後夜祭途中、パトカーのサイレンが至る所から鳴り響いていた。

「何か騒がしくね?」

 北嶋の問いに同調する杉原。

「どっかの暴走族を追っかけている訳でも無さそうだな」

 怪訝に思っている最中、足元から「ニャー!ニャー!」と、猫の鳴き声が聞こえた。

「あれ?クロじゃねーか?随分遠くまで遊びに来たなぁ」

 北嶋は愛猫クロを抱き上げようと、そっと手を伸ばした。

 クロはその手から逃れて校門まで駆け出す。

「何だよ?」

 ある程度行った先で立ち止まり、再び「ニャー!ニャー!」と鳴く。

「呼んでいるんじゃない?」

 霊感がある明石がそう思った。

「とりあえず着いて行きましょ?何か嫌な予感がする…」

 不穏な空気を感じた向井。北嶋達を促してクロの後を追う。

 結構遠くまで来たようで、学校の明かりが小さく見え始めた。

「洋介にバイク出して貰えば良かった…」

 やはり若かりし北嶋も面倒臭がり屋だった。

「5人も乗れねーだろ」

 そう言う大野も、ぜーぜー言いながら後を追っている。

 パトカーのライトが沢山見えてくる。

「流の病院じゃん」

 そこは滝沢医院の近く。

 そこから約1Km手前の林に、無数のパトカーと野次馬の群れが見えた。

 クロが野次馬の群れに突っ込んで行く。

「何だよ何だよ?あそこに何かあるのかよ?」

 北嶋が野次馬の最後尾に着き、ピョンピョン跳び跳ねて様子を窺う。

「あれ?流?」

『KEEP OUT』と沢山書かれている黄色いテープの先に、滝沢の姿を発見した。

「ちょっとすみません」

 野次馬を掻き分けて前に行く向井。それに続く北嶋達。

「これ以上入っちゃ駄目!!」

 警察官が前に立ち塞がった。それに反応する鳴海。

「あ、俺達、あそこにいる滝沢の友達ですけど」

「友達?ちょっと待って…」

 警察官は刑事と思しき男に耳打ちをした。

 その刑事が北嶋達の前に来る。

「植田と言います」

 警察手帳を掲げる刑事。

「滝沢、滝沢 流さんのご友人で間違い無い?」

「あそこに居る流に聞けばいいだろが」

 暴走族の杉原は、警察関係は敵。思わず高圧的な態度になる。

「チッ…滝沢流さんのご友人で間違い無い?」

 舌打ちをして、同じ事を聞く刑事。

「間違いありません」

 杉原に喋らせまいと、大野が返事をする。

「少し身元確認のご協力をお願いします。此方へ…」

 刑事に連れられて、テープの中に入って行く北嶋達。滝沢が呆然となりながら、ただ立っていた。

「流?何かあったのか?」

 滝沢の後ろから肩を叩く北嶋。

 だが、滝沢は反応しない。

 その間、刑事に促されて『それ』を見る向井。

「きゃああああああああああああ!!!」

 向井が絶叫し、頭を抱えて屈んだ。

「な!!ななななななな!!何で!!何でぇ!?」

 鳴海が動揺して狼狽えた。

「うおおおおおおおおおお!!畜生!!畜生おおお!!殺す!!ぶっ殺してやんぜえええ!!」

 杉原が怒りに任せて叫んだ。

「う……嘘だ……ろ………?」

 信じられない大野。だって、さっきまで、午前中まで一緒だったのだから。

「うわああああああああああああ!!信じない!!信じないから私っっつ!!」

 明石が屈みながら泣き叫んだ。

「な、何だよお前等…ビックリするだろ?」

 北嶋にも見るよう、刑事が促す。

 面倒そうに覗き込む。


「………………しずか……………」

「この遺体は滝沢 静さんで間違い無い?」

「間違い…無い…………」

 北嶋は、震える足を踏ん張って屈む事を拒んだ。

 ブルーシートから顔を覗かせた女の子…ほんの少し前に一緒にいた女の子…

「死んでんの…かよ?…何でだよ?何で?午前中一緒にお好み焼きとか食ったんだぞ?何でいきなり死んでんの…なぁ…なぁってば!!おい!!!」

 北嶋は植田に掴み掛かった。植田は俯いて北嶋と目を合わせようとはしなかった。

 滝沢の両親が駆け付ける。

 二人共、変わり果てた娘に向かって嗚咽する。

 北嶋は変わらずに刑事に詰め寄っている。鳴海達も地に膝を付け、号泣していた。

 滝沢 流。

 彼だけは、ただ見ていた。

 ただ見ているだけだった。

 遂に北嶋は刑事から引き離された。

 北嶋は膝を付く事を拒む。震える脚を地に付けて踏ん張っていた。

 その脚にクロがすり寄る。

「ニャーン…」

 いつもと違う鳴き声…

 悲しく聞こえる鳴き声…

 励ましているようにも聞こえる鳴き声…

 だが、北嶋には全く別の鳴き声に聞こえた。

「クロ…何故謝る……」

「ニャーン…ニャーン……」

 北嶋の問いに反応し、更に鳴き出す。

「…いや…謝らなくていい……何でそう聞こえるんだろうな……」

 クロを抱き上げ、静から離れる北嶋。

「帰るぞみんな…ここに居たら、捜査の邪魔になる…」

 北嶋に促され、立ち上がる鳴海達。誰も言葉を発する事も無く、その場を離れた。


 そのまま、北嶋の家に集まった。全員一人になりたくなかったのだ。

「静が…何と言う事じゃ…」

「滝沢の院長に何て声を掛けたらいいか解らん…」

 北嶋の祖父母も泣いていた。

 部屋に入るなり、崩れるようにへたり込む。

「俺が…俺があの時逃がさなかったら………」

 後悔ばかりしか浮かばない。

「私っ!!私がっ!!頑張っていたらっ!!静ちゃん、勇に会いに学校まで来なかったのにっっっ!!」

 自分が北嶋の彼女になっていたら、静は殺されなかった。引いた自分が結果的に殺したと嗚咽する。

「…勇、電話貸してくれ」

 鳴海は北嶋の部屋にある電話機から電話をする。

