北嶋勇18歳

 稲が黄金色に輝き、頭を垂れている。

 その稲の全てに、赤とんぼが傷付いた羽根を羽ばたかせながら、最後の時まで飛ぼうと頑張っていた。

「もう秋かぁ。早ぇなぁ」

 北嶋は毎年見るその光景で、秋を感じていた。

 だが、この年の秋は違う。

 高校時代最後の秋。つまり、街の大学に進学する自分としては、最後の地元の秋なのだ。

 親友の鳴海と杉原は、それぞれ自分の親が経営する商店街の店で働く事が決定していた。

 給料も小遣い程度しか貰えないが、それはそれで仕方ない。

「俺は肉が好きだから天職だぜ!」

 鳴海は、高校生にしては、中年の威厳さえ漂う腹をパンパン叩きながら笑っていた。

「散々悪さしてきたからよー。親孝行だ」

 暴走族で補導歴もある杉原は、卒業を境にヤンチャも卒業、真面目に生きる事を密かに誓っていた。

「俺は弁護士になるから進学するけど、いずれここに戻って来るよ」

 親が地元で弁護士事務所を開業している大野は、都会の大学に進学する。跡を継ぐ為に 資格を得たら、地元に戻る事になっている。

「私は都会に行って美容師やるのー!そんで、都会に相応しいお洒落さんになるんだー!」

 地元を田舎田舎と嫌がっていた明石は、都会に行って都会に生きる道を選んだ。

 だが、本当は別の理由で都会行きを決意したらしい。

「あーあ、勇と同じ大学かぁ…結局腐れ縁なんだよねー」

 鞄を枕に空を仰ぐ向井。北嶋と同じ大学に進学する事になった。

 この大学は、地元から通える事は勿論、それ程学力を必要としない大学。

 向井は取り敢えず大学進学を決めただけに過ぎない。

「腐れ縁ってよー。俺は普通に仕事したかったが、ジッチャンがよー」

 祖父や祖母に促されて大学進学を決めた北嶋。

 曰わく『これからは学歴社会だから、大学と名が付いている所へ、取り敢えず進学せぇ』らしい。

 祖父も祖母も、大学進学の意味が良く解っていないようで、『取り敢えず』なのだ。

「ははは!爺ちゃん婆ちゃんらしいじゃないか!」

 北嶋は笑う滝沢をじろりと睨む。

「お前は病院継ぐ為に進学だろが。俺と同じじゃねーかよ」

「同じじゃねーよ。医学部だ俺は」

 滝沢はもう少しだけ街の大学に通う。実家から一番近い医学部に進学する事にしたのだ。

 その理由は…

「兄ちゃん、またこんな所で黄昏たそがれて!」

 キッと自転車のブレーキ音と共に、叫ぶ声のする方を振り向く北嶋達。

 そこには肩まで掛かった、多少癖っ毛の中学生の女の子が、笑いながら此方を見ていた。

「こんな所で悪かったな。俺ん家の田んぼだガキ」

 ムスッとして女の子から視線を外す北嶋。

「そうだぞ静。ここは勇ん家の田んぼだ。お前が毎日食っているご飯は、勇ん家から仕入れた米なんだぞ!」

 口調は怒っているが、表情は笑っている滝沢。

 静…

 滝沢 静。

 なるべく地元から近い医学部を選んだのは、妹の静が心配だったからに他ならない。

「知ってるって兄ちゃん!勇ぅ~三日振りだね~?静ちゃんに会えなくて寂しかったっしょ!」

 静はクシシと笑いながら、全く遠慮せずに、北嶋に身体をダイブさせるが如く飛び込んだ。

「ぐわっ!ガキ!ピンピンしているじゃねーかよ!本当に昨日まで風邪で寝込んでいたのかよ!」

 上手く抱き止めながら悪態を付く北嶋。

 滝沢 静は生まれ付き身体が弱く、よく体調を崩す。

 兄の流が心配なのは、その身体の弱さなのだ。


 と、思っていた。


 北嶋も鳴海も明石も、そして滝沢、本人でさえも。

「ってかガキ、この前も言っただろう?もっとパユンパユンになったら飛び込んで来い、とな」

 北嶋は両手で自分の胸を持ち上げる仕種をする。

「パユンパユンまであと少しじゃん!前借り前借りっ!」

「どこがもう少しだ。少年のようなおっぱいの分際で」

 静は中学三年生だが、その身体は小さい。

 よく一年生、もしくは小学生の高学年に間違えられる。

「ぶー!誰が少年よっ!」

 頬を膨らませる静。

「まぁこれからだろ。勇もあんまり追い込むなよ。静ちゃん、俺の胸ならウェルカムだぜ!」

 静はプイッと鳴海から顔を背ける。

「信夫君はロリコンじゃん。だからイヤー!肉布団は気持ち良さそうだけど」

「ロリコンって、濡れ衣だ!誰が言ってたんだ!」

 だが肉布団は気持ち良さそうと言われ、満更でも無い様子。口元がだらしなく吊り上っているのだから。

「洋介君と雅之っちゃん」

「お前等ぁああ!!!」

「だってお前、その類のエロビばっか持ってんじゃねーかよ」

「そうそう。だから静ちゃんが危ない目に遭う前にだな」

 静が北嶋に抱き付き、俺にも抱き付けと言う鳴海、それを悪い噂で粉砕する杉原と大野。

 それを見ながら笑う滝沢と明石と向井。

 それは、特に珍しくもない、よくある日常。

 それは、みんなが永遠に続く事だろうと思っていた日常だった。

「っと、もう夕方だな。そろそろ帰ろうか?」

 全員が滝沢に促されて腰を上げる。

「勇ー!か弱い静ちゃんを送ってー!」

「兄貴と帰れ」

 北嶋はシッシッと手の甲で追い払う仕種をする。

「ぶー!未来の彼女に酷い仕打ちだー!」

「パユンパユンになったら考えてやるっつったろ!!流、早く連れて行け!!」

「ははは、そんなに邪険にする事もないだろ。静、行くぞ」

 ぶーぶー文句を言う静。乗ってきた自転車に跨り、北嶋達を見る。

「みんなー!また明日ねー!」

 夕日を背にした形の静が笑う。

 眩しくてよく見えないが、それは紛れもなく笑顔だった。

 みんな静に手を振る。

「勇ー!明日ねー!」

「解った解った。イナゴやるから早く帰れ」

 北嶋は田んぼからイナゴを掴み取る。

「要らない要らないっっ!じゃねっ!」

 慌てて自転車を走らせる静。笑いながら滝沢が後に続く。

「帰っちゃったかぁ。勇も邪険にしないで、送ってやればいいじゃん」

 言ってみる向井だが、北嶋が断った理由をちゃんと知っていた。

「静は身体弱いからな。早く帰して休ませないと。俺が送ったらテンション上がってハシャぎ過ぎるんだよあのガキは」

 ヤレヤレと言った感じで伸びをする北嶋。心配そうに、小さくなる静を見ていた。

「勇、ちょっと…」

 帰ろうとした北嶋を明石呼び止める。

「青春だねぇ。仕方ない、気を利かせて先に帰るか」

 大野の一言で火が点いたように顔が赤くなる明石。

「ちくしょう!!なんで勇ばっかり…」

「お前はデブだからだろ。二人で風俗行くか?」

「待て待て待て待て!!俺も俺も!!」

「男って…じゃね朱美、先帰るから」

 明石にウィンクしながら自転車に跨る向井。明石は真っ赤になりながらウンウン頷く。

 やがてみんなの姿が見えなくなった頃、明石が言い難そうに口を開いた。

「勇、あの、あのね…」

 モジモジと恥ずかしそうな明石。これは北嶋のツボだ。

 これを見せられた日にゃ、北嶋は抱き締めたくなる衝動に駆られてしまうのだ。

 北嶋は広げようとした両腕を、超理性を働かせて封じ込める。

「…くはぁ!!ゼェ、ゼェ、ゼェ、ゼェ………な、何だ?」

 肩で息を切らす北嶋に対して、明石は諦めた表情になって言った。

「はぁ、別に無理しなくていいんだけどなぁ」

「む、無理なんかしてないぞ…ゼェ、ゼェ、ゼェ……」

「明らかに無理してんじゃん」

 北嶋からフッと視線を外し、明石は続ける。

「何時まで待つの?」

「あん?」

 明石はグッと胸を張り、北嶋に向ける。

「私は結構パユンパユンだと思うけど、静ちゃんの成長を何時まで待つの?」

 それは挑発。

 北嶋が望めば触れる所にパユンパユンを向ける。

 無論、北嶋のツボの恥じらいを見せながら。

「何時までって…そりゃパユンパユンになるまでだろうが」

