北嶋勇の心霊事件簿11~哀しき少女~
しをおう
帰って来た北嶋
遊歩道の工事の処理が完了して直ぐに、私は大切な友達に電話ではあるが、報告した。
内容は『北嶋さんのプロポーズを受けた』事だ。
もの凄い緊張と、もの凄く申し訳無い気持ちと一緒に話した。
先ずは結奈。
『へー!おめでとう!夫婦探偵かぁ…いいなぁ…』
と、羨ましがられながらも祝福してくれた。
『まぁ、私はとっくにリタイアしたからねぇ。梓達には頑張ってね』
励ましとも放り投げられているとも取れる言葉を戴いた。
まぁ、結奈は私が北嶋さんの元に戻るようにしてくれたんだから、恐らくは本心で励ましてくれたんだろう。多分。
次は梓だ。
『えーっっっ!!マジでぇ!!ウッソー!!いやー!!ねぇ!!私はねぇ!!特にはねぇ!!いやー!!ねぇ!!』
北嶋さんには特に感情を持っていないと言いたいようだったが、かなり動揺していた。
『だけどねぇ!?えーっっっ!?言いたい事沢山あるけど、脳内で整理付かないわぁ!!』
と、プチパニックに陥って話にならなかった。
終始『えーっっっ!!』と『ウッソー!!』を繰り返していた所を見ると、やはり北嶋さんには多少なりとも期待はしていたのだろう。
まぁ、梓は諦めていたようだから、最後にはちゃんと祝福してくれたけど…イマイチ複雑な心境だった。
そして生乃は…
『え…嘘でしょ…尚美、私を応援してくれるって言ったじゃない……』
と、シクシクシクシクと泣かれた。
生乃は北嶋さんを好きだって周りにもアピールしていたから、こうなるとは思っていた。
そして私に協力して、ともお願いしてきた。それを了承した。
その約束を、最悪な形で裏切ったのだ。
だから私はただ謝るしか無い。
何度も何度も、ただ『ごめんなさい』と謝罪した。
『…ううん…謝らなくていいよ…尚美が一番北嶋さんの近くに居るんだもん…あんな素敵な人にプロポーズされたら…グスッ…ご、ごめんね…今はちゃんと祝福できない…』
そう言われて電話を切られた。
凄い心が痛んだ。本当に生乃には申し訳無い…罪悪感しかなかった。
今度、会いに行ってちゃんと謝ろう…そう決意して俯いた顔を上げた。
そして宝条さんだが…
『えええええーっっっ!?本当ですか!!受けたんですかプロポーズ!?ああー!やっぱり最大の敵は神崎さんでしたかぁ!!』
自分は出遅れた、とか、北嶋さんにハッキリ言うべきだった、とか、後悔していた。
勿論謝罪する。
『いや、謝って貰わなくていいです。何の行動も起こして無かった私が悪いって言うか…』
と、自分の責任だと言う事を言っていた。
だが、その後に恐るべき事を言い放つ。
『ねぇ神崎さん、私は昼ドラって、結構好きなんですよ』
昼ドラ…あのドロドロした男女関係のドラマの事だ。
『私は略奪愛も有り、と思っているんです』
いや!例え思っていても、口に出すべきじゃない事でしょう!?それも私に!!
絶句している私に宝条さんは続ける。
『あ、私は因みに二番目でもいいと思っているんですよ。気を付けて下さいね』
そう、宣戦布告を真正面から放った。
「え…ええ…気を付けるわ…」
そう返すのがやっとだった。
あの子には本当に気を付けないといけない。本当に恐ろしい人だと思った。
BMWに荷物を積んで、北嶋さんの実家に向かう。
「帰るのも久しぶりだなぁ…あ~…あ~…」
実家に帰ると決まってから、いや、私が実家に行きたいと言った時から、北嶋さんは唸っていた。
「そんなに嫌なの?」
「嫌って言うか…」
何か言い出せない、言いたく無い事でもあるのだろうか?
「昔やった恥を晒したく無い訳なんだ?」
イタズラっぽく笑って返す。
「恥なんか無いぞ。むしろ俺は人気者だったんだ。だがなぁ…まぁ、今は終わったかもしれないし…」
今は終わった…?
