北嶋勇の心霊事件簿11~哀しき少女~

しをおう

帰って来た北嶋

 遊歩道の工事の処理が完了して直ぐに、私は大切な友達に電話ではあるが、報告した。

 内容は『北嶋さんのプロポーズを受けた』事だ。

 もの凄い緊張と、もの凄く申し訳無い気持ちと一緒に話した。

 先ずは結奈。

『へー!おめでとう!夫婦探偵かぁ…いいなぁ…』

 と、羨ましがられながらも祝福してくれた。

『まぁ、私はとっくにリタイアしたからねぇ。梓達には頑張ってね』

 励ましとも放り投げられているとも取れる言葉を戴いた。

 まぁ、結奈は私が北嶋さんの元に戻るようにしてくれたんだから、恐らくは本心で励ましてくれたんだろう。多分。

 次は梓だ。

『えーっっっ!!マジでぇ!!ウッソー!!いやー!!ねぇ!!私はねぇ!!特にはねぇ!!いやー!!ねぇ!!』

 北嶋さんには特に感情を持っていないと言いたいようだったが、かなり動揺していた。

『だけどねぇ!?えーっっっ!?言いたい事沢山あるけど、脳内で整理付かないわぁ!!』

 と、プチパニックに陥って話にならなかった。

 終始『えーっっっ!!』と『ウッソー!!』を繰り返していた所を見ると、やはり北嶋さんには多少なりとも期待はしていたのだろう。

 まぁ、梓は諦めていたようだから、最後にはちゃんと祝福してくれたけど…イマイチ複雑な心境だった。

 そして生乃は…

『え…嘘でしょ…尚美、私を応援してくれるって言ったじゃない……』

 と、シクシクシクシクと泣かれた。

 生乃は北嶋さんを好きだって周りにもアピールしていたから、こうなるとは思っていた。

 そして私に協力して、ともお願いしてきた。それを了承した。

 その約束を、最悪な形で裏切ったのだ。

 だから私はただ謝るしか無い。

 何度も何度も、ただ『ごめんなさい』と謝罪した。

『…ううん…謝らなくていいよ…尚美が一番北嶋さんの近くに居るんだもん…あんな素敵な人にプロポーズされたら…グスッ…ご、ごめんね…今はちゃんと祝福できない…』

 そう言われて電話を切られた。

 凄い心が痛んだ。本当に生乃には申し訳無い…罪悪感しかなかった。

 今度、会いに行ってちゃんと謝ろう…そう決意して俯いた顔を上げた。

 そして宝条さんだが…

『えええええーっっっ!?本当ですか!!受けたんですかプロポーズ!?ああー!やっぱり最大の敵は神崎さんでしたかぁ!!』

 自分は出遅れた、とか、北嶋さんにハッキリ言うべきだった、とか、後悔していた。

 勿論謝罪する。

『いや、謝って貰わなくていいです。何の行動も起こして無かった私が悪いって言うか…』

 と、自分の責任だと言う事を言っていた。

 だが、その後に恐るべき事を言い放つ。

『ねぇ神崎さん、私は昼ドラって、結構好きなんですよ』

 昼ドラ…あのドロドロした男女関係のドラマの事だ。

『私は略奪愛も有り、と思っているんです』

 いや!例え思っていても、口に出すべきじゃない事でしょう!?それも私に!!

 絶句している私に宝条さんは続ける。

『あ、私は因みに二番目でもいいと思っているんですよ。気を付けて下さいね』

 そう、宣戦布告を真正面から放った。

「え…ええ…気を付けるわ…」

 そう返すのがやっとだった。

 あの子には本当に気を付けないといけない。本当に恐ろしい人だと思った。


 BMWに荷物を積んで、北嶋さんの実家に向かう。

「帰るのも久しぶりだなぁ…あ~…あ~…」

 実家に帰ると決まってから、いや、私が実家に行きたいと言った時から、北嶋さんは唸っていた。

「そんなに嫌なの?」

「嫌って言うか…」

 何か言い出せない、言いたく無い事でもあるのだろうか?

「昔やった恥を晒したく無い訳なんだ?」

 イタズラっぽく笑って返す。

「恥なんか無いぞ。むしろ俺は人気者だったんだ。だがなぁ…まぁ、今は終わったかもしれないし…」

 今は終わった…?