「勇までロリコンって訳でもないでしょ?私は、何時でも、今直ぐにでも」

 北嶋は思春期の奥義、『脳内で九九の暗唱』を出す。

 そうしなければ、滾る思春期が暴走し、覚醒してしまうからだ。

 前屈みになりつつある北嶋は、それでも言い放った。

「静の方が先に約束したからな。朱美のパユンパユンは超捨てがたいが、俺は北嶋!約束を忘れる事はあっても違える事は無い!」

 格好付けている北嶋だが、前屈みなのが悲しく虚しい。

「はぁ、また振られたかぁ…これでもう6回目だよ~」

 明石は『胸を突き出す』技を解除し、肩を落とした。

「フッ、惜しかったな朱美。だが、いくらパユンパユンを駆使しようが、この北嶋の鋼の決意は揺るがないぜ!!」

「一応前屈みなのは、私に反応した訳よね…勇がロリコンじゃないのが唯一救われた所かもね」

 クルンと北嶋に背を向ける明石。

「もう諦めた。ってか諦めていたから、都会に行く事にしたって言うか…まっ、静ちゃんのパユンパユンは気長に待て勇っ!」

「あーくそっ!!お前が静の前に告ってきていたらなぁ!!」

 北嶋は本当に悔しそうに前屈みを解除せず眉根を寄せる。

「本当律儀よねー。だから勇か。さっ、一緒に帰ろ?晩ご飯くらいおごってよね!!」

「お前が呼び止めて遅くなったっつーのに、俺が晩飯おごるのかよ…」

 釈然としないながらも、北嶋は前屈みになりながら歩く。

 途中明石に「いい加減鎮めなさいよ!恥ずかしいじゃん!」と、散々言われたが、思春期真っ只中の北嶋は、そうそう鎮められる訳が無かった。


 晩ご飯が終わり、部屋で寛いでいる滝沢。

 ドアをノックする音に反応し、ドアを開ける。

「静か。どうした?」

 静は黙って紙袋を流に差し出した。

「これ、明日勇に渡して?」

 どれどれと紙袋の中を覗き込む。

「少女漫画か?」

「うん!!取り敢えず16冊!!」

 身体の弱い静は、病床に伏せた時に少女漫画で暇を潰す。因みに愛読書はりぼんだ。

 大量にある少女漫画が飽きたら、北嶋に(無理やり)貸し、強引に感想を求める。

「勇も災難だなぁ…」

 ポムポムと静の頭を叩く滝沢。

「あ、例によって返さなくていいって言っておいて。邪魔だから」

「お前はゴミを押し付けてんのか?」

 プッと笑い、静をキュッと抱き締める滝沢。

「…ねぇ、兄ちゃん」

「ん?」

「もう少しで文化祭だよね?静も遊びに行っていい?」

 滝沢の胸にぎゅっと顔を埋める静。おねだりやお願いに、よく使う甘え方だった。

「勿論、ウチのクラスは喫茶店なんだ。ご馳走するよ」

「本当?やった!」

 静は目を輝かせながら滝沢を見る。

 滝沢は笑いながら頷く。

 だが滝沢は知っていた。

 その笑顔は兄である自分に感謝で向けられた訳じゃない。

 北嶋が喫茶店で働く姿を見れる喜びの笑顔だと言う事を。


「ほらよ」

 机で爆睡している北嶋に紙袋を渡す滝沢。

「ん~…何だよ?俺は寝てんだぞ…」

 不機嫌そうに紙袋を覗く北嶋。

「…静か」

 ガクッとし、机に額を付けて紙袋を退かす。

「例によって返さなくていいそうだ」

「お前の妹は俺にゴミ送り付けて遊んでんのか?」

 ニヤニヤする滝沢。

「感想教えろとさ。また忘れたりしたら…」

「問答無用でボディにパンチかよ…」

 ウンザリしながら腹をさする北嶋。

 静の要望に応えないと、北嶋は静に腹にパンチを喰らう。

「ガキの相手は面倒いんだよ!ちゃんと教育しろシスコン!」

「でも何故静のパンチをまともに喰らうんだお前?どんな相手と喧嘩しても、一切攻撃喰らわないじゃないか?」

「ガキだから油断してんだよ!!俺が本気になりゃ、静もあいつ等みたいにツラをパンダにしてやるよ!!」

 精一杯大人気ない虚勢を張り、鳴海達を指差す。

「…信夫と洋介、珍しく雅之まで見事にパンダになっているな…お前殴った?」

 北嶋の指差す方向には、鳴海達が顔を殴られた痕を作ってムスッとしていた。

「俺じゃねーよ。あいつ等、昨日街に出て風俗店行ったんだと」

「風俗?あいつ等も好きだなぁ」

 滝沢は学校一の美形で、かなりモテる。故に異性には不自由は無い。だから風俗に行くと言う概念がない。

 不自由は無いとは言え、まだ女を知らないのだが。

「その風俗店で体育の山岸とバッタリ出くわしたらしいよ!で、パンダにされたって訳!」

 愉快そうにケラケラ笑いながら話に加わる向井。

「体育教諭と風俗店でかち合うとは…不幸過ぎて哀れみすら覚えるな…ん?勇は行かなかったのかよ?」

 滝沢の眼光が鋭くなる。

「朱美と一緒だったからな。流石に女連れで風俗はなぁ」

 くあーと欠伸をしながら答える。

「朱美と一緒?」

 心無しか喜び弾んだ声になる滝沢。

「晩飯だけだ晩飯だけ。いらん勘ぐりすんな」

「な、何だ、飯食っただけか…」

 一転、ガッカリして肩を落とす。

「一瞬、可愛い妹が自分に戻ってくると思ったかい?お兄ちゃん!!」

「シスコン…ガチドン引くわ…」

「何を言っている…そんな訳無いだろ」

 慌てて否定する滝沢だが、図星を付かれて心臓が痛くなる感覚を覚えた。

「そ、それはそうと、文化祭さ、静が来たいって言ったからさ!!」

 話を変えようとしたが、結果妹の話となり、墓穴を掘ったとたじろいだ滝沢。

「あー。まぁ、あんま興奮させなきゃいいんじゃねーの?」

「そうそう、静ちゃん身体弱いからね。ウチ等がちゃんと面倒見るから大丈夫だよ」

 シスコンと騒がれずにホッと胸を撫で下ろす。

「そうか、悪いな」

「静ちゃんはウチ等の妹みたいなモンだからさ」

 笑いながら言った向井。

 そうなのだ。

 静は北嶋達の妹分。みんな静が可愛くて仕方が無い。明石でさえも、純粋にそう思っている。

「そんな、みんなの妹を独り占めできるなんて、勇ムカつくわ~」

「パユンパユンになったら考慮するっつってんだろ!!信夫と違って俺はノーマルなんだよ!!」

「信夫ってマジでロリコン?」

「奴の部屋には幼女を想像させるAVが沢山…」

「うわっ!!キモッ!!あの腹でロリコン!!生理的に無理っ!!」

 いつの間にか鳴海のロリコン話で盛り上がる北嶋達。

 静の話題から逸れて、安堵している滝沢がいた。


「ただいまぁ」

 文化祭の準備で、この所遅い帰宅になっている滝沢。

 滝沢だけではないが、仮にも受験生、正直言って、準備に時間は割きたくないが、仕方ない。

 自分も含め、塾通いの受験生は、それでも早く上がらせて貰っている。

 それだけでも良しと、自分に言い聞かせる。

「おかえりー兄ちゃん!」

 パジャマを着て、多少濡れた髪のまま、静は玄関で出迎える。

 フッと漂うシャンプーの香りが滝沢の鼻孔を擽った。

「風呂上がりなら、ちゃんと髪乾かさなきゃ」

 静の首に掛かっていたタオルで、頭をガシガシと擦る。

「今ちょうど上がったばかりー!兄ちゃん、勇は漫画読んでた?」

 ニコニコしながら滝沢を見上げる静。

「ゴミ増えたとか言いながら読んでいたよ。授業中に」

「ゴミじゃないもん!!」

 ぶぅ、と頬を膨らませる。自分の趣味をゴミ扱いされて、ご不満なようだ。

「おかげでやたらと少女漫画に詳しくなったとボヤいていたぞ」

 膨らませた頬を手のひらでキュッと押さえ、顔を近付けて笑う滝沢。静の膨らんだ頬が萎んで行った。

「さぁて、腹減ったなぁ。晩飯なんだろ?」

 静のタオルを持ち、家の中に漸く入る滝沢。

「あのね、あのね!静コロッケ作ったんだよ!」

「へぇ?凄いな」

 静の頭を撫でると、顔をクシャクシャにして照れ笑いする。

「あ、ねぇねぇ!勇ご飯食べたかな?」

 ドキンと胸が刺されたように痛んだ。

 何故かは解らない。解らないが、痛んだ。

「さ、さぁな、帰りは別々だったからな」

 まだ胸が痛む。

 何故だ?

