23話:強者、弱者

「······これは一体────?」


サリーは脚を素早く動かして崖を蹴り、縄を伝って下りていく途中、眼下には予想外な光景が広がっていることに気づいた。


静寂とは真逆の、激しい激戦があちらこちらで繰り広げられていたのだ。


サリーは思わず手を止めて辺りを見回した。


数え切れないほどの鬼。それらを何人もの冒険者が相手している。


────いや、違う。


ほとんどはルーイッヒの町の人々だ。装備だってろくにしてないし、知っている顔が多い。それに、ほとんどの人が呪術で鬼と対抗しているように見える。


劣勢、か。


ルーイッヒの町の人は皆呪術師ではあるが、ほとんど独学で身につけたものだ。対象を恐怖に陥れて動きを封じることは可能だが、呪い殺したりする高度な技は使えない。


一人の冒険者が威勢のいい声を上げて鬼に飛びかかるのが見えた。しかし、動きが遅い。瞬く間に鬼の拳が吹き飛ばしてしまった。


その冒険者は木に背中からぶつかり、がっくりと肩を落として気を失ってしまった。そのとき顔がはっきりと見える。


「あ······」


あの冒険者、仲間と一緒によく酒場に来ていた人だ。確か、最初にビールとチーズを注文する人。


見たくない。死ぬところなんて見たくない。


────助けなくっちゃ······!


サリーは凄まじい速さで縄を下りて地面に足をつけると、その冒険者のところまで全力疾走した。


「オイ! ジョウチャンー!」


マッドスネークが止めにかかるが、それでも構わずサリーは走って行く。


着いてからでは間に合わないと思い、走りながら呪術を唱える。


「キャッ!」


突然視界が真っ暗になる。顔を上げると巨大な木々が自分を見下ろしていた。口には砂が入り、膝や腕などに痛みが走る。


────こんなところで······


サリーは歯を食いしばって膝に手を付き、力強く立ち上がった。


諦められない。


サリーは再び走り出す。足を踏み出す度に膝がしつこく痛む。


気配がだんだん近づいてくる。もしかしたらもう手遅れかもしれない、酷い光景を目の当たりにするかもしれない。サリーの心に僅かに恐れが生じる。もう、あの冒険者は助からないかもしれない。自分も死んでしまうかもしれない。


サリーはグッと口をつぐんだ。


────今は助けることだけを考えるのよ。


最後の大木を切り抜けると、牙の発達した鬼が1人の男に向けて拳を振り上げた。


あいつ、とどめを刺すつもりだ。


「止まりなさい!」


サリーは鬼に向けて両手をかざした。すると、鬼は急に拳を止めてのけ反った。


良かった、間に合った。


サリーはじりじりと鬼に近づいて行くと、鬼はそれを恐れるように数歩下がった。そうして気を失っている冒険者から遠ざける。


────絶対に許さない。私の町をめちゃくちゃにして、大事な人達を無慈悲に殺して。許さない。


サリーは鬼への憎悪を膨らませていく。こうすることで呪術の力は強まり、鬼により大きな恐怖心を与えることができるのだ。


鬼は恐怖に耐えきれず、サリーに背を向けて逃げ出した。


「あ······待ちなさい!」


サリーは慌てて追いかけるが鬼はかなり逃げ足が早く、巨大な背中はみるみるうちに小さくなっていく。


そのときだった。


サリーは気づかなかったのだ、もう1体の鬼が彼女に向けて拳を振り下ろしていることに。


「あ────」


気づいた時にはもう遅い。呪術を唱える暇ももうなかった。


────ここで終わりなのね。


悪くないかもしれない。人を1人助けることが出来たし、戦いに少しばかり貢献出来たと思う。


それに私は幸せだった。毎日酒場で忙しく働いて、たくさん笑って、たくさん泣いて。多くの優しい人達に囲まれて生きてきたから。恋だってした。


────あ、そういえば私、デートの約束してたんだっけ······


ごめんなさいシド。約束、守れなくなっちゃったわ。


サリーは静かに目を閉じた。



────ごめんなさい、お父さん······



······



······



······あれ?



