第2話スクールライフ・エンカウンター

 朝のあれは、白昼夢だったのではないかと思えるような。

 そんな日常が戻ってきた。

 ミカは目を覚まし、


「あれ? 私、寝ちゃってた……? ユカリたちとFEEBLEで遅くまでお喋りしてたからなあ」


 などと自己完結する。

 FEEBLEとは、最近流行しているスマートフォンを使ったチャットソフトのこと。

 リアルタイムで接続している相手とのやり取りができて、既読、未読機能もある。電話番号でFEEBLEに登録している友人だって検索できるのだ。


「そう? 夜遅くまでやるの、体に悪いよ。特に美容とか」

「むう。余計なお世話ですー」


 ミカがむくれて見せた。

 どうやら、彼女にさっきまでの記憶は無いらしい。

 マモルはいぶかしく思いながらも、それを口にする事はない。

 そこから先は、当たり前の通学路。

 何も起こりはしない。


「でね、昨日はそれで」

「ああ、うん」


 上の空でミカの言葉に答えつつ、考える。

 本当に夢だったのではないか。

 何も起きていなかったのではないか。

 世界には何も起こってはいない。


「おい甘神、お前ってほんっとに……カーッ、ほんっとに腹が立つ奴だわーっ」

「うわあっ!?」


 いきなり背中をバシンと叩かれた。

 荒々しい挨拶をして来たのは、クラスメイトの新条ハルトだ。

 彼とは家の方角が全く違うはずだが、どうしてここで合流を……と思ったら、何のことはない。

 既に学校の手前だった。

 県立南高等学校。

 どこにでもある、ごく普通の進学校。

 そこが、甘神マモルの学び舎だった。


「ほんとほんと。新条聞いてよー。マモルったらさ、ずーっと私の話を聞いて無くてねーっ」

「えー、そいつはひどいなあ。俺だったら幾らでも剣崎の話に付き合うぜ!」

「ほら、新条ってちゃんと女心が分かってる。それに引き換えマモルはー」

「悪かったよ。ごめんごめん!」

「ちぃーっ、もうよりを戻しちまいましたか。それじゃあ、二人のお邪魔にならないうちに俺は行きますっと」


 ハルトは半笑いになりながら、こちらを振り向きつつ階段を昇って行った。

 彼はミカのことが好きなんじゃないかと、マモルは思っている。

 だが、幼馴染は彼の気持ちを知ってか知らずか、彼からの露骨なアプローチを華麗にスルーし続けている。

 なんだかなあ、とマモルは思うのだ。

 二階に差し掛かると、マモルたちの教室と職員室があるフロアになる。

 これは階段を中心にして、校舎の左右に分かれているから、自然と職員室に背中を向ける形だ。

 ふと、いつもならばスルーする背後が無性に気になった。

 目線を送る。


「やあ、おはよう」


 そこに、見慣れない人影があった。

 明らかにこの学校の制服ではない。

 ややもすれば、古風に見えるセーラー服姿の少女が二人、佇んでいた。

 一人は、黒髪を長く伸ばし、短めのスカートから眩い太ももを覗かせた少女。

 もう一人は、短くした髪にやや長めのスカート。俯いている。

 驚いたことに、二人の顔は鏡写しだった。


「お、おはよう。あれ、見ない顔だけど」

「もしかして、転校生?」


 ミカの言葉に、二人の少女は頷いた。


「あたしはユウキ・ブラッド」

「カリン・ブラッド」


 二人の声に、デジャヴを覚える。

 ついさっき、どこかで聞いたような……。


「そっか、帰国子女なの? もしうちのクラスに来るのだったらよろしくね!」


 ミカはそんなマモルのことなど気にしない。

 無邪気に、この二人の少女に握手を求めた。

 ユウキがすぐさま、この握手に応じる。


「ああ、よろしく。仲良くしていこう。短い間だろうけれど」

「?」

「…………」


 言葉の意味を理解できていないミカを、カリンが感情の伺えない目でじっと見つめる。


「違う。ユウキ、彼女じゃない」

「了解。それじゃあ、ええと、君は」

「剣崎ミカよ」

「ミカ、よろしくね」


 二人の少女が快活に握手を交わし合う。

 それは微笑ましい光景のはずだ。

 しかし、マモルにはそれが、どこか上辺だけのやり取りに見えた。


「ミカ、もう行こう。ホームルームも始まるから……」

「えっ? まだ時間があるはずだけど……。ごめんねユウキさん、カリンさん。じゃあ、また後で」

「うん、また後で。君もね、甘神マモル」

「!?」


 名乗ってもいないというのに、己の名前を言い当てられ、瞠目するマモル。

 だが、二人の転校生の姿は職員室へ消えていった後だった。


「よう、遅かったじゃんお二人さん」


 教室に入ると、声をかけられた。ハルトだ。

 ハルトは先に到着して、仲間たちと喋っていたようだ。


「聞いたかマモル、転校生だってよ」

「あ、ああ」