 何故?

「じゃあ電話して聞こうかなぁ」

 ドキン

 再び同じ痛みを感じた。

「な、何の用事で?」

 ドック、ドックと心臓の鼓動が高鳴る。

「まだだったらコロッケ食べにおいで~って言うの」

 クシシ笑う静。

「勇は朱美と晩飯食いに行ったんだよ!!」

 何故か大声で怒鳴った。

 確かに昨日、北嶋は明石と夕食を一緒にした。それは確かだが、今日じゃない。

 叫んだ自分が解らなくなり、押し黙る滝沢。

「朱美ちゃんと晩御飯かぁ。仕方無い、兄ちゃん、全部食べてもいいよ」

 屈託の無い笑顔を向けられながら言われた滝沢は、再び大声で怒鳴ってしまう。

「仕方無いとは何だ!!俺を何だと思っているんだ!!」

 カッとなり、怒鳴った滝沢だが、何故こんなに苛立つのか自分でも解らない。

 解らないまま、肩で息をする程興奮している自分が居る。

「ご、ごめん兄ちゃん…」

 静はしょんぼりと項垂れた。

「…コロッケは明日勇に持って行けばいい。兄ちゃんは適当に何か食べるから」

 ドスドスと二階にある自分の部屋に歩く。そして、バン!と乱暴にドアを閉じた。

「…何やってんだ俺?」

 ドアを背に、滑りながら床に座り込んだ滝沢。

 頭の中で、向井の台詞が蘇る。

『一瞬、可愛い妹が自分に戻ってくると思ったかい?お兄ちゃん!!』

 俺は一体…?

 頭を抱えながら自問自答する。

『可愛い妹が自分に戻ってくると思ったかい?』

 向井の台詞がぐるぐると頭を駆け回る。


 可愛い妹が自分に戻ってくると思ったかい?

 可愛い妹が自分に戻ってくると思ったかい?

 可愛い妹が自分に戻ってくると思ったかい?

 可愛い妹が自分に戻ってくると思ったかい?


 お兄ちゃん!!


 俺は…兄貴な筈…

 滝沢は、明かりも点けずに、まだ頭を抱えて座り込んだままだった…


「秋の夜は冷えるなぁ…」

 愛猫、クロを抱きながら、夜道を歩く北嶋。

 寝ようと思った矢先、唐突に思った。

 コーラ飲みたい。

 故に北嶋は自動販売機まで歩く。

 寒いからと暖を取る為、猫を抱きながら。

「クロ、お前はファンタがいいか?」

 自動販売機でコーラを買った北嶋は、暖の労を労う為にファンタを買ってやろうとしていた。

「ニャ?」

 ファンタですか?と言わんばかりの表情のクロ。

 北嶋は猫にも普通にファンタやコーラを買い与える。

 もっとも、クロは舐める事すらしないのだが。

「ファンタ嫌なのか?じゃあサイダーとか?」

「ニャン!ニャゴニャゴ!!」

 ファンタやサイダーじゃなく鰹節を下さいよ、とアピールし、前脚をクルクル回すクロ。

「よし、サイダーだな」

 ガコンと自動販売機からサイダーが落ちる。

「ニャ―――――――!!!」

 違う!鰹節っ!!!と叫んだクロだが、北嶋は満面の笑みを浮かべてサイダーを開けた。

「そーかそーか!そんなに嬉しいか!いっぱい飲め!」

 カクーンと頭を下ろしたクロ。

 飼い主、北嶋 勇に、クロの声が届く事は、非常に稀なのだ。

 キッ!と単車が止まる音がし、北嶋は其方を見る。

「何やってんの?お前?」

 ちょうど集会が終わり、帰路に付く途中の杉原と、自動販売機の前で出くわしたのだ。

「何ってお前、自販機の前で飲み物買う以外する事あるのか?」

 カシュッとコーラを開け、ゴクゴクと飲む北嶋。

 杉原は地面でサイダーの前で項垂れているクロに目を向けた。

「…クロ、お前もいつも災難だなぁ…」

 そう言って胸ポケットからチーズかまぼこを取り、クロに与えた。

 喜び、ハグハグとチーズかまぼこを食べるクロ。

「チーかまとトレードな」

 そう言いながら地面に置かれたサイダーを取る。

「猫と物々交換なんて、お前バカか?」

「猫にサイダー飲ませようとする奴に言われたくねーよ!!」

 そう言いながら一気にサイダーを飲む。

「随分喉が渇いていたみたいだな?」

「おー!ちょっとクソ共を追い込んでいたからな!逃げられて顔すら見てねぇけどよ!」

 非常に苛立った表情を見せた杉原。

 杉原は暴走族の特攻隊長だ。

 地元では、かなり顔が広く、当然ながら喧嘩も強くて恐れられている。

 だが、杉原は曲がった事が大嫌いで、喧嘩の原因の殆どは、弱い者虐めに出くわしたり、動物を虐待した奴を見たりと、かなり正義感が強い。

 その杉原が怒りに満ちて苛立っているのだ。

「峠に入る所によ、ちょっとした駐車場があるだろ?」

「あー、あの誰も来そうもない、汚ねートイレと虫が集まっている自販機ある所だろ?」

 黙って頷く杉原。

 かなり腹が立ったようで、サイダーの空き缶を握り潰していた。

「そこにナンバーをガムテープで隠しているセダン見つけてよ!盗難車か?と思って中を覗いたらよ!野郎三人に押さえ付けられている中学生くらいの女の子が泣いて助けを求めていたんだよ!!」

