親友
買い出しから帰った私は、早速北嶋さんの友達に取り囲まれた。
「アンタが勇の嫁?うわあああ!!すっげぇ美人じゃねーかっ!!」
愛想笑いをするしか無い。それ以外何をしたらいいのか、解る方が居たらぜひ教えて戴きたいものだ。
グイッと北嶋さんが私の肩を抱き寄せる。
「だろ?お前も豚肉ばっか食ってないで嫁探せ」
「なんで豚肉限定なんだよ!俺は勇の親友の鳴海信夫!」
会釈で応える。豚肉限定って…北嶋さんだからなあ…
「俺は
昔やんちゃしたような感じの人だ。北嶋さんもそうなのか?
「
スーツをバリッと着こなしているエリート風。やはり会釈で応える。
「
ちょっと派手な感じだけど、とっても綺麗な人だなぁ…梓といい勝負かも。
「結婚して出戻った
此方は眼鏡をかけて知的そうな感じだ。やはり会釈で応える。と言うか、名乗られる度会釈をしていた。
ご近所さんも沢山集まり、その全てに挨拶される。
「お前等、神崎の首が折れるだろが!挨拶いいから肉食え肉!」
バーベキューにお肉や野菜が焼かれ、食べ頃になっていた。
私は北嶋さんに引っ張られて、北嶋さんと共にど真ん中に座った。
「尚美さん、これウチで一番いい和牛!食って食って!」
「信夫ぅ!このバカたれがっ!猪肉食わせんか猪っ!」
執拗に猪肉を食べさせようとするお爺ちゃん。
北嶋さんにそっと耳打ちをする。
「猪って、ここいらの名産か何かなの?」
「名産つうか、猪は畑荒らすから駆除の対象なんだよ。だが、ただ駆除するんじゃ可哀想だから、食って供養するみたいな感じだ」
そう言いながら猪肉をパクつく北嶋さん。
生き物は殺したら食べる。命を無駄にしない為に。
北嶋さんの考え方は、やはりお爺ちゃん、お婆ちゃんから教わった物のようだ。
「そうだね。私も猪頂こっと」
取り皿を手に持つ私。
瞬間、焼きイカが取り皿に置かれる。
「ウチは魚屋なんだ。このイカはさっきまで生きていたヤツだぜ!」
杉原さんか得意顔で笑った。
「あ、ありがとうございます」
「洋介ぇ!このバカたれがっ!猪が先じゃ猪がっ!」
「ごめんごめん爺ちゃん!さっ、猪も食べて食べて!」
「ふさけんなよ洋介!和牛が先だバカがっ!」
「また肉屋と魚屋が喧嘩してるわ」
大野さんがゲラゲラ笑う中、私のお皿がとんでもないお肉の量になり、持っている手がプルプルとしてくる。
「やめなやめな!尚美さん困っているじゃん!」
向井さんが割り込んで、私のお皿を取り、下に置いてくれた。
「勇は食べるのに集中しているからさぁ。私と一緒にこのお皿片付けちゃお」
凄く助かる。この尋常じゃない量を一人ではとても捌き切れないと思っていたから。
「ありがとうございます」
私と向井さんは、一緒に山盛りになったお肉やイカを食べた。
「いやー!しかし勇にこんな素敵な子がお嫁に来るなんてねー」
「ホントホント!!」
みんなにお酒を注ぎに行っていた明石さんが話に加わってきた。
「尚美さん気をつけなよ~?朱美は勇を狙っていたんだからさぁ」
意地悪そうな笑顔を朱美さんに向けて言い放つ。
「昔の話でしょ昔の!それに…」
ハッとした表情に変わり、口を閉ざす明石さん。
「それに、何ですか?」
「あ~…えっと…」
言い難そうに髪を掻く明石さん。
「昔の話よ。勇には好きな人が居たのよ。ただそれだけ」
紙コップに注がれたビールを一気に煽りながら言う向井さん。
昔、北嶋さんには好きな人がいた。別に大した事じゃない、良くある事だ。
しかも、それは学生時代な筈。高校卒業と同時に、北嶋さんは家を出た筈だから。
だけど、何故お二人は言い難そうで、遠くを見るような瞳をするんだろうか?
