旅立ち

 次に静さんは滝沢さんに向かって口を開く。

「兄ちゃん…」

 ビクッと身体を震わせた滝沢さん。此方に顔を向けようとはしない。

 しかし、静さんは構わず進めた。

「兄ちゃん…兄ちゃんが私をどれだけ想っていたか…気が付かなくてごめん…」

「………」

 滝沢さんは俯きながら、しかし耳を傾けている。解る。こっちに意識を向けているのが。

「私はもう直ぐ行かなきゃならない…兄ちゃん、私の『人形』は兄ちゃんにあげる…それで兄ちゃんの気が済むのなら…」

「静が自分の身体を『人形』と言う訳無いだろう!!適当な事を抜かすな!!」

 身を乗り出して抗議するも、北嶋さんがプッと噴き出した。

「『人形』だろ?お前が死体じゃないと言うなら、静が戻らないと決めた身体ならさ」

 ガタンと椅子から立ち上がり、北嶋さんの胸ぐらを掴んだ。

「静を侮辱するな勇!!」

 北嶋さんは、それを煩そうに手で払い除けた。

「侮辱してんのはお前だ。静だけじゃない、死者全てにな…」

 互いに睨み合い、場が緊張する。

「北嶋さん、挑発に乗らない。北嶋さんが滝沢さんの願いを聞き入れるなら、話は別だけどね」

 滝沢さんは北嶋さんから目を逸らして私を睨み付ける。

「…アンタ、一体どこまで知っているんだ…?」

「自分は罪を犯しているのを知っている。だけど、自分では抑える事ができない。だから親友で、静さんの想い人でもある北嶋さんに、静さんの『仇』を取って貰いたい。そんな所ですよね?」

 押し黙る滝沢さん。

 私は『視た』から事実を知っている。

 それを部外者の私に指摘された訳だ。心が痛まない訳が無い。

「お前をぶん殴ったら、大野や滝沢のオッチャンが頑張って俺を助けた意味が無いだろ」

 滝沢さんを殴る、即ち『壊す』事をすれば、助けてくれた恩人の想いを無碍にする。

 それが、北嶋さんが口出しをしない事情の一つでもある。

「じゃあ誰が俺を止めてくれる!?誰が俺を助けてくれる!?お前は大野さんや親父に助けて貰っただろう!!ならば俺を助けてくれ!!俺にこんな馬鹿げた事をさせないよう、とことん破壊してくれよ!!」

