第三章 紊乱 Disordinarsi. (7) ゆらぎ
***
その夜のことだった。
今日は早くから動いていたため、コルラードは早々に寝床に引き上げることにした。先に寝ることを告げようとレオの姿を探すが、いない。大抵この時間は、居間のソファでうたた寝をしているのだが。
こんな遅くに出かけたのだろうか? ……まさか。
決してあり得ない話ではないけれど、この一カ月ほどの様子を考え、何も言わずにどこかへ行くことはあり得ない、という結論に落ち着いた。それにしても、どこに行ったのだろう。
首を傾げながらコルラードが階段を上がり、自室へ戻る。案の定、大きすぎるベッドはからっぽだ。
その縁に腰かけ、ふっと息を吐き出す。
「分かっていたことだけどね……」
彼なら信頼できると思って『カルナーレの降嫁』の秘密を教えたが、結局は彼もその程度だったのだろうか。彼が最後に口にした言葉を思い出し、コルラードは思わず悲しげに目を細めた。
「『別のカルナーレに』、か」
その通りだ。現に彼は五人目のカルナーレ。四人目の花嫁だ。何も覚えていなくても、これだけは分かる。永遠に紡がれる命だからこそ、『これ』を逃しても『次』がある。己はその現状に甘えているのではないか。
そうでなければ、あの一言にこんなに動揺することなんてなかった――
その時だ。
突然部屋の戸が開き、随分ラフな格好のレオが現れた。その表情はどこか険しく、美しいと褒め称えていたあの稲穂色の瞳も、どこか妙な熱をこもらせているようだった。
「レオ?」
気持ち的には「いたの?」が正解なのだが、コルラードは敢えてそのニュアンスを上手に隠した。この嫁は、機嫌を損ねるとなかなかに面倒くさいのだ。
レオは、その険しい表情のまま何かを言いたげにじっと押し黙っている。一旦足元に目線を落とし、肩を震わせた。
コルラードはきょとんとしたまま、彼の動向に気を配っている。しかし、なんだろう。彼の出で立ちにほんの少し違和感があるのだ。そう、何かが足りない。
それはなんだろう、と考えているうちに、意を決したのか、レオはつかつかとベッドへと近づいた。そしてわざと反対側の縁に向かい、自ら布団にもぐりこんだのである。
「えっ?」
驚いたのはコルラードの方だ。「ど、どうしたの。レオ」
コルラードに背を向ける形で丸くなっているレオは、全く動かない。その細い肩を叩いたところで、コルラードはようやく違和感の正体に気がついた。
――いつも身につけている、あの短銃がない。ホルスターごと、身につけていないのだ。
驚きのあまり呆けていると、レオがおもむろに呟いた。
「……る」
あまりに小さい声だったので、つい聞き逃してしまった。改めて問い質すと、レオはもう少し大きな声で続けた。
「夢を見る」
ぴたりと、コルラードの動きが止まった。
もしや、毎晩明け方にうなされていることを言いたいのだろうか。
「だから……」
そばに、と消え入りそうな声で囁いたのと同時に、コルラードもごそごそと布団にもぐりこむ。そして、背中越しにそっと抱きしめてやった。ぴくり、とレオの身体が震えたが、まったく抵抗せず、されるがままになっている。
「ここにいるから。……安心して、おやすみ」
耳の裏に語りかけるウィスパー・ヴォイス。温い感触に安心してしまったのか、数分後、レオは深い眠りへと落ちていった。
まさか自分から、丸腰でやってくるとは思わなかった。コルラードは彼を起こさないよう必死に笑いを堪えつつ、空いている右手で滑らかな茶金の髪を梳いてやる。緩く声を洩らしながら軽く身じろぎする様が、時々無意識に撫でる手に擦り寄る仕草が、愛しくてたまらない。
なんとなく、今までとは違うことを、本能的に感じていた。
だからだろうか。
今度は、本気で彼を逃がしたくないな、と思った。
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