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古ぼけた建物の駐車場らしき場所。黒猫が悪霊と対話中だった。
――勇が帰って来とります。だけど、アンタには会わせませんよって…
背中の毛を逆立てながら言い放つ。威嚇しているのだろうが、全く敵意も殺意も無い。大してして向こうの悪霊は、今にも泣きそうな顔を拵えていた。
――そんな顔してもあきません。ウチがアンタを…誰です!?
対話を中断し、此方を見た。
――ふん、そやつが勇の敵か
手入れをせずに伸び放題の草むらから、妾が姿を現した。
――九尾狐さん…ウチの後を追って来たんですか?
――宴会最中、人知れずにそっと抜け出すような真似を、妾が見逃すと思うたか?
そう言いながら黒猫が来た場所をぐるっと見回した。
――滝沢医院…来る途中気に掛かった廃病院か
妾だけでは無く、尚美も気に掛けた廃病院。勇が意図的に話をズラした廃病院だ。
――…ふぅ、そう言えば、話の続きは夜に、と申しましたなぁ…
黒猫は諦めたように天を見上げた。しかし、それはどうでも良い事。
――話したく無くば話さずとも良いぞ。悪霊の女如き、この場で滅すれば良いだけだしな
勇の敵ならば妾が滅する。
廃病院の入り口で、黙って立っている女を、鋭い眼光で見据える妾。
女も妾から視線を外さずに、憎悪と哀しみを以て見ている。
その時、妾と女の間に割って入る黒猫。女を護るが如く、女を背にし、妾を見据える。
――退け、猫神…いや、バステト女神か
――…やはり貴女は怖いお方ですなぁ、九尾狐さん。ウチの正体に自力で気付きましたか…
驚く『真似』をするバステト女神。それは妾に気を遣ったのか?余計なお世話とはその事よ。
――あれだけヒントを貰ったらば、解らぬ筈が無かろう
バステト女神はもともと地方神だ。守護地バストから名を取ってバステトと呼ばれたのだ。
バステトは二面性を持つ女神で、攻撃性、獰猛さを表し、近づきがたい力の女神になると共に、家や子供たちの護り手、母なる女神としての優しさを見せるときがある。
――バストの代わりに北嶋の家を護り、北嶋の人間を子のように愛し、護っていたか。リリスが北嶋の家に手を出せなかったのも、貴様の護りのおかげだな?
先程申した二面性での攻撃性…敵には全く容赦しない性格だ。
リリスが北嶋の人間に接触出来なかったのが容易に想像できる。
破壊と恵みをもたらす気まぐれ女神…
それが北嶋の守護神、猫神バステトだ。
――その通りです。流石は九尾狐さん。だから、この子には指一本触れさせはしませんえ…
神気を放出し、妾を本気で威嚇するバステト。余程その悪霊を滅させたくないようだ。
――解らぬな…その女は勇の敵なのだろう?何故護る必要がある?
敵には容赦しない筈のバステトが、何故敵である筈の女の悪霊を護っている?
――それは…
バステトが口を開くと同時に、廃病院に懐中電灯の明かりが差し込んだ。
同時に、女の悪霊が怯え、恐れ、悲しみながら姿を消す。
――む?何故隠れる?
思案する妾。その間にも、懐中電灯の明かりは足音と共に入り口に近付いて来る。
「ニャーン…ニャーン…」
バステトが明かりの主へと歩んで行く。
「お?クロじゃないか。そっか、勇が帰って来たらしいな…もしかして、俺を迎えに来てくれたのか?」
明かりの主、それは勇と同年代の男。
自然なウェーブが掛かった髪を全て後ろに流している。
暑いのか、少しシャツが汗でシットリと濡れている。
「ん?仔犬?クロ、お前の友達か?」
妾に気が付き、接近してくる男。
身構える妾。だが、視界に入るバステトが首を左右に振る。
ならば、バステトの顔を立て、脱力する。
その妾の頭を撫でる男。
「もしかして勇のペットか?お前も来い、と言ってくれているのかな?だけど俺は行けないんだ。ごめんよ」
黙って撫でられる妾。その時、シャツのポケットから免許証入れが落ち、名前が見えた。
滝沢…
この廃病院の者か?
やがて寂しそうに立ち上がった男。
「俺は行けないから、お前達もう帰りな?勇に宜しくな」
そう言って鍵を取り出し、入り口を開ける。
男はそのまま懐中電灯を揺らしながら、中へと消えて行った…
廃病院を後にする妾とバステト。多少離れた所で立ち止まる。
――ありがとうねぇ九尾狐さん…ウチの顔を立てて黙って撫でられてくれはって…
――悪いと思っているのなら、全て説明して貰おうか?