 やはり過去にヤンチャした事がバレるのが嫌なんだろう。

「大丈夫よ北嶋さん。北嶋さんが何をしても別に驚かないし。流石に人を殺したとかなら驚くけどね」

 そう言いながら北嶋さんを横目で見る。

 ドキリとした。北嶋さんは神妙な顔つきとなっていたのだ。

「北嶋さん、まさか…」

 本当に人殺しをしたの?

 質問する前に北嶋さんが口を開く。

「酔った…」

「今停車するから吐くのは待って!!」

 慌てて路肩に停車する。

「なんで私の運転では酔っちゃうのよっ!!」

 確かにバスや電車でも酔う北嶋さんだが、吐くまではいかない。葛西の運転でも車酔いは軽かったらしい。

 何故私の運転だけ!!

 吐いてスッキリした北嶋さんが答える。

「そりゃ、神崎の運転は荒いからだろ」

「北嶋さんが乗っている時は一応セーブしているのよ!車内をゲロまみれにされたくないからね!」

「だが酔っちゃう事実があるんだから、やっぱり荒いんだよ」

 確かに他の人と比べたら、私はスピード出しちゃうから、多少荒いかもしれないけど…

「じゃあ北嶋さんが運転してよ!!」

「それは無理だ。面倒だから」

「じゃあ文句言わない!!」

 アクセルを踏み込む。メーターの針がみるみる内に上がっていく。

「ま、待て神崎!!神崎っ!!かんざきいいいいいい!!」

 北嶋さんが泡を噴いて気絶するまでスピードを上げる。

 数秒後、北嶋さんは大人しくなった。

 勿論、泡は噴いていた。

 北嶋さんの実家まで高速等を使っても約六時間。

 普通に運転すれば八時間くらいか。

 途中、パーキングに寄ってタマに水をあげたり、腰を伸ばしたりしながら運転を続けた。

 北嶋さんは気絶から覚醒する事無く、大人しくしている。だが、そろそろ起こさなきゃならない。

「北嶋さん、北嶋さん、北嶋さんの故郷に着いたから」

 だが覚醒しない北嶋さん。

「タマ、お願い。両手塞がっているから」

 タマが後部座席から飛び出して北嶋さんの耳を咬む。

「くおおっ!?痛っ!何だ何だぁ!?」

 文字通り飛び起きて首を振る北嶋さん。

「北嶋さん、故郷に着いたよ」

「…もう着いたのか…」

 北嶋さんは窓を下げた。

「懐かしい匂いだなぁ」

「静かで良い所だね」

 そこは温泉が有名な山間の街。

 少し離れた所には農場もあり、ソフトクリームが有名らしい。

「俺ん家はまだまだ先だけどな」

 そう呟く北嶋さん。

 その表情は、やはり懐かしんでいるようで、少し楽しそうで。

 だけど、少し哀しそうだった…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 沢山の店が並んでいる国道を少し脇道に反れると…

「凄い!畑や田んぼばっかり!!」

「だから田舎だって」

 そうなのだ。俺の実家は、国道沿いと駅前周辺以外は、畑や田んぼばっかりなのだ。

 それにしても…

「懐かしいが変わって無いのが悲しい…」

 確かにバイパスなど整備され、昔よりは幾分都会っぽくなってはいるが、殆ど変わっていない。

「静かでいいじゃん」

 神崎…それはフォローのつもりだろうが、田舎住まいの人間にはフォローになっていないぞ…

 そう思いながら道を進む。

 橋を越えると、今度は一面田んぼだ。

 そして俺はこう言った。

「この田んぼは全部ジッチャンの物だ」

「へ~っ…っっって、ぜ、全部!?」

 神崎が驚いて助手席の俺を見る。

「危ないって!ちゃんと前向けよ!!」

 俺がビビりながら注意すると、神崎は慌てて前を向く。

 しかし、その目が右へ左へと動いている。

「今視界に入る田んぼと畑が全てだ」

「ひ、広過ぎだけど…」

 そうなのだ。近年、個人で農業だけで食っていける、貯えもできるのは、日本でほんの一握りだ。ジッチャンは、その一握りのジジィなのだ。

 そして俺は指を差す。

「あの山な、あれもジッチャンの物だ」

「山まで持ってるの!?」

 っても手入れが面倒だから、営林署に頼んで管理させているが。もっぱら趣味の山菜採りくらいしか役に立っていないが。

「き、北嶋さんってお金持ちだったのね…」

「俺は金持って無いぞ。金持ちなのはジッチャンだ」

 まぁ、確かにジッチャンは街の中では金持ちの部類に入るらしいが。だが、一番では無い。一番は病院の院長だ。

「何か昔から金には困らない家らしいがな。俺は給料五万で貧乏だが」

「給料五万でも多いくらいに感じてきたわ…」

 うおいっ!!だから金持ってんのはジッチャンだってば!!

