第3話スクールライフ・エンカウンター2

 午前は、何も無く過ぎていく。

 転校生たちはすでにクラスに溶け込み、隣り合うクラスメイトたちと他愛ない会話に花を咲かせている。

 美人で双子という、明らかに目立つ外見ながら、彼女たちはそれほど話題にはなっていないようだった。

 もしや、とマモルは思う。

 自分には、みんなが見ている彼女たちとは違う姿が見えているのかもしれない。

 だとしたら、真実はどちらなのか。


 昼休みを告げる予鈴が鳴り響き、教室内に弛緩した空気が漂い始める。

 普段であれば、弁当を持って来たものも、購買でパンを買うものもいて、がやがやとした雰囲気に包まれるのだが、今日は違った。


「やっぱり、転校生が珍しいのかな」


 席を寄せてきたミカが言う。

 彼女はいつも、マモルのぶんの弁当まで作ってきてくれる。

 カバンから今日の分を取り出したミカは、少し離れた人だかりに目をやった。


「ブラッドさんたちだっけ。一度に二人も転向してくるなんて、珍しい事もあるもんだよね」

「そう、だね」


 マモルは曖昧に頷きながら、渡された弁当箱を開けた。

 今日は、卵焼きと肉巻きアスパラ、プチトマトにそぼろご飯。


「おっ、今日も夫婦そろってやってるね! もらい!」

「あっ、こら新条!!」


 横合いから伸びた手が、肉巻きアスパラを一つ摘まみ取っていく。

 その腕の主、新条ハルトは、すぐさま戦利品を口に放り込んだ。


「うめえ……。本当にこう、マモルに対してやり場のない怒りが湧いて来るわ……! お前、もっと感謝しろ! すげえレアな環境にいるんだぞ!?」

「な、何言ってるのよあんた!」


 ミカが真っ赤になって怒る。

 いつのも風景だ。

 だが、マモルにはどこか空々しく感じられた。

 教室の空気が、いつもとは違うのだ。

 誰も意識はしていないが、毎日食堂に向かうはずの男子生徒が、自分の席で管を巻いている。

 弁当を持ってこない女子生徒が、「今日はダイエットなの」と言いつつ、席を立たない。

 誰一人、教室を出ない。

 クラスメイトたちの中心には、彼女たち二人。

 ユウキとカリンがいる。

 転校生は表情を変えることなく、投げかけられる様々な質問を、ユウキが社交的な受け答えであしらっている。

 カリンは無表情のまま、時折頷くだけだ。

 異様な状況だ。

 誰も気付かないのか。

 そう。誰も気付かない。いや、気付かないようにされている。

 マモルを取り巻く世界が、おかしくなってしまったように感じる。多分、今朝のあの出来事から。

 黒いロボットが、トラックを纏った巨人と戦っていた。

 そう言えば、ロボットから聞こえる声は何と言っていたか。

 ユウキ、と呼んではいなかっただろうか。

 マモルは転校生を見ようとしたが、彼女たちの姿はクラスメイトに埋もれ、判然としなかった。

 結局はこの日、マモルは彼女たちと会話することなく一日を終えることとなる。



 日暮れ。

 下校時刻となり、マモルは帰途についた。


「待ってよー」


 ミカが小走りで追ってくる。

 ともに、帰り道は同じ方向。

 家が近いのだから当然だ。一緒に帰るのも、いつも通りのことだった。


「ねえ、マモル。なんか……ずっとついてくる人がいる」


 ミカがそんなことを口にしたのは、大通りに向かう途中のことだった。

 後ろを意識していなかったマモルは、思わず振り向いた。

 そこには、灰色のスーツを着込んだ大柄な男がいる。

 彼はアタッシュケースを手にしており、マモルの動きに合わせて立ち止まった。

 しばし、目が合う。


「…………」

「……参ったな。だから俺にはこういう仕事は向いてないんだ」


 男が、ぶつぶつと呟いている。

 2mはあるのではないだろうか。とても目立つ体格の男だったが、不思議なことに、顔立ちは全く印象に残らない。こうして見ていても、取り立てて特徴を取り上げる事ができない。