あの女の悪霊は何だ?
あの滝沢 流という男は何だ?
あの男が現れたら消えた女の意味は?
聞きたい事は沢山ある。
バステトは妾の一方的な質問を黙って聞いていた。
やがて妾の口が閉じると、バステトは夜空を見上げる。
――約束通り、ウチが知っている事は全てお話します。先ず、あの女の子の名前は
滝沢 静…妹か…
――あの病院で死んだのか?
だから病院に憑いている…か。
バステトは首を横に振る。
――静ちゃんが亡くなったのは病院ではおません。静ちゃんは…死体であの林で発見されたんですわ…
バステトがクイッと首を向ける先に、ちょっとした林があった。
廃病院から約1kmの、道路に面した小さな林。
――殺されたのか?
バステトは頷く。
――乱暴されて首を絞められて…遺体は乱暴された後、直ぐに発見されまし。服を全て切り裂かれて全裸でね…
バステトは怒りに満ちた表情をし、林を睨み付けながら言った。
強姦されて殺された…
女は真の意味で二度殺されたのか。
女として殺され、人として殺された。
――だから悪霊になったか
理解する妾。
かなりの無念だったろう。確かまだ15歳。いきなり全てを奪われたのだから。
だが、バステトは首を横に振る。
――静ちゃんは確かに無念だったでしょう。死んで直ぐはずーっと泣いていましたから。だけど、勇が仇を討ってからは大変喜んでおりました。今度は勇に感謝し、全て忘れて昇天しようとしたんです
――勇が犯人を捜して殴ったとでも言うのか?
バステトは目を丸くし、笑う。
――いややわ!殴って終わる子な訳無いやおませんか!確かに犯人を割り出した勇は殴り込みに行きました。都合良く、犯人達は1つの家に集まってましてな。確か三人やったか…その全ての犯人を『壊した』んです。今でも、マトモに歩ける犯人は一人もおりません。全て車椅子、介護が必要な程まで追い込みましたん!
ケラケラ笑うバステトだが、成程、勇にしては、まだ手温い感はあるが、勇もまだ子供だった故か、殺す覚悟までは持っていなかったか?
――ならば女が悪霊になる必要は無かろう?何故悪霊になった?
笑っていたバステトが急に暗くなる。
――どうした?勇がある意味救ったのだろう?何故現世に留まっておる?何故勇の敵と成り得るのだ?
――それは死した後…身体を滅させて貰えなかったからですわ…
――どう言う意味だ!?
――あの子はまだ、あの廃病院に居ます…それは魂だけやない、身体も。救った勇を逆恨みする程の困り事と、悲しみを背負ってしまいましたんえ…兄の流君によってね…
身体もまだ『そこに在る』だと!?
兄の滝沢 流が何かの術でも発動させたのか?
だが、奴には霊力が感じられなかったが…『ただの人間』だった筈…
――九尾狐さん、人間の愛は色々御座いますなぁ…ウチの想像を遥かに超える、歪んだ、いや、破壊された愛が、流君にあったんですわ…
バステトはゆっくりと廃病院の方を振り返る。
滝沢 流が廃病院に入ってから僅かな時しか経っていないが、そこには明かりが見えなかった。
ただ、負の念が、その濃さを増して廃病院を覆っていた…
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「滝沢 静。その子が勇が好きだった子よ」
ビールを煽りながら言う明石さん。
酔いが回ってお喋りになるよ、と言う表情を作ってウィンクをしてくれる。
つまり、何でも聞いていいって事だ。
ならばお言葉に甘える。
「静さん、ここには来て無いんですか?」
「静ちゃんは死んじゃったからね。15歳の時に。私達が18歳…もう直ぐで高校卒業って頃にね」
向井さんもウィンクをしてくれた。
じゃあ遠慮無く聞きましょう。
「滝沢さんて、滝沢医院の人ですか?北嶋さんの幼なじみが滝沢医院の人だとお婆ちゃんから聞きましたが?」
騒がしかった周りが一瞬で静かになり、北嶋さんの友達の皆さんが私に視線を寄せた。
「え?私何か変な事聞きましたか?」
何か緊張感が走る。
「お婆ちゃんが、かぁ…流の事まで話すつもりは無かったなぁ…」
話して後悔している様子の向井さん。
「流は絶対に私達の前には出て来れないよ。あの日、あの時、勇に殴られた時から…私達と流の関係は時が止まってしまったんだから…」
流?滝沢 流?北嶋さんの幼なじみの名前?