 これ以上給料下げられたら、コンビニにも行けなくなるだろ!!

 そうこうしている間に、多少開けた町に出る。

 俺の実家は、この町の中にあるのだ。

「あ、あれは…」

 いきなり神崎が怪訝な表情をして指を差す。

「…あれは廃病院だな。他に新しく建てたんだが、あの病院は解体しなかったんだよ」

 解体しなかったのは、まだ使うとか、色々理由があるらしい。

 らしいが…

「お、もう直ぐで俺ん家だぞ神崎」

 話題を変えようとした俺だが、神崎は廃病院が気になるのか、チラチラと横目で見ていた。

 それから少し、ほんの少し走る。

 目の前に、鉄筋コンクリートでできた、小さいビルみたいなレンガを積んだような家が見える。

「あれが俺ん家だ」

「ええええええっっっ!?農家だから木の家かと思ってた!!」

 驚く神崎。つか、どんな思い込みだ。茅葺き屋根の古民家でも想像していたのかよ。

「ジッチャンは最新の物が大好きなんだよ」

「へぇぇぇ~っっ…」

 もの凄い意外な顔をしている神崎。

 そしてレンガモドキのビル的な家に車を停車させる。

 俺はタマを後部座席から抱き上げて叫んだ。

「おーいっっ!!孫が嫁連れて帰って来たぞおおおお!!」


 チリン………


 俺の足元に何かが纏わり付く。

「おー、クロ!久しぶりだなあ!元気だったか?」

 俺は屈んで、足元にじゃれついている黒い猫をグリグリと撫でた。

「ニャーン」

 クロはゴロゴロと喉を鳴らした。

「…この猫!!」

 神崎が驚いてクロを見る。タマも心なしかビリビリと緊張をしていた。

「おー勇、よぅ帰ったなぁ!!おおー、ベッピンな嫁じゃあ!!」

 俺と神崎は同時に声の方向を向いた。

 そこには俺のジッチャン、北嶋きたじま たけるが、ジジィの分際でジーンズにTシャツと言う、若者チックな服を着ながらニカニカ笑って突っ立っていた。

「は、初めまして!勇さんとお付き合いをさせて頂いています、神崎 尚美と申します!」

 深々ともうろくジッチャンに頭を下げる神崎。

 つか、お付き合いって!!

 何という甘美な響きなのだろうか!!

 天を仰いで涙する。感涙で前が見えん!!

「ああー!!よう来たよう来た!!おいババァ!!勇のオナゴが来たぞぉぐあっ!!」

 振り向いたと同時に、ジッチャンが額を押さえて踞った。

「ババァとはなんじゃ!!口の悪いジジィじゃ!!早よ死ねもうろくジジィ!!」

 フライパンを高らかに掲げながら、着物を着た身なりの良さをアピールしているバッチャンが仁王立ちをしてジッチャンを睨んでいた。

「あ、あの、お爺さん、額から血を流していますけど…」

 心配そうな神崎にケロッとして答えるバッチャン。

「ああー、いつもの事ですわ。気にしなさんな。それより、よう来て下さいました。勇の祖母の銀子ぎんこです。本当にこんな馬鹿孫に、こんな素晴らしい出来た人が嫁に来て下さるとは…」

 ヨヨヨ、と泣くバッチャン。演技バリバリなのが丸解りだった。

「口悪いのはバッチャンだろーが」

「やかましかっ!!お前も早よ死ね馬鹿ガキ!!」

 早よ死ねって、孫に言う台詞じゃ無いと思うが…

 オロオロする神崎。ジジイとババアの強烈なキャラについていけないのだろう。

「まぁ、そんな緊張しなさんな。さぁ、長旅で疲れたじゃろう?早よ中へ、早よ早よ!!」

 バッチャンに急かされて家の中に連行される神崎。俺も後に続く。

 ジッチャンが俺の後に続こうと立ち上がったその時!!