 滝沢さんは北嶋さんに掴み掛かり、涙を流した。

 滝沢さんの肩を力強く掴む北嶋さん。自分の方に顔を向けさせた。

「お前を助けてやる事は俺にはできない。お前を助けられるのは静だけだ。今、神崎が静の言葉を代弁しているだろ?それをよく聞いてみろよ。な?」

 滝沢さんは身体を震えさせながら、北嶋さんに体重を乗せるよう、身体を預けて泣いた。

「北嶋さん…今日は何か格好いいよ…」

 北嶋さんが、マトモに諭すような事を言った事に、感動すら覚えた。

 恐らく、私の北嶋さんを見る瞳が、少女漫画のようにキラキラと輝いている筈だ。

「今日は!?いつも格好いいぞ俺は!!…何?その少女漫画みたいなキラキラ瞳は?」

 北嶋さんがたじろぐ。どうやら私の想像は当たったようだ。

「あの、静ちゃん、何か言っているけど…」

 明石さんの言葉に我に返り、コホンと一つ咳払いをし、再び代弁する。

「兄ちゃん…静は…兄ちゃんとして大好きだったけど…男として見た事は無いんだ…ごめん…」

 滝沢さんは北嶋さんに掴み掛かりながらも、首を横に振った。

「兄ちゃんは色々やってくれたけど…けど、静は戻らない…静は…天国に旅立たなきゃいけないから…」

「解っているよ!!俺がお前を縛り付けていた事なんか!!だけど俺は…っっっ!!!」

 激しく首を横に振って嗚咽する滝沢さん。

 静さんはさっきまで、滝沢さんに憎悪を以て睨み付けていたが、今は悲しく、困った表情をして見ている。

 抱き締めていた力を強める。

 静さんが反応して私を見る。

「駄目よ、最初も残したお兄さんを可哀想に思って、現世に縛られたでしょ?また憎悪でお兄さんを見るつもり?」

 静さんはやはり悲しそうな顔をして首を横にフルフルと振った。

 眉毛が下がり、本当に悲しそうな、なにも出来ない自分を不甲斐なく思って。

「本当に優しい子…自分があんなに苦しめられたお兄さんを案じて悲しくなるなんて…」

 抱き締めていた力を更に強くする。静さんは私の胸で再び泣き出した。

「ほら、お前が諦めてくれりゃ、静は安心して還れるんだとさ」

 北嶋さんが滝沢さんの肩を叩きながら促す。

「俺は…俺は…静…っく…」

 滝沢さんも理解している。自分が枷となっている事を。

 だけど、諦めきれない自分を否定出来ないでいた。

 その時、静観していた向井さんが滝沢さんに近付く。

 そして滝沢さんを背中からそっと抱き締めた。

「樹里…」

「流、ごめん。私が流を利用したばかりに、余計に辛い思いしたのよね…」

 静さんが首を振りながら口を開く。

「樹里ちゃんは悪くないよ、悪いのは勇だよ。だそうです」

「は?俺???」

 北嶋さんは素っ頓狂な声を挙げた。

「勇が居るから樹里ちゃんは苦しんだ。だって」

「ぉぉぉぉぉ…まさかの責任転嫁…」

 北嶋さんはヘナヘナと身体を揺らした。全くの予想外だったのだろう。私もそう思うが、これは多分、静さんの生前のテンプレート…

 やがて足を踏ん張って持ち直した北嶋さんは向井さんに言い放った。

「や、やい樹里!!お前もう一回流と付き合え!!」

「………え?」

「………は?」

 二人共、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をして、北嶋さんを見た。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 樹里は流とお付き合いをしていた筈。

 そこには計算も同情もあっただろうが、好意も無論あった筈だ。

 樹里はバツイチになったようだが、この際知った事では無い。

 奴等を無理やりくっ付けてだ、俺が悪いとなっている流れを無理やり断ち切らねばならない!!

「は?じゃねーよ!え?でもねーよ!お前等付き合っていたんだろが。もう一回やり直せ!」

「馬鹿言うな…俺は狂っちまったんだ…まともな女が俺なんか相手にする訳がないだろ…」

 流が自虐的になったが、問題無い。

「大丈夫だ!樹里もまともじゃねーから!」

 力強く励ます俺!感動に打ち震える流!それと樹里!…って訳にはいかないようで、樹里の眉根のシワがパねえ事になっている。

「私もまともじゃないって、どう言う意味?」

 樹里からゴンゴンゴンゴンと怒気が発生している。

 だが、そんなもんに怯む俺では無い。

 よって俺は胸を張りながら答えた。

「俺に惚れていたなんて、まともじゃねーから!!」

「「「……………」」」

 静まり返った場。

 樹里は愚か、朱美も神崎すらも、俺に冷ややかな視線を浴びせている。

「お、お前等、今の発言はだな、流と樹里を無理やりくっ付ける為の狂言でな…」

「む、無理やり?」

 また口が滑った。流が目ん玉が零れ落ちる程、見開いてしまった。

 ヤバい、ヤバ過ぎるぞ!!

「あのね、アンタが何を企んでようが、流の気持ちがあるでしょ?そう簡単に事が進む訳無いでしょう?」

 樹里が溜め息を付きながら、呆れ返った眼差しを向ける。

「馬鹿言うな!!流の気持ちを汲むってんなら、静はこのままって事だろが!!お前が犠牲になりゃ万々歳なんだ!!」

「「「……………」」」

 今度は信夫達まで俺を白い目で見る。

 やらかした!やらかしちゃったな俺!

