第一章 邂逅 Intoppare. (3) ノスフェラトゥの降嫁

***


 さて、来賓室までやってきた。

 レオはアルベルトに下がるよう告げ、扉を三回ノックした。ほとんど間を置かずに、父の返事が聞こえる。


「失礼いたします」


 レオが入ると、黒革で出来た対のソファに二人の男が座っているのが見えた。


 ひとりは、己の父であり現領主のブルーノだ。レオとはあまり似ていない堅物そうな表情だが、その瞳の色だけは彼と同じ鮮やかな稲穂の色だ。彼もまた、カルナーレの一人なのである。そんなブルーノは、いかにも貴族らしい出で立ちでいた。彼もまた余程のことがなければ正装を着たがらない性質なので、それを見ただけでレオは「来客」がいかに重要なのかを理解した。


 もう一人が、レオに背を向けて座っている人物である。背もたれに隠されてよく見えないが、襟足の長い髪はまるで鴉の濡れ羽のような艶やかな黒色だった。


「父様。お呼びでしょうか」


 声をかけると、ブルーノはレオに目を向け、ぱっと表情を明るくした。


「レオ」


 彼がそう呼んだことで、背を向けている人物が反応した。ぴくんと肩が震え、おもむろにこちらを振り返ろうとする。


「お前に会わせたい方がいる。こちらに」


 ブルーノに促されるまま、レオは二人が座っているソファまでやってきた。そこでようやく、彼は男の出で立ちを拝むことが出来た。


 これは随分、美男子が現れたものだ。レオはつい目を見張ってしまった。


 肌は青白く、鼻筋も通っている。年齢はおそらく二十代中頃。前髪は後ろに撫でつけており、おかげで鋭さを孕んだ黒の瞳もしっかりと見てとれる。


 黒を基調とした衣装から察するに、彼は相当身分の高い人物なのだろう。ブルーノの爵位は男爵に相当するが、おそらくそれよりは上。若い女子たちが目にしたら、もしかしたらその美しさのあまりに卒倒してしまうのではないか。レオの場合は卒倒までとはいかずとも、多少追いかけられるくらいのことは経験済みなので、内心「この人、随分苦労しているのだろうなぁ」と憐れみの目を向けてしまった。


「こちらは、コルラード・インフォンティーノ伯爵。随分お若く見えるが、こう見えて私よりも御高年であらせられる」

「え……っ」


 思わず本音が漏れそうになり、慌てて口をつぐんだレオである。

 ブルーノは御歳五十歳。それより年上と言ったら、いったいこの美青年――否、美中年だろうか――は一体いくつなんだ。


「伯爵、これが我が愚息のレオでございます」


 父の言葉に、レオは気を取り直し、きりりとしたまなざしを彼へと向けた。視線が一度かち合う。

 それからコルラードと呼ばれた青年はレオに微笑みかけると、そっと立ち上がった。


「久しぶりだね」


 そして、思いもよらぬ一言を投げかけたのだった。


 この人と会ったことがあるだろうか。


 レオはしばらく思考を巡らせたが、生憎まったく記憶になかった。これだけ印象に残る外見をしていたら、間違いなく覚えていると思うのだが。


 握手を求められたので、レオも嵌めていた白の手袋を外し、右手を差し出す。象牙のように白んだ肌ではあったけれども、ごつごつとした男の手には違いなかった。

 そのまま記憶を探っていると、ふとコルラードは何かを思い出したように目を見開いた。


「ああ、そうだった。君と会ったのはまだ君が生まれて間もない頃だったね。それじゃあ、覚えていなくても当然だ」


 すまなかったね、と肩を竦めながら言うので、レオは慌ててそれを否定する。


「いえ、謝ることのほどでは……むしろ申し訳ないのは私の方で、」

「それにしても、」


 その瞬間、レオはなんだか言いようのない違和感に駆られた。


 コルラードの持つ瞳の色が、先程とは違うということに気付いたのだ。レオはこの目線に覚えがあった。なんだか恋情を抱いているときのような、少し甘ったるい印象を受けたのである。気のせいならいいのだけれど。


「あの小さな子供が、これほどまでに気高く美しい青年に育つとは。それに、この瞳の色」


 しかしレオの願いとは裏腹に、コルラードはそっと顔を寄せてきた。


「随分血の濃いカルナーレとお見受けする」


 心臓が跳ねた。こういう言い草をする人間にろくな奴はいない。長年の経験と勘で何かを感じ取ったレオは、さりげなく一歩後退しようとするが、


「待って」

 それを引き止められた。「もっとよく見せて」


「あの、伯爵――」


 お言葉ですが、とレオが口を開いた刹那、ブルーノが待ったをかけた。父の助け船だ。さすが頭が堅いと言われ続けるブルーノ、こういうときは非常に頼りになる。


「まだ、これには事情を話していないのです。少々お待ちいただけますか」


 ……頼りに、なる?


 レオの耳にはどうも、ブルーノがそれを肯定したようにしか聞こえなかったのだが。気のせいだろうか。


「レオ、よく聞きなさい。この方は、エゼクラートにおいてかなり特別な地位に就いていらっしゃるお方なのだ。我々カルナーレの血を引くクレメンティの一族がここまで続いたのも、このお方がいてこそだ」

「話が見えません。要点だけをお願いします」

「今年、例のノスフェラトゥの降嫁が執り行われることは知っているだろう。今回の花嫁は、お前だ。レオ」


 今、父はなんと言ったのだろうか。

 花嫁? この、おれが?


「……はぁ?」


 レオもついつい、情けない声を上げてしまった。

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