 北嶋の眉間にもシワが寄る。

「俺達は車蹴ったり殴ったりしてよ!!そしたらビビったのか、女の子を車外に放り投げて仲間を跳ね飛ばして逃げやがってよぉ!!」

 聞いていて胸糞が悪くなった北嶋。

「お前の仲間はともかく、女子は無事だったのか?」

「仲間はともかくって…まぁ、無理やりヤられる前だったらしいから、無事っちゃあ無事だけど、可哀想過ぎるだろ!!くだらねぇトラウマ植え付けやがって!!」

 本気で怒っている杉原。

「次は俺も呼べ」

「馬鹿言うな。お前がぶん殴ったら洒落ならねぇじゃん。親友を殺人犯にしたくねぇよ」

 慌てて拒否する杉原。

 杉原は長い間一緒に居るので、北嶋の強さ、怖さを知っているのだ。

 中学時代、明石に付きまとっていた大学の空手部の男を、その仲間ごと病院送りにしたり、高校入学当初、新入生を虐めに来た上級生の全てを登校拒否に追い込んだり…

 思い出しただけでもゾッとするようなエピソードを、北嶋は数々持っていたからだ。

「ちっ、つまんねーな」

 ゴクゴクと一気にコーラを飲み干して空き缶をゴミ箱に放り込む。

「強姦野郎は情報が入り次第ウチでぶっ叩くからさ」

「ゲーップ!!お、おう、そうゲーップ!!か…」

「汚ねーな全く!!お前とシリアスな話は絶対できねぇよ!!じゃあな!!」

 ヴォンとアクセルをふかして単車を走らせ、姿を消す杉原。

「近所迷惑な奴だな」

 北嶋はクロを抱き上げ、家に戻る。

「つか、俺そんなに危険かクロ?」

 北嶋に抱かれて胸でゴロゴロと喉を鳴らしているクロ。チーズかまぼこの余韻に浸っているようだ。

「そういや、サイダーよりチーかまを取りやがったな?お前飼い主に失礼だろ?歩け!!」

 地面にボタッとクロを置き歩きを強要する北嶋。

「ニャ!?」

 クロは連れて来たのは貴方なんですが!?と、抗議をしているような表情を作っている。

「飼い主を裏切った罪は疲労で償え!!歩け!!」

 そう言ってクロを置き去りにして歩き出す北嶋。

「ニ゙ャ――――――!!」

 納得出来ないクロは抗議するも、北嶋には届かなかった。

 昨夜、遅くにコーラを買いに出た北嶋は、思い切り寝坊した。

 そんな訳で、遅刻しないように走って学校に向かっている。

「ぬおおお!!ヤバい!!」

 必死で走る北嶋。同じように走っている滝沢と遭遇した。

「な、流!!珍しいな!!遅刻ギリギリとは!!」

「勇!お前もか!!お前は珍しくはないけどなっっっ!!」

 二人で一心不乱に走り、教室に滑り込む。

「北嶋ぁ!!遅いぞ!!滝沢は…珍しいな?」

 教室ではホームルームをたった今始めたばかりの様子。

「ゼェ、ゼェ………ま、間に合った………」

「ハァ、ハァ………い、勇ならともかく、真面目な優等生の俺が遅刻する訳にはいかないんで………」

 ドッカと椅子に座り込む北嶋と滝沢。全身で息をしていた。

「二人共、これからは余裕を持って登校するように」

「ゼェ、ゼェ……」

「ハァ、ハァ……」

 二人は返事もできない程、疲弊しきっていた。

 朝から走ってグッタリしている滝沢は、その状態のまま、昼休みを迎えた。

「流?お昼ご飯食べないの?」

 滝沢の顔を覗き込む向井。

「つ、疲れて…まぁ、元々あまり食欲無いけどさ…」

 そう言いながら北嶋を見る滝沢。

 北嶋は鳴海達と一緒に弁当をつついている。

「あいつ、確かさっき学食に行っていたような…」

「勇はもう三食目よ。2限目と3限目の休み時間と、今と」

 呆れたように首を振る向井。

「あれだけ食って、信夫みたいなメタボにならないのが不思議だ…」

 呆れながらも羨ましくもある。

「って、食欲無いって?」

「ああ…昨日ちょっと考え事してさ…」

 一気に暗い表情になる滝沢。

 妹の静に発した八つ当たりのような言葉。

 自分でも何が何だか、理解出来なかった。

 答えを探し、考えていたら、何時の間にか空が明るくなっていたのだ。

「ふーん…ねぇ流、私はアンタみたいに頭良くないけどさ、悩み事は聞けるよ?あ、勉強関係は勘弁だけどね」

 笑いながら両手を振る向井。

「例えばどんな悩みなら相談可能なんだよ?」

 本当に何気無く聞いた滝沢。

 向井はニカッと笑いながら答えた。

「恋愛関係とか、女心とかならさ」

 恋愛関係?女心?

「それは静…」

 ハッとして口を閉ざす。

 今、静の事を相談しようとしなかったか?恋愛関係と女心と言われたのに?

 呆然とする滝沢。

「…おいで流」

 向井は滝沢の手を引き、教室を出た。

 校舎裏、誰も居ないのを確認し、滝沢の手を引く。

「何だ何だ?愛の告白か?」

 冗談を言う滝沢だが、向井は真剣な表情だった。

「アンタさぁ、静ちゃんの事好きなんじゃない?」

 回りくどい事を一切言わずに単刀直入で発した向井。ドキッと心臓が高鳴るも、平静を装い、滝沢が答える。

「そりゃ妹を嫌いな兄貴はいないだろ。勿論、喧嘩もするが、それは普通の事だしな」

 溜め息を付く向井。

「解っている癖に…家族愛じゃない、恋愛感情だって事、気付いているんでしょ?」

 押し黙る滝沢。

 成程、恋愛感情か…それならば静に苛立つ気持ちも解る。単純に勇に嫉妬してんだな。

 冷静に、客観的に理解する。

 感情が出てはいけない。感情が加われば、自分はみっとも無く動揺してしまうだろう。

「流、私は別に妹に恋愛感情を抱く事は悪い事だとは思わない。だけどね、それは決して実らない恋。傷付いて泣くのは自分、押し殺して泣くのも自分。結局不幸になるのは流だけなのよ」

 そんな事知っている。知っているから気付かない振りをしていた。

 それをわざわざ…

 滝沢は、自分が押さえていた感情を気付かせた向井に、憎悪すら抱いた。

「そんな流の状態を打開する方法、私は知っている。知っているけど、聞きたい?」

 それは聞けと言ったようなものだ。

 だが、妹に恋心を抱いた儘の自分が無くなるのは有り難い話。

「…教えてくれ」

 向井はニコッと笑う。

「私と付き合っちゃお」

「はぁ?」

 いきなり何を言ってるんだ樹里は?

 付き合え?なんで?それが打開策?

 混乱している滝沢に、向井は続ける。

「他に好きな人が出来たら、静ちゃんへの恋心なんか無くなるって」

 パンパンと滝沢の背中を叩く向井。

「お、俺が樹里に惚れればいい訳?」

 頷く向井。そして続ける。

「私は流の事、結構好きよ?頭良いし格好良いし。長年友達やって来たけど、恋愛感情はちゃんと持てる自信がある。流はどう?」

 ジッと滝沢の顔を見る向井。

 自分から視線を外す事を拒んでいるような、そんな瞳を向けていた。

「お、俺もちゃんと恋愛感情は持てる、自信は、ある…かな?」

 しどろもどろになりながら伝えた滝沢。

 向井はニコッと微笑んで滝沢の背中を再び叩いた。

「じゃ、今から宜しく、彼氏っ!!」

「お、おぅ…よ、宜しく…」

 かなり強引に彼氏にされた感があるが、妹への恋愛感情を取り除けるなら有り難い。

 滝沢は向井と付き合う事にした。

 ただ、そこにはまだ、愛は無い。打算のみしか無いのだが。

 放課後、文化祭の準備で働く北嶋達。

 だが、滝沢と向井は準備を手伝おうとせずに帰宅しようとしていた。

 当然止める北嶋。

「やい流、樹里!!文化祭まで後三日しか無いんだぞ!!サボるなよ!!」

 向井は滝沢の腕を組み、ニコッと笑った。

「ごめん勇、今日は流とお付き合い記念日になっちゃったのよ。明日頑張るから、今日は見逃して」

「お付き合い記念日なら仕方ない………お付き合い記念日???」

 一斉に滝沢と向井に視線を向ける北嶋達。

「今日からウチら付き合う事になったんだ!!」

 固まる北嶋達。だが、なんとか言葉は出せた。

「お、おおおおおお、お前等付き合うの?」

 鳴海の問いに頷く滝沢と向井。

「お、おおおおおお、おめでとう!!」

 杉原のお祝いに笑う滝沢と向井。

「お、おおおおおお、俺にも誰か紹介して?」

 大野のお願いに首を横に振る滝沢と向井。

「マジで?おめでと!!うわあ、何かテンション上がるぅ!!」

 何故か固まった男友達とは反対に、本当に嬉しそうな明石。

「ありがと朱美!じゃ、悪いけど、今日は勘弁してね!」

 呆けながら見送る北嶋達。明石だけは笑いながら手を振って見送っていた。

「さって、折角準備抜け出せた訳だし、カップルらしくお喋りしますか」

 学校からの帰り道、あまりにも言葉を発しない滝沢に対して提案した向井。

「っても、大概話しているからなぁ…新鮮味が無いって言うか…」

 ポリポリと頭を掻いて困ってしまった滝沢。

 小さな頃から一緒に遊んだ仲間だった二人だ。

 互いに良く知っている故、どの様に接していいのか解らない。

「新鮮味ね~…まぁ確かに、端から見ればデートみたいな事も結構していたしねー」

 向井も滝沢と二人だけで映画を観たり、コンサートに行ったりと結構している。

 いや、滝沢だけではない、北嶋とも鳴海とも杉原とも大野とも、二人だけで遊びに出掛ける事は珍しくない。

「もっとも、朱美が勇を好きなの知ってからは、勇とは二人だけで遊ばなくなったけどね」

「洋介ともだろ。あいつに彼女出来てからは」

「茜さんでしょ?だってあの子、暴走族の仲間よ?洋介と二人きりなの知れたら、私殺されちゃうじゃん!!」

 怖い怖いと両腕で自分を抱くような仕種をする向井。

 杉原の彼女は、杉原と同じグループの女子だ。

 更に嫉妬深く、男友達と遊ぶ事すらも良い顔はしない。

「まぁ、お互い知り尽くしておるみたいな感じだから、これからゆっくりとね。とりあえず街出ない?」

 確かに、ここでグダグダ歩いていたら、遂には家に辿り着き、折角準備を抜け出した意味が無くなってしまう。

「そうだな…参考書買わなきゃいけないし…」

「お?買い物?ちょうど私も欲しい本あったから、おっきい本屋さん行こ!」

 向井に手を引かれてバス停まで走る。

「お前に主導権握られると、後々厄介なんだが…」

「女の子の尻に敷かれる位がちょうど良いのよ」

 向井は何とか彼氏として見ようと頑張っている。

 それは滝沢にも伝わった。しかし疑問も湧いてくる。

 何故俺と無理しても恋人になる必要がある?