「ぎ、犠牲だって?」

「馬鹿野郎!!女を犠牲にすんな!!お前はどこまで自分勝手なんだ!!」

 この様に、無理やり流に擦り付けた訳だが。

 どうだ!!何とか体裁は何とか守ったか!?

 場をソローッと見渡す。

「勇、お前言っている事滅茶苦茶だぞ…」

 洋介の呆れ顔。頭を掻いて溜息まで付きやがった。

「いくら何でも、流が可哀想だろ!離れろ馬鹿!!」

 そう言って、雅之は俺から流を無理やり引き離した。

「勇!昔っから滅茶苦茶な奴だったが、全く変わってねぇのは頂けねぇだろ!!」

 いや、お前の腹の方が変わってないだろ、と言いたいが、言える雰囲気じゃないのは俺も承知だ。よって大人しく口を閉ざす。

「流と樹里に謝れよ勇!!」

 みんながやいのやいの言いながら、一斉に俺を非難する。

「まぁまぁ、お前等、俺には悪気は全く無いんだ。そんなギャンギャン責め立てるな」

 仲間内での揉め事は良くない。あくまでも宥めるよう、優しく言った。

 軽く手を払いながら。

「悪気があって言われちゃたまんないわよっ!!そうでしょ流!?」

「あ、ああ…」

 樹里にいきなり振られた流が驚くも、取り敢えず頷いた。

「解った解った!!謝るよ!!流、樹里、ワリィ」

 面倒臭くなったので、俺は誠心誠意、心を込めて謝罪する。ちゃんと頭も下げたぞ。髪を掻きながら、溜息を付きながらな。

「ちゃんと心から謝罪しろよ馬鹿!!なんだその適当な謝罪はよ!!!」

 雅之にめっさ叱られた。何かおかしな謝罪だったのか?

 つか、何だこのアウェイ感は?

 お前等さっきまで流を嫌っていただろうが。

 俺を責め立てる事で一致団結してんじゃねーよ。

 流は今や可哀想な被害者じゃねーかよ。

 ん?

 つー事は、結果オーライ?つー事は、結局俺は流を助けちゃった?

「おおお…俺は結局口出しちまったのか…」

 頭を抱え込んで蹲る。

 信夫達は、そんな俺に容赦無く責め立てていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「北嶋さん、全くあなたって人は…」

 自分の暴言で皆さんが北嶋さんを責め立てた事によって、滝沢さんを許せない、と言う気持ちを一気に変えてしまうとは。

 狙った訳では無いのだろうが、結果的には良い事…なのか?

 首を捻る。果たしてどうなんだろうか?と。

「勇は全く変わってないなぁ…昔っから仲間内で揉めた時、勇が悪者になって仲直りさせていたのよ。本人は意識してないんだろうけどね」

 溜め息を付く明石さんだが、その表情は呆れてはいなかった。口元に浮かんでいる微笑がその証拠だ。

――あ、あの…

 静さんが不安そうに私に話かける。

「ん?」

――お姉ちゃん、さっきの約束、守ってくれるよね?勇を嫌いにならないよね?

 ギュッと私の腰に抱き付きながら、上目で私を不安そうに見る。

「大丈夫よ?嫌いになんかならないから。だから約束もちゃんと守るわ」

 慈しむよう、頭を撫でながら答える。

「約束って?」

「今は言えません。それは天国に行ってからの静さんの頑張り次第だからです。それに私達とのタイミングが、かなりのウェイトを占めていますから、約束が実現するかは、奇跡に近いんです」