それよりも、北嶋さんが幼なじみの流さんを殴った?
それに対して非難もしない皆さんは一体?
「神崎、流はな、俺の親友なんだ。信夫達と同じように、大切な親友なんだよ。来てくれたら嬉しかったが、来れないなら来れないで仕方無いんだ」
北嶋さんはお肉をがっつきながら話すも、周りのお友達は流さんの事を良く思っていない、と言うよりも、嫌悪しているようだった。
「お前は流を許す事ができるのかよ!!」
いきなり叫んだ鳴海さん。驚いてそちらを見る。
「俺達は駄目だ。流をマトモな人間として見れねぇわ」
物調面でビールを煽りながら言う杉原さん。
「静ちゃんがお前と好きあっていたのを知っていただろ流はよ!」
大野さんの発言。好きあっていたのに付き合っていなかった?
「あ、あの、皆さん、少し落ち着き…」
何故か騒がしくなったので、どうにか宥めようとするが、先に北嶋さんが発した。
「流は俺より静を好きだっただけだ。色々な好きの形がある。それが一般には受け入れられないだけだ。流の好きも、受け入れられない形なだけだ」
格好つけて語る北嶋さんだが、流さんて北嶋さんの幼なじみでしょ?静さんは流さんの妹さんじゃないの?一般には受け入れられない好きの形って何?
凄く気になるが、取り敢えずこう聞く。
「北嶋さん的には終わった話なんだよね?」
「終わった話だ。流が終わったかは解らんが」
北嶋さんが終わったなら、私には何も言う事は無い。
「皆さん、沢山食べて下さいねぇ」
私は張り切って焼けたお肉を皆さんのお皿にポイポイ入れた。
「美人で可愛い嫁さんに肉入れて貰えるとはなぁ~!」
皆さんは先程の不穏な空気を振り払うように、はしゃぎながらお肉を口に入れた。
大分時が経ち、一部の人達は帰路に付く。
「お前等もう帰れ!ワシは眠いんじゃあ!」
お爺ちゃんが無理やり追い返そうとする。
「全く馬鹿ガキ共がっ!ワシャのお肌が夜更かしで荒れたらどーするんじゃっ!」
「ってもバァチャン、シワばっかじゃねぇかよ痛っ!」
お婆ちゃんは鳴海さんに容赦無く、ティファールのフライパンで頭を小突く。
「うるさいわ!早よ去ねデブ!」
「デブって…解った解った!朱美、二次会の席あるか?」
「ちゃんと押さえてあるわよん!勇、尚美さん、行こっ!」
私と北嶋さんの手を引っ張り上げて立ち上がらせる明石さん。
「勇はどうでもいいが、尚美さんを連れて行くのは駄目じゃ」
「尚美さんはワシャが話があるんじゃあ!去ね馬鹿ガキ共!尚美さんこっちゃ来っ!」
グイグイと私を引っ張るお婆ちゃん。
「俺はどうでもいいって、ジッチャンよー」
「寧ろお前は邪魔じゃ勇。出て行けっ!お前等早よ勇連れてけ!」
項垂れる北嶋さんだが、お爺ちゃんにグイグイと押される。
私はお二人のお話が終わった後にタクシーで合流する事にし、何とかその場を収めた。
お婆ちゃん、お爺ちゃんに連れられ、居間に通された。何か緊張する。
「待たせたのぅ尚美さん」
「すまんなぁ、直ぐに用事は終わるからの」
私と対面に静かに座るお二人。そしてスッと箱を差し出す。
「これは?」
「指輪じゃ。弥生さんからのな」
グッと胸が熱くなる…
「早速嵌めてくれんかな?」
お爺ちゃんに促され、箱を開ける。
それはプラチナの台座にダイヤをあしらった、シンプルで、だけど温かくて…
左薬指にそっと嵌める。
「私にピッタリのサイズ…」
お婆ちゃんはウンウン頷く。嬉しそうに。そして、少し涙ぐんでいた。
「弥生さんも指が細かったからなぁ。尚美さんと同じサイズで良かったわぃ」
お爺ちゃんがゆっくりと頭を下げる。
「勇をよろしゅうお願いしますわ尚美さん」
私は更に深く頭を下げる。
「私こそ…ありがとうございます…」
ポッ
目の前の畳に一粒の涙が零れ落ちる。
私達は、暫くはお互いに頭を上げなかった。
上げてしまったら、泣いているのが知られてしまうから…