 何回かコールした時、相手が出たようで、話し出した。

 数分後、電話を切った鳴海。

「井川じゃねぇか、って……」

 みんな一斉に鳴海を見た。

「井川?確か隣街の暴走族上がりのチンピラだな?何でそいつの名前が出る?」

 杉原の問いに答える鳴海。

「いや、俺の同志が井川からビデオ無理やり買わされた事があったらしくてさ…中学、高校生くらいの女の子のレイプ物だったらしい…思い出して確認取ったんだよ…」

 最後まで聞く事も無く、北嶋が立ち上がり部屋を出た。

「勇っ!!まだそいつと決まった訳じゃ…」

 向井が止めるも、北嶋は聞いてはいない。歩みは一切止めなかった。

「信夫!!ウチの頭、青木に電話してくれ!!ウチのモン全員井川の家に来てくれってな!!」

「だ、だけどお前と勇二人なら…」

 応援は要らないだろ、そう言う前に杉原が叫んだ。

「勇を止めるのに俺一人じゃ無理だろ!!」

「!!解った!勇を殺人犯にさせる訳にはいかないからな!」

「勇、待て!!俺も行く!!」

 杉原は北嶋の後を追う。

 鳴海がポケットから手帳を取り出し、青木に電話をかける。

「終わったら替わってくれ!!オヤジに頼み込むから!!」

 大野の父親は弁護士。何か意図があるのだろうが、解らない。解らないが頷く。

「解った…あ、モシモシ?杉原のツレの鳴海だけど!!」

 話をしながら鳴海は後悔した。知ったら北嶋は必ず動く。言わなければ良かったと。

「勇…早まっちゃ駄目……ううう………」

 明石は壁に背を預け、ペタンと座り込みながら手で顔を覆い、祈るように泣いていた。


「勇!待てよ勇!!」

 言われて北嶋が立ち止まる。

「解った!解ったから!俺も行くから!それに、お前井川の家知らないだろ!?」

「知らね。でも隣街なんだろ?行ってチンピラ見つけてぶっ飛ばせば居場所くらい吐いてくれるさ」

 杉原の背筋の産毛が全て逆立った。

 北嶋の目、それは決意の目。

 ただでさえ、馬鹿みたいに強い北嶋が決意をした。それは覚悟を決めた、と言う事だ。何の覚悟か?勿論殺す覚悟だ。

「…勇、俺はお前を絶対止めるからな」

「そうしてくれたら有り難い。頼んだぜ洋介」

 恐らく北嶋は本心でそう言った。

 押さえ切れない怒りは、確実に殺してしまう事を簡単に予測させていた。

 少なくとも、杉原が傍に居てくれるなら、祖父母に悲しい思いをさせずに済む。

 黙って頷く杉原。

 杉原も仲間が駆け付ける間、己をか細い枷として、使命に全てを賭ける覚悟を決めた。

 ガレージを開ける。

 そこには、赤いスポーツカーと共に、一度も乗った事の無いKawasakiの400が埃を被って鎮座している。

「洋介、頼む」

「まだあったのかよ?」

 それは解体所から貰ったKawasakiを、同じ解体所から部品を探して組み直したバイクだ。

 北嶋が練習用として持っていたのだが、全く走った事は無い。

「エンジン掛かるかな…」


 ガコッ!オオオオオオオオオオオオオオオ…


「奇跡かコレ?一発で?」

「バッチャンが暇潰しで手入れして遊んでいたようだからな」

 興味がありそうな孫が無関心で、理解を示そうもない年寄りが整備してるのに物凄い違和感を覚える杉原。

「ニャー!!」

 クロがバイクにピョンと飛び乗る。

「クロも行きたいのか?」

「ニャン」

 その通りです、と言った感じなクロ。

「洋介、三ケツだ」

「クロも来てくれるんなら枷が増えるな。有り難い!!」

 杉原は北嶋とクロを乗せて走り出した。


 北嶋の地元の隣街の住宅街。

 未だに明かりが点いている家も多数あるが、時は日付が変わろうとする頃。

 とある一軒家の二階で、三人の男が頭を抱えて項垂れていた。

「やべーよ…殺しちまった…絶対北嶋が来るよ…」

 ガタガタと震え、ビデオカメラを蹴っているのは、撮影していた平塚。

「な、なぁ、警察に自首すりゃ、命だけは助かるんじゃねぇか?」

 自首する事により、北嶋から身を守る事を提案したのは栗田。

「馬鹿か栗田!!テメェ運転と見張りメインで罪が軽いと思って提案してんだろう!!」

 井川が栗田の襟首を掴む。

「テメェにもヤらせてやっただろうが!!」

「解ってるよ!!だから提案したんだろうが!!お前死にたいのかよ!!」

 煩そうにその手を叩き落とす。

「お、おい…」

 平塚が何かに気付いて二人を呼ぶ。

「うるせぇぞ平塚ぁ!!」

「お前もカメラ回し終わったらヤってただろうがよ!!」

「違う…違うから落ち着け!!」

 平塚は先程いきなりこの家を包み込んだ『何か』を二人に伝えたかった。

 伝えたかったが、自分でも何だか解らない。

 更に、二人は興奮して聞く耳すら持っていない。

「うるせぇ!!黙ってろや!!」

「平塚!!お前だけ逃げようとか思ってんだろ!!あぁ!?」

 違う!!違う違う違う違う違う違う違う!!

 何かいきなり家の周りが別の空間になったような…

 例えば、喚いても叫んでも、近所に届かない程、遠くに置かれたような…

 そんな違和感が生じたのだ。


 ドン!


 不意に玄関ドアが叩かれ、三人は怯える。

「い、今ドアを…」

 恐る恐る発言しようとした栗田。だが、先に井川が否定した。

「ば、馬鹿…あれからまだ三時間足らずだぞ…警察も北嶋も、俺達の仕業とはまだ思ってないだろ…」

 だが、平塚は確信した。

 来た!北嶋が俺達を殺しにやって来た!!

 ガクガクと震え、失禁までする平塚。

「お、おい平塚…ビビり過ぎだろ…」

「そ、そうだぜ…何をそんなに…ひっ!?」


 ドンドンドンドンドンドンドンドン!!