 その気になれば、樹里なら男の一人や二人、簡単に作れるだろうに…

 向井は明るく、社交的で、誰にも好かれる性格だ。

 容姿も可愛くて男子にも人気がある。

 それが何故、自分の為に無理をしているのか理解できなかった。

 疑問に思いながらも、自分の手を引き、前を歩く向井の長い三つ編みを目で追いながら、滝沢は抵抗せずに付いて行った。 

 バスに揺られて着いた先は、街で一番大きな書店。

 漫画しか買わない北嶋あたりなら、地元の本屋で充分過ぎるが、ここには色々な専門書が置かれている。

 滝沢は早速参考書を探す。

「…見ただけで頭がパンクしそうだわ」

 滝沢の肩越しから覗くように見た向井は、拒絶反応を起こしたように、眉根を寄せた。

「よし、コレ買うか。樹里の頭がパンクする位が俺にはちょうどいいからな」

 本心でそう思った滝沢。

「すっごい失礼…」

 ムッとしながら、自分の欲しい本を探しに向かう。

「なんの本買うんだよ?」

「ん~っと…」

 キョロキョロ見渡す向井。

 そのコーナーは、所謂オカルト趣味のコーナー。本格的呪術な本から、眉唾の都市伝説モドキまで、ズラリと揃っている。

「そう言や、樹里はオカルト趣味だったな」

 とは言え、おまじない程度の呪術、タロットカード程度の占い位しか手を出していないが。

「まぁね。朱美が羨ましいわ」

 向井は霊感が強い明石を羨ましく思っていた。

 霊感を強化する方法を、本を読んで、わざわざ勉強している。

 やがてズラリと並べられた本の中から、一冊の本を取り出した。

 どれどれと覗き込む滝沢。

「陰陽道?安倍晴明のアレ?」

「安倍晴明、良く知っているわね?そう、その陰陽道!札に呪を込め式鬼神としたり、反魂の術を使って死者を蘇えらせたり…」

 しまったと思った滝沢。

 自分には全く興味が無い話を延々と聞かされる。

 向井はちょっとした切っ掛けを与えれば、頭に詰まっているオカルトネタを延々に話してしまう、困った癖があるのだ。

 ヤバいと思った滝沢は、咄嗟に口を開いた。

「ちょっと小腹が減ったから、ハンバーガーでも食わないか?」

 実は全く腹など空いていないのだが、向井の口を止める事を優先したのだ。

「ハンバーガー?まぁ、いいけど」

「よし、じゃ、行こう!おごってやるから!」

 向井の手を引き、本の会計を済ませてハンバーガーショップに入る。

 安堵した滝沢だが、重大な間違いを犯した。

「でね!でね!五行にはね!」

 そう、ハンバーガーショップは絶好のお喋りスポットなのだ。

 滝沢は軽く頭痛がする程、向井からオカルトネタを聞かされる羽目となった。

「すっかり暗くなっちゃったわね~」

 ハンバーガーショップから出た時には、既に星が煌めく夜空となっていた。

 グッタリしながら滝沢は言う。

「樹里のお喋りが止まらなかったからだろ…」

「あーあ、このハンバーガーショップの近くに怪しいお店があるから、夜遅くまで居たくなかったんだけどな~」

 頭に手を組みながら空を見上げてボヤく。

「だから樹里のお喋りで…ん?」

 ハンバーガーショップの近くにある、怪しいお店…アダルトショップが入っているビルから、見慣れた男が、友人と思しき人達と出てくるのを目撃した滝沢。

 視線に釣られて、向井も其方を見る。

「信夫じゃん」

「だよな」

 それは友人の鳴海だった。あのお肉の付きが素晴らしい体躯を見間違える訳は無い。

 鳴海は周りにいる三人の男達と和気藹々と談笑している。

「信夫殿!なかなか良いご趣味ですな!」

「やはり幼女は妖女でなければならぬからな!」

「このフィギュア譲って頂けて至極申し訳御座らん!」

「良い良い!我は視覚が優先故に。人形の手触りは我には解らぬ故、そなたが持っていた方が良いのだ」

 何か幼女の話で盛り上がっているようだ。

「…邪魔したら悪いから帰ろう……」

「…そうね…知り合いとも思われたくないし…」

 滝沢と向井は、鳴海に気付かれないよう、静かにその場を去った。


 翌日、仲良く登校してきた滝沢と向井。

「本当に付き合ったのか…」

 未だに信じられんと言った感じの大野に向かって、笑って頷く二人。

「昨日は悪かったな。今日からまた準備を手伝うからさ」

「と言っても、文化祭まで後2日、大分終わったんじゃない?」

 向井の言う通り、残りは細かい手直しばかり。

「ま、みんなでやれば、直ぐ終わるだろ」

 その時、北嶋が登校してきた。

「オス、勇」

 北嶋は滝沢をジロッと睨む。

「どうしたん勇?私が流に取られて悔しいかい?」

「勇、お前樹里にまで…」

 友人達のいつもの冗談を無視し、滝沢に詰め寄る北嶋。

「え?な、何だよ?」

「お前の馬鹿妹…文化祭の日に迎えに来いとか、面倒くせーから嫌だと言ったらギャーギャー騒ぎやがって…どんな躾してんだシスコン!!」

 シスコンと聞いて胸に違和感を覚えた滝沢。それを見逃さずに、そっと手を握る向井。

「勇の未来の彼女だからねー。勇がエスコートして当然じゃん?」

 向井の握った手が痛み出す。

 滝沢が徐々に力を込めて来たのだ。

 向井は滝沢にだけ聞こえるように、そっと呟いた。

「静ちゃんは諦めて。流は兄貴、静ちゃんは妹」

 ハッとし、握った手を緩める滝沢。

「し、静は勇が面倒見なきゃな。ほら、俺は樹里の面倒見なきゃならないから」

「うわっ失礼!面倒見ているのは私だっつーの!!」

「あーいいなぁ…俺も彼女欲しいなぁ」

 談笑し、胸の痛みが緩和した滝沢。

 滝沢も向井にしか聞こえないように呟いた。

「ありがとう、樹里」

 聞こえたのか、首を左右に振る向井。

「おっはよー…ええー!?流と樹里が手を繋いでるっっっ!?」

 登校してきた明石が開口一番で叫んだ。

「だって恋人同士だしー」

「何か問題でも?」

「いいないいな!!私も彼氏欲しーいっっっ!!」

「奇遇だな朱美、俺も彼女欲しかった所だ」

「雅之は嫌」

 友人達の目の前で、速攻で振られて項垂れている大野を慰めながら、滝沢は向井に感謝していた。

 まだ友人関係から脱却できていないが、きっと樹里となら上手くやっていける。

 そう思いながら大野の肩をポンポン叩いた。


 文化祭当日。

 喫茶店開店5分前…北嶋はまだ来ない。

「…勇はどうしたの?」

 明石が誰かと言う訳じゃないが訊ねた。

「…多分寝坊じゃねーかな」

 大野の返事に頷いて追記する鳴海。

「昨日『前夜祭だーっ!』とか言って盛り上がったからな…」

 はぁ~っ、と溜め息を付く。

「静ちゃんを迎えに行かないつもりかあの男は…」

 向井の非難のような言葉。滝沢が微かに頷いて続けた。

「昨日凄い楽しみにしていたんだが…」

 開店と同時に喫茶店に入る事を楽しみにしていた静。

 北嶋が事前に迎えに行く事になっていたが、滝沢が家から出るまでは北嶋は来なかった。

 何度か電話したが、誰も電話に出ない。

 急ぐ滝沢は『とりあえず迎えを待ってろ』と静に言って家から出たのだが…

「静ちゃん、傷付くんじゃないかな…」

 約束を破られた事になる静は、きっと傷付くだろう。

 滝沢はグッと拳を握る。

「…開店だわ」

 ガラガラとドアを開ける明石。

「ヤッホー!来たよー!」

 一番先頭に静が居て、グーを握って空に掲げて笑っていた。

「静ちゃん!?勇がちゃんと迎えに行ったの!?」

 驚いた明石が静に訊ねる。

「うん!洋介君と二人で!」

「洋介のバイクで来たのか?」

「うん!バイク気持ち良かったぁ!」