「何を呑気に家に入ろうとしてんじゃジジィ!!嫁が来たんじゃ!!旨い物でも狩ってこんか!!」

 ジッチャンに跳び蹴りを喰らわす。ドカンとか音がして、塀に寄り掛かっていたクワやらスコップやらが散乱した。

「ぐおお!!ババァ!!ワシも嫁と話をしたいんじゃあ!!」

 ヨロヨロと立ち上がるジッチャン。あのような豪快な音でもダメージがほぼ皆無。全く頑丈なジジィだ。

「だから早よ狩って来りゃええじゃろが?もうろくジジィよ?」

「誰がもうろくジジィじゃ死に損ないが!!」

「ほぉ、このババァに上等な口を利きよるの、ジジィ…」

 フライパンをツイッと前に掲げるバッチャン。

「お前に殺されるわ!まぁ、確かに嫁には旨い物を食わせんとなぁ…ちょっと行ってくるわ。尚美さん、少し待っておくれ」

 ジジィはそのまま軽トラックでどこかに出かけた。

 神崎はただ、愛想笑いをしながら頷くしか無かった。

 居間に座る俺と神崎。ようやく落ち着いたのか、感想を述べる。

「何て言うか…凄いね…」

「だろう?俺がグレなかったのが奇跡だろ」

「何を言っとる馬鹿ガキ。さぁ、尚美さん、これ食べんさい」

 神崎の前に出されたのは、苺のケーキやミルフィーユ、アップルパイやらチーズケーキ、ガトーショコラやらブッシュ・ド・ノエルなど…

 めっさハイカロリーな洋菓子がズラリと。

「こ、これは…?」

 流石に絶句する神崎。

「夢色パティシエールにハマっとったからなぁ。ちょっと作り過ぎたかもしれんが」

 照れ笑いするバッチャン。

「夢色パティシエールって…少女漫画の?」

 神崎の問いに頷いて答えるバッチャン。

「勇が昔借りて来た少女漫画が沢山あってなぁ。続きが気になって読んでたら、ワシャあスッカリ少女漫画ファンになったんじゃ」

 そう、ケラケラ笑う。

「北嶋さんが昔借りて来た少女漫画?」

「諸事情で返さなくても良くなったんだよ。だから部屋に置きっぱなしにしていたんだ」

 俺はその話題はどうでもいいような表情をし、一心不乱にバッチャンの洋菓子を食い始めた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 妾は勇の家の駐車場にて、黒猫を睨み付けている途中だった。

 黒猫は妾の存在など無視し、毛繕いをしている。

 勇の祖父が車で出掛け、勇達が祖母と共に家の中に入って行く。

 それと同時に立ち上がる黒猫。咄嗟に妾は低く身構えた。

――そんなに警戒しなくてもよろしゅう御座いますよ?ウチに沢山聞きたい事があるんでっしゃろ?

 黒猫はニンマリ笑いながら妾を見た。

――貴様、やはり…!!

 この黒猫から発せられる神気…

 かなり抑えているが、妾には解る…

 裏山の三柱と何ら遜色の無い神気だと言う事が!!

――少しお待下さいまし。今仕事が出来ましたので

 黒猫がシャッと息吹きを吹く。それに呼応し、猫共が黒猫を囲むように現れた。

――猛が獲物を捕りに行きました。お手伝いよろしゅう

 猫共は一気に飛散するが如く、その場から走り去った。

 そして妾の方を向き、再びニンマリ笑う黒猫。

――ようこそお越し下さいました。白面金毛九尾狐さん。ウチは数百年も前から北嶋の家を護っている猫で御座います

 黒猫は妾に深々と頭を下げた。

――招き猫か?

 黒猫はゆっくりと首を横に振る。

――結果福を招いただけに過ぎませぬ。北嶋の家は昔は養蚕をやっておりまして。ウチは縁あって、蚕神となったんですが…元々は遥かエジプトに居りましたんえ

 やはりニンマリ笑う黒猫。そして続ける。

――ウチに聞きたい事はそんな事では無いでっしゃろ?大妖の貴女様を従えるとは、あの子はやはり変わった子ですわ~

――本心は、貴様の正体も気になるがな。まぁ、勇が変わった男なのには同意するが

 妾が警戒を解くに値する、全く敵意の無い黒猫。遥か昔から北嶋の家を護っているのは本当のようだ。

 勇に仕えている妾に、全く敵対心が無いのは愚か、感謝までしている様子だ。

 神猫が妖狐の妾に…!!

――まぁ、お聞きしたい事には答えますが、ウチにも解らない事にはお答えできませんよって、それは了承下さいまし

――流石に知らぬ事には答えようが無かろう。先ずは先程の猫共はどこに何をしに行ったのだ?