 栗田の続く言葉を遮るように、玄関ドアが何度も叩かれる。

「ひいいい!!お、俺は無理やり仲間にされたんだ!!頼む!!許してくれ!!自首もする!!」

 遂には怯えて泣き出した平塚。

「な!?テメェ裏切るのか!!」

 井川が平塚の肩を掴もうとした瞬間、玄関ドアが破壊される音が聞こえた。

 そして二階に上がってくる二つの足音。

「全部!!全部井川の指示だ!!俺も脅されて無理やり…」

 栗田も失禁し、泣きながら首を左右に振った。

「て、テメェ等!?」

 流石に驚いた井川。

 その時、派手な破壊音と共に部屋のドアが蹴破られた。

「き、きききききき、北嶋あああああ!!?」

 最後に失禁した井川。そのまま後退った。

「…早く警察に通報しろ…俺がお前等を殺す前に到着するようになぁ!!」

 北嶋は一番近くにいた栗田の顔面を蹴り抜いた。


 ボキボキバキッ


「ごああああああ!!」

 顔下半分を押さえながら絶叫する栗田。鼻が折れ、頬が割れた。

「ひいいいい!!!」

 立ち上がって逃げようとした平塚に、躊躇無く腿に蹴りをぶち込む。


 バキャッ


「ぎぃやあああああ!!骨っ!!骨がっっあああ!!!」

 腿から折れた骨が肉を突き破り飛び出した。

 最後に井川に目を向ける北嶋。あからさまに脅えて、手を前に翳し、首を左右に振りながら言った。

「ち、ちょっと待て!!あ、謝る!!警察にも自首するからよ!!」

 そんな井川に、酷く冷たく、そして燃えるような殺気を込めて北嶋が言う。

「待て?謝る?お前は犯した女の言葉を聞いてやめた事あんのかよ?自首だ?勝手にすりゃいいさ。くたばった後にでもなぁ!!!」

 拳を振り下ろす北嶋。


 ボキボキゴキッ


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙~…アアアアアァァァァァァァァァァァァ………」

 叫び声さえ上げる事も出来ない井川。振り下ろした拳は鼻を砕き、そのまま下顎を破壊したのだ。

「少しは大人しくなったかよ?お前等がやって来た事だ。ぶん殴って大人しくさせて犯す。俺はただ、ぶん殴って破壊するだけだがなぁ!!!」

 井川の髪をむんずと掴み、立たせるように引き上げる北嶋。


 ブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチ


 髪の毛が頭皮ごと、ごっそり抜けた。

「ァァァァァァァァァァァァ!!」

 余りの痛みで頭を押さえる井川。その腕をむんずと掴み、一気に捻る。


 ゴキィィィッ


 右腕が曲がってはいけない方向に曲がった。

 ちょうどその時、栗田が床を這うようにして逃げ出そうとしていたのが目に入った。

「勝手に動くんじゃねぇよ!!」

 肋に蹴りを入れると、栗田の右側の肋骨が5本程折れた。

「ぎゃあああ!!!!べっっっ!!!」

 絶叫した栗田の後頭部を踏み抜き、床に顔を押し付けた。

「いちいち動くなって言ってんだよ!!」

 北嶋は栗田の背骨を踏み抜いた。

「ぎゃああああああああ!!!」

 激しい痛みで飛び起きようとした栗田だが、身体が動かなくなっていた。脊髄を損傷したらしい。

 続いて北嶋は平塚に目を向ける。

「お、俺は動いてない…ほ、ほら!!腿から骨飛び出てるし!!な!?」

「そりゃ感心だ。褒美に気を失うまでぶん殴ってやる。取り敢えずうるせぇから声出さないようにしてやるよ」

 そう言って平塚の顔を掴む。

「ち、ちちちちちょっと待ぶほぉぇぇ!!!」

 鳩尾に拳を叩き込むと、平塚は確かに息が出来なくなり、声が出せなくなった。


 乗り込んでから5分。

 三人は、身動き一つ取れない状態になっていた。 

 だが、北嶋は殴る事を全くやめようとはしない。


 ゴキッ!!バキッ!!バキッ!!バキッ!!ゴキッ!!ボキッ!!


 打撃音と肉体を破壊された音が続く。

 ボロボロになり、気を失っている井川に再び拳を振り上げる北嶋。その時クロが遮るように、北嶋と井川の間に飛び出す。

 一瞬、振り上げた拳が止まる。

 杉原は察知する。

 これ以上は殺してしまう。クロが身を挺して北嶋を止めたのだ、と。

「勇!!それ以上は駄目だ!!」

 振り上げて止まった腕にしがみ付く杉原。

「うおおおおおおっっっ!?」

 杉原にしがみ付かれたまま、井川に拳をぶち込んだ北嶋。杉原を腕に抱えたまま、その腕で拳を振るった事になる。

「なんつー馬鹿力だっっっ!!!」

 だが、杉原も怯んでいられない。親友が人殺しになってしまうからだ。

「勇っ!!勇っ!!これ以上は駄目だ!!やめろっ!!」

 身体の全体重を乗せて北嶋に飛び込み、押さえた。

「ぐううぅぅぅっっっ!!」

 だが、北嶋はそれを物ともせずに、拳を井川に当てた。

 その時、杉原の暴走族仲間が井川宅に到着した。

「洋介!来たぞ!!っっ!?北嶋!?」

 絶句する青木。

 見たことも無い程破壊された人間が三人も転がっていたからだ。

「青木!!みんなで勇を押さえろ!!誰か警察に電話だ!!」

「お、おう!!」

 仲間10人程で北嶋を押さえる。

「おおおおおおおおっっっ!!」

「マジかぁ!?止めらんねぇ!!」

 左腕にしがみついている青木を物ともせず、左拳を揮う。

「これ以上はっっっ!!」

 動かない井川の前に躍り出る杉原。

「あっ!?」

 杉原が目の前に出た事によって、覚醒した北嶋は左拳を止めようと踏ん張った。

「ぐあっ!!」

 深刻なダメージには繋がらなかったが、左拳を押し当てられた形となって吹っ飛んだ。

「洋介っ!!」

 駆け寄ろうとしたが、青木達が身体を押さえていたので思うように動けない事を、そこで初めて知った。

「青木?」

「北嶋!!落ち着いたか!?」

「ああ、お前等が踏ん張ってくれたおかげで洋介が無事だった…ありがとう…」

 脱力した北嶋を確認し、漸く青木達は北嶋から離れた。

「洋介、ワリィ!!」

「大丈夫だ。青木達が押さえたおかげで威力が無かったからな。それより勇、警察に電話したからな」

 北嶋の差し出した手を掴み、立ち上がりながら言った杉原。

「大人しく捕まるさ。糞共も強姦と殺人で捕まるだろ。その前に集中治療室か」

 笑いながら言い放つ北嶋。迷いを微塵も見せて無い表情だった。

「…すまん」

「謝るなって。それより青木、良く此処が解ったな?」

 いきなり振られて戸惑いながらも青木が話す。

「いや、何か不思議なんだが…此処に来る道中、全ての家の明かりが消えててさ。何つーか、人住んでる気配が無っつーか…おかしいと思いながら走ってたら、ここだけ明かりが点いててさ…」

