第一章 邂逅 Intoppare. (4) 夜を統べる者

***


 現在正式に認定されているカルナーレは三名。現領主であるブルーノ、その次男であるレオ、そしてレオの従姉にあたるアンナだ。


 長年の慣習によれば、クレメンティ家の直系血族がノスフェラトゥに降嫁することとなる。だが、残念ながらその直系血族はどちらも男である。かといって唯一の女性カルナーレであるアンナの場合、カルナーレと言うにはあまりに血が薄かった。しかも、既婚者である彼女は先月非カルナーレの男児を産んだばかり。一夫一婦制が基本であるこの国では、どちらにしろ無理な話であった。


 ブルーノ曰く、「二人目は女児だと思ったのに」だそうだ。男で悪かったな、とその場で文句を言っておいたが、それを聞いてレオはようやく納得した。


 幼少の頃の銀盤写真を見れば、どこからどう見ても美少女にしか見えない自分がいて、なお且つ両親の待遇もそれに近しいものがあった。そしてこうも思う。

 血迷って両親が「女児として育てよう」などと言わなくて本当によかった、と。


 それはともかく、現在のカルナーレがこういう状況であることは早々に理解していたレオである。だからこそ、少なくとも自分が「男」である以上はそういう話が舞い込んでくるとは思っていなかった。


 もしあるとすれば、自分が「女」であると偽装しての降嫁だ。それはまずない。昔ならともかく、今は筋肉のつき方からして男以外の何者でもなくなってしまった。女装なんてもはや滑稽すぎて話にならないだろう、と。


 油断していたのが仇となった。

 レオは思わず眉間に皺を寄せ、己の失態について思案する。


 ノスフェラトゥが「どちらの性別もいける」クチだとは、まったくの想定外だったのである。


 まずは、目の前の状況の整理だ。

 レオはふと顔を上げ、隣を歩いていたコルラードに声をかけた。


「……ということは、失礼ですが伯爵は」


 彼は苦笑しながら首をもたげる。

 コルラードはレオに比べ頭一つ分背が高い。体つきもすらりとしているので、一言で彼のことを表現するならば「細長い」だ。

 そんな「細長い」コルラードは、レオが一番気になっていたことをさらりと言ってのけた。


「うん。一応、君たちが言うところのノスフェラトゥだ」


 今、レオとコルラードは二人きりでクレメンティ邸の中庭を歩いている。コルラードが「一度二人で話しておきたい」と所望したからだが、正直なところ、レオの思考はその突拍子もない出来事に対応できないでいた。


 この頃にはすっかり日は落ちていた。暗がりの中に篝火の明かりだけが揺らめいている。長く伸びた二人分の影が、芝の上に落ちる。


「墓守」であるレオと、「ノスフェラトゥ」であるコルラード。夜を統べる者同士が出会ってしまった今、何かが大きく変わろうとしていた。


「吸血鬼は、嫌いかい?」


 彼にさりげなく問われ、レオは思わず口を閉ざした。


 本当のことなんて、言えるはずがなかった。

 その正体がノスフェラトゥであれ、相手は一応伯爵だ。実父よりもはるかに身分の高い男に、この心情を一体なんと説明すればよいのか。下手なことを言って立場を危うくすることほど愚かなことはない。まして、ここはエゼクラートだ。この吸血鬼の気分次第で、この領地の未来が変わるかもしれない。己のせいでエゼクラートが窮地に立たされるのは非常に困る。


 どう返答しようかと考えあぐねた結果、レオは、

「……独身のカルナーレが私しかいないとはいえ、抵抗はないのですか。私を降嫁させることに対して」

 と質問で返すことにした。


 すると、意外なことにコルラードは間を置かず言葉を返してくる。


「ない」

 それから、そっとレオへと目を落とす。「というか、君はちょっと誤解しているね」


「と、言いますと?」

「君の御尊父様が指名したんじゃない。君を指名したのは、この俺だ。冷静沈着と謳われているあのクレメンティ男爵が驚きのあまりに叫んだところなんて、おそらく俺しか見たことがないだろうね。あれは実に面白かった」


 それは実の息子ですら見たことのない光景だが、論点はそこじゃない。


 レオが再び「はぁ?」と口を開け広げると、コルラードはぴたりと足を止めた。そして、レオを頭の先からつま先までまじまじと見つめる。全てを見透かすような瞳に、レオは思わず身を固くする。


「ふむ、……君、その夜色の衣装も素敵だが、白い色も似合いそうじゃないか」

「伯爵、お言葉ですが」

「コルラード」


 彼はわざとらしく、己の名をはっきりと唱えた。


「名前で呼んでほしい」

 どうにも彼とは話が通じない。「伯爵なんて、よそよそしい呼び方をしないで。コルラードって呼んでくれないか」


 よそよそしいのは実質今日が初対面だからだ。しかしながら、なんだかどうしてもそのように呼ばなければならない雰囲気に陥ってしまった。鶴の一声――とはまた違うが、この人物の言葉の強制力はなかなかに恐ろしい。


 レオはちらりとコルラードを見上げる。なにかを期待したような目で、彼は見下ろしていた。

 少なくとも、その素性が把握できるまでは言うことを聞いていた方が無難だろう。


 レオはここに考え至るまでにたっぷりと時間を使い、その結論を躊躇いがちに口にする。


「こ、コルラード……様」

「様、は要らない。だけど今はそれでもいいや」

 そしてへらっと笑う。「俺も君のことを名前で呼びたいな。構わないだろうか」

「別に、構いませんが」


 減るものではないし、という部分は敢えて口にしなかった。


「ありがとう」


 さて、とコルラードは一度空を仰ぎ、月の位置を確認する。


「俺はそろそろお暇するよ。君と話せてよかった」

「こちらこそ。楽しかったです」


 社交辞令というやつを平然と述べるレオに、コルラードはぴくりと眉を動かした。そしてなにを思ったか、そのまま息をつく。明らかに呆れている様子である。


「君、嘘をつくのが下手だね。君が俺のことを歓迎していないのは分かっているよ」

「そんなこと」

「じゃあ、懐のものは何? 否、脇下かな。俺と『遊戯』を楽しむなら、そんなものじゃなくもっと色気のあるものにしてくれないか」


 それじゃあね、と彼は意外とあっさり去ってゆく。


 ぽかんと呆けたまま、レオはそんな彼の背中を見つめるしかできなかった。


「――どうして、気付いたんだろ」


 そして、左脇下に手を突っ込む。別に「仕留める」ために持っていた訳ではなく、単なる習慣だっただけだ。それを抜きにしても、脇下に入れている「これ」は普通見抜かれることはない――はずだった。


 そこから現れたのは、銀色の短銃だった。

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