やはり過去にヤンチャした事がバレるのが嫌なんだろう。
「大丈夫よ北嶋さん。北嶋さんが何をしても別に驚かないし。流石に人を殺したとかなら驚くけどね」
そう言いながら北嶋さんを横目で見る。
ドキリとした。北嶋さんは神妙な顔つきとなっていたのだ。
「北嶋さん、まさか…」
本当に人殺しをしたの?
質問する前に北嶋さんが口を開く。
「酔った…」
「今停車するから吐くのは待って!!」
慌てて路肩に停車する。
「なんで私の運転では酔っちゃうのよっ!!」
確かにバスや電車でも酔う北嶋さんだが、吐くまではいかない。葛西の運転でも車酔いは軽かったらしい。
何故私の運転だけ!!
吐いてスッキリした北嶋さんが答える。
「そりゃ、神崎の運転は荒いからだろ」
「北嶋さんが乗っている時は一応セーブしているのよ!車内をゲロまみれにされたくないからね!」
「だが酔っちゃう事実があるんだから、やっぱり荒いんだよ」
確かに他の人と比べたら、私はスピード出しちゃうから、多少荒いかもしれないけど…
「じゃあ北嶋さんが運転してよ!!」
「それは無理だ。面倒だから」
「じゃあ文句言わない!!」
アクセルを踏み込む。メーターの針がみるみる内に上がっていく。
「ま、待て神崎!!神崎っ!!かんざきいいいいいい!!」
北嶋さんが泡を噴いて気絶するまでスピードを上げる。
数秒後、北嶋さんは大人しくなった。
勿論、泡は噴いていた。
北嶋さんの実家まで高速等を使っても約六時間。
普通に運転すれば八時間くらいか。
途中、パーキングに寄ってタマに水をあげたり、腰を伸ばしたりしながら運転を続けた。
北嶋さんは気絶から覚醒する事無く、大人しくしている。だが、そろそろ起こさなきゃならない。
「北嶋さん、北嶋さん、北嶋さんの故郷に着いたから」
だが覚醒しない北嶋さん。
「タマ、お願い。両手塞がっているから」
タマが後部座席から飛び出して北嶋さんの耳を咬む。
「くおおっ!?痛っ!何だ何だぁ!?」
文字通り飛び起きて首を振る北嶋さん。
「北嶋さん、故郷に着いたよ」
「…もう着いたのか…」
北嶋さんは窓を下げた。
「懐かしい匂いだなぁ」
「静かで良い所だね」
そこは温泉が有名な山間の街。
少し離れた所には農場もあり、ソフトクリームが有名らしい。
「俺ん家はまだまだ先だけどな」
そう呟く北嶋さん。
その表情は、やはり懐かしんでいるようで、少し楽しそうで。
だけど、少し哀しそうだった…
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
沢山の店が並んでいる国道を少し脇道に反れると…
「凄い!畑や田んぼばっかり!!」
「だから田舎だって」
そうなのだ。俺の実家は、国道沿いと駅前周辺以外は、畑や田んぼばっかりなのだ。
それにしても…
「懐かしいが変わって無いのが悲しい…」
確かにバイパスなど整備され、昔よりは幾分都会っぽくなってはいるが、殆ど変わっていない。
「静かでいいじゃん」
神崎…それはフォローのつもりだろうが、田舎住まいの人間にはフォローになっていないぞ…
そう思いながら道を進む。
橋を越えると、今度は一面田んぼだ。
そして俺はこう言った。
「この田んぼは全部ジッチャンの物だ」
「へ~っ…っっって、ぜ、全部!?」
神崎が驚いて助手席の俺を見る。
「危ないって!ちゃんと前向けよ!!」
俺がビビりながら注意すると、神崎は慌てて前を向く。
しかし、その目が右へ左へと動いている。
「今視界に入る田んぼと畑が全てだ」
「ひ、広過ぎだけど…」
そうなのだ。近年、個人で農業だけで食っていける、貯えもできるのは、日本でほんの一握りだ。ジッチャンは、その一握りのジジィなのだ。
そして俺は指を差す。
「あの山な、あれもジッチャンの物だ」
「山まで持ってるの!?」
っても手入れが面倒だから、営林署に頼んで管理させているが。もっぱら趣味の山菜採りくらいしか役に立っていないが。
「き、北嶋さんってお金持ちだったのね…」
「俺は金持って無いぞ。金持ちなのはジッチャンだ」
まぁ、確かにジッチャンは街の中では金持ちの部類に入るらしいが。だが、一番では無い。一番は病院の院長だ。
「何か昔から金には困らない家らしいがな。俺は給料五万で貧乏だが」
「給料五万でも多いくらいに感じてきたわ…」
うおいっ!!だから金持ってんのはジッチャンだってば!!
