雷鳴のブラックドッグ

あけちともあき

第1話グッドモーニング

 世界に張り巡らされた、テクスチャが剥がれる音がした。

 現実は砕け散り、虚構に変わる。

 さっきまで日常だった世界が、偽りに満ちていたのだと、彼はその時思い出した。




「……おはよう」


 目覚めて自室を出る。

 甘神マモルは、共働きの両親と暮らしている。

 2LDKのマンションは、高校生の子供を抱える家庭には少々手狭で、住み替えの必要があるように思えた。

 マモルはふらふらと寝覚めのまま、リビングにやって来る。

 テレビの音が漏れ始めた。


「おはよう」


 扉をくぐる。

 誰もいない。

 両親は既に、出勤してしまった後だ。

 マモルはいつものことだと思いつつ、おざなりに流しで顔を洗いつつ、朝食のメニューを考えた。

 目玉焼き、ベーコン、トースト。あとはインスタントコーヒーがあったか。

 これで行こう。

 立ち上がるマモルの耳に、トースターが鳴らす焼き上がりの知らせが響いた。

 香ばしいパンが焼ける香り。

 テーブルの上には、焼きあがった目玉焼きとカリカリのベーコン。

 やや薄いインスタントコーヒーはご愛嬌だ。

 彼は素晴らしい朝食に感謝を覚えつつ、今日という一日の始まりを祝いだ。


『検問を越え、侵入した者がある。彼らはウィルスを流し、こちらの目を欺き』


「うん?」


 顔を上げてテレビを見た。

 どうやら、国際的な犯罪者集団が入国してきたという情報が入ったようだ。

 朝のニュース番組では、名物キャスターの男性が深刻な表情を作って原稿を読み上げている。


「物騒だなあ……。何もなければいいけど」


 マモルは独り言を呟くと、用意されていたカバンを手に取った。

 既に、制服は身につけられている。


「行ってきます」


 誰もいない家の中に声をかけると、ドアを出る。

 テレビの音が消えた。

 通学路を行くと、途中で後ろから聞き慣れた足音が響いてくる。

 いつも急いでいるような、この音の主は……。


「やっほ、マモルおはよー」

「おはよう、ミカ」


 幼馴染の剣崎ミカだ。

 ポニーテールを揺らして、肩が上下している。

 今日も寝坊していたらしい。


「ミカ、朝ごはん抜きで来ただろ」

「分かる? でも大丈夫大丈夫。ダイエットがわりだからさ」

「体にわるいって」


 今日も彼女と繰り広げる、他愛もない会話。

 昨夜見たテレビの話、SNSで話題になっている、彼と彼女の関係のこと。

 マモルはミカと会話すると、いつも聞き役に回ってしまう。

 彼女がマシンガンのように、会話を矢継ぎ早に繰り出してくるからだ。

 それでも、マモルは彼女の話を聞くのが苦では無かった。

 ミカもミカで、マモルを得難い聞き役だと思っているようだ。ひょっとしたら、それ以上の感情も。


「でさあ、今朝のニュース」

「何、ミカ。寝坊したのにニュース見てくる余裕はあったわけ?」

「いいじゃん! 着替えてる途中で見たんだから! ほら、なんか、犯罪者集団が入国してきたって……! 怖いよねえ」

「ああ、うん。怖いね……」


 会話の最中、大通りに差し掛かったところだ。

 行き交う人々、走り去る車。

 点滅しだした信号を見て、学生が横断歩道を駆け抜ける。

 いざ走ろうとした車が急ブレーキをかけ、クラクションを鳴らす……。

 少々慌ただしい、地方都市の朝。

 見慣れたいつもの風景だ。

 それが、突然ピタリと止まった。


「!!」

「えっ!? 何、どういうこと?」


 世界が静止してしまっている。

 ミカが困惑した声を漏らした。


「分からない。なんだか、変なことになってる……?」


 マモルが立ち止まり、辺りを見回した瞬間だ。

 左手側の空間が、音を立てて砕け散った。あたかもガラスのように、破片となった世界が飛び散る。

 何者かが飛び出してきた。


「きゃあっ!?」


 身を乗り出していたミカが悲鳴をあげた。

 マモルは慌てて、彼女の腕を掴んで引き寄せる。

 現れたのは、黒い、弾丸のような形の車だ。

 それは破壊された世界の裏側から出現した時、わずかにその全身から放電する。

 前方と後方、四本のアームがタイヤをホールドして、この車両の機動性を担保している。

 この異形の車は、高速でマモルとミカの目の前を駆け抜けながら、すぐさま常軌を逸した機動でドリフトをおこなう。

 滑るタイヤが道路を擦り、アスファルトが焼ける臭いが漂う。


「あれは……!?」


 だが、黒い車に注目している余裕は無かった。

 世界の裏側から現れたそれを追うように、異形の怪物が姿を現す。

 それは一見して、単純な平面を組み合わせて作られた、ポリゴンのキューブである。すぐさま、ポリゴンキューブはこの世界に落下し、ぶるぶると震えだした。

 ちょうど、キューブの真横にトラックが静止している。

 運転している男は共に停止しており、キューブに気づいていない。

 次の瞬間だ。

 トラックが、一瞬で平たい紙のように変化した。