 首を捻りながら不思議がる青木。

「ニヤーン」

 クロが北嶋の足元で鳴いた。

「そうそう!!ライトの明かりに猫らしい影が映っていたんだよ!!誘導するみたいに!!」

 青木が屈んででクロをジーッと見る。

 クロは後ろ脚でカリカリと耳を掻いていた。


 駆け付けた警察に素直に連行される北嶋。

 直ぐ後に救急車のサイレンが聞こえた。

「これは傷害を越えて殺人未遂だぞ!!」

 警察官が現場の惨劇に目を覆う。

「判決には全て従うよ。例え死刑だろうともな。俺はそれだけの事をやったんだからな」

 後悔は無い。

 気掛かりは、今まで育ててくれた祖父母の事。

 悲しむか?いや、良くやったと誉めるか?あのジッチャン、バッチャンだしなぁ…

 苦笑いする北嶋は夜空を仰ぐ。

「静ぁ…仇は取ったが、お前はこの結末は望んで無いんだろうなぁ…結局、俺の自己満足だしなぁ…だけど、俺は結構満足したぞ。お前も笑って許せ」

 杉原と青木達に見送られてパトカーに乗る。その前に、杉原達を見て笑いながら言った。

「楽しかったぜ!!ありがとな洋介、青木!!みんなによろしく言っといて!!」

 杉原の目にはうっすらと涙が溜まっていた。


 北嶋が井川達を破壊してから三日後、北嶋が入っている留置場の扉が開く。

「北嶋、出ろ」

 ヤレヤレと腰を上げる北嶋。

「また取り調べかよ?おんなじ事何度も何度も言わせやがって」

 ウンザリする北嶋。実際飽きて来ていた。

「釈放だ」

「ハイハイ釈放ね………え?釈放?何で?」

 耳を疑った北嶋。聞き間違いかと思い、小指で耳の穴をほじる。

「被害者が訴えないと決めたからな。示談だとさ」

「被害者って…まぁ、俺の被害者か」

 強姦と殺人の井川達も加害者なのだか、被害者って…

 釈然としない北嶋だが、更に釈放にはもっと釈然としなかった。

 警察署から出た北嶋を迎えたのは、北嶋の祖父母と、大野の父親。

「勇っ!!何で息の根を止めんかったんじゃこの馬鹿たれがっ!!」

 フライパンで頭を殴る銀子。

「いった!!バッチャン、そっちで怒るのかよ…」

「どーせ山一つ売ったんじゃ!!ぶっ殺してお前も臭い飯食えば良かったんじゃ!!」

「は?山売ったって?」

 全く以て意味が解らない北嶋。首を捻っていると、大野の父親が北嶋の肩を叩いた。

「大野のオッチャン?」

「勇、あんまり面倒起こすなよ?タダ働きする事になっただろ」

 口調は怒っているが、目が穏やかだった大野の父親。笑ってすらいたように見えた。

「タダ働きって?」

「井川達はな、強姦と殺人犯だ。強姦の証拠はご丁寧にビデオに全部収まっている。その被害者が訴えを起こす事になる」

 それは当たり前だ。だが、強姦された女性は、忘れたいが為に訴えを起こし難いと聞いた事がある。

「みんな、勇が井川達を殺す寸前まで追い込んだ事に多少なりとも感謝しているんだ。だから訴えを起こしたんだよ」

「それと俺の釈放が何の関係が…」

「俺が井川達の弁護を無償でやる事を条件に、勇の『暴行事件』には訴えを起こさない、と取引したんだよ」

「え?しかしオッチャン、強姦の被害者達は?」

 それならば結局は被害者が救われない事になるのでは?

 その疑問を祖父の猛が答えた。

「示談じゃ。勇にみんな感謝しとると言ったじゃろ?勇を助ける為に、示談に応じるんじゃ。だが、それには金が必要じゃ。犯罪者のガキ共にそんな金は無い。じゃからワシが山一つ売った金で支払うんじゃ」

 北嶋はそこで初めて膝がガクガク震えた。

「お、俺の為に、そんな事を………?」

 祖母の銀子が目に涙を溜めながら続けた。

「馬鹿ガキがっ!!お前のした事は決して誉められた事じゃないわ!!じゃがな、お前のした事で感謝しとる人もおるんじゃ!!」

 更に大野の父が追記する。

「それにだ勇、感謝しているのは強姦の被害者達だけじゃないぞ?」

 誰が感謝しているって言うんだ!?そう言いたかったが、口も聞けないくらい、震えた。

 大野の父親は更に笑う。

「滝沢医院の院長達だよ。つまり静ちゃんのご両親だ。取引にはな、滝沢医院が無料で治療する事も条件に含んでいるんだ。自分の娘を犯し、殺した奴等を、自分の病院で、タダで治療するんだ。それがどれ程の苦痛か、理解できるな?だが、滝沢先生はそれを自ら申し出たんだぞ」

