カウントダウン

すがあいか

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 誰も死にませんでした。

 遠い国で戦争が起きましたが、誰も死にませんでした。

 隣の国でテロが起きましたが、誰も死にませんでした。

 交差点にトラックが突っ込んで、運転手がナイフを振り回しましたが、誰も死にませんでした。

 そして僕もまた、怒りに任せ、さっきまで愛していた人に包丁を突き付けました。

 だけど、誰も死にませんでした。

 

 「どうですか?」

 僕は、その白々しい文章の小説の唯一の読者に声をかけた。

 赤い縁の眼鏡をかけた彼女は、不機嫌そうに言葉を返した。

 「あなたはどう思うの」

 「とても、つまらないです」

 「じゃあ、そうなんじゃない?」

 「僕は僕に質問してるんじゃないんですよ」

 僕が突っかかるように言葉を紡ぐと、観念したように溜め息をついて、そして一つ息を吸い、こう言った。

 「ありえないじゃない」

 それは物分かりの悪い子供を見る目だった。お前は駄目な子だ。手に負えない。きっと生まれつきだ。もうどうしようもない。そんな絶望を孕んだ目だった。

 「でしょうね」

 僕はそんな絶望など全く見えないかのように、あっけらかんと言う。

 「でも皆そんなものなんじゃないですか?」

 「皆はもっと上手にやってる」

 「だから、本質は一緒なんじゃないですか?」

 「かもしれない」

 突き返すような言い方に、どこか好感を覚えた。

 何時からだろう。

 雑音が大きくなったのは。

 何もかもが近くなってしまったからだろうか。

 遥か遠くのステージのロックスターも、最前列じゃうるさすぎるのかもしれない。部屋の隅の安いスピーカーがベストな距離なのかもしれない。

 あるいは、同棲した瞬間喧嘩が始まるカップルと僕の感じるそれらは、似ているかもしれない。

 SNSやインターネットが近付けた色んなものは、未だにちょうどよい距離を模索できていないのかもしれない。

 窓の向こうに、微かに銀の車列が見えた。

 コップの中のコーヒーをすすってから、彼女に聞いた。

 「否定はしないんですね」

 「しても無駄なんじゃないかと」

 「どういうことですか?」

 「正解だろうと間違いだろうと、答えの先が同じだから」

 「……そうかもしれませんね」

 「そうだろう」

 「では会話そのものこそ、無駄話かもしれませんね」

 「どういうこと?」

 「人なんて、そうそう簡単に変わりませんからね」

 「そうかな」

 「そうだと思いますよ。というか、変えることを嫌いますから。一度スイッチを入れたにしろ、切ったにしろ、そのままなんです」

 「……」

 「最初にスイッチに触ったことを忘れるんです」

 人の死というものを描写することが、悪になった。

 最初はゲームに対する批判だった。生物を殺すゲームは、子供の教育に悪いというものだった。

 何を言っているんだろう。

 率直にそう思った。

 じゃあ子供は、どうやって死に触れていくのだろう、と。そんなことまで考えているのだろうか、と。

 やるせない喪失なんて、そこらにありふれてるわけないのに。

 僕の予想に反して「その通り」の声は多かった。いつの間にか伝播した欠席裁判は、僕の領分にまで侵食していた。

 今ではもう、死を描写するだけで、反社会的であり問題作の烙印を押されていた。

 法が規制したのではない。

 目に見えないモラルが――――した。

 「ありえないことばっかり書いたって、価値がない」

 「そんなこと私だって考えてる」

 「じゃあ……」

 「だからと言って、私は革命家じゃない」

 「皆そう言う」

 「構わないだろう」

 「皆そう言いながら、集団で何かを変えてるくせに、そう言う。変えてるくせに、変えれないと言う。スイッチに……触ったくせに」

 真っ白な部屋に真っ白な服、赤い縁の眼鏡だけがどこか浮いて見える彼女。対照的に真っ黒な服の僕。

 梟型の壁掛け時計、陶器の大きなコップ、木製のテーブル、白い壁、白い床、白い天井、窓の外の銀の車列、白い雲。

 僕は、許されない壁の染みなのだろうか。

 「少なくとも決断するのは私じゃない」

 コップの中のコーヒーが揺れて踊る。揺れる、踊る。下手くそなダンスは誰のためのものなのだろうか。

 「誰も死なない作品が面白いですか! 殺せと言ってるわけじゃない! 殺せない風潮が僕は面白くない! 自由ではない!」

 ああ激しく揺れる。激情的なラテンダンスは、どこへ向かっていく。

 「自由だからと、好き勝手殺していいわけじゃないでしょう!」

 「好き勝手殺すだけのものなど、ただの毒だ! 薬すらも盲目的に毒だと断絶するのが気に食わない!」

 「それが毒だと言い切るあなたも、同じだ!」

 「あぁそうだ、同じだ! 同じだったら、否定してはならないのか! 同じだったら、僕は屈服せねばならないのか! そんなの対等じゃ――」

 白と黒の衝撃。

 後から、音が追ってきた。

 何かが割れる音と、誰かが叫ぶ音。

 眼前には白の床が広がっていた。

 そして、そこをゆっくりと侵していく、真っ赤な×。

 僕の意識は、少しずつ微睡んでいった。やりたいことがたくさん浮かんでは消え、ついで今までしてきたことが浮かんでは消えていった。

 

 だけど誰も死にませんでした。

 遠い国で戦争が起きましたが、誰も死にませんでした。

 隣の国でテロが起きましたが、誰も死にませんでした。

 交差点にトラックが突っ込んで、運転手がナイフを振り回しましたが、誰も死にませんでした。

 そして僕もまた、怒りに任せ、陶器のコップで殴られました。

 だけど、誰も死にませんでした。

 誰も人は、死にませんでした。

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