 それが舞い上がり、ポリゴンキューブを覆っていく。

 ポリゴンはトラックの姿をテクスチャのように纏いながら、形状を変化させていった。

 ちょうど、一個の細胞が分裂するかのごとく、たったひとつのキューブが即座に複数のキューブを組み合わせた、複雑な形状に変化していくのだ。


「う、嘘……! なに、あれ!」

「いや、僕だって分からないよ……!」


 二人が見守る前で、キューブは既に、別の何かに変化している。

 トラックの要素を吸収し、静止した世界に立ち上がるのは、異形の巨人であった。

 それは、クラクションに酷似した咆哮をあげる。

 対するのは、黒い車両。

 突如その脇から、装甲に包まれた巨大な腕が飛び出してきた。

 冗談めいたサイズの拳銃が握られている。


『ははっ、ガーディアンか。この世界の主の趣味が分かるってもんだ』

『ユウキ、軽口はあと。相手の力は未知数』

『分かってる。行くぜ!』


 車両から声が響いた。

 それと同時に、拳銃が火を吹く。

 耳をつんざく轟音。

 放たれたのは、黄金に輝く弾丸。

 それが、トラックの巨人の胴体に炸裂する。

 巨人がクラクションを鳴らしながら仰け反った。

 タイヤのついた腕が振り回される。ただ虚空を掻くばかりではない。巨人の腕は、瞬時に世界を掴み、引きちぎった。

 そこにあった風景が、ポリゴンキューブとなって巨人の腕に収まる。

 巨人はそれを握りしめると、黒い車目掛けて投擲する。


『ちぃっ!』

 

 車両は大げさなくらい後退して、これを回避する。

 ポリゴンキューブは地面に激突する瞬間、粉々に砕け散り、辺りの世界を消滅させて黒い穴に変える。

 黒い車が、後退しながら射撃を続けた。

 弾丸は正確に、トラックの巨人の胴体を穿つ。


『埒が明かないな……! あれを使うよ!』

『やり過ぎないで。世界を壊してしまうわ。一体誰が本物なのか、まだ分かっていないんだから』

『了解だよ、最低出力で行く!』


 宣言と同時に、黒い車両が、シームレスに後退から前進へと切り替わった。

 まるで、見ている動画が逆再生されたかのような動きである。

 マモルは一瞬混乱した。

 そして、目の前で、さらにその思考を乱すような光景が繰り広げられる。

 黒い車両が立ち上がる。

 前後に展開された、タイヤを保持するアームが組み合わさり、足となる。

 横合いから突き出た腕は、もう片側からも出現し、弾丸のようなボディが折り重なって、頂点に頭部が出現した。

 車が走行しながら、一瞬で黒い人型に変形したのだ。


「ろ……ロボットだ……!」


『セットアップ、インパルス!』


 叫びと共に、黒いロボットはトラックの巨人へと飛び掛かっていく。

 巨人は再び世界を引きちぎり、ロボット目掛けて投擲する。

 それに対し、ロボットは右腕を翳した。

 黒い装甲板が展開し、三本のアンテナのようなものが上下に出現する。アンテナは瞬間、空気を震わせる音色を奏でた。

 落雷の音だ。

 放たれたのは、地上を走る稲妻。それがポリゴンキューブを迎え撃ち、打ち砕く。

 キューブの爆発が、一瞬世界の色を塗りつぶし、マモルとミカの視界は白黒の明滅に覆われた。

 それはトラックの巨人も同様であったらしい。

 だから、爆発を突き抜けて肉薄した、黒いロボットに対応出来ない。

 突き出されたアンテナが、巨人の鉄の腹に突き刺さり、黄金に輝き始める。


『ヘレティック・コレダーッ!!』


 再度の轟音。

 空気が震える……いや、世界が震える音だ。

 超至近距離から放たれた、直結の雷撃は、トラックの巨人をも巻き込んで黄金色に煌めかせる。

 輝きは一瞬だった。

 巨人が大きく膨れ上がり、すぐさま、膨らみすぎた風船のように爆ぜた。

 飛び散るのは、小さな無数のキューブ。

 それらはどれも、きらきらと金色に光り……空気に溶け込むように消えてしまう。


「ああ……」


 呆然と、それを見つめるマモル。

 彼の腕の中に、気を失ってしまたらしいミカが倒れ込んできた。

 幼馴染の重さを感じながら、マモルは動けずにいる。

 黒いロボットは残心なのか、じっとその場に佇んでいたが、ふいに頭部を巡らせると、マモルを見据えた。


『ユウキ、上手く撒けたわ。ここは退いて』

『了解』


 再び、そんな会話がロボットから放たれた。

 黒いロボットは一瞬で車両の形になると、再び走り出していく。


「!」


 視界から車が消えた途端。

 何事も無かったかのように、世界が再び動き出した。

 日常が戻ってきたのだ。

 ……本当に?

 マモルは疑問を感じる。

 自分は今、何か決定的な事態に巻き込まれてしまったのではないか。

 意識を取り戻さぬミカを抱いたまま思うのだ。

 っきまで日常だった世界が、偽りに満ちていたのでは無いのかと。


 ─1─end

  → ─2─

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