 北嶋は初めて膝を付いた。

 静の死体を見た時ですら付かなかった膝を。

 勝手に暴走し、殺める寸前まで追い込んだ自分に、そこまで助けてくれた人の情、温かみ。

 猛は膝を付いた北嶋の頭をポンと叩く。

「やっちまったもんはしゃーないわ。まぁ、良くぞ殺さずに抑えた、勇」

 北嶋は顔を隠す事無く、涙を流した。

「ジッチャン、バッチャン、大野のオッチャン…俺の為に…っっっ!!ありがとうっっっ!!ありがとうっっっ!!」

「久しぶりに泣いたがな。幼稚園以来か?」

 おかしな感心をした銀子。

「ほれ、立て勇。先ずは家に帰ろうか」

 北嶋は涙を拭く事も無く、ただ頷くだけだった。


 大野の父親の車に乗った北嶋。

 今の気持ちでは、祖母の車と運転には耐えられないと判断したのだ。

「大野のオッチャン、悪いけどさ、滝沢のオッチャンの所に寄ってくれないかな」

「滝沢先生にも礼を言わんとな。解った。勇、お前ギャーギャー泣いていて目が赤いが平気なのか?」

 大野の父親が悪戯に笑う。

「泣いちまったモンは隠しても仕方ねーじゃん」

「はっはっは!!そりゃそうか!!泣くのは恥ずかしい事じゃないからな!!」

 車は北嶋の家と逆方向へ進んだ。

「滝沢医院は俺ん家の通り道じゃんか?」

「昨日新しく建てた方に引っ越したんだよ。国道沿いの方だな。元々移転準備はしていただろ」

 静があんな事になり、静の思い出が溢れる家に居るのが辛い、だから引っ越しを早めた、と言うのだ。

「そっか…静が死んだ場所も病院から近いからな…」

 そんな状態なのに、愛娘を汚し、殺した奴等を北嶋の為に治療をする。

 北嶋は再び目頭が熱くなり、硬く瞼を閉じた。

 新しく開業した滝沢医院は、以前と同じく、病院と隣接するように母屋が建てられている。

「滝沢先生は院長室に居るはずだ」

「大野のオッチャンは行かないのかよ?」

「また勇が泣くのを、あやすのは勘弁だからな」

 ハハハ、と笑う大野。

「ちぇっ」

 北嶋は一人、滝沢の父親に会いに病院に入って行く。

 大野が付き添わないのは、大野の優しさなのだ、と確信して。

 受付に名前と面会の旨を伝えると、すんなりと通してくれた。

 滝沢の方も北嶋が来る事が解っていたのだろう。

 北嶋が来たら、直ぐに通すように、との指示が出されていたのだ。

 案内されて、院長室のドアをノックする。

 ガチャリとドアが開き、滝沢が顔を覗かせる。

「滝沢のオッチャン…俺、俺さ……」

 滝沢は首を横に振り、北嶋を院長室に招き入れた。

 ソファーに座るよう促す。それに素直に従う。

 座ったのを確認すると、いきなり滝沢が床に膝を付いた。北嶋に土下座をしたのだ。

「ち、ちょっとオッチャン!!何すんだよ!?」

 慌てて立ち上がる北嶋。それを、右手を翳して制した。

「勇!!私は勇に礼を言わなければならない!!静の事で、勇がしてくれた事、医者として失格かもしれんが、本当に嬉しかった!!父として礼を言いたい!!ありがとう!!」

 此方が感謝する所を、逆に感謝されて戸惑う。

「オッチャン!!礼を言うのは俺の方だ!!だから頭を上げてくれ!!」

 だが滝沢は頭を上げずに続けた。

「犯人達を殺して欲しいと本気で願った私がいるんだ!!勇のその後の人生を考える事も無く!!私は医者失格どころか、人間まで失格する所だったんだ!!治療は私の償い、ただの自己満足だ!!勇、ありがとう!!そしてすまなかった!!」