これ以上給料下げられたら、コンビニにも行けなくなるだろ!!
そうこうしている間に、多少開けた町に出る。
俺の実家は、この町の中にあるのだ。
「あ、あれは…」
いきなり神崎が怪訝な表情をして指を差す。
「…あれは廃病院だな。他に新しく建てたんだが、あの病院は解体しなかったんだよ」
解体しなかったのは、まだ使うとか、色々理由があるらしい。
らしいが…
「お、もう直ぐで俺ん家だぞ神崎」
話題を変えようとした俺だが、神崎は廃病院が気になるのか、チラチラと横目で見ていた。
それから少し、ほんの少し走る。
目の前に、鉄筋コンクリートでできた、小さいビルみたいなレンガを積んだような家が見える。
「あれが俺ん家だ」
「ええええええっっっ!?農家だから木の家かと思ってた!!」
驚く神崎。つか、どんな思い込みだ。茅葺き屋根の古民家でも想像していたのかよ。
「ジッチャンは最新の物が大好きなんだよ」
「へぇぇぇ~っっ…」
もの凄い意外な顔をしている神崎。
そしてレンガモドキのビル的な家に車を停車させる。
俺はタマを後部座席から抱き上げて叫んだ。
「おーいっっ!!孫が嫁連れて帰って来たぞおおおお!!」
チリン………
俺の足元に何かが纏わり付く。
「おー、クロ!久しぶりだなあ!元気だったか?」
俺は屈んで、足元にじゃれついている黒い猫をグリグリと撫でた。
「ニャーン」
クロはゴロゴロと喉を鳴らした。
「…この猫!!」
神崎が驚いてクロを見る。タマも心なしかビリビリと緊張をしていた。
「おー勇、よぅ帰ったなぁ!!おおー、ベッピンな嫁じゃあ!!」
俺と神崎は同時に声の方向を向いた。
そこには俺のジッチャン、
「は、初めまして!勇さんとお付き合いをさせて頂いています、神崎 尚美と申します!」
深々ともうろくジッチャンに頭を下げる神崎。
つか、お付き合いって!!
何という甘美な響きなのだろうか!!
天を仰いで涙する。感涙で前が見えん!!
「ああー!!よう来たよう来た!!おいババァ!!勇のオナゴが来たぞぉぐあっ!!」
振り向いたと同時に、ジッチャンが額を押さえて踞った。
「ババァとはなんじゃ!!口の悪いジジィじゃ!!早よ死ねもうろくジジィ!!」
フライパンを高らかに掲げながら、着物を着た身なりの良さをアピールしているバッチャンが仁王立ちをしてジッチャンを睨んでいた。
「あ、あの、お爺さん、額から血を流していますけど…」
心配そうな神崎にケロッとして答えるバッチャン。
「ああー、いつもの事ですわ。気にしなさんな。それより、よう来て下さいました。勇の祖母の
ヨヨヨ、と泣くバッチャン。演技バリバリなのが丸解りだった。
「口悪いのはバッチャンだろーが」
「やかましかっ!!お前も早よ死ね馬鹿ガキ!!」
早よ死ねって、孫に言う台詞じゃ無いと思うが…
オロオロする神崎。ジジイとババアの強烈なキャラについていけないのだろう。
「まぁ、そんな緊張しなさんな。さぁ、長旅で疲れたじゃろう?早よ中へ、早よ早よ!!」
バッチャンに急かされて家の中に連行される神崎。俺も後に続く。
ジッチャンが俺の後に続こうと立ち上がったその時!!
