神崎、立つ
…………………
スッと目を開ける。
辺りはまだ薄暗い。時間を見ようとスマホを見る。
「4時か…」
早い目覚めだった。
ゆっくりと布団から上半身を起こす。
――視はりましかえ?
横を見ると、黒猫様が座りながら、私を見ていた。
「…貴女様が、当時の状況を視せてくれたんですね」
――あの事件は終わっておりませんの…全員が全員、何かしらの罪を背負ってしまいました
目を伏せる黒猫様。
「…貴女様が思っている罪もですね?」
――…ウチがしっかりと護っていれば、静ちゃんは死にませんでしたからな
私は黒猫様を向き、姿勢を正して頭を下げた。
「北嶋さんを護って頂き、本当に有難う御座います」
――後出しですがな。あれくらいしか出来ひんやった…
私はその姿勢のまま続ける。
「あの日、あの時、静さんが被害に遭われたのは…貴女様が、他に気を配る暇が無かったからです。貴女様の力量不足ではありません」
――そのお言葉で少しは救われましたわ
力無く笑う黒猫様。そんな黒猫様に、力強く宣言をする。
「ご安心下さい。リリスは私が必ず倒します」
――…銀髪銀眼の魔女と対峙した事まで『視』たんどすか…何や、油断ならんお人やなぁ。流石は勇のお嫁さんですわ
あの日、あの時、リリスが北嶋さん宅に大量の悪魔を召喚し、北嶋さんの周りの大事な人を殺そうとした。
親しい人が全て死ねば、北嶋さんは孤児となり、今後の身の振り方に激しく困る。その隙を突き、北嶋さんを自分の物にしようとしたのだ。
リリスも子供だった故の浅知恵の行動だった。
黒猫様はその全ての悪魔を葬った。
幸いにリリスは当時、力量不足。
契約した悪魔の殆どを失ったリリスは、長い間、戦力を立て直すべく、北嶋さんの前には現れる事が出来なかった。
「貴女様がリリスを退けてくれなかったら、北嶋さんは兎も角、北嶋さんの大事な人が危険に晒されていたかも知れません。有難う御座いました」
心から感謝した。黒猫様が居たからこそ、リリスは北嶋さんと接触できなかったのだから。北嶋さんの大事な場所が荒らされなかったのだから。
――まぁ、確かに『勇は兎も角』ですが
黒猫様はやはり力無く笑って返した。
――それで、どないしますん?言っておきますが、静ちゃんは勇の大事な人の一人…問答無用で祓うなら、ウチも抵抗させて頂きますえ?
黒猫様は微かに神気を発した。
北嶋 勇の大事な人は全て護る。それが例え死人だろうとも。
だから黒猫様はタマに静さんを攻撃させなかったのだ。
「色々な『枷』がありますが、私が全て取り払います。静さんにも在るべき所へと納得して還って貰います」
――勇が出来なかった事を、やらなかった事を、貴女が代わりに行うと言うのですか?
「いえ、代わりじゃありません。北嶋 勇の婚約者、神崎 尚美として行います。それに…」
――それに、何どすか?
黒猫様が目を細めながら私を見る。
「あの人は私にベタ惚れですから。私に手を出すと、貴女様はあの人に嫌られちゃいますよ?」
クスクスと笑いながら。
――ふっ…はははは!!いや、勇に嫌われるのは勘弁願いたいですなぁ!!はははは!!
黒猫様も、今度は愉快そうに笑った。
北嶋さんは動かない、動けない。
ならば北嶋さんの『想い』は私が決着を付けなければならない。
――静ちゃんの事、お願いします…
頭を下げようとした黒猫様を止めるように発する。
「これは私の恩返し。かつて私も北嶋さんに助けられました。今度は私が助ける番。婚約者はイーブンな関係が望ましいですから」
そうだ。
北嶋さんが私を救ってくれたように、今度は私が北嶋さんを助ける番。
そう思いながら、北嶋さんの寝ている部屋へと行った。
北嶋さんの寝ている部屋の襖を開ける。
北嶋さんはタマを抱き枕にして、カーカーと平和そうに寝息を立てていた。
――な、尚美…助けてくれ!!妾の内臓が出てしまう~!!