 明石さんは解ったような、解らないような顔をし、頷いたり首を捻ったりしていた。

 その様子を見て、私と静さんは顔を合わせて笑った。

「よし、ちょっと強引だけど、お兄さんの罪は有耶無耶になっちゃったし、天国に送る準備をするよ?」

 静さんは寂しそうだが、力強く頷く。

 私はお財布からキャッシュカード大の金属製のプレートを三枚取り出した。

 青いプレート、赤いプレート、白いプレート、それぞれに梵字を組み合わせて作った魔法陣が彫られている。

「ハイハイハイハイ!!皆さんそれ位にしましょう!!今、静さんを送る準備をしますから。いいですよね?滝沢さん?」

 滝沢さんに皆さんの視線が降り注ぐ。

「…ああ、お願いするよ」

「意外ですね?もっとゴネるかと思いましたが?」

 滝沢さんはフッと笑って視線を逸らした。

「なんか…調子が狂っちまってね」

 静さんにあれ程執着していた滝沢さんだが、北嶋さんの馬鹿丸出し発言により、多少だが吹っ切れた様子。

 何か、考えるのが馬鹿馬鹿しくなった。

 そんな表情をしていた。

 私はプレートを私の胸の前に三枚とも浮かせた。

「え?浮いている?」

 どよめく皆さん。

「あれ?あいつ等を呼ぶのか?それは門(ゲート)じゃなかったっけ?」

「ええそうよ。いつでも容易に呼び出せるよう、三柱様にお願いして作った物よ。忘れたの?」

「そういや俺も貰ったなぁ…」

 確かに北嶋さんにも渡したが、お財布に入れてすっかり忘れていた。って所だろう。

 まぁ、北嶋さんが号令を掛ける事は滅多に無いから不便は感じない筈だが。そもそも『門』なんか使用しなくても、簡単に喚び出せそうだけど。

 まあ、それは兎も角、プレートに向かって語りかける。

「北嶋が三柱、龍の海神様、死と再生の神様、地の王様、お応え下さい…」

 ブアッと霊安室が広く、高くなり、辺りに神気が立ち込める。

――この神気…ウチと同じかそれ以上…!!しかも三つもどすか!?

 黒猫様が驚愕する。

「お、おい、何か霊安室がやたらと広くなんねぇか?」

 鳴海さんの視線があっちこっちに泳いでいる。

「お、おう、部屋ってより、野原みたいな感じになったような…」

 答えた杉原さん、いや、皆さんが戸惑っていた。

 そしてプレートが輝き、私を囲むように三柱様がお姿を現した。

「な、何だ彼奴!?龍と鷹と虎!?」

「それにしても、なんて大きさ……」

 向井さんが言う通り、人間なんか簡単に畏怖するであろう体躯を以て現れた。

 それも全員に、その御姿が見えるように。

 海神様がジロリと辺りを見回す。

――ふん、面白い者が居るな

 黒猫様を見据える。

――ウチもまさか貴方様方とお会いできるとは思ってもいませんでしたわ

 黒猫様もニンマリと笑って返す。

――それにしても、何だいこの適当な魔法陣は?それに、遺体…反魂を模した魔法陣だが、出て来るのは低級霊ばかりだね

 呆れ顔な死と再生の神様。滝沢さんが身体を震わせてへたり込んだ。

――北嶋に鏡を掛けるよう言ってくれ神崎。皆が俺達を見て腰を抜かしている中、一人平和でキョロキョロしているのが気に入らん

 北嶋さんを睨み付ける地の王様。どうやら、主たる北嶋さんだけが蚊帳の外な感じが気に入らない様子だ。

 私は三柱様の前に立ち、皆さんに聞こえない様な小声で経緯を説明した。

――尚美、お前がその責務を背負うと言うのか!?

 驚く三柱様。私は黙って頷く。

「ですから、その奇跡を限りなく実現可能にする為に、三柱様の御力が必要なのです」

――この娘だね?成程、同情はできるが…

 静さんは三柱様に見つめられて、恐ろしくなったのか、私の後ろに隠れた。

――ふん、俺達ならば確かに実現可能まで可能性を引き上げる事が出来るだろう。だが、その娘次第なのは変わらんぞ?

「それは勿論。頑張るよね、静さん?」

 静さんは背中から顔を覗かせて頷く。

――尚美が良いのならば、我は望みを叶えよう

――そうだね。それにあの遺体も魔法陣も頂けない

――冥府の王たる俺が、責任を以て閻魔羅紗に話を付けてやる

 表情が明るくなる静さん。

――ありがとう御座います!!!静、一生懸命頑張って来ますから!!

