第二章 欺瞞 Fraudolento. (5) 四人目のカルナーレ
自然と仲直りした体になってしまったので、コルラードの腫れた頬を冷やしてやりながらおおよその説明を受けた。案の定、自分の掌はすぐに腫れが引いてしまった。こういうときだけ便利な身体である。
一階には居間とキッチン、風呂場などのおよそ一般的に必要だと思われる設備が揃っている。二階はゲストルームと、書斎、それから寝室があり、そのほとんどを長いこと使っていなかったのだそうだ。
「一人身だと、大して部屋を使わないんだよねぇ」
そう言って彼は笑ったが、レオはなんだか笑おうにも笑えなくて、ただじっと押し黙るしかできなかった。
とりあえず当面はゲストルームを私室として宛がう方向で考えていたらしい。掃除はしたけれど、設備的にはまだまだ足りないところが多いので、なにか欲しいものがあれば買い足しておくと言っていた。
実際にそのゲストルームに案内してもらったが、確かにその部屋は必要最小限のものしかそろっていなかった。
アイボリーの壁に、小さなマホガニーの机。隣には簡素な本棚が並べてある。その中身も非常に簡素なもので、数冊の本が積まれているだけだった。レオはその中から聖書を抜き取り、ぱらぱらとめくってみる。
慣れ親しんだ文章の羅列。幼い頃から読み聞かせられ、プレダトーレとなるために必死になって学んだこの本は、少なからずレオにとって安心できるものであった。
しかしながら、レオはどうしても『彼』のことを思い出さずにはいられなかった。もう一〇年も昔のことなのに、目を閉じれば今でも鮮明に思い出せる。
――本当ならば、『カルナーレ』は四人いるはずだったのだ。
その空白の一人が、ベルナルド・クレメンティ。レオの叔父にあたる人物である。
彼は当時最高と謳われる
当然、ネームバリューがあれば依頼も増える。実際、彼は一年の大半をノスフェラトゥ討伐に充てていた。しかし、隙を見てはしょっちゅう実家を訪れ、レオやその兄に任務中に体験した珍しい話を聞かせてくれた。手が空きさえすれば、甥っ子兄弟相手に神学を教えたりもする。
誰よりも強くて、かっこいい。レオはそんな彼が大好きだった。
彼が亡くなったのは、レオが十二歳の誕生日を迎える直前のこと。ノスフェラトゥとの戦闘中に殺されたのだという。骸と化した彼の身体から血液が全て抜かれており、生前の逞しさなど連想できないほど皺だらけになっていた。
悲しみに暮れている暇などなかった。カルナーレの血をただのノスフェラトゥに全て奪われることは死活問題なのである。
カルナーレの血液は適量の摂取であれば薬になるが、過剰摂取は毒となる。ノスフェラトゥの場合は特に顕著で、一度でも大量に摂取すればまるで麻薬のように次々に血を求めてしまう。同族・異種関係なく、ほぼ無差別に。そういった『血狂い』のノスフェラトゥの被害は、間もなく領主へも報告されることとなった。
この件を機に、レオは心象が僅かに変化した。無条件に強いと信じていた叔父の唯一且つ取り返しのつかない失態。その失態を収拾するためには、やはり誰かがプレダトーレとなるしか術がなかった。一族間の事情を、外部に漏らす訳にもいかなかったのである。
この失態は、自分が取り返す。
燃やされる叔父の姿を見つめながら、レオ少年は固く胸に誓ったのだった。
こうしてレオは、『血狂い』を殲滅するために若くしてプレダトーレになったのである。
「……レオ?」
どうしたの、とコルラードに声をかけられ、レオは驚きのあまりに身体を震わせた。
「ああ、なんでもない」
動揺を隠しながら、レオは振り返る。目の前にいるノスフェラトゥは、まだ何かしらいぶかしんでいる様子でいたが、それを敢えて言葉にしようとはしなかった。
悟られるかと思った。
レオは内心、身の凍る思いでいた。
言えるはずがないのだ。この降嫁を受け入れたのは、その『血狂い』を探すためだなんて。本当は、ノスフェラトゥの存在なんか受け入れたくないのだ、なんて。
それを口にしてしまえば、己にも、領地にも未来はないだろう。だから、全てを欺くのだ。この男を愛することくらい、心を殺してしまえばどうにでもなる。
いずれは、裏切る存在でしかないのだから。
ぱたん、と聖書を閉じ、レオは元の場所へ戻した。
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