 滝沢の問いに静は満足そうに笑って頷く。

「え?じゃ、勇はまだ来てない?」

 鳴海の問いに笑顔で否定。

「ううん!来たよ!三人で!」

「まさか…三ケツってヤツ?」

「うん!洋介君の後ろに静が乗って、その後ろに勇!勇抱っこしてくれた感じ~!」

 ニコニコ上機嫌な静。

「だからご機嫌な訳か」

 合点がいったと手を叩く大野。

「馬鹿!!三ケツなんて危ないだろ!!全く何考えてんだあの男は!!」

 大方遅刻しそうで杉原にバイク出すよう要請、そして静を迎えに行き、そのまま来た。

「静を危ない目に遭わせやがって!!」

 滝沢は怒りで握った拳が震える。

「兄ちゃん…勇を怒らないでよ…」

 さっきまで上機嫌だった静は、一気に項垂れてしまった。

「さ、さぁさぁ静ちゃん、こっち座って!私がおごってあげるわよ!」

 ウィンクをし、静を滝沢から一番遠い席に座らせる明石。

「おっ?朱美にばっか良い格好させるかよ。静ちゃん、俺もケーキおごってあげるぜ」

 明石に合わせてフォローする大野。

 静は、わーいわーいとはしゃぎ始める。

「流、気持ちは解るけどさ、怒りを見せちゃいけないよ?」

「…すまん」

 漸く握った拳を緩めた滝沢。

 経過はどうあれ、北嶋は約束を守った。兄として、それに感謝しなければならない。

 そして今は文化祭で、お客さんもチラホラと来ている状態。

 自分の仕事をしなければならないのだ。

 滝沢と向井は、厨房に入って行く。

「おお、同士よ!!良く来てくれた!!」

 鳴海が男三人組に友好的に近寄って行く。どうやら鳴海の友達のようだ。

「信夫のお客さんか…どっかで見たような…」

「アダルトショップから出てきた奴等じゃないか?」

「ああ、お付き合い記念日の時のね」

 ハンバーガーショップから出てきた時に、偶然目にした鳴海と三人組に間違い無い。

「信夫と同趣味か…ロリコンか」

 あーイヤだイヤだと厨房に入って行く向井。滝沢もそれに続いた。

「いやー!!バイク隠していたら遅くなった!!ワリィ!!」

「それを手伝っていたら遅くなった!!ワリィ!!」

 北嶋と杉原が遅れて入って来た。

「やっと来た。お前も災難だな洋介」

「ああ、いきなり電話で呼び出されてさ…信夫の友達?」

 見た目『その手の方々』をチラッと見る杉原。

「は、はひ!!鳴海殿とは同志でありまして…」

 杉原の顔を見た瞬間、明らかに怯えた表情になる鳴海の友人。

「お前の人相が悪いから怖がってんだろ。ごゆっくりと沢山お金使ってくれ。じゃな信夫」

 杉原の背中を押して退散する北嶋。

「ふぅ、因縁付けられるかと思ったで御座る」

 ホッとし、額の汗を拭う鳴海の友人達。

「洋介はナリはあんなだが良い奴で御座る。さぁ、ゆるりと幼女談義でも交わしましょうぞ!!」

 鳴海と濃い鳴海の友人達は、気を取り直して話を再開した。

「ぶー!遅い勇ぅー!」

 ぶーぶー膨れる静が目に入る濃い友人達。

「…天女ですな…」

「飾っておきたいで御座る」

「網膜に焼き付けて今晩のオカズにでも…」

「申し訳ないが、静ちゃんは勘弁願いたい。彼女は俺達の妹みたいな者故に」

 鳴海は頭を下げて願った。

 濃い友人達は黙って頷き、静から視線を外した。

 一応空気は読むのだ。だからロリコンとはいえ、偏見は良くない。

「ちゃんと間に合わせたろガキ。ぶーぶー文句抜かすな」

 乱暴に水の入ったコップをどんと置く。

「きゃ!水跳ねたっっっ!」

「だから文句抜かすな。ご注文は何だガキ。って、紅茶とケーキ出てるがな!!」

「朱美ちゃんと雅之っちゃんがご馳走してくれたのー」

 ニカーっと笑う静。

 北嶋はクシャクシャと頭を撫で回す。

「そうか。良かったなガキ。ちゃんとお礼言ったか?」

「言ったよー!!朱美ちゃんも雅之っちゃんも大好きー!!」

 その笑顔と言葉で、胸がキュンと鳴く明石と大野。

「ありがと静ちゃん!!私も大好きっ!!」

 ぎゅうぎゅうに抱き締める明石。

「もう一個ケーキ食うか静ちゃん?」

 もう与えたくて与えたくてたまらない大野。

「お前等あんま甘えさせんなよ?」

「…勇、何かお前……」

 続く言葉を飲み込む杉原。

 その言葉を言うと、静が傷付くかもしれないからだ。

「静、他見てみたい!連れてけー!勇ー!」

「仕方ない。約束だからな。お前等どうする?」

「ウェイトレスいなくなるから行けなーい」

「同じく、ウェイター」

「茜がそろそろ来るからな。待ってなきゃ殺される…」

 それぞれ用事があるようだ。

 北嶋は静と二人で他を見て回る事にした。

 北嶋が静を連れて出て行ったのを確認し、杉原が呟く。

「勇って、本当に静ちゃんを好きなのか?」

 大野が馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに答えた。

「勇の性格上、好きじゃなきゃ、あんなに接しないだろ」

 確かに、北嶋は好き嫌いがハッキリとしているばかりか、それは露骨に態度となって表れる。

 故に静を好きに違いない筈なのだが。

「何か違和感あるんだよなぁ…」

「考え過ぎじゃない?何とも思ってないなら、私の告白受け入れる筈だし」

「なんでそんなに自信満々なんだよ?」

「勇が静ちゃんが居ないのなら、私と付き合っていたって言ったから」

 本人がそう言ったのなら間違いは無い。

 杉原が考えているその時、ドン、と背中を叩かれた。

 ムッとして振り返る杉原。

「オス。来たよ」

 金に染めた長い髪を揺らし、キツい目つきで杉原を見る。

「来たか茜、じゃ、俺はこの辺で」

「午後の交代忘れんなよ」

 大野と明石に手を振り、杉原は茜と一緒に出て行った。

 校門から校舎までの少しだけの道のりに、屋台がズラっと立ち並んでいる。

 その中を買い食いしながら歩いている杉原と茜。

「今日、バイクに三ケツしてたって?」

 ギクッとした杉原。

 茜は嫉妬深い。三ケツとは言え、他の女を乗せたとなれば、惨劇必至だ。

 だが、嘘を言ってこの場を逃れて後々発覚した事を考えると…

「あ、ああ。勇と静ちゃんを…」

 逆にギクッとした表情になる茜。

「き、北嶋君かぁ…じ、じゃあ仕方ないよね~…」

「そんなに勇が怖いのかよ?馬鹿だけど良い奴だぜ?」

 北嶋伝説は杉原の暴走族仲間にも勿論伝わっている。

 リーダー自らスカウトした事もあるのだが、「面倒くせー」の一言で普通に断られたのだ。

 茜も北嶋が他の暴走族連中と喧嘩したのを目撃した事があった。

「そりゃ、30人を10分も掛からず病院送りにする人だからね。怖いよ…」

 敵には容赦ない性格の北嶋を見た茜は、杉原の彼女で良かった、と、本当に安堵した事を思い出していた。

「じゃ、もう一人は北嶋君の妹さんかぁ」

「ん?静ちゃんは勇の彼女ってか、彼女候補っていうか…ほら、滝沢ってツレいたろ。静ちゃんはそいつの妹だ」

 眉間にシワを刻み、首を傾げる茜。

「なんだよ?だから女の子乗せたって言っても、勇の頼みだから…」

「いや、そうじゃなくて。滝沢って滝沢病院の息子でしょ?そいつの妹?北嶋君の妹じゃなくて?」

 何が疑問なのか解らない杉原。

「静って、中学生くらいの癖っ毛の子だよね?一歩間違えれば小学生に見えちゃう子」

「そうだけど…」

「以前どこかで二人で居た所を見たんだけど、北嶋君、妹を可愛がるような感じだったよ?滝沢病院の息子とも二人で居た所見たんだけど、こっちは逆に女の方に片思いしているような感じに見えたんだけどなぁ…」