タマは北嶋さんの腕から逃れようと、バタバタと暴れていた。
微笑し、タマを北嶋さんから救出する。
――はぁ、はぁ…た、助かった…この愚か者が!!妾を圧死させるつもりか!!
タマが北嶋さんに猛然と抗議するが、寝ている北嶋さんにはまっっっっったく届く筈も無い。
やはり平和そうにカーカーと寝息を立てているのみだ。
「学生時代、なかなか格好いいじゃないのよ。デリカシーの無さは全く変わらないけどね…」
今の過剰な能天気さ加減は、恐らく助けられた恩に報いる為と、圧倒的破壊力を持つ自分の力を抑える為に成った性格だ。
怖かったんだ。自分が。
「人間らしいじゃん。そう言えば、よく『人間、北嶋』とか言うもんね」
自分に言い聞かせている感があった、あの発言。
意味が解ったよ。
私は北嶋さんのお布団に潜り込んだ。
――ええ!?尚美が勇の寝床にぃ!?
タマが信じられないと言った感じで口と目玉を大きく開ける。
「婚約者だもん。当たり前じゃない?それに、まだ少し眠いしね」
欠伸を噛み締め、グイグイと北嶋さんの胸に頭を埋める。
タマが何か言っているが、私はそのまま眠りについた為に、よく聞き取れなかった………
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ん~…何か鼻がムズムズすんなぁ~…それに、いい匂いだ~…
シャンプーかな?香水かな?
ん?何故シャンプーやら香水の匂いがするんだ?
んじゃ、この鼻を擽っている感覚は?
超!恐る恐る目を開けると、薄暗い部屋に、ぼんやりと視界に頭が入る。
ギョッとして目を見開く。
かぁ!!かかかかかか!!神崎いいい!?
うおっ!やべえ!夢遊病の如く、神崎の寝ている部屋に侵入しちゃったのか!?
自分の家なら兎も角、ジッチャン、バッチャンが居る実家はマズい!!
神崎に鼻を大惨事にされた挙げ句、ジッチャンに鉄パイプでカウンターを喰らい、バッチャンにティファールのフライパンで頭を殴打されてしまう!!
そぉーっと、そぉーっと神崎から離れる俺。惨劇回避能力で俺に勝る奴は居ない。
「…んっ」
ビクゥ!!と俺の身体が固まり、冷や汗がタラタラと流れる。
神崎が寝返りを打ったのだ。
つか、『んっ』て!!『んっ』てええええ!!
チクショウ!可愛すぎるぜ神崎!!
ちょっとだけ触ろうかな…
いや、いやいやいやいやいやいや!神崎が目覚める前に退散する事が先決だ。
俺は上半身をそぉーっと起こし、脂汗と冷や汗を流しながら、辺りを見回した。
「あ、あれ?」
そこは確かに俺が寝ている客間?
んじゃ神崎が夜這いをかけて来た?
恐る恐る神崎に視線を向ける。
タマが神崎の頭の上で丸くなっているのが解った。
なのでタマをチョイチョイと触って起こす。するとタマは不機嫌そうに俺を見た。
「おいタマ、俺の顔を咬め」
これは『痛みを感じるか否かで、夢か現実か見極める』古典的方法だ。
タマは、また訳が解らん事をと、フィッと顔を背ける。
「やいタマ、飼い主の命令が聞けんのか?咬め。早く」
タマは面倒臭いなと言った感じに立ち上がる。
そして俺の顔に向かってピョンと跳び、ガブッと鼻を咬んだ。
「ぎゃあああああ!!痛えじゃねえかこの野郎!!」
あまりの痛みにタマを叩き落とした。
擬音で表現すれば、ガブッ!!バシィッ!!ビターン!!クワーッ!!だ。
因みに最後のクワーッはタマの悲鳴だったりする。
そんなタマはフラフラと立ち上がり、俺の手をガシガシ咬みながらゲシゲシと後ろ脚で蹴りを入れた。
「ん~…うるさいなぁ…」
神崎が目を擦りながら目覚めた。
「かかかかかか、神崎!!おおおおおおお前が寝ぼけて入って来たんだからな!!」
俺には非が無いと言うジェスチャーで両手をブンブン振る。
因みにタマは、まだ左手に咬みついたままだ。
つまりタマごと手をブンブン振っている状況だ。
いや、何を冷静に解説しているんだ俺は!!