「何を呑気に家に入ろうとしてんじゃジジィ!!嫁が来たんじゃ!!旨い物でも狩ってこんか!!」
ジッチャンに跳び蹴りを喰らわす。ドカンとか音がして、塀に寄り掛かっていたクワやらスコップやらが散乱した。
「ぐおお!!ババァ!!ワシも嫁と話をしたいんじゃあ!!」
ヨロヨロと立ち上がるジッチャン。あのような豪快な音でもダメージがほぼ皆無。全く頑丈なジジィだ。
「だから早よ狩って来りゃええじゃろが?もうろくジジィよ?」
「誰がもうろくジジィじゃ死に損ないが!!」
「ほぉ、このババァに上等な口を利きよるの、ジジィ…」
フライパンをツイッと前に掲げるバッチャン。
「お前に殺されるわ!まぁ、確かに嫁には旨い物を食わせんとなぁ…ちょっと行ってくるわ。尚美さん、少し待っておくれ」
ジジィはそのまま軽トラックでどこかに出かけた。
神崎はただ、愛想笑いをしながら頷くしか無かった。
居間に座る俺と神崎。ようやく落ち着いたのか、感想を述べる。
「何て言うか…凄いね…」
「だろう?俺がグレなかったのが奇跡だろ」
「何を言っとる馬鹿ガキ。さぁ、尚美さん、これ食べんさい」
神崎の前に出されたのは、苺のケーキやミルフィーユ、アップルパイやらチーズケーキ、ガトーショコラやらブッシュ・ド・ノエルなど…
めっさハイカロリーな洋菓子がズラリと。
「こ、これは…?」
流石に絶句する神崎。
「夢色パティシエールにハマっとったからなぁ。ちょっと作り過ぎたかもしれんが」
照れ笑いするバッチャン。
「夢色パティシエールって…少女漫画の?」
神崎の問いに頷いて答えるバッチャン。
「勇が昔借りて来た少女漫画が沢山あってなぁ。続きが気になって読んでたら、ワシャあスッカリ少女漫画ファンになったんじゃ」
そう、ケラケラ笑う。
「北嶋さんが昔借りて来た少女漫画?」
「諸事情で返さなくても良くなったんだよ。だから部屋に置きっぱなしにしていたんだ」
俺はその話題はどうでもいいような表情をし、一心不乱にバッチャンの洋菓子を食い始めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妾は勇の家の駐車場にて、黒猫を睨み付けている途中だった。
黒猫は妾の存在など無視し、毛繕いをしている。
勇の祖父が車で出掛け、勇達が祖母と共に家の中に入って行く。
それと同時に立ち上がる黒猫。咄嗟に妾は低く身構えた。
――そんなに警戒しなくてもよろしゅう御座いますよ?ウチに沢山聞きたい事があるんでっしゃろ?
黒猫はニンマリ笑いながら妾を見た。
――貴様、やはり…!!
この黒猫から発せられる神気…
かなり抑えているが、妾には解る…
裏山の三柱と何ら遜色の無い神気だと言う事が!!
――少しお待下さいまし。今仕事が出来ましたので
黒猫がシャッと息吹きを吹く。それに呼応し、猫共が黒猫を囲むように現れた。
――猛が獲物を捕りに行きました。お手伝いよろしゅう
猫共は一気に飛散するが如く、その場から走り去った。
そして妾の方を向き、再びニンマリ笑う黒猫。
――ようこそお越し下さいました。白面金毛九尾狐さん。ウチは数百年も前から北嶋の家を護っている猫で御座います
黒猫は妾に深々と頭を下げた。
――招き猫か?
黒猫はゆっくりと首を横に振る。
――結果福を招いただけに過ぎませぬ。北嶋の家は昔は養蚕をやっておりまして。ウチは縁あって、蚕神となったんですが…元々は遥かエジプトに居りましたんえ
やはりニンマリ笑う黒猫。そして続ける。
――ウチに聞きたい事はそんな事では無いでっしゃろ?大妖の貴女様を従えるとは、あの子はやはり変わった子ですわ~
――本心は、貴様の正体も気になるがな。まぁ、勇が変わった男なのには同意するが
妾が警戒を解くに値する、全く敵意の無い黒猫。遥か昔から北嶋の家を護っているのは本当のようだ。
勇に仕えている妾に、全く敵対心が無いのは愚か、感謝までしている様子だ。
神猫が妖狐の妾に…!!
――まぁ、お聞きしたい事には答えますが、ウチにも解らない事にはお答えできませんよって、それは了承下さいまし
――流石に知らぬ事には答えようが無かろう。先ずは先程の猫共はどこに何をしに行ったのだ?
