許す

 私は北嶋さんの前に出た。そして『それら』に向かって静かに言い放つ。

「時間も無いし…申し訳ないけど、強行突破させて戴くわ」

「尚美さん!マズいって!勇!尚美さんを止めてぇ!!!」

 半狂乱になりながらも、私の身を案じて叫ぶ明石さん。

「俺は霊感とか無いから解らないけど、以前来た時よりもヤバいってのは感じるぜ…」

 大野さんも慄いて呟く。

 玄関前から一歩も先に踏み入れていない大野さん達は、視えないまでも、その悪意に怯んでいた。

「大丈夫ですから、私の言った事だけは守って下さいね」

 微笑を纏って返事をして、そして再び前を向く。

 私の目の前には、私が贄じゃない、滅する側の人間と認識した悪霊達が、私を睨み付けていた。

――ナゼキタ!!ナゼキタ!!カエレ!!カエレ!!カエレ!!カエレ!!カエレ!!カエレ!!カエレ!!カエレ!!

――オマエジャナイ!!アイツラヨコセ!!

――キエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロ……

 しかし、ぶつけてくるのは悪意のみ。私を殺そうとはしない。出来ない。知っているのだろう。『自分達を殺せる女』だと言う事を。

「ごめんなさい。ただ喚ばれただけなのに、本来なら被害者な筈なのに、満足に話を聞いてやれなくて」

 私は彼等に申し訳無く思いながら、目蓋を閉じて詠唱した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 尚美さん、貴女は今、悪しき霊魂に謝罪しましたね?

 喚ばれただけだと言っていましたね?

 ふふふ…いや、天晴れですわ尚美さん。

 流君の誤った知識で、ただ喚ばれた霊魂…悪しき霊魂とは言え、出現は『喚ばれたから』。

 そこには彼等に非は無い。

 それを酌み、謝罪したとは。

 それに、今詠唱している術は、日の神の千本矢どすな。

 発動すれば、この場にいる悪しき霊魂は瞬滅。

 ウチの出る幕は本当に無いようですな。

 ウチは勇に目を向ける。勇はボーっと尚美さんを見ているだけ。

 いやはや、あの子も大したお嫁さんを連れて来ましたわ。

 頼もしく、嬉しく笑うウチに、後ろに控えている九尾狐さんが話し掛けて来た。

――バステトよ、要らぬ手助けを目論んでいたようだが、それは必要無いと漸く理解したか

――ふふふ…いやいや、ウチの想像を遥かに上回るお嬢さんですわ。あれならば、銀髪銀眼の魔女を倒せるやもしれませんですなぁ…

 本心でウチはそう思った。だが、九尾狐さんはそれを嘲笑う。

――倒せるやも?愚かだなバステト。尚美はリリスを倒すのだ。『自分の男』を殺して我が物にしようとしている魔女を倒すのだ!

 九尾狐さんには迷いは無い。尚美さんが、魔王達を使役する魔女を倒すと信じている。

――大妖の貴女様が、其処まで仰るならば、それは間違いない事どすなぁ…

 ウチもそれを確信した。

 尚美さんが勇に仇成す女の存在を、全て退けると信じる事にした。

 それは、静ちゃんでさえも。

 ウチとの約束を守って、尚且つ静ちゃんを納得させて還せると、信じる事にした。

 尚美さんに悪霊達が悪意をぶつけている。

 だが、それは遠吠えに過ぎない。

 尚美さんに明らかに怯えていた。

「五百の勾玉、背に千本矢、腹に五百の矢!!破邪の光!!」


 ドンンンッッッ!!!


「あ、あれ…」

 朱美ちゃんが院内を見渡していた。

「何か…無くなったような?」

 霊感が無い杉原君達も、得体の知れない気配から解放された。

――太陽神の威嚇を発動させるとは…それはウチの故郷の最高神と同じ種類の技ですぇ?