今は濡れ衣を晴らす事に、全身全霊を傾けなければならないと言うのに!!
激しく考える俺。
考えろ!!考えるんだ!!ジッチャンの名にかけて!!
って、ジッチャン寝室で寝ているわっ!!その前に『猛』の名にかけても大したアイデア浮かぶかっっっ!!
「寝ぼけてないよ…私から入ってきたんだから…」
「だろ?これは事故だ!だから俺に虐待は…ん?」
今、自分で進んで入って来たみたいな事を言ってなかったか?
激しく首を捻る。あり得ない事が起こっているのだから当然のジェスチャーだった。
「まだ5時じゃない…もう少し寝かせてよ…」
そう言うと、神崎はパタンと布団に倒れ込み、スヤスヤと寝息を立て始めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
くうう!!なんと理不尽な!!妾は請われたから咬みついただけだと言うのに!!
怒りと悲しみで勇の左手に咬みつくも、勇は呆然として妾など意にも介していない様子。
――貴女様もほんに大変どすなぁ…
勇の頭上で寝ていたバステトが、心底同情した表情で妾を見る。
――大変とか言う問題か!!何故妾がこんな目に遭わねばならぬのだ!!
半分泣いている状態の妾。八つ当たり気味に黒猫に威嚇しながら訴える。
――勇から逃げ出せば良いのではないでっしゃろか?
ん?何を言っておるのだこの黒猫は?
何故妾が勇から逃げ出さなければならぬのだ?
――貴様は愚か者か?仕えるのは、それに値するからだ。勇にはそれが…あれ?
よくよく考えると、妾が勇に仕える理由は無い。
訳の解らん事を言い、常に妾を虐待する男。寧ろ妾は勇に酷い目にしか遭わされておらぬではないか。
だが…
――き、狐は気紛れが性分よ!!
妾はそう言って躱すしか無かった。
――ふふふ…貴女様も勇が大好きなんどすなぁ…ウチ等、お仲間やねぇ…
バステトが妾の肩をポンと叩いて笑う。
妖狐の妾と古代神が仲間だと言う事に多少の違和感があるが、妾は項垂れて反論する事が出来なかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
朝、7時。
あれから俺はボ~ッとして布団から上半身を起こしていた。
布団に潜り込んできた神崎の真意が、まっっっっったく解らなかったからだ。
今まで散々拒否してきたのに、何故今のタイミングで?
いや、婚約までしたんだから、当たり前っちゃー当たり前だが。
グルンと布団の横を見る。
先程まで寝ていた神崎は、朝飯の支度にと、バッチャンの手伝いに起きて行ってしまった。
手のひらを布団に置く。
まだ温もりが残っている。つまり夢じゃないと言う事だ。
「もしかしたら、神崎は変な物を食って思考が狂ってしまったのではないか…?」
それならば合点が行く。
今日になってのいきなりの奇行。多分バーベキューで焼かれていたキノコに、そんな作用を起こす毒キノコが含まれていたのだ。
「はっはっは!謎が解けてスッキリしたぜ!さて、スッキリした所で、もう一眠り…」
答えを導き出し、安心して布団に潜り込む俺。しかし、それも一瞬、すぐにガバッと布団が剥がされる。
「神崎、俺は今スッキリして眠気がバリバリなんだ!布団を返せ!」
布団を剥ぎ取ったのは毒キノコでおかしくなった神崎。ある種の恐怖を感じ、俺は恐る恐る布団に手を触れる。
「何を怖がっているの?朝ご飯だから起きて起きて」
神崎は問答無用とばかりに布団をひっぺがす。
「うおっ!神崎っ!お前は毒キノコを食って少しおかしくなっただけだっ!朝飯で俺を食おうなんて、家に帰ってから頼むっ!実家では声が聞こえてしまうだろっ!」
嬉しいやら困ったやらで、何かグチャグチャになったが、取り敢えず貞操を守る為、身体をグルンと丸める。
「何を訳の解らない事を…ほら、早く朝ご飯食べる!今日は忙しいんだからっ!」
丸めた身体を揺さぶる神崎。
「忙しいって、お前、そんなに俺に抱かれたいのぐあっ!?」
顔を上げた俺の顔面に神崎の前蹴りが入った。
「どこをどう解釈すれば抱かれたいって結論に達するのよっ!北嶋さんの御両親のお墓に行ってご挨拶しなきゃならないでしょっ!夜は夜で忙しいんだから、無駄な時間を取らせないで!」
前蹴りを喰らって朝からダメージを受ける。だが大丈夫、鼻血には至らない。俺も耐性が付いたって事だ。
「そ、そうか、墓参りに行くんだったな…すっかり忘れていた…」
確かに今日は墓参りに行く予定だ。だが少し待て。
夜は夜で忙しいと言わなかったか?