妾は遠慮無く、黒猫に質問を浴びせる事にした。
――ですから、猛のお手伝いに行きましたんです。何や、勇のお嫁さんにご馳走を食べさせたい言っておりましたんで、恐らく山に猪を狩りに行った筈ですからな
確かに勇の祖母は狩って来いとか言っていたが、まさか本当に狩りに行くとは!!
――ああ、勿論猫達は、獲物の居る場所に案内する程度ですが、無闇に探し回るよりは効率がよろしいと思いますわ
平然と言葉を続ける黒猫。どうやら勇の実家では、日常茶飯事らしい。
しかし、人間が、もてなす為に狩りとは…
気を取り直して、質問を続ける妾。
――い、勇の家を昔から護って来たらしいが、無論、人間も護っている、と言う事だろうな?
――はい。災害から人害まで、全て。大きな戦争が起こっても、北嶋の家はウチの加護で死者を出しておませんの。北嶋の家は代々長命なんですわ。勇の両親を除いて、ですが…
黒猫の表情が曇る。
――そう言えば、勇の両親は事故で死んだのだな。貴様の加護が届かなかった、と言う訳か
――それは違います!!
それは黒猫が初めて見せた表情。
護れなかった悔しさや、力量不足を嘆いている表情では無い。
黒猫自身も、全く理解が出来ないと言う表情を見せたのだ。
――勇の両親、
まぁ、確かに、家を護る神が、産まれたばかりの赤子に不利益な事をする筈も無い。勇を護ると同様、両親にも気を配っていた筈。
――ならば何故?
――解りません…気が付いたら死んでしまった、としか言いようが無いのですわ…
黒猫は本当に解らないと言った表情だ。
そして思い出したように言う。
――もしかしたら、勇のおかしな体質、とでも言いましょうか…その為かもしれませんが…
――おかしな体質?
黒猫は真剣な表情を作り、妾に顔を突き出した。
――ええ、貴女もお気付きでしょうが、勇には所謂守護霊、守護神が憑いておりません。これは本当に不思議な事ですが、普通なら有り得ない事ですわ
妾は目を見開いた。
やはり、勇に守護霊は憑いていなかったのか、と。
守護霊が憑いていないと言う事は有り得ないのだが、仮に憑いていないとなった場合、勇は産まれ落ちた瞬間に死んでいる、もしくは超短命である筈。加護が全く働いていない状態なのだから。
仮に今まで無事だったとしても、悪霊などに易々と身体を乗っ取られるであろう。
それがどうだ?悪霊は愚か、悪神すらも敵とせず、思うが儘に力を振るい、それを滅ぼしている。
以前霊に身体に入られた事があったらしいが、何の知識の無い儘、天に還したらしいし…
――薄々気が付いていたが、やはり勇には加護が無かったのか…
黒猫は首を縦に振った。
――加護が無いと言うよりは、必要としない。恐らく、これが正解ですわ。何故必要としないのかは解りませんが…
神妙な顔の黒猫。
勇を産んだから、両親は存在を無くした。暗に、そう言っているようだった。
――勇の両親は、ちゃんと成仏しておるのだろうな?
――それは勿論。最初は勇を案じて、なかなか行くべき所へ行かなかったのですが、本当にある日突然、安心して行きました。何故安心したかも解りませんが…
知れば知る程、勇の謎が深まった。
何故加護が必要では無いのだ?
何故突然安心して旅立ったのだ?
お家憑きの神すらも解らぬなど、俄かに信じられぬが…
――そうそう、九尾狐さん、お気を付けて下さいましね。銀色の髪の女の子…
ふん、リリスの事か。安心しろ、と言う前に黒猫が続ける。
――…は、昔から色々勇を探っていましたが、少なくとも、今は気にする必要はありません。今、気にしなければならないのは…享年15歳の女の子…終わりたいのに終わらせてくれない…還りたいのに還させてくれない…憎悪も無いのに憎まなければならない…その可哀想な女の子に気を付けて下さいまし
ピクリと身体が動く妾。
リリス以外にも敵が?
そう聞こうと思い、黒猫を見る。
黒猫は哀しいような、切ないような…そして苦しいような表情を見せていた……
黒猫の耳がピクピクと動く。車の排気音に反応したのだ。
――猛が帰ってきたようです。続きは夜にでも
黒猫は妾が返事を返す前にスッと身を翻し、門の方向を見るように座った。
「おおークロ!お前の仲間が獲物の居場所を教えてくれたおかげで、デカいヤツが捕れたぞ!!」
ワシワシと黒猫の頭を撫でる勇の祖父。
黒猫は喉をゴロゴロ鳴らしながら、黙って撫でられていた。
勇の祖父の車の周りには、沢山の猫共が群がっている。
狩りを手伝った報酬を貰おうとしている訳か?