 ウチは笑いながら話し掛けた。

「そう言えば、エジプトの最高神も太陽神でしたね」

 尚美さんも笑いながら返事をする。

――ふふふ…あれほどの高度な術を使っても、息一つ乱れていないとは…使える事より、ウチはそっちの方が驚きですわ

 尚美さんが使った術は、日本の最高神、天照大神が高天原で素戔嗚尊すさのおのみことと対峙した時に使った術。

 荒神を退けた威嚇でもある。

 地上から素戔嗚尊が高天原の天照大神を訪ねて来た時、大神は、高天原の支配権を奪いに来たと警戒し、武装して対峙した。

 その時髪を男のヘアスタイルに結い直し、左右の手に五百の勾玉を糸に通した長い飾りを巻いた。

 更に千本の矢が入る矢筒を背負い、五百本の矢が入る矢筒を腹に抱え、強弓を手にし、完全武装して、四股を踏むように両足を大地にめり込ませ、地面を蹴散らして素戔嗚尊を威嚇した。

 元々素戔嗚尊は挨拶に来ただけだが、天照大神の気迫に怯み、ただ何も言わずに高天原を立ち去った。

――今尚美さんが放ったのは、背に在る千本矢のみ、どすが、この場の悪霊、死霊等は、全て滅されてしまいましたなぁ

 要するに、これでも押えた威力。

 全ての光の矢が放たれたら、悪神すらも葬る事は可能。

「本来ならば、喚んだのは此方ですから、対話で立ち去って貰うのが一番な筈ですが…」

 キュッと唇を噛んだ。

 筋が通らない除霊に、心を痛めている証拠でもあった。

 いやはや、ほんに大したお人ですわ。

 ウチはやはり満足して笑った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「神崎ー、先行くぞー?」

 先程の術や、彷徨っている霊など視えていない北嶋さんは、平然と前を進んだ。

「万界の鏡を掛けてってば。あ、皆さん、決して離れないで下さいね?」

 私は慌てて後を追う。

 皆さんも、取り敢えずは動けるようで、何とか後に続いた。

「万界の鏡は持って来たんでしょ?」

「一応はな。だけど、知ったら何かしちゃうしさぁ…」

 北嶋さんにとっては、あくまで終わった話。

 続いている静さんや流さんの件は、当事者でしか解決出来ない事と思っている。

 だから助けない。助けられない。

 多分だが、北嶋さんは全てとは言わないまでも、鏡で多少の事は知ったんじゃないか、と思う。

 稀に「望んでもいないのに、頭に飛び込んでくる」らしいから、故郷に行くと決めた時に、鏡が反応したんじゃないか、と。

 だから帰省してからは、一切鏡を掛けていないのだろう。

「万界の鏡って、過去の事象も知る事が出来るんでしょ?サイコメトラーとか霊夢みたいな物?」

 私の質問に首を横に振って返す北嶋さん。そして続けた。

「過去の事柄を知る、と言うよりも、万界の鏡は、宇宙の端の素粒子が情報を纏ってX線みたいに脳内に反映させるんだよ。宇宙は光よりも早く膨張している。その粒子を捉えるんだ」

 これまた意外な言葉が北嶋さんの口から出て来た。

 うろ覚えだが、宇宙の膨張は空間自体の膨張であるため、光速を超えることも可能だとか。

 しかし、宇宙の端か…はっきり言って、よく解らないけど、要するに宇宙誕生から全ての情報を得られる、異界も宇宙よりも遅く誕生した訳だから、情報を得られるって事なのかな?

 そう思いなから歩く私だが、北嶋さんの背中を摘んで、その歩みを止めた。

「何だよ?」

「地下一階、居るわ。厄介なのが…」

 玄関から待合室を通り、階段から地下へと抜ける道。そこで感じた。

 地下一階には、悪意の塊が居る事を。

「な、何よアレ…」

 明石さんが黒猫様の後ろで、怯えながら口で手を押さえた。

「なんか…すげぇ臭いが…犬でも死んでいるのか…?」

 眉根を顰めて口を押さえる杉原さん。

 一階より濃い闇、そこから腐敗した臭いが発生している。

「悪霊の集合体ですね。負の怨念が一つの塊になった、とでも言いましょうか」

 それは旧滝沢医院の支配者とでも言うべきか?

