20話:ノスタルジック

広い階段を上りきると、そこには随分と開けた景色が待ち受けていた。高所なので空がいつもより低い。長い時間室内にいたせいで夕暮れ時の暗い空でさえ眩しく感じる。最後の轟音と共に、上ってきた階段は跡形も無く崩れ落ちていった。


僕は真っ先に全員揃っているかを確認する。シモン、ジャン、マッドスネーク。そしてサリーとシド。それぞれが息を切らしていて膝に手を付いている。ひとまず、床崩れに巻き込まれた者はいないようだ。


僕の首元を生温い風が吹き抜ける。


崖城の屋上には花畑のようになっていた。何という花かは分からないが、桃色一色で。柔らかな風が吹くたびに桃色がさわさわと揺れ動く。僕はしゃがみこみ、近くにあった桃色の花に触れてみる。花弁は淡紅色で小ぶりで可愛らしいものだ。


「サクラバナね」


シモンがそう言って僕の隣にしゃがみこむと、同じように近くのサクラバナに触れる。とても愛おしそうに。


「これね、春にしか咲かない花なんだけど。あたしの家では年中咲き続けているの」


「季節が変わらない、ということか?」


「ううん」


彼女は膝に手をつき勢いをつけて立ち上がり、前かがみで僕を見下ろす。


「季節はちゃんと春夏秋冬あるわ。生まれた時からずっとあたしはサクラに守られてるらしいのよ。桜ノ巫女だからなのかな。サクラの神さまがお側にいらっしゃるらしくて。まあ実際には見たことがないから半信半疑なんだけどね。······でも、サクラを見てると不思議と心が落ち着く」


サクラに守られてる、か。


「······生まれた時からサクラと一緒なら、そういうことも有り得るかもしれないな」


「あっ、レイ! あなたあんまり信じてないわね。今ちょっと苦笑いしたわよ」


バレてしまったので僕はたまらず、吹き出してしまった。慌ててシモンから顔を背けるが遅かったようだ。


「まったく、錬金術師っていうのは科学的なものしか信じられないの?」


「······すまん」


シモンに向き直るが、逆効果だったようで再び吹き出してしまう。······駄目だ、今顔を合わせると笑ってしまう。


「もう! 全然っ反省してないじゃない!」


僕は膝に顔を埋めてしばらく笑いに耐える。早く抑えようと、別の事を必死に考えようとする。


階段が崩れてしまった今、どうやって町に戻るか。


よし、これだ。真面目に考えればきっと笑いも止まるはずである。


ここは崖の上だ。崖から飛び下りるにしても高さがあり過ぎて危険である。じゃあ、さっきの崩壊した階段を戻る? まだ歩ける道が残っているかもしれない。しかし、崩壊した建物に入るのもかなりリスクが伴う。それに巨大鬼が生きている可能性もある。その場合は再び戦うことになってしまう。


鬼が生きていたらどうする? 今の僕達には戦う体力が残り少ない。動きも鈍ってきている。もし一発でも攻撃を受けてしまえば死ぬかもしれない。生きていたとしても致命傷を負うこと間違いないだろうし、そしたらシドの治療を受けることになる。シドの気力は大丈夫だろうか。あと何回医術が使える?