 ハッとした杉原。

 確かに、あまりにも近くに居て見逃していたかもしれない。

 確かに北嶋は静を妹のように可愛がっている。

 それはいい。北嶋曰わく『パユンパユンになったら』付き合う事になっているから。

 問題は…

「確かに…言われてみれば…」

「ま、いいわ。洋介、とりあえずたこ焼きおごって」

「あ、ああ…」

 何か悪い予感がした杉原だが、何故そう感じたかは解らなかった。

 体育館で合唱部の催しが行われていたが、途中で抜け出した北嶋と静。

 静がプンプン怒って北嶋を引っ張って退出したのだ。

「開始5分で鼾かくのよ~っ!!静恥ずかしいじゃん!!」

「だって退屈だから仕方ないだろ。つか、ガキの分際で合唱観るなんて10年早いわ」

「静は芸術肌なの!!勇みたいに、食べて寝て暴れるだけの本能で生きている人とは違うのっっっ!!」

 プンスカ怒っている静。ほっぺたがブーッと膨らんでいる。

「だからもっと面白いモン見ようっつったろ」

「漫研の同人誌見たって仕方ないじゃん!!少女マンガじゃ無かったし!!」

「漫画だから暇くらい潰せるだろガキ!文句抜かすなガキ!」

 毅然(?)と言い放つ北嶋。どうだ、ぐぅの音も出まい。と、したり顔なのが痛々しい。

 それに対し、プルプルと震える静。

「ん?」

 静の頬に涙が伝った。

「お、おい……」

「うわあああああん!!勇が冷たいぃ~!!わああああ!!」

 本気で大泣きする静。

「うおおおおっっ!!や、やいガキ、いや、静さん!!みんな見る!!いや、既に見ているから泣き止め!!」

 オロオロして動揺しまくる北嶋。行き交う人々が皆、白い目で北嶋を見ていた。

 午後の部に交代の為に教室に戻ってきた北嶋は、凄まじい程の疲労を露わにしていた。

 対する静は上機嫌のようでニコニコしていた。

「随分疲れてんな?」

「お、お前の妹が…いきなり泣き出して…機嫌取るのにアチコチ連れ回されて…」

 泣かせたお詫びに身を粉にして頑張ったと言う。成程、静の機嫌が良い訳だ。

「良かったな静」

「うん!!楽しかったぁ!!」

 まぁ、それは静の笑顔を見れば聞かずとも解る事だが。

「じ、じゃ交代だな…流、ガキの面倒も交代だ…」

 ヘロヘロになりながら厨房へと入って行く北嶋。

「じゃ、兄ちゃんと回るか?」

「姉ちゃんとも回ろうぜっ!!」

 勿論これも静との約束だ。

 後夜祭にも顔を出したかった静のおねだりだったのだが。

「ん~…静、ちょっと疲れちゃったなぁ…」

 少しハシャギ疲れたので、少し休みたい旨を、兄に遠まわしに伝えたつもりだった。

「じゃあ帰ればいい!!兄ちゃんと回るのがそんなに嫌なら帰れ!!」

 一気にシン…と静まった。

「流!!何て事言うの!!大丈夫?静ちゃん?」

 屈んで静の頭を撫でる向井。

「に、兄ちゃん…静、そんなに怒られる事言ったかなぁ…」

 目にいっぱい涙を溜めて、泣くのを堪えている。

「いいえ!!静ちゃんは何も悪くない!!流、アンタは付いてくるな!!」

 静の手を引き、教室から怒って出て行く向井。滝沢は、それを呆然と眺めていた。

 その時、交代の為に杉原が戻って来た。

「交代だ交代だ~…何?この空気??」

 仕事中のクラスメートもお客も、滝沢を白い目で見ている。

 ウェイターとして仕事している大野を捕まえて聞いた杉原。

「ああ、実は…」

 大野は先程起こった出来事を杉原に話す。

「そりゃあお前…」

「言うな洋介。気付いていないのは、恐らく流と勇だけだ。俺達が口出すと収集が付かなくなるかもしれない」

 当事者が気付いていない、何とも歯痒い状況。

 杉原も大野の提案通り、黙っている事にした。

 滝沢が自分で気付いてから、相談を受けなきゃ意味が無いような気がしたからだ。

 向井は頑張って涙をこらえている静を連れて外へ出た。

「樹里ちゃん、この頃兄ちゃん、変なんだ…苛々してるのか、よく怒られたり、勇の陰口言ったり…」

 鼻をグシグシと啜る静。どうして良いのか、解らないのだろう。

「うーん…多分静ちゃんが勇に取られるのが寂しいんだよ、きっと」

 こんな返答しか出来ない自分に苛立つ。

 だが、本当の事を話したら、静は傷付くだろう。

 傷付く?いや、その表現は的確では無いかもしれない。

「…静、兄ちゃんも勇も大好きなんだけどなぁ……」

「大丈夫大丈夫!!今は姉ちゃんが頑張るから!!静ちゃんは今まで通りで全然いいの!!」

「姉ちゃん…樹里ちゃんが本当の姉ちゃんだったら嬉しいなぁ…」

 向井を見ながら軽く微笑む静。

 握った手をキュッと締める向井。

 静を傷付けるような真似はさせられない。

 それが本当に好きだった男への、自分の愛情だ。

 歪んだ愛情だと理解しつつも、当時の向井には、それくらいしか愛情を伝える術は無かったのだ。

「どうする静ちゃん?一旦家帰ってから後夜祭来る?」

 はしゃぎ過ぎて疲れているかもしれない。

 今の滝沢と一緒に居たくないかもしれない。

 そう思い、進言した。

「ん~…そうしょっかなぁ…勇、食べ物屋さんばっかだったからお腹も苦しいし…」

 お腹をさする静。

「ははは!!まぁ、勇は劇やら展示やら見るキャラじゃないしね。OKOK、じゃ、送ってくよ」

 手を伸ばす向井。それを握る静。

「やっぱり樹里ちゃんが姉ちゃんだったら良かったのになぁ~」

「勿論。私の妹よ静ちゃんは」

「うん!静ねー、沢山兄ちゃんいるし、優しい姉ちゃん2人もいるしー!同級生に羨ましがられているんだよ!」

 ニコニコしながら同級生の話をする。

 杉原は怖いけどお話したい子がいっぱいいるとか、大野は頭良くて文系に人気者とか、鳴海はデブでロリコンだからキモいとか、出てくる話はみんな知った名だった。

 ただ、自分はキツいイメージがあって近付き難いと言う評判があり、それには少しヘコんでしまったが。

 静を送って直ぐ様学校へと戻って来た向井。中庭で黄昏ている滝沢を発見し、背中に蹴りを入れる。

「いたっ!…何だ、樹里か…」

「言って後悔すると解っているなら言わなきゃいいでしょ!!」

 静に叫んでしまって落ち込んでいる滝沢に追い討ちをかける。

 滝沢は顔を伏せた。

「…樹里は…後悔するから言わないのか?」

「言わない。後悔するのが解っているなら言わない。実際言わなかったよ私」

 ゆっくりと向井を見る滝沢。

「どんな事で?」

「アンタ馬鹿?勉強できるんだから、言った事くらい理解してよね!!」

 後悔するから言わない。

 つまり誰にも言うつもりは無い。

「…すまん…」

 再び顔を伏せる。

「ほら!!」

 滝沢の頭の上から10冊程の本を落とす向井。

「いててて…何だよこれ…」

「私の愛読書。仮にも彼女の趣味くらい理解してよね。勉強ばっかじゃなくて。いい?『彼女』の趣味を理解して!!『妹』の事は置いといて!!」

 妹を好きな異常な事態を打開すべく、向井は『とりあえずお付き合い』を提案した。

『仮にも彼女』ができたならば、妹と同じように愛しいと思わなければならない。

 これは向井の優しさだと素直に思った。

「…解った。ありがとう」

「よし、静ちゃん一度帰ってから後夜祭に来るから。『兄貴として』迎えに行ってね!!夜道危ないからね!!」

「ん、解った」

 向井はパンパンと滝沢の背中を叩いて笑う。

「その内静ちゃんより夢中にさせてやるからさ」

「はは…頼むよ…」

 力無く笑う滝沢だが、本当にそう願っていた。

 夕方、文化祭が終わり、お客がどんどん帰って行く。

 後片付けを開始する北嶋達。

「ふー…結構忙しかったな…」

「俺、バイトでもこんなに頑張った事ねーぞ…」

 ぼやく杉原。かなりの集客数があったようで、殆どの食べ物は売り切れとなった。

 これも明石がセクシーバニーのコスプレで客寄せした結果と言えた。

「信夫があんなに顔広いと思わなかったな~」

「全員彼方側の住人だったけどな」

 鳴海の友人達が大多数やって来たのには驚いた。一時期、彼方側の住人でクラスが占拠された程だ。

「暗くなってきたな。早く片付けようぜ」

「おー」

 北嶋達は喫茶店を解体する。

 もう直ぐで後夜祭。それまでに片付けを済まさなければならない。

「明日の休みに片付けで登校なんて、洒落ならんからな」

 飾りを外しながら作業する北嶋に、友人達の姿が見えない事を聞く杉原。

「つーかシスコン達どこ行った?片付けはみんなでだろが?」

「ロリコン達はゴミ捨てやら洗い物やらやっている筈」