 妾は遠慮無く、黒猫に質問を浴びせる事にした。

――ですから、猛のお手伝いに行きましたんです。何や、勇のお嫁さんにご馳走を食べさせたい言っておりましたんで、恐らく山に猪を狩りに行った筈ですからな

 確かに勇の祖母は狩って来いとか言っていたが、まさか本当に狩りに行くとは!!

――ああ、勿論猫達は、獲物の居る場所に案内する程度ですが、無闇に探し回るよりは効率がよろしいと思いますわ

 平然と言葉を続ける黒猫。どうやら勇の実家では、日常茶飯事らしい。

 しかし、人間が、もてなす為に狩りとは…

 気を取り直して、質問を続ける妾。

――い、勇の家を昔から護って来たらしいが、無論、人間も護っている、と言う事だろうな?

――はい。災害から人害まで、全て。大きな戦争が起こっても、北嶋の家はウチの加護で死者を出しておませんの。北嶋の家は代々長命なんですわ。勇の両親を除いて、ですが…

 黒猫の表情が曇る。

――そう言えば、勇の両親は事故で死んだのだな。貴様の加護が届かなかった、と言う訳か

――それは違います!!

 それは黒猫が初めて見せた表情。

 護れなかった悔しさや、力量不足を嘆いている表情では無い。

 黒猫自身も、全く理解が出来ないと言う表情を見せたのだ。

――勇の両親、かなめや、お嫁さんの弥生やよいさんにも、ウチは気を張っておりました。隙なんて見せなかったんです。勇が産まれたばかりでしたから尚更ですわ

 まぁ、確かに、家を護る神が、産まれたばかりの赤子に不利益な事をする筈も無い。勇を護ると同様、両親にも気を配っていた筈。

――ならば何故?

――解りません…気が付いたら死んでしまった、としか言いようが無いのですわ…

 黒猫は本当に解らないと言った表情だ。

 そして思い出したように言う。

――もしかしたら、勇のおかしな体質、とでも言いましょうか…その為かもしれませんが…

――おかしな体質?

 黒猫は真剣な表情を作り、妾に顔を突き出した。

――ええ、貴女もお気付きでしょうが、勇には所謂守護霊、守護神が憑いておりません。これは本当に不思議な事ですが、普通なら有り得ない事ですわ

 妾は目を見開いた。

 やはり、勇に守護霊は憑いていなかったのか、と。

 守護霊が憑いていないと言う事は有り得ないのだが、仮に憑いていないとなった場合、勇は産まれ落ちた瞬間に死んでいる、もしくは超短命である筈。加護が全く働いていない状態なのだから。

 仮に今まで無事だったとしても、悪霊などに易々と身体を乗っ取られるであろう。

 それがどうだ?悪霊は愚か、悪神すらも敵とせず、思うが儘に力を振るい、それを滅ぼしている。

 以前霊に身体に入られた事があったらしいが、何の知識の無い儘、天に還したらしいし…

――薄々気が付いていたが、やはり勇には加護が無かったのか…

 黒猫は首を縦に振った。

――加護が無いと言うよりは、必要としない。恐らく、これが正解ですわ。何故必要としないのかは解りませんが…

 神妙な顔の黒猫。

 勇を産んだから、両親は存在を無くした。暗に、そう言っているようだった。

――勇の両親は、ちゃんと成仏しておるのだろうな?

――それは勿論。最初は勇を案じて、なかなか行くべき所へ行かなかったのですが、本当にある日突然、安心して行きました。何故安心したかも解りませんが…

 知れば知る程、勇の謎が深まった。

 何故加護が必要では無いのだ?

 何故突然安心して旅立ったのだ?

 お家憑きの神すらも解らぬなど、俄かに信じられぬが…

――そうそう、九尾狐さん、お気を付けて下さいましね。銀色の髪の女の子…

 ふん、リリスの事か。安心しろ、と言う前に黒猫が続ける。

――…は、昔から色々勇を探っていましたが、少なくとも、今は気にする必要はありません。今、気にしなければならないのは…享年15歳の女の子…終わりたいのに終わらせてくれない…還りたいのに還させてくれない…憎悪も無いのに憎まなければならない…その可哀想な女の子に気を付けて下さいまし

 ピクリと身体が動く妾。

 リリス以外にも敵が?