 波長が合った悪霊達が、一つの巨大な悪意に集まり、固まって、巨大な芋虫みたいになり、蠢いていた。

「良く見たら、あの塊は人の肉の塊よぉ!!何十人の顔がくっついているんだわ!!」

 明石さんの言う通り、芋虫は悪霊の顔や身体を融合された形で存在していた。

「これも喚び出された物…此処までくると、説得は困難です。例え時間が永遠にあろうとも…」

 何処から喚ばれたかは解らないが、これ程の悪意の集合体は久しぶりに見た。

「申し訳無いけど、構っている暇は無いの」

 再び印を組み、術を詠唱する。


 ズル…ズル…ズル…ズル…ズル…ズル…ズル…ズル…ズル…ズル…


 塊が徐々に私達に近付いてくる。

「勇!!逃げてぇ!!」

 明石さんは叫ぶも、北嶋さんはキョロキョロと辺りを見ているだけだ。

「何が居るんだよ?」

「本当に心霊探偵なの!?視えていない私にも、ヤバいのは解るよ!!」

 向井さんが震えて蹲る明石さんを必死に支えながら叫んだ。

 北嶋さんに襲い掛かかる塊。

「いやあああ!!勇うっ!!」

 絶望で絶叫する明石さん。

「何だよ?」

 塊に覆い被された形となった北嶋さんだが、身動きが取れない事も無く、ヒョイと普通に移動し、明石さんの所まで歩いた。

「え!?ええ!?あれ??」

「俺も視えないけど、お前に何か被さったのはうっすらだが解ったが…」

 皆さんは呆然として北嶋さんを見る。

「視えないから知らん。解らんから感じん」

 キッパリと言い放つ北嶋さん。

「し、心霊探偵がそんなんでいい訳?」

 向井さんの疑問は全員の疑問。普通はいい訳ないんだけど。

「いいんじゃね?特に不便は無い」

 そりゃ私が依頼者にフォローしているから、北嶋さんには不便は感じないでしょうよ。

 まあ兎も角、詠唱が終わったので術を発動させた。

「この世とあの世の曖昧な境を定めよ!境に踏み込む亡者は慈悲なき裁きを!!御雷の剣ぃ!!」

 雷が剣を象って、塊を貫く。

 真っ二つに切り裂かれ、焼けただれる塊。

――今度は武神どすか

 黒猫様がニンマリ笑いながら話し掛ける。

 燃え尽き、完全に滅するまでは目を離せないので、黙って頷いた。

 建甕槌命たけみかづちのみことは武神にして雷神。

 御雷のみかづきのつるぎの術名のままだ。

『常陸国風土記』によれば、香島郡の条に、鹿島神(建甕槌命)が船を陸と海とに自由自在に往来させたと記されている。

 これは鹿島地方の陸と海との境に位置し、全てを司る神としての姿を示す。

 悪霊の侵入を防ぐ境界神としての役目も果たしている。

「勝利の神の神威の前では、悪霊の塊如き、踏み込めません」

――ふふふ、生者と死者の『境界線』と言う所どすか

 最早塵となり、完全に滅した塊を確認した私は、脱力して答えた。

「地下一階に居た塊以外の悪霊も、境界線には踏み込めなかったようです」

 地下一階にいた全ての悪意も消え去り、辺りはただの暗闇に戻っていた。


 地下二階、やはり黙々と先頭を歩く北嶋さん。

 沢山居る悪霊などの存在を無視、いや、知る事も無く、ずんずん進んでいる。

――地下一階の塊が、結果彼等を外に出さなかったんどすな

 黒猫様の仰る通り、地下二階の悪霊達は、地下一階の塊に怯えて、それ以上、上に出る事が無かったようだ。

 それでも、上がった悪霊は塊に取り込まれ、塊の一部となったと言った所だろう。

 取り敢えず、黒猫様とタマに怯んでか、襲って来る様子は無い。

「黒猫様のおかげで、無益な御祓いをしなくて済みそうです。感謝致します」

 本心で御礼を言う。

――ふふふ、貴女がその気になれば、この院内の悪霊は全て滅する事は可能ですのになぁ

 それは以前の私なら、行っていたであろう愚行。

 悪しき存在は滅するべき存在だと思っていたから。

 だが、この人に出会って変わった。