何も痛みを感じない······?


サリーは恐る恐るまぶたを開けた。


────え?


サリーの目の前では、拳を振り下ろしていた鬼があっけなく倒れていた。よく見れば、倒れた首の辺りから体力の血が流れている。出血量が異常だ。


「大丈夫か!? 膝に血が······」


倒れた鬼の向こうから飛び越えて来た人は、シドだった。シドはサリーの膝を見るなり、治そうとして手をかざす。


「あ······ありがとう。でも平気よ。あなた今、気力がもうほとんど残ってないでしょ? もし他に重傷の人がいたらどうするの、気力切れで治療出来なかったら大変でしょ」


「······ごめん」


シドは申し訳なさそうに手をゆっくり下ろす。そのとき、シドのもう一方の手に血のついたナイフが握られているのを見た。


「もしかして、そのナイフで······?」


「うん、鬼の頚動脈を確実に切ったからもう大丈夫だよ。俺の攻撃は絶対命中! すげーだろ?」


「······すごい」


サリーは倒れた鬼を見て自然にそう言葉が出た。褒められたシドは、垂れた髪を耳にかけて嬉しそうにしている。


頚動脈を確実に狙う。それだけでも難しい事なのに、鬼の皮膚は人間よりもずっと硬い。シドの小さなナイフでは切ることは難しいだろう。


それなのに成功した。


一見簡単そうに見えるが、角度、深さ、タイミング、速さ。その全てが問われる。


シドは余程優れたナイフ使いなのだ。


「怪我人を探そう。走れる?」


シドは先に走り出そうとするが、振り返ってサリーの方を見る。


「ええ、急ぎましょう」





* * *





「サリー、大丈夫かな?」


ジャンはサリーの走って行った方向を見て呟く。


「シドが追いかけて行ったからナ、大丈夫ダロウ! ······だがァ、上の2人が気がかりダ。すぐにでも他の冒険者どモォに増援を頼みに行かないとナァ。それまでになんとかもってくれればいいガ······」


マッドスネークは崖を見上げると、「ほらサッサ行くゾォ!」と言ってすぐに走り出した。


マッドスネークが意外と走るのが速くて置いていかれそうになる。ジャンは慌てて付いて行く。


あちこちから威勢のいい声や鬼の咆哮、戦う音が聞こえてくる。


鬼の数が変に多いし凶暴になっている。もしかしたら復活した巨大鬼が咆哮を上げたことが合図になったのかもしれない。それはルーイッヒの人達も同じことで、異変を感じてこうして駆けつけてきたのだろう。


「ストップゥゥ!」


マッドスネークの裏返った声がいつもより甚だしい。


「こりゃワンサカいるナァ!」


目の前には3体の鬼がどっしり構えていた。どれもこちらを睨んでおり、戦う気満々のようだ。


マッドスネークは指をボキボキ鳴らすと、なんの躊躇もなく真正面から飛びかかる。


────速い!


鉄のような彼の拳は鬼と比べると限りなく小さいが、一発一発がかなり重い。始めは鬼の拳と力比べをしていたようだが、やがて腕をすり抜けるとみぞおちに一発食らわした。


鬼はよろめきながら後退し、しばらくすると口から血を吐いて倒れた。


「ジャン! お前に言いたいがあル! そこで黙って耳かっぽじって聞けヨォ!」


「分かった!」


マッドスネークは倒れた鬼を土台にして高く飛び上がる。


「お前はァ、仲間に背中任せすぎダァ!」


鬼の顔面に両足を押し付ける。反動で鬼は後ろへ倒れる。


「······正直に言おウ。お前はこのままだと冒険者として生き残れなイ」

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