 そう聞こうと思い、黒猫を見る。

 黒猫は哀しいような、切ないような…そして苦しいような表情を見せていた……

 黒猫の耳がピクピクと動く。車の排気音に反応したのだ。

――猛が帰ってきたようです。続きは夜にでも

 黒猫は妾が返事を返す前にスッと身を翻し、門の方向を見るように座った。

「おおークロ!お前の仲間が獲物の居場所を教えてくれたおかげで、デカいヤツが捕れたぞ!!」

 ワシワシと黒猫の頭を撫でる勇の祖父。

 黒猫は喉をゴロゴロ鳴らしながら、黙って撫でられていた。

 勇の祖父の車の周りには、沢山の猫共が群がっている。

 狩りを手伝った報酬を貰おうとしている訳か?

 妾も車に近寄ってみる。

――おおお!デカいっ!デカ過ぎる猪がっっっ!

 軽トラックの荷台に収まり切れずにロープで縛られ、固定されている猪を見て仰天する妾。

「帰ったかもうろくジジィ。おっ、こりゃまたデカい猪じゃな!でかしたぞジジィ!」

 勇の祖母がやたら喜んで出迎える。

「そうじゃろそうじゃろ!惚れ直したかババァ!」

「直す前にずっと惚れてるでな、ティファールのフライパンの次にな。勇、勇っ!出てきて解体手伝え!」

 フライパンより愛されていない勇の祖父…

 仲良い事は美しい事だが、切なすぎる。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「なんだよ解体ってよー…うわ~、マジかジッチャン…」