夜は忙しい…つまり…
俺は唾を飲み込んだ。ゴクッと言う音が響く。
「夜は旧滝沢医院に出掛けるんだから!時間を無駄にしている場合じゃないのよ!解っているの?」
「解っているよ、夜は娼婦のように乱れたいって事だろう?だがな神崎、実家はマズいから、実家は!って…旧滝沢医院?」
今、旧滝沢医院に出掛けるとか言ったよーな?
激しく首を捻る。
捻り過ぎて首がピキキッと音がした。
「痛って…」
「何をやりたいのか解らないけど、静さんを助けるのよ!」
グッと拳を握り締めて闘志を滾らす神崎。
「静を助けるのか~…それで病院になぁ…って、ええええええええ!?」
俺は首を戻すと同時に、更に首を捻る事になったが、痛みなんか完全に吹っ飛ぶ程驚いてしまった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「静を助けるって、あのな、静を助ける事ができるのは流だけだ。まだ続いているなら尚更だろ?」
北嶋さんは呆れたように首を振る。
さっき痛めたようだが、驚きで痛みが吹っ飛んだみたいだ。
まぁ、北嶋さんの首なんかほっといて、だ。
つまり遺体を辱めた行為が、静さんを縛り付けている事は間違いない。
しかも現在も旧滝沢医院に静さんの身体は在る。
防腐処理を施され、エアコンで空調管理までされて、反魂で蘇るその時まで、依代の人形としてだ。
死姦と遺体保存と言う、二重の辱めを受けた静さんを救うには、先ずは死体を土に帰す、更に誠心誠意の謝罪が定石だ。
だが、滝沢さんは、それを罪と認めながらも、好きと言う感情でそれを貫くだろう。
滝沢さんは、静さんが好きだった相手と、自分の親友である北嶋さんに止めて欲しいに間違いない。
それも止めるだけじゃない、壊して欲しいと願っている筈だ。
その資格があるのは北嶋さんだけだと、頑なに思っているのだろう。
他の人が、いくら正論を言っても、滝沢さんはやめない。
それは、自分の行為が間違っている事を知っているからだ。
北嶋さんに壊して欲しいと願う事、それは懺悔に他ならない。
静さんを『レイプ』した自分に、怒りと憤りの拳で、完全に破壊して貰う事が懺悔だと。
だが、北嶋さんは動かない。
『終わった話』を蒸し返す事はしない人だ。
妹と思っていた静さんは死んだ。
滝沢さんの元に在るのは、静さんの抜け殻、それは北嶋さんが知っていた、感じていた静さんでは無い。
静さんは『自分が苦しいのに助けてくれない愛する人』を憎んでいる最中。
今も北嶋さんに助けを求めている。
好きだからこそ憎む。
つまり北嶋さんが動かない限り、静さんは悲しみからも憎しみからも解放されない、と言う事になる。
黒猫様も、それを知っているから私に釘を刺した。
乱暴に祓うなら自分が相手になる、と。
勿論、長期に渡り、説得をすれば、成仏してくれるだろうが、生憎と時間が無い。
旧滝沢医院には、素人がおかしな術を使い、それに喚ばれた悪霊が、病院内に隙間無く居座っている。
今は黒猫様が病院に結界を張り、悪霊達を院内から出さないよう施しているが、あのままでは滝沢さんは勿論、滝沢さんの家族にも悪影響を及ぼしてしまう。
それでも、未だに滝沢さんやご家族に霊障が無いのは、流石は黒猫様と言う所だが。
北嶋さんが滝沢さんを説得し、滝沢さんが遺体を丁重に供養し、静さんが『そこそこ納得して』成仏するのが通常だ。
だが、それは叶わない。
何より、『そこそこ』が気に入らない。
やはり静さんには、本当の意味で成仏して貰いたい。
同じ男を愛した者として。
ジロリと北嶋さんを睨む。
北嶋さんが『ビクッ』と身体を震えさせた。
「…静さんは許す事は無い。自分が大好きだった人は、自分を見捨てて、婚約者を連れて来たんだから」
「そりゃ静の都合で、俺の都合とは関係ないだろ」
…冷たい言い方だが、ごもっとも。
いくら静さんが恋焦がれようと、それを苦しいとしても、静さんは『死者』。
死者は生者と幸せになる事は出来ない。
更に言うなら、もし静さんが生きていたとしても、それは静さんの片思いとなる。
そんな状況の静さんに対して、私のできる一手とは?
