」
「あ、ああ、おはよう」
家を出て、ミカと合流する。
いつもの通学路。
昨日あったあれやこれや、何もかもがまるで嘘だったかのように、いつもと変わらない朝。
今日も両親はいない。
朝早く出勤していったのだ。
……本当に?
本当は、両親などいないのではないのか。
「マモルったら、昨日はいきなり帰っちゃってどうしたの? 私びっくりしたんだから」
「ああ、ごめん。ちょっと用事があって……」
そうか、こういうふうに修正されるんだな、と理解。
マモルは可能なかぎり、ミカの会話を正しいものとして合わせていく。
それが、昨日ユウキたちに言われた、この世界での過ごし方だった。
「……うん? どうしたのマモル。なんか、じーっと見てきて……。もしかして、好きになっちゃった?」
「そんなわけないだろ。ほら、急いで行こう」
「うわあ、何気にひどいんですけどぉ」
何度も繰り返してきたミカとの会話が弾む。
彼女が、自分に対して用意された偽物の存在だというのだろうか。
とても信じられない。
歩くうちに、やがて例の大通りに到着する。
車と人が行き交い、まさに通勤時の混雑。
今日は……何も、起こらない。
ここから全てが変わってしまった。
彼女たちの話を信じるならば、このままで緩慢に自分は破滅していったのだという。
だが、一瞬のうちに信じていた世界を粉々にされるのと、真綿で首を絞めるようにゆっくり死んでいくのと、どちらがよりましなのだろう。
「マモル! マモルってば。信号変わってるから!」
「あ、ああ、ごめん!」
「もう……今日のマモル、変だよ? いつもとぜんぜん違う」
「いや、そんなことないよ! 僕はいつもどおりだってば」
「そお?」
何事も無く歩道を渡り、大通りを抜け。
横目にあの繁華街へ向かう道を見ながら、通学路を行く。
やがて、高校が見えてきた。
「よお、マモル! 剣崎!」
「ハルトか。おはよう」
「おはよう新条くん!」
いつもの面子が集まって、昇降口をくぐる。
下駄箱前で、昨日嫌になるほど見た顔。
「やあ、おはよう」
「おはよう」
同じ顔が挨拶してくる。
ユウキとカリンの姉妹。
そう言えば、どちらが姉で妹なのか。
「ブラッドさんたちおはよう! いやあ、俺はクラスに美人が増えて嬉しいなあ! ああそうだ! 放課後にでも学校案内をするよ? 二人のことをよく知りたいなあ、なんて」
ハルトが調子よく、二人に近づいていく。
ユウキは愛想笑いを浮かべて、
「気持ちは嬉しいけど、案内は甘神マモルくんにしてもらうことにしているの」
「甘神マモル私たちを案内しなさい」
ユウキは演技をしているが、カリンは素であろう。
マモルは思わず呆れてしまった。
……と、そこで時間の流れが緩慢になる。周囲の風景がセピア色に変わる。
『……と、いうわけ。休み時間に放課後、校内を散策するわよ』
「どうして校内を探すんだ? もしかして、町の中にあるかもしれないじゃないか」
『システムにとって最も大事な人間を、どうして疑似世界でも、遠くに置いておくと思うのよ。君は学生。君にとって、最も親しい空間というものは何?』
「毎日学校に通うね……」
『でしょう。だから、間違いなくこの学校。どこかに、虚数空間の中枢がある』
そこで秘密のおしゃべりは終わった。
風景の色彩が戻ってくる。
「むう」
不満げにミカがこちらを見つめている。
ちょっと気に入らない事があると、ミカはすぐにこういう表情をする。
頬をぷくっと膨らませて、子供っぽいのだ。
そしてマモルは、そんなミカの態度に弱い。
例え彼女が作り物だったとしても、ずっと続けてきた習慣はそうそう変わらないものだ。
「じゃあ、ミカも一緒に来る?」
幼馴染の表情の変化は劇的だった。
パアッと明るくなり、満面の笑顔になる。
「行く! もう、どんどん案内しちゃう!」
カリンのこめかみに青筋が浮かび、ユウキは天を仰いで両目を覆った。
ということで。
調査任務に、部外者が加わることになってしまった。
彼女たちが言うには、マモルはこの世界の中心点に位置づけられている。
つまり、世界はマモルに注目しており、彼に接触することは自然と、この世界からの注意を惹き付けることになる。
これが、ただのクラスメイトとしての接触ならば何も問題はないらしいのだが、それを少しでも逸脱するやり方で触れると、途端に世界がマモルにとっての異物を排除にかかるのだとか。
そのような理由で、姉妹から秘密の会話は来なかった。
授業は滞りなく進行し、カリンは全ての教科で当てられるも、満点の回答。ユウキは体育において、女子たちの視線を集める大活躍。黄色い歓声を集めていた。
大変目立っている。
「単純に自分たちが楽しみたかっただけなんじゃないのか、あの人たち……」
「ほんっと、ブラッド姉妹は目立つよねえ。美人だしスタイルいいし……ずるいと思うなあ」
ミカが難しい顔をしている。
その表情が大変面白かったので、マモルは吹き出した。
そして案の定、ミカの
ハルトはと言うと、あの姉妹に執着しているのか、しきりに接触を図ろうとしていた。
だが、毎度毎度すげなく断られているようだ。
やがて、放課後になった。