「あんたは」

「ま、気付かれたら仕方がないわな。おい少年、俺のことを気にせず歩け」


 ……怪しい。

 怪しすぎる。

 マモルはミカの手を取ると、


「ミカ、逃げるぞっ」

「えっ、う、うんっ!」


 駆け出した。


「あっ、お、おいっ! ああ畜生!」


 男が焦った声をあげている。


「おい、姫! 聞こえるか!? やっぱりダメだ! ああ!? そうだよ、逃げたよ! 追いかけるからな! だからダメだって言ったろう! 俺はな、そういう細やかな仕事に向いてねえんだよ!」


 何か叫びながら、どたばたと走ってくる。

 マモルは目の前に大通りを捉え、決断した。


「横道っ……! あいつを撒こう!」


 曲がり角に入る。

 大通りに繋がるこの道は、横合いが複雑に入り組んだ作りをしている。

 いわゆる飲み屋街になっており、個人経営の小規模な店が軒を連ねていた。

 ようやく暖簾を掛け始めた通りを、駆け抜けていく。

 いつしか、男の足音は遠くなっていた。


「なんなんだよ、全く……! なんで、みんな僕を追ってくるんだ……!!」

「マモル……? なんだか、ちょっと今日のマモル、怖いよ」

「あ、ご、ごめん……」


 マモルは歩みを緩めた。

 すっかり息が上がってしまっている。

 周囲はすっかり日が落ちて、街灯や看板がそこここで照り輝いている。

 わいわい、がやがやと、仕事終わりに繰り出す大人たちの声が聞こえている。

 普段は踏み入らない世界だった。


「うわっ、なんか、怪しいお店とかいっぱい……。こんなところ来ちゃって大丈夫?」

「あ、いやごめん。つい勢いで……」


 我に返ってみれば、自分たちの場違い感に気付く。

 親友のハルトは、悪友たちと夜の繁華街で遊んだりするようだが、マモルもミカも、こういう場所に馴染みはない。

 とりあえず、さっきの男が追ってきていないかどうかだけをチェックする。

 ……誰も追ってきていない。

 ホッと一息ついて、


「じゃあ、出ようか」


 そうミカに声をかけたときだ。

 幼馴染が、ぎゅっと強く手を握ってきた。


「マモル、やばい。やばい……」

「え、何、どう……」


 向き直った前に、見覚えのある男がいた。

 追って来ていたスーツの男ではない。

 高校の生徒指導を担当する、毒島という教師だ。


「おいおい……いかんなあ。こんな時間にこんな場所で、不純異性交遊じゃあないか」


 毒島はニヤニヤ笑いながら、歩み寄ってくる。


「あ、あの、ちが、ちが……」

「剣崎ィ……。俺は、お前は模範的生活態度だと思ってたんだがなァ」

「その、僕が彼女を連れて……」

「あァ、お前はもっと重罪だぞ甘神ィ……『思考パターンにノイズを確認。教育が解除されつつある。これより上書きを実行する』」

「えっ!?」


 毒島の言葉に、有り得ない音声が重なって聞こえた。

 まるで機械が喋るような、抑揚の無い声。


「ちょっと来いィ!」

「い、痛い!」


 毒島がミカの腕を強引に掴んだ。

 ミカが顔をしかめる。

 マモルは思わず、毒島の腕を払っていた。

 いや、払おうとした。

 だが。


「んん? 逆らうのか甘神ィ? 反逆はもっと重罪だぞォ」


 払いのけようとした毒島の腕は、まるで鉄で出来ているかのように硬く、びくともしない。

 生活指導の教師は、ニヤニヤ笑いは顔に張り付かせたまま、無造作に手を伸ばしてくる。

 マモルを拘束しようと言うのだ。

 一瞬、マモルの脳裏を、逃げようという意識が塗りつぶした。そしてすぐに、自ら弱くなっていた気持ちを振り払う。

 ミカを見捨てて逃げられない。

 それに、この毒島は何か変だ。

 マモルはじっと、毒島を見つめた。

 その視界の中で、教師の姿が一瞬ぶれ、人間ではない無機質なキューブの集合体に変わった。見間違いではない。


『アーキタイプを破損。警戒レベルをBに引き上げ』


 既に毒島の口調を真似ることもせず、キューブの集合体がマモルの肩を掴む。万力のような力だ。


「くそぉっ……、こ、この化け物めっ……!!」

「おう少年、よくぞ逃げなかったな」


 そこへ、飄々とした声が掛けられた。

 マモルの背後から、頭を越えて、ぐんと大きな腕が伸びてくる。


『侵入者ッ……』

「うるせえ」