妾も車に近寄ってみる。
――おおお!デカいっ!デカ過ぎる猪がっっっ!
軽トラックの荷台に収まり切れずにロープで縛られ、固定されている猪を見て仰天する妾。
「帰ったかもうろくジジィ。おっ、こりゃまたデカい猪じゃな!でかしたぞジジィ!」
勇の祖母がやたら喜んで出迎える。
「そうじゃろそうじゃろ!惚れ直したかババァ!」
「直す前にずっと惚れてるでな、ティファールのフライパンの次にな。勇、勇っ!出てきて解体手伝え!」
フライパンより愛されていない勇の祖父…
仲良い事は美しい事だが、切なすぎる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「なんだよ解体ってよー…うわ~、マジかジッチャン…」
バッチャンに呼ばれて外に出た俺の目に飛び込んできたのは、200kg近いデカい猪。
よくもまぁ、野生でこれまで育ったもんだと感心するも…
「これ、まさか今日の晩飯?」
恐る恐る指を差す。
「そうじゃがな!尚美さん喜ぶじゃろうなぁ!」
ご機嫌なジッチャンだが…
「猪ってかさー。獣は捌いてから2週間は熟成させないと不味いだろが」
猪に限らず、牛も豚も、直ぐに捌いて食べるとなると、臭い上に不味い。
冷蔵庫に2週間程入れて熟成させないと、とても食えたモンじゃないのだ。
「勇…誰からそれを聞いた…」
ジッチャンの手がワナワナ震える。
「ジッチャンの受け売りだろーが。忘れたのかよ」
「そ、そうじゃそうじゃ!このもうろくジジィが!大事な事を忘れおって!」
「つか、バッチャンが行かせたんだろが。さっきのやり取り全て聞いていたぞ」
「勇…油断も隙も無いガキじゃな…」
バッチャンもワナワナと震えた。
「どーでもいいが、今日は食えないだろ?素直に寿司でも取れ、寿司でも」
食えないモンは食えないから仕方ない。
俺は軽トラックから視線を外し、振り向いた。
そこには神崎が青ざめながら、呆然と立っていた。
「猪?猪!!デカっ!!デカいっ!!」
神崎は猪がデカい事に無理やりテンションを上げているようだ。アレが自分の口に入る事を考えたくないように。
「まぁ、殺しちゃったから、いずれ食わなきゃならないが、神崎の口に入る事は無いから安心しろ」
猪が熟成する前に、俺達は俺達の家に帰る事になる。だから今日捕った猪は口には入らない。
「あの軽トラックの荷台に、鉄パイプが転がっているけど…」
「あれは向かってきた猪にカウンターでぶち喰らわす為の鉄パイプだな」
ヒイイイイ!、と、ムンクの叫びのようになる神崎。神崎には想像すらできん狩りのようだな。
「スマンなぁ尚美さん。これはまだ食えないんじゃ…」
落胆するジッチャンに、パァァァァ、と明るい表情になり、何度も頷く神崎。
「代わりに肉屋から猪を買うわ。この猪とトレードじゃな」
何故か猪を食わせる事に執着するバッチャン。
神崎が微妙な表情に変わり、愛想笑いをしながら頷いた。
「鳴海の肉屋に来て貰うとするか」
バッチャンが携帯を取り出し、ピコピコと繋ぐ。
『はい鳴海精肉店。北嶋の婆さんだな!いつもいい肉ありがとうな!』
「挨拶はいらんから、今すぐに猪肉5kg程届けてくれんかな。200kgの猪とトレードじゃ」
『5kg?随分沢山欲しいんだなぁ?客でも来たのか?』
「勇が嫁連れて帰ってきたんじゃ!嫁に猪食わせたいんじゃ!早よ持って来てたもれ!」