「…静さんが許さない、北嶋さんが動かない、となれば、私が許す。尤も、大きな外部干渉と奇跡的なタイミングが必要になるけどね」
「許す?何をだよ?」
「今は教えてあげない」
そして無理やり手を引いて起こした。
「さっ、朝ご飯。大丈夫、北嶋さんがこのままなら、必ずうまく行くから」
「俺次第な訳?」
私は返事の代わりに、笑いながら『ベ~ッ』と舌を出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
朝飯を食った後、神崎を連れて親父とお袋の墓参りに来た。
神崎は独り言のように、ゴニャゴニャと話をしていた。
「万界の鏡を掛けたら?」
と促されたが、何を言っていいのか解らないから掛けなかった。
「うん、まぁ、いずれな」
そう、お茶を濁したら、神崎が「まぁ、今は、ね」と、俺の心情を解っているような感じに返した。
うん、やっぱりいい女だ、神崎は。
なにか言って?と言われた俺は、墓に指を差した。
「俺が死んでから、たっぷり話そうぜ!!」
「150歳まで生きるんだっけ?その頃の北嶋さんよりご両親の方が若いんじゃないの?」
と、いらん突っ込みをされた。
「…ご両親がね、『勇の事をよろしくお願いします』って」
「ふ~ん………」
何て言っていいのか、本当に解らなかった。だから『ふ~ん』しか言えなかった。
「ご挨拶も済んだし、帰ろっか?」
神崎が右手を差し伸ばす。無言でそれを掴む俺。
そのまま手を繋いで帰った。
神崎の手は、ジッチャンやバッチャンとは違う温かさがあった。
帰宅途中、商店街で食材の買い物をする俺達。
神崎が夕飯を作ると言い出したら、ジッチャンバッチャンのテンションが上がりまくったのは何故だろうか?
「お鍋にしようか?」
「肉は昨日いっぱい食ったから、魚がいいなぁ」
バーベキューで肉をたらふく食ったので、魚の鍋なんか、肉をリセットするのにはちょっといいかもだ。
「じゃ、鰯つみれにしよっかなぁ~」
「鰯?いや、旨いけどさ…」
鰯をすりつぶした団子の鍋は、確かに旨い。
旨いが、マグロとか鯛とかだな、せっかく実家に来てんだし、少し豪勢にだな。
「お刺身も買うから問題無し」
「…俺の心視れたっけ?」
「視れないよ?何言いたいか解っただけ」
何故かご機嫌な神崎。
そのおかしなテンションで杉原鮮魚店に入って行く。
「らっしゃい!!…お、尚美さん!!」
洋介が隣の肉屋に、ざまぁ見ろと言った表情を向ける。
「鰯と、あとマグロと鯛と鮃のお刺身をお願いします」
神崎はあくまでもニコニコ対処だ。
「あいよ!いやーしかし、やっぱり勇にゃ勿体無い美人さんだよなぁ~…ウチの茜も、こんぐらいべっぴんさんだったらなぁ~…」
「茜か、久しいな。高校以来に聞いた名だ」
「未だにお前の事怖がっているぜ?ほら、鰯と刺身だ」
俺が受け取ろうとした先に、神崎が前に出てそれを貰う。
「ありがとうございます。それで、もう一つお願いが」
「お願い?尚美さんのお願いだったら何だって聞くぜ」
笑いながら引き受ける旨の洋介。大丈夫か?神崎は無茶な頼みを結構して来るんだぞ?