 背中から出て、三柱様にお礼を述べてお辞儀をする。

「北嶋さん、鏡を掛けて!!」

 送る直前に北嶋さんに知る事を要求する私。

 だが!!

「いやだ」

 北嶋さんは顔を背けて拒否した!!

「えええええ!?何でよぉ!?」

 流石に驚いて叫んだ。

――勇う!!貴様、尚美の覚悟を知らずとも良い、と言うのか!!

 海神様の怒号だが、北嶋さんには勿論届かない。

――北嶋 勇、君は君を慕っている少女のこれからに興味が無いと言うのかい!?

 死と再生の神様が叱るも、北嶋さんには勿論聞こえない。

――北嶋!!俺達は貴様に仕えている神、故に貴様が俺達を動かさねばならんのだ。だから知らなければならぬのだぞ

 諭す地の王様だが、勿論北嶋さんには響かない。

「いや、私の覚悟とか御柱を動かすとか、そりゃ色々あるけど!!なぜ鏡を掛けないと言うの!?」

 アワアワして手をバタつかせる。翼があったら間違いなく飛んでいた勢いで。

「柱に俺の号令が必要ならかけてやるし、神崎の覚悟とやらも知りたい気持ちもある。だが、俺は鏡を掛けない!!」

 ツーンと頑なに拒否する北嶋さん。

「最後に静さんと話さなくていい訳?」

 私の言葉に、北嶋さんはそれだ、と人差し指を前に突き出す。

「俺は静を見捨てた事になっているだろ。勿論、そう捉えても構わない。俺は前に進む為、死んだ静と決別したんだ。決別した俺が、話しをするなんて筋が通らないだろ」

 出た!北嶋さんの頑固な所!

 筋を通す為には曲げない事は必須。

 それが、北嶋さん本人が静さんとの会話を望んでいるとしても、だ。

「いや、解るけどね!!解るけど!!」

 こうなった北嶋さんには全てが通じないのは承知だが、何とか打開しようと思案する。

――勇は全く変わらんどすな

 呆れ果てる黒猫様。

――勇!!貴様は本当に面倒な男よな!!

――北嶋 勇!!君は全く扱い難い人間だよ!!

――北嶋!!たまには融通を利かせろ!!俺達は貴様の為に、毎回毎回かなぁぁぁあり融通を利かせているぞ!!

 三柱様が、やんややんやと言っているが、北嶋さんには感じない。

 だって見えてないから!!

