第二章 欺瞞 Fraudolento. (2) その邸宅

***


 彼らが目指すノスフェラトゥの邸宅は、北の外れに広がる針葉樹林帯に位置する。この森は古くから「異界への入り口」だと信じられており、余程のことがなければ普段誰も近付くことはない。


 アルベルトの手を借り神輿から降りたレオは、森の奥深くに佇んでいたその邸宅を仰ぎ思わず瞠目した。


 左右対称になるよう設計された白塗りの壁。入口は中央にあり、その真上にはバルコニーが設けられている。玄関に下げられているのはクラシカルなランプ。見る限り、この領地の中では一、二位を争う規模だ。しかしながら決して品がない訳ではない。むしろレオの個人的な見解としては、かなり好みだった。


 レオはアルベルトに下がるよう告げると、ひとり玄関へと進んでゆく。ドアノッカーに手をかけようとすると、突然木目の美しい扉が音を立てて開いた。


 驚いて背後に飛び退くと、仄暗い室内にゆらりと人影が浮かび上がる。


 こつ、こつ。

 堅いブーツの音が響き渡り、そして呆けるレオの前で止まった。


「――ようこそ、レオ」


 その声を聞くや否や、レオの表情は一気に緊迫したものへと変わる。


 足音の正体――コルラードは、意外にも私服姿でいた。レオはてっきり、初めて来賓室で出くわしたときのような、いかにも貴族らしい出で立ちで現れると思っていたのだ。だから、これには驚いた。白いシャツに、深い茶色のジャケットを羽織る。履物はなめした革のブーツとお揃いの黒で、品がない訳ではないが、なんと言うか、粗野だ。


「もっと気張るかと思った」


 ぽつりと囁いたレオに対し、コルラードはにこりと微笑んだ。


「だって、君が婚礼衣装を着ないって言うから」


 それに合わせたのだと彼は主張した。なるほど、それならば納得がいく。しかしながら、だからといって私服はないだろう。この男に威厳というものはないのか。思わず眉間に皺を寄せてしまったレオである。


 しかしながら、それについてぐだぐだと考えている場合ではないのだ。


 レオは形式に則り、彼の前で膝をつき頭を垂れた。それにならい、背後に従えていた従者たちも同様に膝をつく。


「コルラード・インフォンティーノ伯爵。このよき日に――」

「何をやってるんだい、君は?」


 ビクン、と身体が震えた。


 一年かけて無理やり絞り出した祝辞すら、この男は一文も読ませてくれないのか。否、もしかしたらなにかを間違えたのかもしれない。コルラードがそんな些細なことを気にする男とは思えないが、なにか粗相をやらかしたならば、それは領地の存続にも関わる一大事となる。最悪の事態を想定しなければならないか。


 レオは足元に目を落としたまま、コルラードが発する次の言葉をじっと待つ。


「君が敬意を払うべき相手は俺じゃないだろう。後ろをごらん」


 今度は己の耳を疑う番だった。

 君たちも頭を上げるんだ、とコルラードは背後の従者たちに呼びかけている。その声をどこかぼんやりと聞きながら、促されるままにレオはゆっくりと振り返った。


 行列をなしていた者――主に一族の者だ――が、皆悲壮な顔をしてこちらを見つめている。

 先頭をきって護衛してくれた騎士の二人はどちらも幼い頃からの付き合いで、よく職務の合間をぬって一緒になって遊んでくれた心優しい男たちだ。そして緊急時にはその身を盾に使命を全うしてくれた、優秀な部下でもある。


 その後ろに続く従者も、侍女も、今まで本当によくしてくれた。結構な我儘も言ったはずなのに、時に優しく、時に厳しく接してくれた彼らは自慢の育ての親だ。


 そして、一番の側近・アルベルト。今の職に就く前からの長い付き合いだったが、あれだけ聡い従者はなかなかいない。一を言って十を返す彼の言動は、非常に心地が良かった。

 どれも手放したくない、大切なひとたちだ。

 レオ様、と騎士が声を洩らした。あんなに強く逞しい彼らが、今は悲しみに打ち震える声をなんとか絞り出している。

「今の君を作ってくれた者たちに、ちゃんとお別れしてきなさい。それがクレメンティ家に生まれた者としての、最後の仕事だ」

 コルラードがレオの背を押した。数歩つんのめるように前へ歩を進め、それからレオはのろのろと彼の姿を見返る。コルラードは、ひとつだけ肯いた。

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