 滝沢は声を上げて泣いた。

 感謝と謝罪を交互に言いながら。

 北嶋も泣きながら礼を言った。

 二人で暫く泣いた。


「…ふぅ、すまないな勇、取り乱したよ」

 涙で曇った眼鏡を白衣で拭く。

「いや、俺の方こそ…」

 北嶋も涙を袖で拭う。

「あ、お茶も出してなかったな、すまん」

「いーよ茶は…」

「泣いて喉が渇かないか?私は渇いたがね」

「そーいやそうかも」

 滝沢は笑いながら、湯飲みにお茶を煎れた。

 少し落ち着いた二人は、対面する形で話した。

「そういや勇、お前どんな殴り方したんだ?」

「いや、手加減なく思いっ切り…」

 呆れる滝沢。

「ゴリラが殴っても、ああはならんぞ」

 井川達の怪我は、それ程酷かった。

 顔面骨折は勿論、肋、両手両足、そして背骨の骨折。

 失明はしなかったが、著しい視力の低下。そして半分裂けた舌。鼓膜も破れていたようだ。だが、奇跡的にも内臓や脳にダメージは無かった。

「車椅子生活は確定だ」

「ぶっ殺すつもりだったから…」

 ボリボリと頭を掻いて答える。壊した事に後悔は無いが、後始末をしてくれた祖父や祖母、そして大野や滝沢への感謝を考えると、どうにも反応に困っていた。

「それに意外と回復が早くてな。それにも驚いたんだが、黒猫の影が奴等の病室に見えたんだ。クロがお前を守る為に、何かしたかもしれんぞ?」

「医者なのにオカルト信じるの?」

「奇跡が重なり過ぎているからな。あれほどの怪我なのに、内臓には一切のダメージも無い。回復が通常の倍以上…まぁ、多分偶然が重なっただけだろうが」

 まさか、と言った感じで頭を振る滝沢。

 北嶋も、それに合わせて笑った。


 滝沢医院から出た北嶋は、大野の待つ車に乗り込んだ。

「やっぱり泣いたか」

「やっぱり泣いたよ」

 滝沢の父親は、北嶋に感謝し、治療はするが、それは早く治して警察に引き渡す為でもある事を言っていた。

「静を殺した殺人犯は法で裁いてもらう。大野が弁護しても、罪の軽減は絶対に認めない」

とも言っていた。

「俺が取引したのは強姦の示談だけだ。静ちゃんを殺した件は俺は関知しないし、寧ろ滝沢先生の味方さ」

 それを聞いて安心する北嶋。

 自分の為に殺人罪の弁護まで請け負われたら、自分は自責の念で押し潰される。

 滝沢の父親も、静も悲しむ事になる。

「しかし、強姦の被害者達が、すんなり訴えを起こしてくれて助かったよ」

「え?もしかしたらオッチャンが訴えを起こすよう言ったの?」

 頷く大野。

「そしてお前を助ける取引するから、直ぐ示談に応じるようにも頼んだんだ」

「すげーなオッチャン…黒幕みたいだ…」

 感心する北嶋。

「黒幕か。はっはっは!!そりゃいい!!ほら、家に着いたぞ」

 気が付くと、そこは三日間留守にした自分の家の前だった。

 大野の父親に礼を言い、家に入る。

 部屋には鳴海達が談笑しながら北嶋の帰りを待っていた。

「あれ?お前等…」

「勇!!おかえり!!」

 鳴海達が北嶋をバシバシ叩きながら出迎える。だが、その全てをヒョイヒョイと躱す可愛気の無い北嶋。

「攻撃じゃねーよ!!」

「いや、つい…」

 いつもならば、その程度の手荒い歓迎的な物は素直に受けるのだが、今回はつい避けてしまった。

「まぁいいわ…勇、一週間の停学ね。おめでとう」

 向井が微笑みながら言うと、北嶋は目を丸くして訊ねた。

「停学?退学じゃなくて?」

 あれほどの事件を起こしたのだ。退学は確定だと思っていたのだ。

「署名運動したんだよ。朱美が頑張ったおかげで、全校生徒の9割が退学反対の署名してくれたんだ」

 大野が答えると、明石は仄かに微笑んだ。そして北嶋はそんな明石を驚いて見る。

「私には、それくらいしか出来ないからね。勿論みんなにも頑張って貰ったよ」

 力無く笑う明石。

 止められなかった自責の念を、署名運動でギリギリ堪えたに過ぎなかったのだ。

 それでも北嶋は素直にみんなに礼を言う。

 友人達も、良かったとは言わずに、ただ頷いた。その輪の中には、滝沢は居なかったが…

 それから北嶋は停学が明けるまで、ただジッと家に居た。

 自分はみんなのおかげで、この程度の罰で終われた。

 だが、殺された静や、その家族に対する想いで、自分はこの程度の罰でいいのか?との自問自答を繰り返す。

 考えて考えて考えて考えて考えて…

 答えが出る訳でも無いが、それでも考えて…

 そう過ごして行く最中、いつしか、時は停学明けの1日前となっていた。

「明日から学校か…それにしても、何かおかしいな…」

 静の事を考えていた北嶋は、当然葬式の事も頭に浮かんでいた。

 葬儀があるなら、祖父母や友人達から話がある筈だ。

 だが、その話が全く聞こえて来ない。

「バッチャン、静の葬式は?」

「ん~…滝沢の院長が身内だけでひっそりと行うと言っておったが、ん~…」

 祖母も首を捻って何か考えている。

「何か気になる事でもあるのか?」

「ん~…火葬場に勤めておる茶飲み仲間の息子が言うには、滝沢から火葬の届けが出ていないとか…まぁ、土葬もあるからのぉ…」

 祖母も、何か不穏な気配を感じていたが、無理矢理自分を納得させようとしていた。

 釈然としなかった北嶋は、祖父にも話を聞く。

「ジッチャン、静は土葬になるのか?」

「火葬じゃなきゃ土葬以外に無いじゃろうが、だがなぁ…」

 祖父も首を捻って難しい顔をしていた。

「滝沢のオッチャンから何か聞いたのか?」

「ん~…静の事もそうだが、流の事を案じておった。案じて…違うなぁ…『息子の悲しみは、自分が思っていたよりも遥かに深い』…何か許した、諦めたような感じじゃったなぁ…」

 許した…諦めた…

 流の何を許した?流は何かしたのか?