「しかしだな」

 皆が苛々している最中、北嶋さんが徐に口を開く。

「独り言なら言うぞ俺は?聞くか?」

 ピクッと身体を硬直させる静さん。

 それは静さんに向けて発する独り言だと言うのを、私達は瞬時に理解した。

「き、聞く聞く聞く聞くっ!!だからどんどん独り言を言ってっっっ!!」

 静さんもコクコクと高速で頷く。

「では」

 コホンと一つ、咳払いをする北嶋さん。

「えー…」

 静寂に包まれた空間。みんなが北嶋さんの言葉を待っているのだ。

「…うーむ、独り言を喋るのに、何故みんなが俺に夢中な感じなんだ?」

「いいからさっさと言いなさいよっ!!」

 咄嗟に振り上げた拳にビクッと怯む北嶋さん。

「解った解った!!…俺のタイミングは無視かよ全く…」

 ブツブツ文句を言い始める。

「早く言いなってば!苛々するなぁ!」

 明石さんまで苛々し出し、足で床をパタパタ叩き出した。

「解ったってば!!」

 改めて咳払いをし、北嶋さんは目を閉じた。

「俺はガキ、ってか赤ん坊の頃から親居なくてさ。でも、ジッチャン、バッチャンが忙しい中、構ってくれてさ、そんな寂しく思った事は無いんだよ」

 みんなが固唾を飲んで見守る中、北嶋さんの『独り言』が始まった。

「周りには沢山友達も居たしさ、明美も流も家から近いだろ?よく遊びに行ったなぁ」

「…そうだよね、私と流と勇…小さい時から一緒だったよね…」

 明石さんも昔を懐かしむよう、目を閉じる。

「…俺達三人だけじゃないだろ…ガキの頃から一緒に遊んでいたのは…」

 北嶋さんが頷いた。

「俺はすんげぇ羨ましかった。妹が居たお前がさ。だって、妹が居たら、夜になってお前等と別れても、まだ遊びの続きができるだろ」

 ピクッと身体を震わせる静さん。

 自分の望む言葉は出て来ないのを感じ取ったようだった。

「静、可愛かったなぁ。俺達のケツ、一生懸命に付いて来てさ」

「…にいちゃん、ねぇちゃん、て言いながらな…」

「…私も一人っ子だから、流が羨ましかったな」

 静さんが震えている。

 それは先程の震えとは異質な震え。

 優しく、頼もしく、時には厳しかった、にいちゃん、ねぇちゃんを思い出して、懐かしくて涙を流して震えていた。

「あの時から、静は俺の妹だ。一人っ子で親も居ない俺の心の支え、ってか、家族、ってか…まあ、普通のダチや仲間とは違う」

「…それは私も思っていたよ。だから私は…」

 明石さんは静さんの想いを知り、北嶋さんへの気持ちを抑えた。

 可愛い可愛い『妹』の為に………

「静に告られた時、まだ静は中学生一年生だったか?マセたなガキって本気で思ったよ。静がパユンパユンになるまで待つ、って言ったのは、そこまで成長したら、互いの気持ちも変わるんじゃないか、って思いもあった」

 北嶋さんは妹以上に思うかも知れないし、静さんが別に好きな人が出来るかもしれない。

 北嶋さんにとっては、多分どっちでもいい話だったんだろう。

「俺は静、少なくとも、あの時までは、お前を妹としてしか見ていない。井川達をぶっ壊した時も、『俺の妹』を辱めた馬鹿野郎共をマジ殺す、と思っていたんだ」

 静さんが頷きながら涙を手で拭う。

――解ってたよ勇…勇が妹としか見ていない事は…解ってたよ…

 解っていたが、自分はそれ以上の感情を持ってしまった。

 そして、滝沢さんも、解っているが、それ以上の感情を持ってしまった。

 兄と妹は、やはり似ていたのだ。

 滝沢さんは歪んでしまった愛情に捕らわれて、罪を犯してしまっただけ。

 静さんが北嶋さんに抱いていた愛情と、然程変わらない。

 静さんも、北嶋 勇 と言う『兄』を好きになってしまっただけだから。

「俺の異性は他に在る。だが、妹として大切だ静。すまんな静。そして、俺に妹の大切さを教えてくれてありがとう」

 北嶋さんの返事。

 静さんに届いたよ。

 静さんは何度思頷きながら、ありがとう解ったよ、って言ってるよ。

 代弁してあげたいけど、筋を通しての独り言…

 私は言わないよ。

 だけどいつかきっと本人から聞いてあげてね…

 閉じていた目を静かに開ける北嶋さん。

「なんで目を真っ赤にしてんの神崎?」

 キョトンとして聞いてくる。

「埃っぽいからね。目にゴミが入ったのよ」

 デリカシーが無い北嶋さん。

 照れ隠しなのはバレバレだよ?

 まぁ、みんなの前では格好つけさせてあげる。

 その代わり、二人きりになったら泣いてもいいよ。

 私も一緒に泣いてあげるから。

 背を伸ばして静さんの方を向く。

「行きます!!静さん、流さん、これから起こる事に身を任せて下さいね」

 静さんは力強く頷いた。

 流さんは、気持ちの整理が付いていないのか、力無く頭を下げる。

 そんな流さんに、向井さんが抱き締めた。

「辛いね流…だけど、静ちゃんは此処に居たく無いんだよ。頑張ろ?」

「ああ…」

 励ます向井さんに、何とか返事をした感じだ。

 向井さんは私を見て、頷いた。

 流さんは自分に任せて、静さんを送ってくれ。

 そう言っていた。

「冥府の支配者、地の王!!現世に縛られる悲しき御霊を在るべき所へと誘え!!御霊の未来に光を与え賜え!!」

 ガァオオオオオ!!!!