『何!?勇が帰ってきた!?しかも嫁連れて!?本当か婆さん!!行く行く行く!!今すぐ行くわ!!あっ、連絡網回しとこ!!ちょっと待ってて!速攻行くからさ!!』
慌てて電話を切った肉屋。
「信夫か?奴も久しぶりだなぁ!」
鳴海精肉店の
「北嶋さんのお友達?」
頷く。やはり笑いながら。
「信夫はお喋りだからな。直ぐに昔の仲間に連絡が回る筈だ。プチ同窓会になりそうだ」
懐かしい顔、懐かしい名前が浮かび、俺の心が踊る。
だが、それは思い出さなきゃならない名前も出てくる。
踊った心を鎮める、懐かしい名前と顔が、俺の脳裏に蘇ってきた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「やれやれ、肉屋の倅が連絡網を回したか。こりゃ宴会になるな。尚美さん、申し訳無いが、買い物に一緒に行ってくれんか?」
北嶋さんのお婆ちゃんが何か嬉しそうに張り切り出す。
「はい、是非お手伝いさせて下さい」
大人数になりそうな感じだから、沢山買い物をするのだろう。
北嶋さんはお友達が来るから。
お爺ちゃんは猪をお肉屋さんに引き渡さないとならないから、出掛けられない。
だから私にお願いしたんだ。
家族の一員に認められたようで、少しくすぐったくも嬉しい。
「そうか!ありがとう!ではガレージに行くかの!」
私はお婆ちゃんの後に付いてガレージまで歩く。
頑丈そうなシャッターをボタンで開けるお婆ちゃん。
重厚な音と共に、ゆっくり、ゆっくりとシャッターが上がって行く。
「!お、お婆ちゃん!この車達!!」
かなり驚いてガレージの中を見渡す。
「ワシャのコレクションじゃ!!」
お婆ちゃんは満面の笑みを浮かべてケタケタ笑う。
ガレージの中には、真っ赤に塗られたスポーツカーが一台、二台…
「フェラーリが七台もっっっ!!」
「綺麗な赤じゃろ!!ワシャの一番のお気に入りは、あのF40じゃ!!」
F40がお気に入りって!!
他にもF50やスクーデリアスパイダー、ディーノ246GTが、真っ赤な車体に多少泥を付けて鎮座していた。
え!?エンツィオもある!?凄い高価なフェラーリじゃない!!
しかも、タイヤも減っている事から、ただのコレクションじゃない、ちゃんと走っている事が窺えた。
「荷物を積まなきゃならんから、今日はカルフォルニアじゃな」
壁に掛かっているキーボックスから鍵を取るお婆ちゃん。
「スッゴく良い趣味ですね!!わぁ~良いな良いな!!格好いい!!カルフォルニア丸くて可愛いっっ!!」
我慢出来ずにフェラーリ達に触れまくる。
「やはり尚美さんもこっち側じゃったか!!かなり走り込んでるBMWじゃから、絶対そうだと思っておった!カハハハハ!!」
お婆ちゃんは愉快そうに笑う。
やがて笑い声が止まり、私に優しく話し掛ける。
「尚美さん、これらはオマケに尚美さんにやるわ」
「ええええええええ~っっっ!?フェラーリですよ!?とっても高価な車達ですよ!?」
驚き、飛び上がる寸前になった。
「尚美さんが貰ってくれなんだら、勇が売っ払ってしまうからの。あの馬鹿ガキはこの車達の素晴らしさを全く知らんからな」
確かに、北嶋さんなら『こんなに車あったら邪魔』とか言って、簡単に処分してしまうだろう。
それはあまりにも勿体無い。
いや、その前に…
「オマケって?」
お婆ちゃんはニカッと笑う。
「勇の母…弥生さんが付けていた指輪のオマケじゃよ。弥生さんの形見、要の形見でもある、婚約指輪を尚美さんに貰って欲しいんじゃ」
私に北嶋さんのお母さんの指輪を…?