 だが、仮に滝沢が自殺未遂や自傷行為をすれば、仲間達から何かしらの情報が伝わってくる筈だ。

 現に滝沢を除く、北嶋の仲間達は、毎日北嶋の家に集まりに来る。

 それでも話題に出ないと言う事は、そんな類の話ではない筈。

「後で流ん家にでも連絡してみるか…」

 傷が深いであろう、滝沢に連絡をするのを躊躇ってはいたが、友人として滝沢の事は心配だ。

 夜に集まってくる仲間達と一緒に、滝沢の家に行ってみよう、と心に決めた。

 夜、滝沢の家に行く事を友人達に話した北嶋。

 滝沢は静が殺された日から登校をしていないと言う。

「静ちゃんがあんな事になったから、とても学校って気分じゃ無いと思うしな」

 鳴海の発言に黙って頷く。だが、向井だけは押し黙ったような感じだった。

 北嶋はそんな向井に訊ねた。

「樹里、何か聞いてないのか?」

 仮にも付き合っている向井だ。何らかの話は聞いているのでは?そう思ったのだ。

「…私が悪いのよ…」

「流が登校しないのが樹里の責任っつー意味?」

「…いや、確かにそれもあるけど…」

 それ以上口を開かない向井。

「そっとしておく方がいいなら、そうするけど…」

 杉原の提案に直ぐに乗る明石。

「そうだね…それが優しさなのかもね…」

 友人達は無理矢理納得するように頷いた。

「……何かお前等変だぞ?なんで表面上で取り繕うような感じなんだ?」

 北嶋の疑問に、誰一人として言葉を発しない。

 静が亡くなった悲しみ…では無い。

 別の何かが北嶋の友人達を支配しているような、そんな感じがしたのだ。

「何か解らないが、俺は行く。静に言わなきゃならない事があるからな」

 遺体は土葬になったのかもしれないが、家には仏間はあるだろう。

 北嶋は自分の『想い』を静に言わなければなかなかった。

 流の心情も解るし、押し掛けて申し訳無い気持ちもあるが、行かなければならない。

「…そうだな…ちゃんと謝らなきゃならないからな…俺も行くよ」

 大野に促された形になり、友人達は腰を上げた。向井以外は。

「樹里は行かないのか?」

 なら帰るまで待ってて、と続けようとした北嶋の出鼻を挫くよう、声を発する。

「静ちゃんはまだ『居る』…お墓じゃなく、新しい家でもなく、旧滝沢医院に…」

「旧滝沢医院?何故だ?」

 俯いたまま、微動だにしなかった向井は、漸く顔を上げた。

「行ったらみんな、流を嫌いになるかもしれない。私は自分のせいだと思っているから、まだ踏み留まれた。それでも行く?」

 顔を上げた向井の目から、一滴の涙が流れていた。

「何か解らんが、俺は行く」

「……本っ当に信じらんない…何で静ちゃんがあんな亡くなり方したのに、いつもの勇に戻っているの?悲しくないの?」

 非難するような瞳を向けられた北嶋。

「だから俺は行くんだ。俺は生きているからな。お前も俺に八つ当たりするくらいなら一緒に来いよ」

 向井は北嶋に確かに八つ当たりしていた。自責に押し潰されないよう、北嶋に八つ当たりしていたのだ。

 北嶋の家からは歩いて行ける距離にある旧滝沢医院。

 結局、向井は北嶋の後に続いた。

「勇…」

「ん?」

「ごめん…」

「気にすんな。悪役は慣れっこなのは知っているだろ」

 思えば、よく静に泣かれて、みんなに責められた。

 よく静に怒られて、みんなに責められた。

 そんな静はもう居ない。

 だが、自分はまだ生きている。

 向井の言う『まだ居る』と言う意味が良く解らないが、居るなら直接言えるから、そっちの方が良かった。

「樹里はみんなと違う事で、流に会いたくないみたいだけど…」

「みんな?俺はむしろ会いたいが…」

「勇はちょっと黙ってて!!」

 今度は明石に叱られる北嶋。

 シュンと項垂れるも、みんな、何か変なのは薄々感づいていたが、やはり流に会いたく無かったのか、と知った。

「…行けば解るよ…流も確実に居る筈だから…」

 そう言った向井は、夜だと言うのにハッキリと解る程、顔が青くなり、全身が微かに震えていた。

 旧滝沢医院に到着した北嶋達は、全く明かりが点いていない病院を、首を上げて眺めていた。

「やっぱり居ないんじゃ無い?」

「居るよ。地下三階に」

 地下三階には、確か霊安室があった。

 肝試しとか言って、霊安室に忍び込み、滝沢の父親に凄い叱られた事を思い出す。

「確かに開いているな」

 杉原が入口を押し、中に入る。

「うわああああ!!!何何何何何何!?何でこうなっちゃったのぉぉぉ!!?つい最近まで普通だったのにっっっ!!!?」

 突然、明石が蒼白になり、しゃがみ込んでガタガタと震え出した。

「ど、どうした朱美?」

 そう声を掛けた大野だったが、怯んで明石にも手を伸ばせない。それ程までに、明石の怯え方は尋常じゃなかった。

「いる…沢山いる!!何で!?何であんな僅かな間で、幽霊屋敷みたいになっちゃったの!?」

 明石が『視た』物は無数の霊。

 ある者は首吊りした幽霊、ある者は事故死した幽霊、ある者は病気で無くなった幽霊。

 その全てが、生前に無念で亡くなった人達の幽霊だったのだ。

「ち、ちょっと待てよ…確かに真っ暗で気味悪いけどよ…」

 杉原の言う通り、夜だと言う事を差し引いても、病院内は漆黒の闇に包まれていた。

 加えて背筋から感じる冷たさ…全員の足が院内に入る事を拒むのに、充分の理由だった。

「もう!!もうやめて流ぇぇぇ!!」

 向井が叫びながらへたり込む。

「やべえ!!何かやべえ!!」

 どうすればいいのか解らない大野は、ただウロウロしていた。

「ふぅ、お前等ここで待ってろよ。動けないみたいだしな」

 北嶋は頭をボリボリ掻きながら院内に平然と入って行く。

「勇!!駄目よっ!!憑かれちゃう!!取り殺されちゃう!!」

 明石が叫ぶ。院内に入り乱れている幽霊は、入って来る北嶋を憎悪を以て睨み付けていた。

「ってもなぁ…別に俺には何にも感じないしなぁ…」

 そう言いながら全く怯む事無く、突き進んで行く北嶋。

「駄目だって!!戻って勇!!」

 明石が叫んだその時、チリン…と、鈴の音が聞こえたかと思うと、いつの間にか、クロが院内に入って北嶋の後を追っていた。

「あ…あれ…?」

「ど、どうした朱美?」

「い、今なら入れる…かもしれない…」

 恐る恐るクロの後に続く明石。

 院内に居る幽霊達は、小さな黒猫に怯えるが如く、その周りから離れて恨めしそうに、ただ見ているだけだった。

 唯一『視える』明石が入った事もあり、残った鳴海達もおっかなびっくりではあるが、明石の後に続く。

「確かにさっきよりは寒さを感じないような…」

 杉原の言葉に頷く向井。

「何か解らないけど、クロがいる事で幽霊達も手が出せなくなったんだわ…」

 とは言え、此方を見ている事には変わらないようで、薄気味悪い視線を浴びている感覚は拭えなかったが。

「お、おい、もっとクロに近付いて行こうぜ…」

 鳴海が言うまでも無く、クロを囲むようにして歩く。

 唯一北嶋だけは、先頭を全く何のストレスも無く、ズンズン進んで行くが。

「ま、待って勇…一人は危険だってば…」

 明石は勇気を振り絞って、先頭の北嶋に追い付き、その腕に自分の身体をギュッと絡み付ける。

「怖いなら来なくてもいいのに」

「こ、怖いわよ…だってみんなこっちを見てるのよ……」

 クロが居る『安心感』を得たとは言え、幽霊達は北嶋達から目を離そうとはしていない。


 シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ…

 カエレカエレカエレカエレカエレカエレカエレカエレカエレカエレカエレ…

 コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス…


 そう、邪念をぶつけている。

 地下一階を通り過ぎ、地下二階も通り過ぎ、遂には地下三階に辿り着いた北嶋達は、霊安室の扉の前に立った。

 扉に手を掛けた北嶋に向井が釘を刺す。

「一応、言っておく…静ちゃんは『居る』。朱美にだけしか視えない訳じゃない、私達にもハッキリ見える姿で…それだけでも、嫌悪感は抱く筈。だけど、この扉の向こうは、そんな程度の話じゃない。心の準備だけはしておいて…」