 地の王様が大きく咆哮する。

 暗くも温かい冥穴が、地の王様の後ろに出現する。

――滝沢 静…地の王の名において、お前が現世に留まっていた罪、全て許そう!!お前に非があろうが無かろうが、全て不問に処する!!

 静さんは深く頭を下げる。

――俺と共に来るのだ滝沢 静。在るべき所へとお前を誘う

 静さんは冥穴へと歩みを進めた。

「頑張って静さん!!」

 静さんはゆっくりと振り向き、私にとびっきりの笑顔を見せた。

――頑張るよお姉ちゃん…いや…ママ…

 その言葉に対して、力強く頷く私。

――聞こえていないだろうけど…またね、パパ…

 北嶋さんに向けた言葉。

 勿論北嶋さんには届かない。

 届かないが、静さんは笑いながら冥穴に向かって地の王様と共に入っていく。

 だって、必ずまた逢えるから……

「静ちゃん、行っちゃったね……」

 唯一視える明石さんが、泣き崩れる。

「まだ終わっていません。泣くのは全てが終わってからです」

 続ける私。

「死と再生を司る神!!御霊無き遺体を在るべき姿へ!!新たな肉体への礎とせよ!!」

 コォオオオオオ!!!

 死と再生の神様が羽ばたく。

 すると、遺体は炎の渦に包まれた。

――遺体と親しかった者には灼かれていく様は見るに忍びないでしょう

 炎の渦によって、静さんの遺体は私達には完全に見えなくなった。

「静!!静ぁああっっっ!!」

 向井さんが押さえていなかったら、炎に向かって飛び込んでいたであろう滝沢さん。

 腕を伸ばして。目から涙を溢れさせていた。

――悲しむ事はない。全ては新たな血と肉を得る為。そして君はその姿を再び見る事が出来るだろう。君の罪も少しばかり軽減してあげよう

 床に描かれていた魔法陣も、灼かれて灰燼と化した。

――反魂は大罪だが、証拠が無いなら仕方がない

 滝沢さんは向井さんにしっかり抱き締められながらも、大粒の涙を流してお礼を言った。

「ぁ……有り難う御座いましたっっっ!!!」

――人間に感謝されるのも、悪く無い

 死と再生の神様は、少し微笑んで御姿を消した。

 全く焼けていないベッドには、静さんの焼け残った遺骨だけが、存在していた。

「最後に、この廃病院の浄化をします。樹海化の原因の負の念を全て洗い流します」

「こんなに酷い状態なのに、元に戻るの?」

 視える明石さんは廃病院の負の念がどれ程の物なのか、多少なりとも理解が出来る。

「勿論、私がお喚びしたのは神様ですよ」

 私達人間ならば、負の浄化に暫くの時が必要だが、神ならば瞬時にできる。

 静さんの悲しき残留思念も一気に浄化できる訳だ。

「大海原を支配する龍の海神!!その清らかな水で忌まわしき地を清め賜え!!」

 ゴォアアアアア!!!

 海神様が怒号にも似た声で叫んだ。

 院内に、土砂降りの雨が降った音が響く。

「え?建物の中なのに!?」

 驚く明石さん。だが自分の服は濡れていない事に気が付く。

 しかし、確実に負の念が消えていく事を感じていたのか、戸惑いながらも明るい表情に変わっていく。

――現世には雨は降っておらぬ。海水が引き上げられ、天から降り注ぐが如く、激しい雨音にも似た我が神気の音よ。現世には影響は無いが、負の念や肉体を持たぬ霊体を文字通り洗い流す!!