「今日の夜、そうですね…10時頃、旧滝沢医院に皆さんを呼んでくれませんか?」
笑いながら固まる洋介。な、無茶な頼みだろ?だが、徐に続けた。
「…どうしてだい?」
「皆さんが静さんに言いたい事があるんじゃないか、って思いまして。今日、静さんは成仏しますから、言いたい事があるなら、今日を逃すと、暫くは無いですから」
あくまでもニコニコ対処の神崎だが…
「洋介達が静に用事がある訳ねーだろ?」
何を言ってんだ神崎?ニコニコ対処が逆に怖いわ!
「静ちゃんが、今日成仏する?本当にか?」
ん?洋介が食い付いて来たぞ?何故?
「ええ。ですから、言いたい事を伝えるチャンスは今日です。静さんの言葉は私が伝えられますから」
「…解った、奴等に伝えとくよ。夜10時だな」
えええ?何乗っかってんのお前? 静に何の用事があるってんだ?
「はい、ですが、私達が着くまでは、絶対に院内に入らないで下さいね?入ったら、恐らく迷って出て来られなくなりますから」
「…それは大丈夫だ。間違っても入る事は無いからな」
「やっぱり犠牲者も居るんですね」
犠牲者?病院に入って犠牲者って何?
「犠牲者って訳じゃないが…詳しくは夜に話すよ。じゃ、仕事中だから…」
洋介は神崎に一礼し、接客に戻った。
俺はただ、神崎と洋介を交互に見ているだけだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私の鰯つみれのお鍋は、とても好評だった。
お爺ちゃんはお酒そっちのけで北嶋さんと奪い合い、お婆ちゃんは何故か解らないが拝んでいた。
おかげでお刺身は黒猫様が独占状態。
――お刺身美味しゅう御座いますなぁ~。尚美さん、暫く帰らんといてな~
ゴロゴロ喉を鳴らしながらご機嫌に食事を堪能していた。
「それ、わさび醤油ですけど…」
――ちょっとピリリとくる所が良いやおませんか~!
タマは甘辛い油揚げが大好物だし、黒猫様はわさび醤油のお刺身がお好みらしい。
いや、いいんだけど、何かが間違っているような…
――今夜を境に、ウチが何の心配も無く、お刺身を頂ける事を信じておりますよ尚美さん
お刺身の余韻に浸り、舌舐めずりをしながら、黒猫様が私を真っ直ぐ見る。
「はい、任せて下さい」
力強く返事をする。それをお爺ちゃん、お婆ちゃんが心配そうに見ていた。
「尚美さん、どうかしたんかいな?」
「クロ相手に独り言とは、退屈させてしまったんかいな?」
慌てて否定する。妙にぱたぱたしながら。
忘れてた。黒猫様はお二人にとってはペットのクロだった。
黒猫様に視線を移すと、黒猫様も、慌てながら誤魔化すように毛繕いをしていた。
片付けをし、お風呂に入り、少しゆっくりすると、そろそろ約束の時間に迫っていた。
「北嶋さん、行くわよ」
「ん~…仕方ねぇか…」
気乗りしないと言った感じで腰を上げる。
「ジッチャン、ちょっと出てくるわ」
「おー。ワシ等は寝ているから、帰ってくる時は騒がしくすんなよ~」
そう言って、私達が玄関を出ると、タマと黒猫様が既に外で待っていた。
――見せて貰いますよ。尚美さんの力を
私は黙って頷く。
――尚美はあの勇の伴侶ぞ?悪霊と化した霊体如きに遅れを取ると思うのか?
タマが黒猫様に突っ掛かる。
「なんだお前等、ついて来るってのか?もの好きな小動物達だな~」
北嶋さんがタマと黒猫様をヒョイと抱き上げる。
「おー、暖ったけー。暖取れるぞ。神崎、どっちがいい?」
北嶋さんがタマと黒猫様をズイッと私に向けて差し出す。
「え~?じゃ、タマで」
タマを受け取る私。
「んじゃ行くか。サクッと終わらしてくれよ?」
「私を誰だと思っているのよ?」
微笑しながら北嶋さんの前を歩く。
北嶋さんは人類史上最強の霊能者だ。
その横に並ぶ為、私も最強を目指した。
だが、滅する戦いでは北嶋さんには到底及ばない。
だから私は別の方法で並ぶ事にする。
別の戦い方を選んだ私の、今日が、初陣となる!!