暫く後、お婆ちゃんに送られて北嶋さん達が呑んでいる明石さんのスナックに到着した私。
目が赤くなっていないか、少し心配だったが、その扉をそっと開けた。
「だからお前等は女心を全く知らんのだ!!だからモテないんだよ!!」
「オメェが一番知らないだろが!いつも訳解んねぇ事ばっか言いやがってよ!」
「ってかよ~…俺は結構モテるんだかよ~…」
「お前は弁護士だから、仕事のブランドでモテてるだけだ馬鹿が!!俺だって肉屋じゃなく弁護士ならモテていた筈だ!!」
何か北嶋さんを中心にモテ談議をしている。
「あっ、尚美さん!キャーッ!!」
私を発見した明石さんが腕をグイグイ引っ張る。
「おー神崎、来たか」
北嶋さんがフラフラと近寄って来て、私をギューッと抱き締めた。
「ちょ、ちょっと、みんな見てる…」
両腕で北嶋さんを引き離すべく突っ張る。
「おらお前等!この女心をバリバリ知る男、北嶋 勇を見習ってだ!こんな可愛くて美人の嫁さんを探し出せ!!」
北嶋さんは調子に乗ってギューギューと抱き締めた。
「だから」
不意に左腕が自由になる。
私はそのまま左腕を畳み、北嶋さんの頬に拳を叩き込んだ。
「だからみんな見てるって言っているでしょ!!」
ブシッ!と頬に指輪がめり込んだ。
「あ」
ヤバいとか思ったが、時既に遅し。
「固っっってぇぇぇ!!」
北嶋さんは右頬を押さえながら吹っ飛んだ。そしてテーブルと椅子が激しく散らばる。
恐る恐る皆さんに目を向ける。
皆さんは鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をして見ていた。
「あ、あの、これは…」
言い訳を探し、オロオロする。
「勇に…パンチを当てた?」
ん?そっち?
「信じらんねぇ…ガキの時から勇に拳当てる奴…見た事ねぇ…」
何故か感心する皆さん。
つか、昔から北嶋さんは攻撃を喰らった事が無いの?
「お婆ちゃんはティファールのフライパンでガシガシ叩いていましたけど…」
焦げ付かないから血も付かないとか言いながら叩いていたけど。
「お婆ちゃんとお爺ちゃんは別。勇はジムに通っていたボクシングの練習生や、大学の空手部と喧嘩しても、全く攻撃を喰らわなかったのよ」
感心しながら言う明石さん。
「よ、酔っているからじゃないですか?」
首を振る皆さん。
「厳密には、もう一人だけ居たけどな。勇にパンチくれた奴は」
ハッとし、口を手で覆い隠す大野さん。
「ね、ねぇ、やっぱり居るでしょ?」
しどろもどろになって乗っかる。
「…いや、やっぱ居ねぇ。だって死んじまったからな」
杉原さんが大野さんの肩をポンと叩く。気にすんなと言わんばかりに。
「死んだ…?」
呟く私に、頭を押さえ、フラフラ振りながら立ち上がり、北嶋さんが言った。
「静だよ。俺をぶん殴っていたのは」
皆さんがギョッとしながら北嶋さんを見た。
「勇、悪ぃけどさ、こっちから話振った形になっちゃったけどさ…」
それ以上話したくない、それ以上聞きたくない、と拒絶するように目を伏せる皆さん。
「全くよぉ…俺だって流の方から連絡なきゃ、触れたく無かったってのによぉ…勝手な連中だな」
倒れた椅子を直しながら北嶋さんがボヤく。
だけど彼はこう言った筈。
俺には終わった話だ。と。
「そっか。なんだ。要は流さんの方から連絡して欲しい訳ね」
「…まぁな。流が終わってないのならば連絡して貰っても困るがな。つか、お前等鬱陶しいぞ!忘れたいのか語りたいのかどっちだ?」
北嶋さんに叱咤されて漸く顔を上げる皆さん。
「尚美さんはお前の嫁さんになる訳だし、やっぱ話すべきじゃないかな、とか思うんだが、あの話は鬼門だろ?全部話してもいいもんか、と躊躇していたらさ…」
思い出したく無い部分を隠し、結果ちぐはぐな情報を話してしまった、と。
私は溜め息を付く。