 この人は、悪しき存在の事情もちゃんと配慮する。

 どんな巨悪であろうとも、背後に酌量の余地があるならば、それを汲み、解決できる技量がある。

 私は、単純な戦闘力では、北嶋さんに並ぶ事は永遠に出来ない。私が並べる余地がある所は、最早『そこ』しか無いのかもしれない。

 だから、私は戦闘スタイルを変えようと思った。


 地下三階…すぐそこに霊安室の扉がある。

「いよいよです。もう一度言いますが、この期を逃すと、皆さんが静さんに伝えたい事は、当分先になります。それどころか、永遠に伝えられないかもしれません」

 皆さんは唾を飲み込み、頷いた。

「じゃ、北嶋さん、開けて」

「おう」

 扉に手をかける北嶋さん、全く躊躇せずに開けた。

 ヒヤッと冷気が零れる。心霊現象じゃない、ただのエアコンの冷気だ。

 私達はそのまま霊安室の中に入る。

 成程…朽ちていない遺体がベッドに寝かされている…

 それに、ベッドの下の床に描いてある独学の魔法陣、香炉、怪しい道具…陰陽道のそれに類似しているが、全くの紛い物。

 反魂じゃない、降霊術モドキだ。

 それに…

 いよいよベッドの上で私達を睨み付けている、少女に目を向ける。

 真っ赤な瞳…泣き過ぎて、血の涙を流した跡…

 自分が苦しんでいるのに、やめてくれない兄、自分が悲しんでいるのに、助けてくれない思い人…

 全てに絶望し、怒り、苦しんで、怨む事しか出来なくなった、哀しい少女……

 あれが静さん…

 私の存在を否定するが如く、私を睨み続けていた。

 そして、ベッドの傍らに椅子を置き、座っている男の人。その人が、生気の無い瞳を此方に向ける。

「…来たか、勇……」

「流、まだこんな事やってんのかお前?まぁ、お前の人生だから口は出せないが……」

 出したい癖に、我慢している北嶋さん。

 明石さん達が非難の目を向けているけど、私はちゃんと解っているから。

「…そちらが勇の嫁さんか…成程、美人だな」

「羨ましいだろ?お前も生身の女に夢中になれ」

 グイッと私を抱き寄せる北嶋さん。全く抵抗せずに、北嶋さんの胸に身体を預ける。


 ブワワワワワッッッ!!!


 静さんの怒気が増した。私に殺意を抱いたんだろう。

「流!!いい加減静ちゃんを解放してあげなよ!!」

 視える明石さんは、静さんの怒気が増した事が容易に理解できた。表情が悪鬼のように変わったからだ。

「…みんなに忘れられようとしている静…せめて俺だけでも、傍に居ないと可哀想だろ?」

 寂しそうな表情を変えず、流さんが呟く。恐らく、これも本心なのだろう。

「忘れないように、葬式でちゃんと泣くようにしてんだよ普通は。お前が忘れさせようと仕向けてんだよ。あんなモン見せられたらトラウマになって忘れたいと思うだろ普通?」

 北嶋さんの正論。普段はちゃらんぽらんだが、この様に諭すように喋る事もある。

「別にお前は忘れても構わないんだぜ勇。静を忘れて、新しい女とよろしくやってりゃいいさ。そういや、お前は昔っから忘れっぽかったな」

 空気がビリビリする。

 静さんは私に憎悪を向け、北嶋さんと滝沢さんは軽く口論中。

 皆さんは黒猫様の加護で、辛うじて自我を保っている状態。

 その間に、静さんは血走った目を大きく見開いて、私に触れるか触れないか、という距離まで接近していた。

――クヤシイ…クヤシイ…イサムノオンナ…

 解ってはいたが、説得なんか出来ない状態の静さん。遂には私の首に両手を伸ばした。

 手刀で空を斬る。

 静電気が走ったように感じただろう、静さんは、慌てて私の首から手を離した。

「初めまして静さん。手荒い歓迎は無しでお願いします」

 私は静さんに辞儀をする。静さんの憎悪の表情は変わらない儘だったが。

――ユルサナイ…ユルサナイ…イサムノオンナ…ユルサナイ!!