 バッチャンに呼ばれて外に出た俺の目に飛び込んできたのは、200kg近いデカい猪。

 よくもまぁ、野生でこれまで育ったもんだと感心するも…

「これ、まさか今日の晩飯?」

 恐る恐る指を差す。

「そうじゃがな!尚美さん喜ぶじゃろうなぁ!」

 ご機嫌なジッチャンだが…

「猪ってかさー。獣は捌いてから2週間は熟成させないと不味いだろが」

 猪に限らず、牛も豚も、直ぐに捌いて食べるとなると、臭い上に不味い。

 冷蔵庫に2週間程入れて熟成させないと、とても食えたモンじゃないのだ。

「勇…誰からそれを聞いた…」

 ジッチャンの手がワナワナ震える。

「ジッチャンの受け売りだろーが。忘れたのかよ」

「そ、そうじゃそうじゃ!このもうろくジジィが!大事な事を忘れおって!」

「つか、バッチャンが行かせたんだろが。さっきのやり取り全て聞いていたぞ」

「勇…油断も隙も無いガキじゃな…」

 バッチャンもワナワナと震えた。

「どーでもいいが、今日は食えないだろ?素直に寿司でも取れ、寿司でも」

 食えないモンは食えないから仕方ない。

 俺は軽トラックから視線を外し、振り向いた。

 そこには神崎が青ざめながら、呆然と立っていた。

「猪?猪!!デカっ!!デカいっ!!」

 神崎は猪がデカい事に無理やりテンションを上げているようだ。アレが自分の口に入る事を考えたくないように。

「まぁ、殺しちゃったから、いずれ食わなきゃならないが、神崎の口に入る事は無いから安心しろ」

 猪が熟成する前に、俺達は俺達の家に帰る事になる。だから今日捕った猪は口には入らない。

「あの軽トラックの荷台に、鉄パイプが転がっているけど…」

「あれは向かってきた猪にカウンターでぶち喰らわす為の鉄パイプだな」

 ヒイイイイ!、と、ムンクの叫びのようになる神崎。神崎には想像すらできん狩りのようだな。

「スマンなぁ尚美さん。これはまだ食えないんじゃ…」

 落胆するジッチャンに、パァァァァ、と明るい表情になり、何度も頷く神崎。

「代わりに肉屋から猪を買うわ。この猪とトレードじゃな」

 何故か猪を食わせる事に執着するバッチャン。

 神崎が微妙な表情に変わり、愛想笑いをしながら頷いた。

「鳴海の肉屋に来て貰うとするか」

 バッチャンが携帯を取り出し、ピコピコと繋ぐ。

『はい鳴海精肉店。北嶋の婆さんだな!いつもいい肉ありがとうな!』

「挨拶はいらんから、今すぐに猪肉5kg程届けてくれんかな。200kgの猪とトレードじゃ」

『5kg?随分沢山欲しいんだなぁ?客でも来たのか?』

「勇が嫁連れて帰ってきたんじゃ!嫁に猪食わせたいんじゃ!早よ持って来てたもれ!」

『何!?勇が帰ってきた!?しかも嫁連れて!?本当か婆さん!!行く行く行く!!今すぐ行くわ!!あっ、連絡網回しとこ!!ちょっと待ってて!速攻行くからさ!!』

 慌てて電話を切った肉屋。

「信夫か?奴も久しぶりだなぁ!」

 鳴海精肉店の鳴海なるみ 信夫しのぶは俺の幼なじみの一人だ。懐かしい名前に顔が綻ぶ。

「北嶋さんのお友達?」

 頷く。やはり笑いながら。

「信夫はお喋りだからな。直ぐに昔の仲間に連絡が回る筈だ。プチ同窓会になりそうだ」

 懐かしい顔、懐かしい名前が浮かび、俺の心が踊る。

 だが、それは思い出さなきゃならない名前も出てくる。

 踊った心を鎮める、懐かしい名前と顔が、俺の脳裏に蘇ってきた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「やれやれ、肉屋の倅が連絡網を回したか。こりゃ宴会になるな。尚美さん、申し訳無いが、買い物に一緒に行ってくれんか?」

 北嶋さんのお婆ちゃんが何か嬉しそうに張り切り出す。

「はい、是非お手伝いさせて下さい」

 大人数になりそうな感じだから、沢山買い物をするのだろう。

 北嶋さんはお友達が来るから。

 お爺ちゃんは猪をお肉屋さんに引き渡さないとならないから、出掛けられない。

 だから私にお願いしたんだ。

 家族の一員に認められたようで、少しくすぐったくも嬉しい。

「そうか!ありがとう!ではガレージに行くかの!」

 私はお婆ちゃんの後に付いてガレージまで歩く。

 頑丈そうなシャッターをボタンで開けるお婆ちゃん。

 重厚な音と共に、ゆっくり、ゆっくりとシャッターが上がって行く。

「!お、お婆ちゃん!この車達!!」

 かなり驚いてガレージの中を見渡す。

「ワシャのコレクションじゃ!!」

 お婆ちゃんは満面の笑みを浮かべてケタケタ笑う。

 ガレージの中には、真っ赤に塗られたスポーツカーが一台、二台…

「フェラーリが七台もっっっ!!」

「綺麗な赤じゃろ!!ワシャの一番のお気に入りは、あのF40じゃ!!」

 F40がお気に入りって!!

 他にもF50やスクーデリアスパイダー、ディーノ246GTが、真っ赤な車体に多少泥を付けて鎮座していた。

 え!?エンツィオもある!?凄い高価なフェラーリじゃない!!

 しかも、タイヤも減っている事から、ただのコレクションじゃない、ちゃんと走っている事が窺えた。

「荷物を積まなきゃならんから、今日はカルフォルニアじゃな」

 壁に掛かっているキーボックスから鍵を取るお婆ちゃん。

「スッゴく良い趣味ですね!!わぁ~良いな良いな!!格好いい!!カルフォルニア丸くて可愛いっっ!!」

 我慢出来ずにフェラーリ達に触れまくる。

「やはり尚美さんもこっち側じゃったか!!かなり走り込んでるBMWじゃから、絶対そうだと思っておった!カハハハハ!!」

 お婆ちゃんは愉快そうに笑う。

 やがて笑い声が止まり、私に優しく話し掛ける。

「尚美さん、これらはオマケに尚美さんにやるわ」

「ええええええええ~っっっ!?フェラーリですよ!?とっても高価な車達ですよ!?」

 驚き、飛び上がる寸前になった。

「尚美さんが貰ってくれなんだら、勇が売っ払ってしまうからの。あの馬鹿ガキはこの車達の素晴らしさを全く知らんからな」

 確かに、北嶋さんなら『こんなに車あったら邪魔』とか言って、簡単に処分してしまうだろう。

 それはあまりにも勿体無い。

 いや、その前に…

「オマケって?」

 お婆ちゃんはニカッと笑う。

「勇の母…弥生さんが付けていた指輪のオマケじゃよ。弥生さんの形見、要の形見でもある、婚約指輪を尚美さんに貰って欲しいんじゃ」

 私に北嶋さんのお母さんの指輪を…?