 北嶋だけに忠告した訳じゃない、ここに居るみんなに発した忠告だった。

 そして自分を奮い立たせる為でもあった。

 あの、おぞましい行為を、再び見る事への覚悟の為の。

「静が居るんだろ?流も居るんだ。じゃあ俺は開けるだけだ」

 北嶋は一気に扉を開く。

 スッと、何かの薬品の臭いが漏れた。

「いいいい居た!!居た居た居た居た!!静ちゃん居た!!」

 ワナワナと空に指を差した明石。

 明石が視たのは、悲しみと怒りが入り混じった表情の静。それは間違い無く、この世の者ではない。

 だが、他の者が見ている静は、全く別の物だった。

「静?流…こりゃ一体どういう事だ…?」

 北嶋達が見ている物は、霊安室のベッドに寝かされた全裸の静の遺体。

 それに寄り添うように、慈しむよう、頭を撫でている滝沢。

 そして滝沢がゆっくりと北嶋を見る。

「勇…何しに来たんだ…?静と俺の時間を邪魔しに来たのか…?」

 虚ろな目を北嶋に向けながら、滝沢は微かに笑っていた。

「邪魔?何の邪魔かは解らないが…お前静の死体をどうしたんだ…?」

 北嶋の問いに、ただ笑っている滝沢。答えるのも面倒だと言わんばかりに。

「…遺体が警察から帰って来てからは…ただ純粋に静ちゃんの身体を綺麗にしていたのよ…」

 代わりに答えた向井。

 深い悲しみの中、エンジェルケアを施していた流は、静の遺体が柔らかい事に気が付いた。

 死後硬直が解けた身体は、微かだが生前の静を思い出させた。

 だが、死んだ静は此処には居ない。今にでも生き返りそうな身体は此処にあるのに。

 絶望の中、流は思い出す。

 それは向井から借りた本、その中に『反魂の術』が記述されている物があった事を。

 縋り付く思いで、それを実行した滝沢だが、文庫本に記してある程度の記述で反魂は叶わなかった。

 だが、これは静を取り戻せる、たった一つの方法。

 滝沢は父や母を目を盗んで、旧滝沢医院に遺体を運んだ。

 勿論、それは直ぐに父や母に知れる事になり、叱られ、殴られた。

 だが、滝沢は静の遺体を在るべき所に還そうとは全く思わずに、父や母をも暴力で迎え撃った。

 遂には霊安室に施錠し、父や母の言葉も聞かなくなった。

 暫く説得をしたのだが、娘を亡くしたばかりの父や母は、このまま籠城を決め込めば、息子も無くしてしまうと言う恐怖から、愚かにも『許して』しまった。

 許された滝沢は、静の遺体が反魂前に腐敗する事を恐れた。

 そこで再び向井から借りた本を思い出す。

 世界一美しい死体の記述がそれだ。

 それは死後100年以上経過しても、まるで生前のように、ただ眠っているように見える遺体。ミイラ。

 100年以上前に、剥製職人が施した防腐処理。現在の技術ならば、より完璧な『身体』を保つ事が出来る。

 滝沢は僅かな雑菌も取り除くべく、静の身体を洗浄する。

 口の中も胃の中も、大腸の排泄物も、洗浄したのだ。

 そして当然膣内も…


 滝沢は狂ったのかもしれない。


 妹の…


 それも死体となった身体と…


 一つになってしまったのだ………


 向井が嗚咽し、へたり込んだ。

「私が!!私がおかしな本を貸したばかりに!!!」

 向井の様子を気にする余裕も無い鳴海達。

 死体と一つになった。その意味が良く理解できるからだ。

「流…その、静ちゃんの腹に付いている…白い液は…」

 震える指を静に向ける杉原。

「はははは…男なら知っているだろう?まだ妊娠させられないから、外に出しただけさ」

 妊娠なんてする筈も無い身体を………辱めた………

「その…床に描いている、変な魔法陣が……」

 大野も、やはり震える指で床を差した。

「反魂の術さ。まぁ、俺はまだ素人だから、失敗ばかりだがな…静は俺が絶対に取り戻すんだ!!」

 反魂で呼ばれた形で亡者が溢れ出た旧滝沢医院。

 素人がただ、こっくりさんを大掛かりにして霊を呼び出しているに過ぎなかった。

「この変な臭いは、防腐処理の薬…かよ…」

 鳴海も震えながら、床に散らばっていた薬剤の瓶に指を差した。

「ああ!!静が返って来て身体が腐っていたら可哀想だろ?帰って来たら、俺と静の挙式に呼んでやるよ!!ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハぐあっ!!!」

 気持ち良く笑っている滝沢の頬が痛み、床に尻を付いた。

「…流……!!」

 北嶋が殴ったのだ。それは辛そうな表情を拵えて。

「勇、静はお前にやらない!!お前は静を守れなかった!!お前は静を裏切ったんだ!!」

 虚ろな瞳から一転、怒りに満ちた瞳を北嶋に向ける滝沢。

 口を切って流れた血を腕で拭いながら北嶋を睨み付けた。

「流っっっ!!静ちゃん泣いているよっ!凄い泣いているっ!生きていたら発狂しているくらい、凄い泣いて苦しんでいるよ!!!」

 明石に視える静は、さながら血の涙を流しているよう、絶叫し泣いていた。

「静は死んだんだぞ…お前がやってんのは自慰だ…井川達と何ら変わらない、単なる一人よがりだ…」

「格好付けんなよ勇!!知ってんだぞ俺は!!お前は静を一人の女として見ていない、妹として見ているって事をな!!だが俺は違う!!静を愛している!!俺が静を生き返らせる!!俺が静を守るんだ!!」

 立ち上がる滝沢。北嶋の胸倉を掴む。

「お前はその気になりゃ、女なんか楽勝で蹂躙できるだろ!!静は諦めろ!!俺に静をくれ!!頼むからっっっ!!!」

 遂には嗚咽する滝沢。北嶋を掴みながら膝を付く。

「静を…俺にくれ……頼む…っっ……それが嫌なら、俺も井川達と同じように壊してくれよ勇………っく…勇っっっ………」

 大粒の涙が床に落ちる。

 北嶋は、ただそれを見ていた。

 友人達は『もうやめろ』としか言えない状態。

 だが、北嶋が此処に来たのは話があるからだ。

 よって北嶋にはやめろとは言えない。

 更には言う資格が無い言葉をハッキリと口にした。

「静、俺は生きている。俺を生かしてくれるよう動いてくれた、ジッチャン、バッチャンや大野と滝沢のオッチャンに報いる為にも、俺は前に進まなければならない。じゃあな」

 滝沢の両肩を両手でパンパンと叩き、更に続けた。

「流、人形遊びは楽しいか?飽きたらやめたらいい。お前の選んだ道、好きにすりゃいい。俺は俺になる為に、俺の道を行く。終わったら連絡くれ。ただそれだけでいい」

 ガバッと顔を上げ、北嶋を見る滝沢。

「見捨てる…のか……俺を……静を!!」

 滝沢が知っている北嶋は、殴っても蹴っても、自分が行った行為を咎め、無理やりにでも静と引き離す男だった筈。行き過ぎる程の正義感を持っていた筈だ。

 それが突き放すだけとは。

 首を横に振る北嶋。

「俺は想いを言いに来た。静は妹としてしか見てなかった、と。勿論、約束通り成長すれば、俺の隣には静が居た筈だが、静は死んでしまった。だから妹以上にはなれない。それはお前の行為や、静の苦しみとは別の話だ」

 それだけ言うと、北嶋は踵を返して霊安室の扉へと向かった。

「勇!!酷過ぎるよ!!人形遊びって何よっ!!」

 震えていた脚を踏ん張りながら、北嶋に詰め寄った向井。

「静ちゃん苦しんでいるよ!!泣いているんだよ!!それを突き放すなんて!!」

 明石も泣きじゃくりながら北嶋に詰め寄った。

「俺のケジメは終わった。俺の言葉で静が傷付いたとしても、許して貰おうとは思わない。静は死んだ。俺は生きている。その事実が全てだ」

 カッとなる明石。

「それは勇だけの話でしょ!!静ちゃんを救えるのは勇だけなんだよ!!」

 後ろで聞きながら霊安室の扉を開けて答える。

「救えるのは、流だけだ。それを許す事が出来るのは静だけ。流を救えるのは、自分だけ。罪を許して貰おうと思ってんなら、許してくれる権利がある奴と直接話をしてくれ」

「だから静ちゃんは亡くなったんだってば!!当事者に罪を許して貰う事はできない状況なんだよ!!だから代わりに……」

 そこまで行ってハッとなる向井。

 北嶋は決別を決めた。

 それは今の話じゃない、恐らく仇を討って、釈放されて間もなくだ。

 助けられた自分が前に進む為に、決別を決めた。

 決別した北嶋には、静の代わりに滝沢を許す事はできない。

 綺麗事や、一般常識で、やめろと簡単に口にできない。

 北嶋の『覚悟』が、どれ程重いのかは、長年の付き合いでよく解る。

 寂しそうに笑う北嶋。

「…だから俺は口出しできないんだ…ワリイな静、流…」

 怒り、悲しみ、罪悪感…

 負の感情しか存在しない霊安室を、北嶋は振り返る事無く、後にした………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る