 再び私の首を狙う静さんだが、今度はパチンと指を鳴らして眼前に炎の壁を出現させて防ぐ。

「浄化の炎…私の命は狙わない方がいいですよ」

 これは威嚇。

 静さんは忌々しいと言わんばかりに、一歩程私から離れた。

「ありがとう。離れたのは、対話すると受け取ります」

――ユルサナイ!!ユルサナイ!!イサム!!ニィチャン!!ワタシヲクルシメルフタリ!!!

 取り敢えずだが、一方的には話をし出した。

 北嶋さんと滝沢さんを許さないと。苦しめる二人を許さないと。

「でしょうね。許したくないのは解ります。死んだ自分の骸を汚したお兄さんも、それを知りながら見捨てた北嶋さんも。でも、許して貰います」

――フザケルナァ!!ブガイシャガ!!ナニモシラナイクセニ!!オマエモユルサナイ!!コロス!!コロス!!コロス!!

 静さんが炎の壁に突っ込んで来た。

 まずい、静さんの身体が焼ける!!

――ユルサナイ!!ユルサナイ!!ユルサナイ!!ユルサナイ!!ユルサナイ!!ユルサナイ!!ユルサナイ!!

 血の涙を流し、身体を燃やしながら私の首に手を掛けようとしていた。

「くっ!!」

 術をキャンセルした。浄化の炎で静さんを滅する訳にはいかない。

――シネェ!!イサムノオンナ!!

 私の首に、両手が食い込む。

「くっ………!!」

 首が絞まる…っ!!ヤバい!!

「尚美さん!!」

 視えている明石さんだけが絶叫する。

――尚美さん!!

――尚美!!

 黒猫様とタマが低く身構える。飛びかかるつもりか?

 それを、視線を向けて制した。

――尚美さん…ウチが無理難題を言ったから…

――尚美、その程度の輩、瞬殺すれば良い!!

 無理難題?瞬殺?

 フッと笑みが零れる。

 誘いの手を発動させる。静さんの腕を、地獄へ誘う無数の手が掴む。そして無理やり、私の首から引き離した。

「っはぁ!はぁ!はぁ!私は静さんを助けに来たのよ!!こんなの無理でも難題でも無い!!瞬殺なんかする必要が無い!!」

 膝を付こうとした身体を、無理やり正しながら叫ぶ。

 誘いの手に押さえ付けられながらも、憎悪をたぎらせている静さんに近付く。そして誘いの手に絡め取られている静さんを強く抱き締めた。

「私があなたの言葉を代弁してあげる!!お兄さんに聞いて貰いましょう?苦しいって、解放してって、言いなさい!!」

 滝沢さんは、ピクッと反応し、私を見る。

 静さんが狂ったように喚いた。それを代弁する。

「何度も何度も言った…毎日毎日やめてってお願いした…だけど、兄ちゃんは全くやめる事は無かった…」

 腰を浮かせ、立ち上がろうとしたが、思い直して再び椅子に腰掛けた滝沢さん。

「…俺だってやめたかったさ…理屈では理解しているんだ、こんなの狂っているって!!だけど仕方無いじゃないか!!俺は離れたくないんだよ!!」

 手で顔を覆い、俯きながら叫ぶ。

「…勇にだって、助けてって何度も言った…だけど、兄ちゃんから私を助けてくれなかった…それどころか…私を見捨てて、二度と現れなかった…」

「見捨てた、か。確かにそうなるな。別に言い訳はしないさ」

 流さんが自ら立ち直らなければ意味は無い。

 そして自分は生きている。

 だけど、それは北嶋さんの勝手な『主張』だ。

 合ってようが、間違っていようが、特に問題は無い。

 北嶋さんの『主張』を静さんが受け止めるかは、静さんの自由。

 故に『言い訳はしない』なのだが、もう少し優しく諭すって事をして貰いたいものだ。

――イサム!!ニクイ!!ニクイニクイニクイニクイニクイニクイ!!ニイチャン!!ニクイ!!ニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ!!フタリトモユルサナイ!!