「筈かよ…」

 面倒臭がりながらも片付けをする北嶋達。

 後夜祭が始まる前にと、黙々と作業をした。

 北嶋の言う通り、滝沢と大野はゴミを捨てに出ていた。

「お前、もう行っていいよ。静ちゃん迎えに行かなきゃ」

「ん…んん~…」

 何か渋る滝沢。

「お前が行かなきゃ、静ちゃん一人で来るぞ?夜道危ないだろ?洋介から聞いていないか?」

 杉原から中学生の女の子の強姦未遂事件を聞いていた大野は、それを懸念して進言していた。

 たまたま杉原達が見つけたから未遂で済んだものの、恐らく被害者はまだ居るだろう。

 強姦されて男性不信になり引き籠もるか、人間不信となり壊れているか、忘れようと一生懸命頑張っているかは解らないが。

「ん~…まだゴミあるからな…せめてそれを片付けてから…」

「…お前、何を怖がってんだ?」

 動きを止める。

「言っておくけどな、バレて無いと思っているのは間違いだからな。勇以外、全員知っている」

「はは…勇はそう言うの疎いからな…」

 力無く笑う滝沢。

「樹里って優しいよな」

「…そうだな…お前もな、雅之」

 優しいと言った意味を理解していた滝沢。大野の何も言わない優しさも心に染みた。

 大量のゴミ袋をゴミ箱に突っ込み、滝沢達はクラスに戻って行った。

 大野が煩く静を迎えに行けと促し、漸く重い腰を上げた滝沢は、クラスには戻らず、学校を出た。

 だが、足取りが重い。なかなか前に進めない。

 北嶋にわざわざ会わせる為に、大好きな妹をわざわざ迎えに行く。

「…意味解んねぇ…」

 兄としてなら納得できる。だが、今の自分は…

 激しく頭を振る滝沢。

 ふと見ると、バス停にベンチがあった。

 ただ、それに座る。

 拒否する歩みに屈し、ただ座った。

「はぁ…」

 見上げると星空だ。もう、そんなに暗くなったか。

 何気なく、ポケットに入れてあった文庫本サイズの本を取り出す。

「アルフレッド・サラフィア?何だか解んねぇな…樹里のお得意のオカルトには違いないか…」

 滝沢は月明かりを頼りにそれを読む。

「胡散臭いってか、ロザリア・ロンバルド…テレビか何かで聞いた事あるような…」

 あまり興味も無かったが、『時間を潰す為に』滝沢はそれを読んでいく。


「う~ん…暗いよ~…やっぱり兄ちゃん来るまで待ってた方が良かったかなぁ…」

 向井から、夜に滝沢が迎えに来るから待ってて、と言われた静だが、後夜祭の時間になっても迎えに来る気配の無い事に焦り、遂には単身で学校へ行く事を決意した。

 したのだが、暗い。街灯も頼りない明るさだった。

 それでも頑張って前に進む。


 ブロロロロロロロロ


 静の背後から、車が近付いて来た。

 ヒョイとギリギリ路肩に避難する静。車は何事も無いように通り過ぎて行く。

「変なの。あの軽自動車、ナンバーをガムテープで押さえているなぁ…ぶつけて落ちそうになったのかなぁ…」

 今自分を追い越した車に首を傾げる。

 その車は、滝沢医院、つまり静の家から直ぐ側の林の前で停車した。

「何だろ…なんか気持ち悪いなぁ…」

 静がそう感じたのは、その軽自動車はライトを消し、更にはエンジンも止めたからだ。

 それはあたかも、『ここにはこの車は存在しない』と意思表示をしているように。

 何か気持ち悪いから早く通り過ぎよう。

 走るまではいかないが、かなり足早になる静。


 ガチャッ


 心なしか、極力音をたてないように開いたドア。

 三人の男がゆっくりと出て来た。

 何か怖いなぁ…

 車を大きく避けるように反対車線に移動する静。

 それでも、斜め前の車に…

 徐々に…

 徐々に接近する…

 バッと一人の男が目の前を塞ぐよう立ち塞がる。

 え?えええ?

 驚き、立ち止まる。

 月明かりが教えてくれた。背後から、二人の男が接近して来る事。

 何何何何何何何何何???一体何???

 考えが纏まらない儘、後ろから抱きつかれる。

「いゃ…ムグッ!?」

 タオルかハンカチか、布を縒り紐状になった物で口を縛られた。

「~~~~~~~~!??」

 パニックになり、暴れが、抱きつかれた状態では身体を揺する程度にしか暴れられなかった。

「おい、顔は殴るなよ?ビデオに映っちまう」

 横から声が聞こえ、其方を見る。

 一人の男がビデオカメラを回していた。

「んんんんんんん~!!!」

 足をバタつかせる静。ゴスッ!と、鈍い音と共に腹部が痛み出す。

「~~~~~!!!」

 激痛で蹲る静。同時に髪を引っ張られ、引き摺られるように林の中へ連れられた。

 そして杉の根足に放り投げられた。

「結構みんな平気みたいだぜ…次の日からでも普通に生活してるんだよ。何、これっきりさ俺達はな。纏わり付いてアシでもついたら洒落ならねぇからさ」

 薄汚い笑みを浮かべながら、チンピラ風の男が手を伸ばす。

「~~~!!!」

 逃げ出そうと立ち上がる静に、横にいた男が静の横腹を蹴った。

 口の中が嘔吐物で充満し、更には地面に転がった。

「中学生か?そういや、この前の中学生は邪魔が入ってパーになったんだよなぁ…」

 ブラウスが破かれ、肌が露出する。

「~~~~~~!!!!!」


 静はビデオに撮られながら辱められた。


 抵抗し、殴られ、身体中痣や擦り傷だらけになった。


 だけど駄目だった。


 駄目だったけど抵抗はやめなかった。


 やめなかったけど、もう一人の男からも辱めを受けた。


 泣きながら抵抗をやめなかった。


 だけど


 最後にビデオを回していた男からも辱めを受けた…


 猿轡を外され、漸く口に溜まったちと嘔吐物を吐きだせた。

「解っていると思うが、誰にも言うんじゃねぇぞ!!」

 脅された静だが、漸く声を上げて泣き出せた。 

「っく…っく…うわあああああ…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」

 謝りながら泣く静に、冷笑を浮かべる男達。

「ごめんなさいだとさ。終わっただろうが。もうしねぇよ」

 だが、奴等には解らないだろう。

 静が謝っているのは、『やめて下さい』の『ごめんなさい』じゃない事を。

「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめん…ごめん勇……」

 静は北嶋に謝っていたのだ。

 他の人に触られて、ごめんなさい。

 他の人に奪われて、ごめんなさい。

 勇にあげれなくて、ごめんなさい。

 遂に静は言葉に出した。

「うわぁぁぁぁ…ごめんなさい…勇…勇ぅ!!ごめんね勇ぅ!!ぁぁぁぁああ!!」

 男達も泣かれるのは想定内だった。

 警察が駆け付けて来る前に逃げるだけ。

 勿論、この日もそうするつもりだった。

 だが…

「勇?…もしかして北嶋 勇!?」

 たった今まで満足していた男達。常日頃、色んな女性を辱め、堕としていった男達。

 そんな男達の顔色が一瞬で青くなる。

 北嶋 勇の名を知らないチンピラはいない。

 それ程まで、北嶋は顔が広かった。

 大学の空手部を全滅させた高校生。プロライセンスを持っているボクサーを瞬殺した高校生。暴走族を壊滅させた高校生。ヤクザに土下座させた高校生。

 全て売られた喧嘩だが、北嶋は楽勝でねじ伏せたのだ。

「ヤベェぞ!!北嶋に知れたら…」

 間違い無く殺される!!

 自分達の惨劇を想像し、男達のズボンが失禁で濡れた。

「滝沢医院って、北嶋の地元の病院じゃねぇか!!気付かなかったのか!!」

「うるせぇ!!おい女!!北嶋にチクるなよ!!」

 脅す男達だが、静の耳には入らない。

 静はただ、謝っていた。

「ごめん勇っ…っく…っく…ごめん勇ぅ…ぁぁぁぁ…うわあああああ!!」

「騒ぐんじゃねぇよ!!奴に知れたら…」

 俺達は殺される!!

 男達は恐怖に駆られて静を黙らせようと、首を絞める。

「…かっ!!」

「騒ぐな!!騒ぐな騒ぐな騒ぐな!!騒ぐなよぉ!!」

 一人が馬乗りになり首を絞め、残り二人は暴れないように手と足を拘束した。

「ぐむむむむむむ…」

 苦しくて、薄れ行く意識の中、静は再び北嶋に謝った。


 おっぱい大きくなる前に死んで…ごめんね………勇……………


 静の身体はピクリとも動かなくなり…

 瞳は開いたまま、閉じる事は無かった…………


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