「いずれ知らなきゃならないみたいだし…いいですよ皆さん。私が自力で知る事ができれば問題ありませんよね?」
皆さんは一瞬何を言っているか理解出来なかった様子だが、北嶋さんは頭を掻きながら眉間にシワを刻ませた。
「え?自分で調べるって事?」
「いえ、視ます。」
どよめき、互いの顔を見合わせる皆さん。
「俺は協力しないからな」
北嶋さんは本当に嫌そうな顔をしている。
そんな北嶋さんに私は顔をグイッと近付ける。
一瞬怯んだ北嶋さん。その彼に、人差し指を近付けて言った。
「北嶋さんは此処に来てから一度も万界の鏡を掛けて無いわね?普段ならタマと会話する為に、一度は絶対に掛けるのに」
「だ、だからどうしたんだ?」
「つまり、流さんが終わっていない事を知ってしまったら、もしも静さんがまだ居たら、北嶋さんが確実にでしゃばってしまうからでしょ?いつも言っているもんね。『業は自分で断ち切らなきゃ意味が無い』って」
グッと顔をしかめる北嶋さん。図星を付いたようだ。
「バンカイノカガミ?でしゃばる?それに視るって…」
明石さんの疑問は皆さんの疑問だろう。私は皆さんの前に身体を正面に向ける。
そして笑顔でこう言った。
「ネットで『北嶋心霊探偵事務所』と検索してみて下さい。北嶋さんを昔から知る皆さんには信じられないでしょうが、それが今の私達の生業です」
心霊探偵事務所と聞いて噴き出す皆さん。
「勇はさ、霊感が全く無いんだよ!!何故かUFOは見るけどな!!」
高笑いする鳴海さんだが、向井さんは押し黙った。
「……嘘でしょう?あの北嶋探偵が、勇?」
「オカルト好きなら噂くらいは耳にしている筈ですからね」
真剣な顔になった向井さんと、自信満々の私の発言に、皆さんの表情に笑みが消えた。
「じゃあ、視たら連絡しますね。ほら、行こ、北嶋さん」
「え?お、おう…」
北嶋さんの腕を引っ張り、明石さんのお店から出ていく。
皆さんは、それをただ見送るだけしかなかったようだ。
タクシーを捕まえて北嶋さんの家に戻った私達。
「北嶋さんの部屋には、静さんから借りた少女漫画が沢山ある。そうよね?」
「た、確かにそうだが…」
お布団を北嶋さんの部屋に運ぶ。
「荷物置き場になっているけど、お布団を敷くスペースは充分にあるね」
「ここで寝るつもりかよ?」
呆れている北嶋さん。
かつての北嶋さんの部屋は、本当に物置と化している。
物置に婚約者を寝かせたらお婆ちゃんやお爺ちゃんに叱られる。それも恐れているようだ。
「どうせ朝早く起きる事になるからね。お爺ちゃん、お婆ちゃんには私から言っておくから」
シッシッと手で追い払う。
「出て行けって事?」
「当たり前でしょ?添い寝とか言ったら…」
指輪を嵌めた左拳を握り固めて北嶋さんに見せる。
「ば、馬鹿だな!!ジッチャンやバッチャンが近くで寝ている所で、夜這いみたいな真似出来ねーだろ!!」
と、そそくさと部屋を出て行く。
ドアを閉じ、フッと息を付き、辺りを見る。
「静さんから借りた少女漫画…そこから残留思念を読み取り、視る。一種の霊夢ね」
独り言を言いながらお布団に身体を預ける。
そして、ゆっくり目を閉じ、願う。
彼の過去を視せて下さい、と…
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…樹里、北嶋心霊探偵事務所って何だよ?」
北嶋が神崎に引き摺られながら帰った後、明石のスナックは急に静かになった。その沈黙を破るように、鳴海が向井に説明を求めた。
「…ここ1、2年で急に有名になった霊能者の事務所よ。日本、いえ、世界最強との声も高いわ。名前が同じだと思っていたけど…まさか勇本人だったとはね…」
氷が溶けて薄まったウイスキーにマドラーを刺し、グルグル回しながら話す向井。
「だけどよ、勇は霊感なんか全く無かったじゃねぇか?ガキの時に心霊スポットに行った時も、俺達全員少なくとも何か感じたろ?勇は全く平然としていたよな?」
