第二章 欺瞞 Fraudolento. (7) 宣戦布告
その日はクリームに浸かった野菜のスープが出来た。湯気の立ち昇るそれは、いかにも食欲をそそる。そういえばレオは朝に軽く食事をしたきり、なにも口にしてはいなかった。
「酒は飲めるかい?」
レオが頷くと、コルラードは一本の赤ワインを持ち出してきた。ラベルを見ると、それはレオの生まれ年に製造されたものだった。
コルク栓を開けると、彼はワイングラスに適量注ぎ入れた。血液を連想させる完璧な真紅。燭台の灯す暖かな光に反射して、グラスの縁がきらきらと瞬いている。
「君がうちに来たお祝いだ」
彼も席につき、二人はそれぞれのワイングラスを手に持つ。僅かな明かりの下で艶めくルビー色の液体が揺れた。芳醇な葡萄の香りが鼻をくすぐる。
「宣戦布告」
レオは言った。「おれはお前に喰われない。愛してもやらない。これは形だけの婚姻だ」
それを聞き、「じゃあ俺も」とコルラードが杯を掲げる。
「俺は君を陥落させる。手放せなくなるようにしてあげる。それまではなるべく紳士でいてあげるよ」
そしてグラスを軽くぶつけ合う。軽やかな音。一口だけ口に含むと、すぐにレオはそれを置いた。
黙々とスープに口をつける彼にならい、レオもスプーンでそれをすくい取った。口に流し込むと、温かく優しい味が喉をすうっと流れていく。
「レオ。俺は君の話が聞きたいな。質問してもいいかい」
レオは無言のまま、目線だけをコルラードに向ける。それを、彼は勝手に肯定ととった。
「君の好きなものを教えてよ。覚えるから」
「酒は好きじゃない」
ものすごい速さで切り返してきた。「太陽と、青空が好き。夜空に浮かぶ星を数えるのも好き。墳丘を廻る冷たい風も。あとは動物――とりわけ、馬が好きだ」
「乗る方?」
「乗るのも、育てるのも好き」
へぇ、と興味があるんだかないんだか曖昧な返事をすると、コルラードは続ける。
「その中でもとりわけ愛しているのは?」
「愛しているのは――この、銃だけ」
呟いて、脇下のホルスターに収まっている短銃を指した。「そう決めている」
レオはそれ以外になにも語らず、黙々とスープを口に運ぶ。コルラードはしばらく彼が食事する様を眺めていたが、のちに自分も同じように食器を動かし始めた。
「……他には?」
ぽつりと、レオが言った。コルラードはてっきり、話しかけてくれるなと暗に示しているのだと思い込んでいたので、これは実に意外だった。それじゃあ一つだけ、と彼は前置きし、そっとその言葉を告げた。
「君は『血狂い』のノスフェラトゥを見たことがあるか」
どきりとして、思わずレオの動きが止まった。しかしそれは一瞬の出来事で、すぐに元通りに動き始める。
「……見たことは、ない。話だけなら」
なんとか言葉を吐き出すレオの脳裏には、叔父の姿が浮かんでいた。
優しく笑い、可愛がってくれた叔父。そして彼は炎にくべられ、目の前で灰になった。ノスフェラトゥにならぬよう敢えて火葬を行ったのだが、その灰になる様はどうしても朝日に照らされ崩れ行く、かの異形を連想せざるを得なかった。
「そうか」
コルラードは肯いた。「プレダトーレだと聞いたから、もしかして、と思ったんだ」
「同族だろ。それでも分からないのか」
「俺は長らく人間と交わっていたからね。普通のノスフェラトゥとは少し造りが違う」
彼はそっと手にしていたスプーンを置いた。「興味、あるの?」
その穏やかな声色とは裏腹に、表情は氷のように冷たかった。思わずぞくりと背筋が震えるほどに。
「プレダトーレとしてなら」
臆しそうになる心を何とか奮い立たせ、レオが言う。
悟られてはならないと思った。動揺が顔に出たのは失敗だったが、あくまで私怨ではなく『プレダトーレ』としてなら、なんら問題はないはずだ。レオは瞬時にそう考え、敢えてそのように言い放った。
それを聞き、すぐに彼は元の表情へと戻る。
「まぁ、君がいくらプレダトーレだとしても、『血狂い』を相手にすることはあまりお勧めしない。というか、」
そしてコルラードは清々しいほどの微笑みを湛えた。
「妬けちゃうから、他のノスフェラトゥは見ないでくれないか」
あまりに率直な物言いに、レオは口に含んでいたスープを危うく噴き出しそうになった。
レオの心の声が猛る。
大事だから何回も言う。――こいつ、意外とバカだ!
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