「指輪は弥生さんから贈られた、と思ってくれんか?その方が弥生さんも喜んでくれるじゃろうからな」
何だろう…何故か涙が零れ落ちそうになる…
私は堪えながら、頷いた。
頷いた瞬間、床にポッと一粒の涙が落ちてしまった。
「ありがとう、ありがとうなぁ、尚美さん」
横に首を振る。感謝するのは私の方ですと。
私は、胸が詰まって、その言葉が出なかった…
「さっ、では買い物に行こうかの。勇の友達連中はたらふく食う連中ばかりじゃからな」
零れた涙を人差し指で拭いながら聞いた。
「はい!何を買いに行くんですか?」
「そうじゃなぁ、肉屋が気を利かせて肉を大量に持ってくるじゃろうから、ばーべきゅーなんていいかもしれんなぁ。野菜と米は正に売る程あるから、酒じゃな」
売る程あるって、農家で生計を立てているんだから当然じゃ…
お爺ちゃんもそうだが、お婆ちゃんもやはり北嶋さんに似ている所がある。
吹き出しそうになるのを堪える。
「どうしたんじゃ尚美さん?」
「い、いえ何でも」
「そうか?じゃあ行こうか」
運転席にお婆ちゃんが乗り、続いて助手席に私が乗り込む。
「カルフォルニアって思ったより広いんですね!」
「じゃろ?こんなに便利な車を、あのジジィは実用的じゃないやら、デカ過ぎるやら煩いんじゃ」
ブチブチ文句を言いながら、お婆ちゃんはアクセルを踏んだ。
国道に出るまでの多少の狭い道を快適に走るお婆ちゃん。
「結構飛ばしますね」
「カハハハハ!フェラーリは踏んでなんぼじゃ!だが、出し過ぎはいかん!飛び出してくる輩もおるでな。当たっても擦り傷程度に留めるようなスピードじゃ!」
何か怖い事を言っているような…
まさか、と思い、恐る恐る聞いてみる。
「人身事故は無いですよね…?」
「2回程ある」
真っ青になった。
安心させる為か、慌てて言い訳をするお婆ちゃん。
「コン、じゃコン!擦り傷にもなっとらん!」
そ、それは不幸中の幸いじゃ…
「それに直ぐに病院に行ったから大丈夫じゃ!ワシャの掛かり付けじゃから信用もあるしの!」
話を聞き間違えると、揉み消したとも取られるけど…
慌てて話を強引に変えるお婆ちゃん。
「ほ、ほれ!ここに来る途中、廃病院があったじゃろ?その病院が新しくなったんじゃ!最新医療じゃから、そこに連れて行ったから大丈夫じゃって!」
廃病院…あの何か嫌な感じがした病院か。
「まだ中に何かあるんですか、あの廃病院は?確か…滝沢病院と書かれた看板が掛かっていた筈ですよね?」
「そうじゃ、滝沢病院じゃ。あそこの院長の子は勇の友達でな。恐らく、今日集まって来る筈じゃから、中身が気になるなら聞いてみるがええて」
お婆ちゃんは『何とか話を逸らせた』とホッとした様子だが、何か引っ掛かる。
滝沢病院…
北嶋さんの友達…
今日来るのなら、入っていいか聞いてみよう。
あの廃病院に…
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神崎とバッチャンが買い物に出ている最中、信夫が仲間を連れて家にやって来た。
「勇ぅ!久しぶりだなぁ!少し痩せたかよ?」
「信夫!お前は相変わらず肉屋体型をしているなぁ!」
信夫の腹をタプタプと叩く俺。
「うるせぇよ!おい、嫁は?」
俺の手を払い、キョロキョロと神崎を捜す信夫。
「バッチャンと一緒に買い出しだ。多分酒買いに行ったんだろ」
信夫は残念そうに指をパチンと鳴らす。
「ああ~、お前みたいな奴の嫁に来る奇特な女性見たかったなぁ。まぁいいや、後でじっくり見せて貰うぜ!爺さんにツラ出してくらあ。猪貰いにな。おら、これは頼まれた猪5kgだ。んで、牛肉5kgに鶏肉5kgに…」
頼んだ以上の肉がズラズラ並ぶ。
「お前の庭でバーベキューしようぜ!じゃ、ちょっと待ってろよ!」
そう言いながら信夫はジッチャンの軽トラック目掛けて走る。
「信夫は相変わらずだろ?勇!久しぶりだな!」
「勇ぅ!彼女見せて~!」
「勇っ!お前連絡くらいしろやっ!」
懐かしい顔の俺の友人達が俺を取り囲む。
「おー!洋介に朱美に雅之!おおー!樹里まで来たか!」
俺の愛すべき友人が並ぶが、やはりあいつは来てはいない。
寂しい気持ちと共に、ホッとした。
まだ終わってないんだろうか。
まだ、アレは在るのだろうか。
恐らくは、まだ途中なんだろう。
だから俺には会いに来れないのか……
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