「だ、だから静ちゃんが居る間には使わなかったんですね…」

 納得と頷く明石さん。海神様の海水の雨は、清めの塩の材料だ。

 悪霊化しつつあった静さんに降り注いだら、問答無用で地獄送りになってしまう。

――尚美、我の雨にて負の念、悪霊は全て洗い流したが、貴様があの娘と交わした約束、勇は知らぬのだろう?勝手に誓って良かったのか?

 海神様が私を咎めるように見る。

「北嶋さんは細かい事は気にしません。それが縁なら受け入れるでしょう。それは貴方様も御承知の筈」

――…ふっ、そうだったな。我が勇の守護柱になった理由でもある。愚問であった

 海神様は私に笑いかけながら、お姿を消した。

 パン、と一つ手を叩く。

「これで全て終わりました。廃病院も、ただの閉鎖した病院になりました。静さんも、無事に天国へ旅立ちました。後は滝沢さん、あなただけです」

「流の事は任せて。これからゆっくりと立ち直らせるから」

 向井さんは私に向かってウィンクをする。

「おう。頼んだぞ樹里」

 偉そうに向井さんの肩を叩く北嶋さん。

「お前どんだけなんだ…いや、いいや…」

 大野さんが首を振った。

 それは呆れたからでも、疲れるからでもない。

 北嶋さんが居たから、神が降りた。

 北嶋さんが居たから、静さんは救われた。

 始まりも北嶋さんなら、終わりも北嶋さん。

 何故か北嶋さんの掌に居るような気がしたのだろう。

 それは、その場に居るみんなが思った事。

 当事者の北嶋さんだけは呑気な反応だが。

「では帰りましょうか?帰りは皆さん、ご自由に歩いて構いません。この病院には10年間朽ちていない遺体も、怪しげな魔法陣も、悪霊も無くなったのですから」

「そうか。じゃ、行こうぜ流。肩貸すよ」

 床にへたり込んでいる滝沢さんを担ぐ鳴海さん。

「悪いな信夫…」

「ダチだろ?気にすんな」

 滝沢さんが微かに笑い、皆さんが釣られたように笑い出す。

「あ~お前等、先行け。ちょっとやる事があるからさ」

「そうか?じゃあ外で待っているぞ?」

 不思議に思いながらも、皆さんは北嶋さんを置いて病院から先に出た。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 霊安室からみんな帰って行った。

 居るのは、俺と神崎のみ。

 つか、何故神崎が残る?

「なんで残ってんの?」

 神崎はクスクス笑いながら答えた。

「それは婚約者だからよ」

 ふむ、意味解らん。

「直ぐ行くから先に出てろって」

「泣く所、見せたくないから?」

 うおっ!何で解るんだ!?

 実はさっき、多少だがジーンと来たのだ。

 妹との今生の別れ、いや、意味がちょっと違うような気もするが、、まぁ、近い意味合いでって事で。

 とにかく、妹と別れたから悲しいって訳だ。

「解ってんなら、尚更一人にせぇよっ!!」

「せっかく私の胸、貸そうってのに、断る訳?」

 ん?

 私の胸?

 私の胸を貸すとな?

 そんなもん……

 借ります!!

 借ります!!借ります!!借ります!!借ります!!借りるに決まっているじゃないですか!!

「私の胸で泣きなさいってね…えええ!?ち、ちょっと!?何よその鼻の下はっっっ!?」

 神崎は胸を腕で隠しながら、身を翻して俺の突進を躱す。

「神崎!!胸を貸せ!!神崎の胸で泣きたいんだっ!!」

「だったら、その手の指をワキワキ動かすなっっっ!!!」

 ゴッ!と拳が飛んできて、俺の鼻にヒットした。

「ぷぷわっっ!!」

 鼻血を噴射させて倒れ込む。

「全く!少しはシリアス維持とかしてよねっっ!」

 神崎はプンスカ怒りながら、霊安室をドカドカと必要以上に足音を立てて出て行く。

「か、神崎~!!うお~…超!!チョー痛ぇー!!」

 俺は鼻を押さえながら、別の意味で泣いた………

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