 解ってはいたが、対話は成り立たない。

 ならば私も対話はしない。一方的に話す事にする。

「お兄さんを許しなさい!!これ以上不幸になる必要は無い!!」

――フザケルナ!!ワタシノキモチハダレニモワカラナイ!!ワカラナイ!!ガァァァァァァァァァァアアアア!!

 誘いの手を振り切る勢いで暴れる静さん。

 抱き締めている私の腕も、ビリビリと痺れてきている。

「お兄さんを許してあげなさい!!変わりに私があなたを許す!!」

――ナニヲワケガワカラナイコトヲヲヲヲヲオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!

 首を振って暴れ、誘いの手から逃れようとしている静さんの耳元に、私はそっと呟いた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ウチの耳に、尚美さんが呟いた言葉が聞こえてきた。

 バッと振り向く。

 九尾狐さんの耳も、ピクピクと動いていた。

 ウチと九尾狐さんは、顔を見合わせて唖然とした。

 恐らく、尚美さんが呟いた言葉は、ウチと九尾狐さんだけが、辛うじて聞いた言葉。

 証拠に、勇も流君も、朱美ちゃんすらも反応はしていなかった。

――な…尚美さん…それ本気で言ってますの?

「本気も本気です!!」

 尚美さんの瞳は、揺るがない決意が表れていた。

――お、お前がそこまでする必要があるのか?

 九尾狐さんの疑問もごもっとも。何より、する必要が無い。

「同じ男を愛した者同士、離れたく無い、頼りたいって気持ちは痛い程解るからね」

 尚美さんのそれは同情なんかでは片付けられない程の覚悟があった。そして、静ちゃんが真の意味で救われる事でもある。

 だが、それは、自身の先の運命を決定してしまった事でもある。

 静ちゃんも暴れるのをやめて、信じられないと言った表情になっていた。

――……あなた……本気で言っているの……?

 怒りと絶望で狂っていた静ちゃんが、理性を取り戻して対話をしてきた。

「勿論。この神崎 尚美に二言は無いわ。だけど、それには奇跡的なタイミングが必要になる。あなたがちゃんと天国で準備が出来た時、そして私と北嶋さんがこのまま進んで行けばと言う前提。その奇跡を現実に限りなく近付ける為に、私は別の力であなたを還す。その為には、お兄さんを許して天国に行く事が近道でもあるの」

 尚美さんは静ちゃんをぐっと抱き締めて、その顔を胸に埋めさせて、慈しむように頭を撫でた。

――本当?本当に本当に本当?

