第5話 蟻の思いも天に届く

 榎木家は今の家から徒歩で15分ほどの所にあった。ネクタイが曲がっていないか由佳理に確認してもらい、インターホンを押した。はーい、という声が聞こえドアが開くと一目見ただけで由佳理と小百合の母だと分かる綺麗なご婦人が姿を現せた。

「どちら様ですか?」

明らかに怪訝な表情をされる。セールスや勧誘だと勘違いされているのではないかと思うと急に焦り緊張が膨らんでしまった。

「あ…えーと、木島慶二と申します。あの…小百合さんと由…、いや、小百合さんに雇って頂いた者で…あの、今日はご挨拶に参りました。」

“落ち着いて下さい”という由佳理の声が聞こえた。つくづく自分の気の弱さが嫌になる。

「ああ、あなたが…。」

怪訝な顔ではなくなったが少し伏し目がちの暗い反応だった。

“すみません”

由佳理は申し訳なさそうに呟いた。


 玄関で話を聞くと中に招かれ「近所の物で申し訳ありません。」と持ってきた菓子折りを渡す。「ありがとうございます。」と受け取るとお茶を出してくれた。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。」

「いえ、小百合から聞いております。履歴書も見させていただきました。」

しばらく沈黙が流れる。

「あの…。」

「小百合は…あんな事があってから少しおかしくなってしまったんです。仲の良い姉妹でしたからね…仕方ないとも思うんですけど…主人と話し合って、やりたいようにさせてあげようって事になったんです。」

沈黙に耐えきれなくなり俺が話だそうとすると母親はそれを遮るように話し出した。

「木島さんの事も少し調べさせてもらいまして…悪い方ではないのは分かりました。小百合が由佳理の事が見えるとか捜すとか言ってましたでしょ?それにつけこんで怪しげな宗教とか悪い人に騙されないか心配してたんです。」

当然だと思う。どこまで調べられてるか分からないが、俺は小百合に雇われるまでの経緯を話した。入るハズだった会社が潰れた事や家を失いかけた事、藁にもすがる思いで小百合に電話したこと。もちろん由佳理が見える事は伏せてだ。

「そうですか…。木島さんも苦労なさったんですね。」

母親は本心で言ってくれている様だった。同情でも何でも今は警戒心を解いてもらわなくては…。

「でもですね。小百合はまだ高校生ですから…その辺りよろしくお願いします。」

要するに手を出すなよ、と言う事なのかな?と思っていると続けて

「由佳理の事は警察も色々な可能性を考えて動いてくれているみたいですし、木島さんのやれる事は正直申し上げて、ないように思います。ですから、ちゃんとしたお仕事を探された方が木島さんのためにも良いのではないでしょうか?」

正論だ。ぐぅの音も出ない程の正論だ。ただそれは、由佳理が幽霊としてここにいる事実が無ければの話だ。伝えたい。母親に由佳理がここにいる事を…。口を開きかけた時、

“木島さん待って下さい!!”

由佳理が俺の様子を察して止めた。

“今日はこの位にしましょう。また、小百合とも相談して…。”

俺は由佳理の言葉に小さく頷いたが、どうしても母親の許可が欲しかった。小百合のためにも由佳理のためにも。

「そうかもしれません。いえ、きっとそうです。でも、少しの間だけ小百合さんの手伝いをさせていただけませんか?恩もありますし…。」

母親は小さく「はい。」と答え続けた。

「ごめんなさいね。小百合の好きにさせようって決めたのに木島さんにこんな事言ったらあの子の邪魔してるのと同じですよね。」

自分に言い聞かせるように母親は言った。親心とは純粋かつ複雑なものだ。母親も悩み迷い、正直どうすれば良いのか分からないのであろう。うっすらと涙を浮かべる母親を由佳理は触れられない腕でそっと包み込んだ。美しくも悲しい光景だった。


「嶋田さんが話してくれたのは、そういうことだったんですね。」

家に帰りソファに座ると由佳理は言った。

「何がですか?」

「え?ですから嶋田さんが初対面の木島さんに私が死んでいる可能性が高いのを教えてくれた理由です。」

「何でですか?」

マンガなどで沈黙や静寂を「シ~ン」と表現するが、その「シ~ン」が今聞こえている気がする。正直由佳理が何を言っているのか全く分からない。

「あの…鈍い俺にも解るように教えてくれませんか?」

恥を忍んで頭を下げた。由佳理は「そんな頭を下げるほどの事じゃありませんよ。」と言ったが、頭を下げるほどの事でもない事を俺は解らないのだ。

「母は私の件で『警察も色々な可能性があると考えて動いている』って言ってたじゃないですか。」

俺は頷く。

「そして、嶋田さんは私が死んでいる可能性について『小百合には伝えないで欲しい』と言ってました。」

俺は2回頷く。

「ということは、親には私が死んでいる可能性があると警察は伝えているわけですよ。木島さんは大人ですし、別に秘密にしている事でもないので教えてくれたんですね。」

「なるほど…気が付きませんでした。別に俺が信用の出来る男だと見込まれた訳じゃないんですね。」

「そういうことです。」

悪気はないのだろうが由佳理に自虐を肯定されたみたいで軽く落ち込む。

「でも良かった。母も木島さんの事、信用してくれたみたいですし…。あの…ありがとうございました。あの時の木島さん、何かかっこよかったです。」

最後の方は恥ずかしそうに少しもごもごと言った。嬉しいのだが勢いで熱く言ってしまった俺の方が恥ずかしい。恥ずかしい者同士もじもじしていると玄関のドアが爆音と間違えるほどの勢いで開いた。

「ちわっす!!今日どうだった!?何か分かった!?」

この娘にも恥ずかしいという気持ちを分けてあげたいと思ったのは俺だけではないだろうと苦笑いをする由佳理を見て感じた。


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