 さっき会った、とも言えずに曖昧に頷く。


「それも、一度に二人、すげえ可愛い女の子らしいんだよ」

「二人とも……?」


 マモルは不自然さを覚える。

 だが、隣に腰掛けたミカは、そんな事など考えもしていないように、


「へえ、そうなんだ!? 楽しみだねー!」


 彼女の声に呼応するように、教室における話題は転校生のこと一色に染まっていく。マモルは一人、クラスにおける盛り上がりに加わることも出来ず、じっとその時を待つ。

 まるで、合間の時間を切り取ったかのように、唐突にそれはやって来た。

 ホームルームの時間だ。

 気がつくと、担任の桶井ハルコ女史が教壇に立っており、朝の挨拶を告げている。

 学級委員長の声。

 起立。

 礼、着席。


「今日は、このクラスに新しい仲間が増えます。みんな、拍手で迎えてあげてください」


 わあっという歓声。

 拍手が起こる。

 扉が開くと、二人の姿。

 視線が合った。

 二人は、ユウキとカリンはマモルだけを見つめている。

 自己紹介が始まった。

 帰国子女だの、一卵性双生児だの、そういうどうでもいい情報が流れてくるが、そこに副音声のように被さる言葉がある。


『カリン、どう?』

『間違いない。甘神マモル。彼は適合者。私たちの目的』


 ユウキの目が細くなった。

 長い髪を揺らし、挑発的なポーズを取る。

 彼女の目線は、今やマモルにだけ注がれていた。


『甘神マモル。あたしたちは、君に話がある』


 明らかに、自己紹介を行う姿勢では無いと言うのに、誰もそれに気がついていない。


『彼らには私たちは見えていない。今、彼らが見たいビジョンをここに投影している。心配は無用』

『あたしたちにとって大切なのは、君だけってこと。ちょっと顔を貸してもらえる?』

「ちょっと、待ってくれよ……!」


 思わずマモルは声をあげた。

 そして、しまった、と思う。

 誰も、転校生二人の不可思議な会話に気付いていないが、自分がそれに加わったとして、それをクラスメイトたちが看過してくれるとは限らないのだ。

 マモルは周囲からの訝しげな視線を感じ……はしなかった。


「えっ……!?」


 思わず立ち上がっていた。

 周囲の風景の色が変わっている。

 それは、まるでグレースケールの一枚絵にも似た、褪せた色合いの世界。

 マモルと二人の転校生だけが、鮮やかな総天然色だ。


『色々説明不足でごめんね。どうしてもこちら側に入り込むには、この世界のルールに従う必要があるの。あたしたちがこの世界の人間を演じている限り、システムはあたしたちを、露骨に排除はしないわ』


 ユウキが教壇脇から降りてくる。

 そして、クラスメイトたちを、まるで立体映像か何かのようにすり抜けて、マモルの前までやって来た。


『この状態は、カリンが表側をだましてるの。あらかじめ作ったあたしたちの映像が喋ってて、システムの目を誤魔化してるってわけね。だけど長くは持たない。だから単刀直入に言うわ』


 マモルの目線より少し低い位置から、ユウキが見上げてくる。


『あたしたちと一緒に来なさい、甘神マモル』

「そっ……それは……」


 少女の目線は、冗談を言っているものなどではない。

 真剣そのもの。

 そしてこの時、初めてマモルは、ユウキの顔をまじまじと見ることになった。

 大きな目はやや切れ長で、睫毛が長い。

 サラサラの黒髪をストレートに伸ばしているが、それはところどころ、CGめいた不自然な動きをする。

 桜色のふっくらとした唇だけが現実的で、これほど鮮やかな色合いを自分は知らないとマモルは思った。


『ユウキ、限界。表側に戻るわ』

『了解。じゃあ、また後でね、甘神マモル』


 少女は悪戯っぽくウィンクすると、壇上へと戻っていく。

 彼女の隣で、カリンは無表情のまま。

 スカートのポケットから何やらスプレーを取り出すと、シュッと虚空に向けて一吹き。

 すると、スプレーが噴射された場所に青く四角い画面が出現する。

 カリンはそれを指先でチョコチョコと叩く。


『危ない。気付かれるところだった』

『いけそう?』

『短時間ならこれからも』

『了解』


 カリンの指が、青い画面を強く叩いた。

 その瞬間、世界が色彩を取り戻す。


「ということで、よろしくお願いしまーす!」


 転校生のユウキ・ブラッドが元気よく締めの挨拶をしたところで、クラス中がわーっと盛り上がった。

 隣の席に座るミカも、笑顔で拍手をしている。


「いい人みたいじゃん! なんだか楽しくなりそう! ね、マモル?」

「あ、ああ。そうだね。そう思うよ、凄く……」


 マモルは、少しも笑えなかった。

 

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