「指輪は弥生さんから贈られた、と思ってくれんか?その方が弥生さんも喜んでくれるじゃろうからな」

 何だろう…何故か涙が零れ落ちそうになる…

 私は堪えながら、頷いた。

 頷いた瞬間、床にポッと一粒の涙が落ちてしまった。

「ありがとう、ありがとうなぁ、尚美さん」

 横に首を振る。感謝するのは私の方ですと。

 私は、胸が詰まって、その言葉が出なかった…

「さっ、では買い物に行こうかの。勇の友達連中はたらふく食う連中ばかりじゃからな」

 零れた涙を人差し指で拭いながら聞いた。

「はい!何を買いに行くんですか?」

「そうじゃなぁ、肉屋が気を利かせて肉を大量に持ってくるじゃろうから、ばーべきゅーなんていいかもしれんなぁ。野菜と米は正に売る程あるから、酒じゃな」

 売る程あるって、農家で生計を立てているんだから当然じゃ…

 お爺ちゃんもそうだが、お婆ちゃんもやはり北嶋さんに似ている所がある。

 吹き出しそうになるのを堪える。

「どうしたんじゃ尚美さん?」

「い、いえ何でも」

「そうか?じゃあ行こうか」

 運転席にお婆ちゃんが乗り、続いて助手席に私が乗り込む。

「カルフォルニアって思ったより広いんですね!」

「じゃろ?こんなに便利な車を、あのジジィは実用的じゃないやら、デカ過ぎるやら煩いんじゃ」

 ブチブチ文句を言いながら、お婆ちゃんはアクセルを踏んだ。

 国道に出るまでの多少の狭い道を快適に走るお婆ちゃん。

「結構飛ばしますね」

「カハハハハ!フェラーリは踏んでなんぼじゃ!だが、出し過ぎはいかん!飛び出してくる輩もおるでな。当たっても擦り傷程度に留めるようなスピードじゃ!」

 何か怖い事を言っているような…

 まさか、と思い、恐る恐る聞いてみる。

「人身事故は無いですよね…?」

「2回程ある」

 真っ青になった。

 安心させる為か、慌てて言い訳をするお婆ちゃん。

「コン、じゃコン!擦り傷にもなっとらん!」

 そ、それは不幸中の幸いじゃ…

「それに直ぐに病院に行ったから大丈夫じゃ!ワシャの掛かり付けじゃから信用もあるしの!」

 話を聞き間違えると、揉み消したとも取られるけど…

 慌てて話を強引に変えるお婆ちゃん。

「ほ、ほれ!ここに来る途中、廃病院があったじゃろ?その病院が新しくなったんじゃ!最新医療じゃから、そこに連れて行ったから大丈夫じゃって!」

 廃病院…あの何か嫌な感じがした病院か。

「まだ中に何かあるんですか、あの廃病院は?確か…滝沢病院と書かれた看板が掛かっていた筈ですよね?」

「そうじゃ、滝沢病院じゃ。あそこの院長の子は勇の友達でな。恐らく、今日集まって来る筈じゃから、中身が気になるなら聞いてみるがええて」

 お婆ちゃんは『何とか話を逸らせた』とホッとした様子だが、何か引っ掛かる。

 滝沢病院…

 北嶋さんの友達…

 今日来るのなら、入っていいか聞いてみよう。

 あの廃病院に…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 神崎とバッチャンが買い物に出ている最中、信夫が仲間を連れて家にやって来た。

「勇ぅ!久しぶりだなぁ!少し痩せたかよ?」

「信夫!お前は相変わらず肉屋体型をしているなぁ!」

 信夫の腹をタプタプと叩く俺。

「うるせぇよ!おい、嫁は?」

 俺の手を払い、キョロキョロと神崎を捜す信夫。

「バッチャンと一緒に買い出しだ。多分酒買いに行ったんだろ」

 信夫は残念そうに指をパチンと鳴らす。

「ああ~、お前みたいな奴の嫁に来る奇特な女性見たかったなぁ。まぁいいや、後でじっくり見せて貰うぜ!爺さんにツラ出してくらあ。猪貰いにな。おら、これは頼まれた猪5kgだ。んで、牛肉5kgに鶏肉5kgに…」

 頼んだ以上の肉がズラズラ並ぶ。

「お前の庭でバーベキューしようぜ!じゃ、ちょっと待ってろよ!」

 そう言いながら信夫はジッチャンの軽トラック目掛けて走る。

「信夫は相変わらずだろ?勇!久しぶりだな!」

「勇ぅ!彼女見せて~!」

「勇っ!お前連絡くらいしろやっ!」

 懐かしい顔の俺の友人達が俺を取り囲む。

「おー!洋介に朱美に雅之!おおー!樹里まで来たか!」

 俺の愛すべき友人が並ぶが、やはりあいつは来てはいない。

 寂しい気持ちと共に、ホッとした。

 まだ終わってないんだろうか。

 まだ、アレは在るのだろうか。

 恐らくは、まだ途中なんだろう。

 だから俺には会いに来れないのか……


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