 拳が、毒島だったキューブの顔面に炸裂した。

 甲高い金属音があがる。


『ガガガガガーッ!!』


 キューブが叫び、マモルとミカを掴んでいた手を離しながら吹き飛んでいく。

 マモルの頭上、キューブを殴りつけた腕は、灰色のスーツに包まれていた。それが、一瞬ノイズに包まれたかと思うと、ガンメタルの金属に覆われたごついアームに変化する。

 振り返ると、そこに異形の巨漢が立っている。

 顔に当たる部分にはターレットが設置され、複数のカメラアイが回転しながらマモルを見下ろす。


『おう、すっきりしたぜ……。これこれ。俺はこういうのが得意なんだよ。……ああ!? うるせえよ姫! お前が余計な事に首を突っ込んでシステムにマークされてるのが悪いんだろうがよ!』


 また、独り言でわめき始めた。

 どうやら誰かと通信しているようだ。

 これは、なんと言うのだろう。

 ロボット……? いや、サイボーグか。


『おっと、悪いな。向こうさんも本気のようだ。少年、ちょっと後ろに下がってろ』


 サイボーグは自らの拳と掌を打ちつけながら、前進する。

 その前方では、殴り倒された毒島が、ゆっくりと起き上がっていくところだった。

 さらに、毒島が正体を現すと同時に停止していた周囲の人間たちが、次々キューブ細工の怪物に変化していく。

 それが無数に集まってくるのだ。


『よっしゃ、いっちょやるか!』


 サイボーグが吼えた瞬間、キューブ細工の怪物が一斉に襲い掛かってきた。

 これを、鋼の拳が、叩く、打つ、殴り飛ばす。

 横合いから飛び込んできたキューブを、強烈な肘打ちで迎撃する。インパクトと同時に、衝撃音。キューブの怪物を貫いて鉄の杭が飛び出した。

 空気を焼く火薬の臭いが立ち込める。


『そらそら、かかって来いよ!』


 キューブの群れを千切っては投げ、千切っては投げ。

 調子に乗ったサイボーグが、遠巻きに見つめてくるキューブの群れに手招きした。

 すると、キューブは周囲の空間に手を突っ込み、何やら物騒な長物を取り出すではないか。


『げっ!? アサルトライフル!! 飛び道具とは卑怯な』


 突然そんな事を呟いて、サイボーグはマモルを軽々と担ぎ上げた。


「うわあっ!?」

『逃げるぞ! きりがねえ。姫と合流せにゃ、武器の補充もままならん!』

「ミカが!」

『ああ? 気にしなくていい。あのお嬢ちゃんは最初からシステムの一部、舞台装置NPCだ』

「えっ……!?」


 ミカを探す。

 彼女は一人、佇んでいた。

 その視線は宙に向けられ、毒島に腕を取られたままの姿勢。

 今にも動き出しそうに見え、同時に、よく出来た人形のようにも見えた。


『アンチボディにならんだけ有情ってやつだ。ずらかるぞ。掴まってろ』

「そんな……! ミカ! ミカぁーっ!」


 サイボーグは一瞬身を屈める。

 脚部で、カチリと音が摺る。


『リパルサー!』


 一瞬、周囲全ての音が消えた。

 全ての光景がスローモーションになる。

 マモルは目を見開く。

 迫ってくるキューブの怪物が、見えない何らかの力に押され、吹き散らされていく。これを見て、ライフルを手にした怪物たちが、次々に発砲を始めた。

 放たれた弾丸がくっきりと分かる。

 それは、やはりサイボーグの手前で何かにぶつかり、停止し、そして自らの勢いに押されて潰れて行く。

 直後、高音とも低音ともつかぬ響きがあたりに轟き、マモルの視界は地上から、一瞬にして周囲の建造物を見下ろす高みにまで至った。

 一拍遅れて、風がやってくる。

 すっかり日の暮れた街は、点々と明かりを輝かせ、美しい夜景を見せ始める。

 だが、それはマモルの目には、ひどく色あせて写った。

 全く違う何かが、見知った町の皮を被っていたかのようだ。

 例えば、街角。

 照明とてない裏路地。

 無人となった廃ビルの窓の中。

 作り込まれていないディテールが見えては来ないだろうか。

 自分が見えるところだけが、世界として作り込まれ、この偽りの世界を信じ込まされて来たのでは。

 それとも……。

 マモルは、今まさに自分を担いだサイボーグを見る。


 彼らが、自分を騙しているのか。

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