 自ら、尚美さんの胸に顔を埋め出した静ちゃん。

――あの仕種…静ちゃんがおねだりや甘える時の癖ですわ……

――信じられんな、あの僅かの時間で…いや、条件が破格過ぎる事もあるのだろうが……

 ウチも九尾狐さんも、呆然としてそれを見ていた。

 静ちゃんの深い絶望と悪意が完全に消え去ったのだから……

「ほら、みんながあなたに謝りたい事があるそうよ?」

 背中を優しく撫でながら、信夫君達を見る尚美さん。

 静ちゃんも顔を上げた。

 そこには、確かに涙はあったが、悲しみや絶望とは違う涙が流れていた。

「では、明石さんからどうぞ」

 言われて我に返る朱美ちゃん。視える朱美ちゃんは、怒り、絶望し、憎悪を振りまいていた静ちゃんが、あの短時間で鎮まったのが信じられないのだろう。

 それでもここに来た目的を口に出す。

「あ、あの…私が、勇を諦めちゃったから…私がもっと頑張っていたら、静ちゃん悲しい目に遭わなくても良かった筈だから…ごめんなさい…」

 朱美ちゃんの謝罪を切っ掛けに、みんながそれぞれ謝り出す。

「俺が奴等をあの時逃がさなかったら…」

「流の気持ちを知りつつ、傍観していたから…」

 尚美さんは静ちゃんの背中を撫でながら頷いて聞いていた。

 突然、信夫君がへたり込んで土下座の形になる。

「お、おい信夫?」

 突然の事に動揺する杉原君。尚美さんはそれをまばたきもせずにじっと見ている。

「俺は…実は…井川の客だったんだ!!」

 場がざわめく。

「き、客って…ビデオの顧客か?」

 雅之君の問いに、信夫君は頷きながら、大粒の涙をながした。

「勿論、ちゃんと女優みたいな感じの女の子を使っていると思っていた!!だけど、まさか本当に…まさか静ちゃんが餌食になるなんて思ってもいなかった!!俺の認識が甘かった!!ごめん静ちゃん…ごめんよ……」

 ボタボタと床に涙を零す信夫君。

「そういやお前ん家に、そんなAV沢山あったなぁ。お前あんなの好きだったからなぁ」

 ざわめく周りに反して、勇が一人納得して頷いている。

「北嶋さんは少し黙ってて。次は向井さんですね。どうぞ」 

 信夫君の暴露話を聞き、静ちゃんが一瞬ピクリと身体を固めるも、尚美さんはそれをギュッと抱きしめ、落ち着かせながら樹里ちゃんを促す。

「…私は…本当は勇が好きだった」

 再びみんながざわめく。しかし、樹里ちゃんは気にしないで続けた。

「流が静ちゃんを妹としてじゃなく、女として見ていたのは知っていた。私は、自分が勇を忘れたいが為に、流に静ちゃんをダシにして近付いたの。そんなつまらない理由で、私は…私の素人知識を流に教えて、結果静ちゃんが死んでも辛い目に…私は謝っても償いきれない罪を犯してしまった…許してと言えない、私は…」

 樹里ちゃんのそれは謝罪ではなく、懺悔。

 静まり返った場に、勇が能天気に口を挟んだ。

「なんだ樹里、お前俺に惚れていたのか。いやー、モテモテだなぁ俺は!!」

 本心で照れていた勇。若干微妙な表情なれど、続ける樹里ちゃん。

「勇、アンタは結構人気があったのよ。面白いし、正義感強いし。顔は二枚目半だけどね。流や洋介には負けていたけど、アンタを昔から知っていた私と朱美は、アンタが一番格好いいと思っていた。勿論静ちゃんも、ね」

「顔は二枚目半ってのが引っ掛かるが…それに流と洋介より下ってのも引っ掛かるけど…」

 …勇が何だか落ち込んでしまいましたな。俯いて、溜め息まで吐きましたわ。

 って、何てマイペースな子なんどすか?昔から勇は空気を読まないと言うか、デリカシーが無いと言うか…

――あの男は昔から変わって無いのか…

――いえ、能天気加減は、昔よりパワーアップしとりますな…

 ウチと同じように、九尾狐さんは呆れながら溜め息をついた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 抱き締めている静さんが口を開いた。

「!…ううん!私こそごめんなさい…ありがとう……!!」

 明石さんが手で顔を覆いながら泣き出した。

「ど、どうした朱美?」

「何?何があったの?」

 みんなが明石さんを囲んで心配そうに話かける。

「今、静さんが返事をしています…朱美ちゃん、私の為に、勇を諦めさせて、ごめん…私、朱美ちゃんに本当に悪いと思っていたよ…だから逆に謝らせて…朱美ちゃん、ごめんなさい…そして、私の為にありがとう…」

