第四章 眩惑 Stregare.

第四章 眩惑 Stregare. (1) その従者

 かたん、と屋敷の戸が妙な音を立てたのに気がついて、コルラードは目を覚ました。


 ちょうど東の空が白んできた時間帯で、仕事から戻ったコルラードもつい先程布団にもぐりこんだばかりだった。


 別にまだ眠くもなかったので、音の正体を確かめにのろのろと起き上がった。隣には、こちらも同じく先程眠ったばかりのレオがいる。彼は墓守として寝ずの番をしに行っていたのである。本当は降嫁した以上その仕事はしなくてもよかったのだが、「なんとなく気持ちが悪い」という理由で時々墳墓まで赴いているようだった。時間が合えば寝ずの番に付き合ったり、一緒に帰ってきたりするが、今日はたまたま寝る直前まで出くわすことがなかった。


 随分疲れていたのだろう。レオは細かい音が耳に入らぬほど深い眠りについてしまったため、未だ外の気配に気付いてはいないようだった。


 そろそろとベッドから降り立ち、冷えた床に足を置いた。裸足のまま履く革靴というのはあまりに肌触りが悪い。しかしそこまで気を配るほど、コルラードはマメでもなかった。


 玄関ホールまで足を運び、鍵をゆっくりと解錠する。そして、扉を開けた。そっと開けたつもりなのに、この扉は恐ろしく大きな音を立ててしまう。軋む蝶番が、老朽化を激しく訴えていた。


 ひょいと顔だけ覗かせると、そこには驚くべき人物がいた。


 コルラードは瞠目し、これからどうするべきか瞬時に思考を巡らせた。別に放っておいてもいいのだが、それを今眠りについたばかりの嫁に言ったら間違いなく怒られそうだ。


「君、」


 コルラードの声に、その人物はビクンと身体を震わせた。夜闇に溶け込む黒の外套にその身を包んでいても、なんとなくその正体の見当がつく。


「レオの従者だね。大丈夫、俺は君のことは襲わない」


 そんな気力は生憎持ち合わせていない、とコルラードは告げ、わざわざ戸の外に出向いてやった。そこまでされては向こうも放ってはおけないと、相手ものろのろと振り返った。


 そして、灰色の髪の男――アルベルトは怪訝そうな表情でコルラードに目を向ける。


「覚えていたのですか」

「ああ。あれだけ鮮烈な光景を目の当たりにしたんだ。忘れるはずがない」

 ところで、とコルラードが口を開いた。「何の用だい? 君は確か、カルナーレの降嫁における暗黙のルールを知っているだろうに」


 あの日、レオ本人からも告げられていた。


 基本的にその身ひとつで嫁ぐ花嫁たちは、以前に関係のあった人物らとは手を切らねばならぬ運命にある。だからという訳ではないが、彼が今ここにいるという状況は、少なからず悪い方向に取られてもおかしくはない。


 アルベルトはじっと思案したまましばらく口を閉ざしていたが、観念した様子で一通の封書を差し出した。


「私めの用件は、これです」

「レオ宛てに、かい?」


 アルベルトは肯いた。


「あの方が降嫁されたということはまだ他には知られておりません。教皇庁に対しては伯爵が口利きして下さったそうですが……一番の問題はエゼクラートの民だ。あの方が降嫁されたという噂が立てば、後々困るのはあなた方でしょう」


 つまりは、エゼクラートの民に疑われないよう、最低限の根回しをしに来たという訳だ。確かに、かつてのレオはささやかながら領主である父親と時期領主である兄の手伝いをしていた。彼がひとりで請け負っていた事案もいくつかあり、コルラードも実はその中の一つを任せていたことがある。


 それならば納得がいく。さすがレオの従者、機転が利くではないか。

 コルラードはその封書を受取り、短く頷いた。


「渡しておく。なにか、彼に言伝はあるかい?」

「言伝ではないのですが、その」

 アルベルトは一旦目を伏せ、それから躊躇いがちにそっと呟いた。「あの方は、お元気ですか?」


「……身体的にはね」

 困り果てた様子でコルラードは肩を竦めた。「クレメンティ家には、かつてレオ以外にもプレダトーレがいたろう。あれはその面影をいつまでも追い求めている」


 それを聞き、アルベルトは「やっぱり」と言いたげな表情を浮かべた。彼のとってもまた、それが想定内のことだったようだ。むしろ、それが気になるからこそそんな問いを投げかけたのか。


 少しばかり逡巡して、コルラードはひとつの結論に辿り着いた。


「――君さぁ、ちょっと時間ある?」


 驚いたのはアルベルトの方である。まさかそんな言葉がかのノスフェラトゥの口から飛び出すとは思ってもみなかった。


「ちょっとお話していこうよ。お茶くらいなら淹れてやる」


 丁重にお断りしようとした矢先、聞く耳持たずのコルラードは玄関先に彼を待たせたまま屋敷へと戻ってしまった。


「勝手に帰ったら怒るからね」


 と、やや不穏な言葉を残しながら。


 そう言われてしまっては仕方ない。できれば陽が昇るまでに帰りたかったのだが。アルベルトは観念した様子で、玄関先で待機させてもらうこととした。

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