杉原の言う通り、火葬場や墓場、事故現場、はたまた小学校やら地元の神社まで幽霊を見に行った事がある北嶋達。明石は多少霊感が強いらしく、見る事もあった。
全員が全員、何かしらの気配を感じて恐れた。
だが、北嶋だけは、全く感じずに呑気にコーラなんか飲んで鼻歌を歌っていた。
その北嶋が霊能者に、しかも世界最高峰とまで呼ばれているとは、俄かに信じられないだろう。
「尚美さん、『視る』とか言っていたな?どう言う意味だ?」
大野が首を傾げる。
「霊視…かしら?『あの』北嶋探偵事務所の所員なら…恐らく簡単に『視る』事ができる筈」
イマイチ解っていない様子の大野。
そりゃそうだろう。向井を除いて、全員オカルトの世界に詳しくない。
「ふーん…よく解らないけど、尚美さんも有名な人なの?」
「多分ね」
明石の質問に、つまらなそうにマドラーで掻き回しながら答える向井。
「お前暗いな?何かあったのか?」
鳴海の問いに、ハッとした表情を浮かべながら顔を上げた向井。
「い、いえ別に」
「そうか?ならいいけどよ」
それから再び全員押し黙る。
滝沢の事を思い出したくもない。だが尚神崎には話さなきゃならないだろう。
そんなジレンマを見切り、自分で知るからいいと言ってくれた神崎に、全員申し訳ないような気持ちになった。
だから黙った。
だが、向井だけは、何か違う。
知られるのが困る
そんな雰囲気を出していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
廃病院とは言え、電気はまだ通っている。使う設備があるからと、電気の他に水道も止めていない。
だが、俺は明かりを点けずに階段を降りる。
B1
通り過ぎる
B2
通り過ぎる
B3
ここで漸く足を止める。
真っ暗の中、懐中電灯の明かりを頼りに足を進める。
鉄で出来た、頑丈な扉の前で立ち止まる。
そこは霊安室。
病死した人達に一時入って貰うだけの部屋だ。
鍵を取り出し、扉を開ける。
ギギギギ…
重厚な音と共に、ゆっくりと扉が開く。
中からヒンヤリとした空気が漏れ出す。それはエアコンの空気だ。霊安室は常に一定の温 度を保つようにしているからだ。
それは、この部屋の住人に対する配慮…
ギギギギ…
扉を閉じる。
そして、部屋の中央にあるベッドに向かう。
ベッドには15歳の少女が寝ているのだ。
俺は手袋を嵌めて、少女の顔を触れるか触れないか、ギリギリの所を撫でた。
「勇が…帰って来ているんだってさ…静…」
ベッドで寝ている少女は、俺の妹の静…
15歳のまま。あの時の姿のまま、静は息をせずに、そこで寝ている。
「嬉しいか静?勇が帰って来ているんだよ…だけど嫁さんを連れて来ているんだってさ。仕方ないよ。お前は死んじまったんだからな…」
静は目を開けずに微動だにしない。当たり前だ、死んでいるんだから。
「だけど大丈夫だ。兄ちゃんがいつまでも、お前の傍に居てやるから…」
静の唇に自分の唇を近付けていく…
唇と唇が触れそうになる。
「ああああああああ!!!!!」
俺は狂ったように静から離れた。
「うわああああ!!!」
そのまま壁に自分の頭を打ち付ける。
壁が俺の血で真っ赤に染まる頃、思い出したように痛みを感じて、そのまま床にへたり込んだ。
「何やってんだ…何やってんだ俺はぁああああ…あぁぁぁ…うわぁぁぁぁあ…」
悲しくて、虚しくて、苦しくて声を上げて泣いた。
血と涙で顔が見れたモンじゃない状態だ。
死んでいる静の方が、よっぽど美しい…
「そうじゃなくて!ぁぁああああ~……」
泣きながら俺は願った。
勇…助けてくれ…
あの時を境に疎遠になった親友に、俺は助けを求めて泣いた……
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