 明石さんは立つ事も儘なら無いようで、遂には床に膝を付いて泣いた。

「静ちゃん!!静ちゃん!!あああ~!!!」

 自分が諦めた事をちゃんと知っていて、感謝までしていたとは思っていなかったのだろう。

 溜めていた想いが、涙と共に流れ出したような。

「最初に言った通り、静さんは皆さんを恨んで居ません。明石さん、あなたに沢山感謝していたようですね」

 私の問い掛けに、ただウンウン頷いて泣き続ける明石さん。

 きっと、北嶋さんを諦めずに、そのまま静さんと競っていたとして、そして明石さんが勝利したとしても、静さんはちゃんと祝福していた事だろう。

「洋介君…洋介君の正義感、本当に嬉しいよ…私のせいで苦しんでいたなんて知らなかったよ…ごめんね洋介君…」

 井川達を取り逃がした事を知らない静さん。本当に感謝していた。私の胸の中で、震えながら泣き出した。

「静ちゃん…俺は結局、何も出来なかったのに…」

 負い目すらあった井川達を取り逃がした事。それに対して、静さんは『苦しめた事』を謝ったのだ。

「今、静さんは私の胸の中で泣いています。洋介君、本当にごめんなさい、と、何度も何度も言いながら」

「静ちゃん、俺は謝って貰いたくねぇよ!!だって俺のせいで…!!」

 杉原さんの続く言葉を、手を翳して制した。

「じゃあ、おあいこだね。クシシシ」

 静さんの代わりに笑いながら答えた。

「…だな…おあいこだ。二人で謝りあっても仕方ねぇしな…ふはははは」

 杉原さんは上を向きながら笑った。

 上を向かないと、流した涙で泣いている事が皆に知れるから。

「雅之っちゃん…」

「そ、それは静ちゃんが俺を呼ぶ時の…本当に静ちゃんが言っているのか…」

 頷きながら続ける。

「雅之っちゃん…兄ちゃんが私を好きなの知っていたんだ…私は変だなーってしか思わなかったのに、よく知ってたね…雅之っちゃんの勘、凄いなぁ…」

 静さんが笑いながら答えたので、釣られて笑っての代弁となった。

「謝罪しているのに、感心して貰うとはな…つかバレバレだろ。知っている奴は結構居たと思うけな…」

「雅之っちゃん…私が傷付くと思って黙っていたんだよね…頭良過ぎて色々考えちゃうのが雅之っちゃんだもんね…その気遣い、嬉しい…ありがとう雅之っちゃん…」

 ブワッと一気に涙を流す大野さん。

「気遣いじゃない!!ただ言い出す勇気が無かっただけだ!!俺はそんな大層な奴じゃない!!」

 肩を震わせながら叫ぶ。

「雅之っちゃん…雅之っちゃんのそれは私に対する気遣い…恥じる事は無いよ…だって私は嬉しいんだからね…」

「なんで嬉しいんだよ!!俺が流に言っていたら、違った未来があった筈なんだ!!!ぁぁぁ……!!」

 大野さんは本当に後悔していた。遂には地面に膝と手を付き、泣き出す。

「大野さん、静さんはありがとう、ありがとうと何度も言っていますよ」

 大野さんは何度も頷き、それ以上言葉を発しなかった。

「信夫君…」

「お、おう…」

 鳴海さんは少し腰を引かせて応える。

「…趣味は人それぞれだけど…やっぱ最低」

「…だな、俺は最悪な奴だ…」

 一気に項垂れる鳴海さん。

「静さん、笑っていますよ?信夫君らしい、って」

「俺らしい、か…」

「あと、肥満も治して?だそうです」

 プッと噴き出す鳴海さん。

「そういや、静ちゃんにはメタボ治せーってよく言われていたなぁ…」

「信夫君…ロリコンとメタボは治して…?じゃないと、私の次は信夫君になるよ?」

 つまり次に死ぬのは鳴海さんだと言っているのだ。

「死んでも心配掛けてんのか俺…解ったよ、痩せるよ。だけどロリコンは治ったんだぞ?」

 ちゃんと更生(?)した鳴海さんに、満足そうに笑って頷く静さん。

 それを伝えると、鳴海さんは頷きながら笑った。


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