旧滝沢医院に到着した。
北嶋さんのお友達の皆さんは、既に玄関前で待っていた。
「本当に来たのかお前等?」
呆れる北嶋さん。そんな北嶋さんに、鳴海さんが神妙な面持ちで返した。
「静ちゃんに謝るチャンスが今日しかないらしいからな」
「お前等静に悪い事したのかよ?」
「他の奴等は解らないが、俺のせいで静ちゃんが死んだようなモンだしな…」
杉原さんは、霊夢で視た罪を意識しているようだ。いや、杉原さんだけじゃない。全員だ。
「皆さん、皆さんは納得しないでしょうが、静さんは皆さんを恨んでいません。それでも会いに行きますか?」
引き返すならば早い内の方がいい。
この玄関の向こうは、異界と言っていい程、空気が違う。
「恨んで無い、か…だが俺は行くよ。ただの自己満足に過ぎないけどさ」
大野さんが項垂れていた頭を上げて言う。
「静ちゃんは、お葬式も無かったからね。お葬式があったら、その時に謝っていた筈だしね」
改めて決意を露わにした明石さん。ならばこれ以上は言うまい。
私はタマを降ろした。北嶋さんを促し、黒猫様を降ろして貰う。
「先頭は私と北嶋さんが行きます。真ん中に黒猫…クロ、しんがりはタマ。皆さんは、クロと離れないよう、ついて来て下さい。後ろにはタマが居ます。タマの後ろには絶対に回らないで下さい」
「この仔犬の後ろに行かなきゃいいのね?何でそんなに警戒するの?」
向井さんがタマを撫でようとして屈みながら質問する。
「迷うからです。迷ったら、病院から出て来られない、と思って下さい」
一斉に私に視線を向ける皆さんだが、それは驚きの目ではなく、確信した目だった。
「迷子になるってか?ガキの頃の遊び場だったぞ、この病院は?」
北嶋さんはケラケラ笑うが、皆さんは納得したように頷くばかりだ。
「……マジ?」
信じられないといった様子の北嶋さん。
「廃病院ってさ、絶好の肝試し、心霊スポットなんだよ」
鳴海さんが理由説明の為に口を開いた。
「心霊スポットって、流は毎日来ているんだろ?廃病院とは言え、管理しているだろ?最低でも霊安室はさ?」
「流が居るから大事には至って無い、と言うか、ね…」
続いた明石さんの弁に、腕を組み、首を捻る北嶋さん。
私が代わりに説明をする。
「今の旧滝沢医院は、流さんの勝手な解釈による魔術で、悪霊や死霊が沢山蠢いているの。その変な魔術で何の用事も無く喚ばれた悪霊達によって、樹海化してしまったのよ。」
「樹海化?富士の樹海の?」
頷き、続ける。
「富士の樹海は悪霊だけじゃなく、地場の影響もあるんだけどね。この病院には信じられない程の悪霊達が居る。そいつ等が肝試しに来た人達を呼ぶの。コッチニオイデ………ヒトリハイヤダヨ………とか言ってね。これ程の数の悪霊達が居るから、直ぐに『引っ張られる』訳なのよ。だけど、流さんが一日一回以上病院に来る訳だから、流さんによって無事保護される訳」
その流さんが無事なのは、黒猫様の御加護。
北嶋さんの『大事な人達』だけは護っているのだ。
「ふ~ん…よく解らないが、取り敢えず霊安室に行けばいいんだろ?」
北嶋さんは普通に、本当に普通に玄関扉を開けた。
「解る人には解りますよね…そうでない人も、この空間が人の世の物ではない、と感づいている筈です」
開けた瞬間に感じるであろう現世と異界の境界線。
それが旧滝沢医院内に在る!!
「きゃあああああああ!!」
絶叫し、腰が抜けたようにへたり込んだ明石さん。
そう言えば彼女は視えるんだった。
暗闇の院内から自分に向かって伸ばされているであろう、見渡す限りの手のひらを!!
「朱美!?しっかりして、何があったの!?」
駆け寄った向井さんは明石さんの肩を抱く。
「冗談じゃない…流は本当にこの中に居るの?有り得ないわ!!」
入り口としての玄関扉は、生者を招き入れる故に沢山の霊魂が存在した。
しかし、ここは『まだ』入り口に過ぎない。
地下三階には、亡者を喚ぶ素人の儀式がある。
いくらでも湧いて出て来る環境にあるのだ。
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