カリンが掃除当番だと言うので、廊下で三人で待つ。
「いやあ……やっぱり学校って楽しいわ……。ほんっと平和でいいわよね。こういうことだけして生きていきたいわ」
恐らく紛うことなき本音であろう言葉を、ポロッと漏らすユウキ。
「でもちょっと、しつこいのは勘弁して欲しいよね。現実でもそういう男っているし……」
「ハルトのこと?」
「あー。新条くん、可愛い女の子に目がないから。前はさんざん私のことを褒めてたのに」
「ハルトのやつ、ミカに粉をかけてたのか……」
「今気づいたわけ? おっそーい」
ミカがマモルの脇腹を小突く。
その光景を見て、ユウキが訝しげな顔をした。
「随分細やかな動きをするNPCね……」
「え? えぬぴーしーって?」
「ああ、いえ、なんでもないわ」
笑って誤魔化すユウキ。
ちょうどそのタイミングで、掃除が終わったカリンがやってきたので、この話は有耶無耶になった。
そうか、ユウキもおかしいと思ったのかと、マモルは安堵する。
ミカがただの舞台装置であるとは思えない。
彼女には何かがあるのかもしれない。
「行こう」
基本的にカリンは空気を読まない。
一言告げると、勝手に歩きだしてしまう。
「あーっ、ちょっとまってカリンさん! もー。どこにどういう教室があるか分かんないんでしょ? 案内したげるから」
「問題ない。全て記憶している」
「ええーっ、じゃあ案内なんか必要ないんじゃない!」
「記憶は完璧。まずここが理科室」
「そこ男子トイレだよ」
ミカとのお間抜けなやり取りが始まった。
マモルとユウキは、のんびりと後をついていく。
「本当にあるのかなあ」
「あるわよ」
具体的に何が、とは口にしない。
少し先では、片っ端から教室の扉を開けて行くカリンと、それを止めようとしているミカの姿。
二度目の正直で、理科室を覗いた。ちょうどすぐ脇の棚にホルマリン漬けの標本があり、そういうものを初めて見たらしいカリンが、しばらくそこから動かなくなった。
理科準備室には鍵がかかっていたが、カリンの様子を見ると、そこはどうでもいいらしい。
二階の教室をあらかた回ると、残りは職員室だ。
マモルはちょっと気が引けたし、ミカもそこまでしなくても、という立場だったが、姉妹はどうしても覗くのだと主張する。
そんなわけで、学校案内で職員室内を練り歩くという異例の事態に。
当然、じろじろと教師たちに注目される。
「あはは、どうもー」
「すみません、転校生の学校案内で……」
「そうなの? いいけれど、職員室はテストを作ったりしているから、見学はあまりするものじゃないわよ」
担任の桶井女史から嗜められつつ、一回りして職員室を後にする。
どうやらここも違ったらしい。
二階の部屋という部屋は、男子トイレまで含めて全て回った。
目的の地は、一階か、それとも三階か。
「ここはあたしが勘で……」
などとユウキが言い出すので、マモルは冗談ではないと思った。
自分の進退がかかっているのだし、そもそもここから先、どうなってしまうのか想像もつかないのだ。
勘などで決められてしまっては困る。
「勘って、全部見て回ればいいんじゃないの? 私のオススメはね、三階に登って、最後に一階から体育館に行くコース。そこから校庭も回れるでしょ」
「それで行こう。剣崎ミカは賢い」
カリンがミカのプランにご満悦である。
彼女はこの世界の舞台装置なのではなかったのか。どうやらカリンまでも、ミカの行動に疑問を抱き始めているようだ。
「具体的に言えば、あまりにも動作が人間的すぎる」
今度はユウキがミカと並んで先行している。
活発な印象とは裏腹に、ユウキは無茶をセず、ミカの指示に従っているようだ。
そして、カリンがマモルの横にいるわけだが、彼女の表情が少し楽しげに見えた。
「彼女は甘神マモルとどれくらいの間を一緒に過ごしているの?」
「どれくらいって言われても、幼馴染だからさ。そりゃあ、ずっと子供の頃から一緒だよ」
「具体的に何年とか」
「具体的……」
思い起こそうとして、マモルは記憶が曖昧になっていることに気がついた。
一体、何年間、ミカと共に過ごしたのだろうか。
思い起こそうとしても、彼女はずっと隣にいた記憶しかない。
その始まりとなるような記憶や、もっと違う年代の記憶が全く出てこないのだ。
まるで、気が遠くなるほどの昔から、一緒にすごしていたかのように。
「なるほど。最初のうちは、甘神マモル以外にも人間がいたのかもしれない。剣崎ミカは甘神マモルを担当するAI。これは間違いない」
ぶつぶつと呟きながら歩くカリン。
あまりに考え事に没頭しているので、階段で躓きそうになった。
慌てて支えるマモル。
「ありがとう。それで、甘神マモル。私たちは甘神マモルが大戦前の人間だと断定したのだけれど、それが集結したのがいつかは知っている?」
「知っているわけ無いだろう」
カリンはいつものように、表情を変えずに言った。
「百五十年前。つまり甘神マモルは少なくともそれだけの間、剣崎ミカと共にいたことになる」
発された言葉の衝撃に、一事呆然となるマモルなのだった。
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