21話:意地汚い

巨大鬼は傷だらけだった。床が崩れて落ちたときに負ったものだろう。


だからこそ、恐ろしい化け物だということを実感させられる。


弱っている様子が一切ないのだ。むしろ、気迫は増してるように見え、顔全体を歪めて爛爛とした目は恐ろしいほど釣り上がっている。微かに開いた口からは鋭い歯が覗き、「ヒュー······ヒュー······」と小刻みに不気味な音が発せられていた。


「変ね」隣にいるシモンは鞘に手を置きながら冷静にそう言う。


こういうときシモンは凄い。どんな状況であれ焦ったり怯えたりしない。行動するときは大胆不敵だ。怖いもの知らずは危険だと思うが、シモンの場合はそれがいい影響を与えてる。その性格が彼女自身を強めているのは明確で、現に通り名まで付けられて噂が広まっている。比較的慎重に物事を考える僕とは正反対だ。そういう慎重派の人間にとって、シモンは良い影響を与えているはずだ。


カヒュー······ヒュー······ヒュー······


まるで肺に穴が空いているような呼吸の仕方だ。


巨大鬼は僕を真っ直ぐ睨んでいる。どうやら、僕のことが一番気に入らないようだ。


僕は1歩下がって巨大鬼の反応を伺った。すると、巨大鬼はスイッチが入ったのか突然動き出した。


かなり高速で。


────!


僕はギリギリのところで反応する。瞬きをする間に巨大鬼は僕の前まで移動してきたのだ。そして、その棍棒腕でシモンもろとも薙ぎ払おうとする。


シモンは咄嗟にしゃがみこむ。身体が小さいので当たらずにすんだ。


僕は後ろへ宙返りをする。目の前の視界が鬼の腕でいっぱいになる。まずい、これは当たるかもしれない。


────そう思ったが、僕の足は無事に地面に着いていた。少々脚が痛かったが巨大な拳には当たっていないようだ。勢い余って後ろへ倒れそうになる。


ヒュー······ヒュー······ヒュー······


巨大鬼は拳を繰り出したまま息を立てて停止している。


こいつ、なぜ急に動きが速くなった?


腕をよく見てみると、微かに痙攣していた。なるほど、全身の筋肉を最大限まで引き出しているのか。だから常に速い動きができる。


これが、こいつの全力というわけか。


もしかしたら、これも巨大鬼の作戦だったのかもしれない。崖城の床を壊して僕らを崖の上まで逃がし、逃げ場のないところで最大限の力を発揮し確実に潰す。


────つくづく不愉快極まりない。


「最悪だ」


「え?」シモンが僕の方を見る。


「始めから罠だったかもしれない。この鬼、逃げ場のないところで一気に潰すつもりだ」


シモンは僕の言葉を聞くと鬼を一度見てまた振り返る。


「······返り討ちにするわ。何かいい作戦ないかしら?」


今の状況で返り討ちにするのは難しいかもしれない。あのスピードだ、隅まで追い詰められたらもう崖下へ落ちるしかないというリスクがあるのだ。


できれば逃げ場のできる状況にしたい。ならば、崖を下りて戦うしか方法はないのか。


「なんとか、下に下りられないか?」


「うーん······」


シモンは辺りを見回すが、方法が考えつかないというように首を左右に振った。何も提案しないのが悪いと思ったのか、シモンは声を張り上げて他の仲間に聞く。


「ねえ! 崖下に下りる方法はないー?」


「危ない!」ジャンが突然声を上げた。


巨大鬼が猛スピードでシモンに突進してきているのだ。これは逃げてなんとかなる速さじゃない。


シモンは目を細めて鬼の手の動きを見ることに集中する。


左、ストレート。


────来る!


シモンは丸っこくて大きな瞳を最大限まで開いた。


素早く抜刀し、飛び込んできた拳の側面にあてて流す。


これには巨大鬼も予想していなかっただろう。巨大鬼は急ブレーキをかけて少しよろける。


チャンスだ。


僕は火球の射程範囲に入るために鬼に接近する。きちんと狙って顔面に放つつもりだ。


僕が腕を構えたところで鬼はちょうどこちらを見た。汚い塵を見るような目つきだ。余程僕のことが気に入らないようである。


腹立たしい。


構えた腕の精密機械に術式の赤い光文字が浮かび流れると同時に、手先から強烈な火の玉が放たれた。


玉は鬼の顔面間近まで到達したが、巨大な手の甲によって遮られてしまった。手の甲にジュウ、と音を立てて煙が上がるが、巨大鬼はものともしない。


失敗したか。


すかさず巨大鬼の右拳が繰り出される。距離があったため後ろへステップすることで逃げきれた。


しかし、どうすればいいものか。


攻撃は避けることは可能だが、反撃することは至難の業だ。これではこちらの体力が尽きる一方だ。それにもう一つ厄介な事がある。巨大鬼の攻撃の癖のなさだ。基本拳で攻撃するが、右利きだか左利きだか分からない。そもそも鬼に利き手があるかどうかの問題だが。


とにかく、右手左手どちらも僕らの攻撃に合わせて臨機応変に対処することが出来ているのだ。


シモンなら反撃することは可能だろうか? さっきも攻撃の出る手を見切って上手く流した。そのまま反撃しようと思えば出来ただろう。彼女のスピードと攻撃の出の速さはトップクラスだ。だからこれまでの凶暴な鬼も瞬殺することができた。だが、問題は攻撃が通るかどうかだ。巨大鬼は異常に皮膚が硬い。仮に首を狙って切りこんだところで、びくともしない可能性が高い。


ジャンやマッドスネークの攻撃ならどうだろうか。ジャンの攻撃の火力は優れているが、出方が遅い。あの巨大鬼のスピードでは相性が悪い。マッドスネークは速さも攻撃力も優れている。だが、炎を纏った一撃を巨大鬼の膝裏に食らわせたが、現在鬼の膝はピンピンしている。攻撃の相性が悪いのだろうか?


マッドスネークは『真星まぼし』という技を持っていた。パンチの衝撃を一点に集中させて敵の内部を破壊させる技だ。


「マッドスネーク! 真星は使えるか!」


僕は拳を構えるマッドスネークに声をかけた。


「あれは攻撃の前に『ため』が必要なんダ! こやつノォ速さじゃ通用しないだろゥ!」


マッドスネークは無駄に声を荒らげた。


攻撃が通用しないならどうしたらいい。


僕の錬金術も発動に僅かに時間をかける。またさっきのように手で防御されてしまうだろう。剣で斬りかかったとしても、シモンのような速い対処はできない。


「だがジョウチャン! 崖下に下りる方法ならあるゾォォ!?」


マッドスネークはシモンに向けて更に声を荒らげる。そして、腰のあたりを探り、束になった縄を引っ張り出した。


「ジャァァァーン! 縄ァァァァ!!」


いや待て。


今ズボンの中から出てきたような?


「きったないわね!」


シモンもそれを見ていたような反応だったので間違いないようだ。カンカンに怒っている。


僕も同感だ。まったくもって最悪だ。ズボンの中から出てきたものなんてを絶対に触りたくない。


絶対に、だ。

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