ここまで考えを巡らせたところで、僕の笑いは完全に止まっていた。今度こそ、ちゃんとシモンに向き直る。


「笑って悪かった」


不貞腐れて顔を背けていたシモンは、僕の一言を聞くとゆっくりとこちらを向いた。


「······よろしい」シモンは腰に手を当てて威張るようにそう言う。


「ねえ、これからどうする?」


シモンは僕の顔を覗き込むように首を傾ける。彼女の左頬が髪で隠れる。そのせいで、僕は彼女に見下されているように見えた。


────妙に腹立たしいな。


懐かしいような感覚に襲われる。


僕は素早く立ち上がる。これでシモンより目線は高くなった。


「少し休憩を取ろう。帰りまでに体力を蓄えておかないと」


「そうね。あ、ねえ見て」


シモンは僕を隔てて指さした。その方向を見ると、ジャンとマッドスネークが「う〜ん!」「最高だネェ!」とそれぞれ言いながら豪快に寝そべっていた。


「あいつらはリラックスし過ぎだ」




* * *




「あら? あの2人ちょっといい感じ?」


並んで座っているレイとシモンの背中を発見したサリーは、鼻に手を当てて微笑む。


「それは俺達にも言えるような気がするけどなー」


サリーの隣にいる白衣の男は、空を仰いで独り言のように呟く。


「······そういえばあなたの名前聞いてなかったね。なんていうの?」


「お! ようやく俺に興味持ってくれたか〜! 俺はシド。呼び方はなんでもいいよ!」


シドは声のトーンを上げると、サリーの方へ振り向き目を輝かせた。そして、無邪気に笑う。


それが突然だったので、サリーは少しどきっとした。時間差でだんだん頬が火照ってくるのを感じる。顔が赤くなってるのがバレないか心配だったが、シドは気づいていないようだった。


「じゃあ、シドって呼ぶわね」


こんな時こそスマイルだ。サリーは表情を隠そうと全力で作り笑いした。


「そういえばあなたさっき、普通の人とは違うところで育ったって言ってたけど······どういうことなの?」


質問を受けたシドは、少し長い瞬きをして話し始めた。


「治安の悪いとこで育ったってことだよ。俺、子供ん時両親亡くしてね」


シドはサリーと目を合わせることなく話を続けた。


「俺一人だったらたぶん今頃野垂れ死んでたかもな。でも、俺には二つ下の妹がいるんだ。せめて妹には普通に学校に通わせたいって思うだろ? だから稼ぐためにはそれなりの強さが必要だったんだ」


「······でも、あなたは今立派な医術師じゃない。何かきっかけがあったの?」


「まあ、ね。その時付き合ってた子に医者に向いてるって言われたんだ」


彼は微かに口角を上げて笑ったが、細めた目はとても寂しそうだった。


「今は付き合ってないの?」


女性経験が豊富そうな彼にとっては愚問だったかもしれない。


「うーん、振られちゃったっていうのかな。その子、遠くに引越したみたいで。あ、俺今彼女いないよ!」


シドはそう言うと抜け目なくサリーにウィンクした。


「ふふっ、それって私を誘ってるの?」


「さあ〜」


少し意地悪な笑みをうかべる。


「じゃあ逆に質問。サリーに彼氏はいるの?」


「いないわよ。酒場でお客さんに誘われたりすることはあるんだけど、基本的に断ってるわ。最初は断れなくて誘いに乗ってたりしてたんだけど、なにしろ相手が酔っててね。デートに誘ったことを忘れてたりしてて。それからは仕事って割り切って断るようにしてるの」


「なるほどなぁ」シドは納得したように相槌を打っていたが、急にサリーの瞳を見つめる。


「俺とデートしない?」


ドキンと瞬間的に胸が弾んだ。頬がどんどん赤くなっていく、もうこれは避けられない。


「だめ?」


今は仕事中じゃない。シドはお客さんじゃない。断る理由が1つも存在しないのだ。


「······だめじゃないかなあ」


照れ隠しをしようとゆっくり返事をしたが、声が震えてしまう。


「やったー! いつが空いてるかな?」


「良ければ明日でいいよ」


「決まりだな! よし!」


シドは立ち上がってガッツポーズをする。


サリーも思わず口元が緩んでしまう。


本当に、こんなにときめいたのは何年ぶりだろう。酒場では人の話を聞くばかりで、自分のことは絶対に後回しにしなければならない。だから、こういう感情は心の奥にしまい込んですっかり忘れていた。


心の奥でじわじわと暖かいものが込み上げてくる。そして、懐かしいような感覚に襲われた。


────なんだか妙に幸せだわ。


何を着ていこうか。水色のワンピースがいいかな。それにパステルカラーのハイヒールを合わせて。そうだ、東門の近くにある店のパスタがとっても美味しいから、彼をそこに連れて行こう。


成程、こういうのを考えるのが普通の女の子なんだ。


「······サリー」


不意に頭上から声がかかる。見上げると、シドがサリーに手のひらを見せる形で差し伸べていた。


しかし、彼の表情は先程のテンションが嘘のように真剣だった。何かを警戒しているように見える。


敵の気配を察知したのかもしれない。サリーは差し伸べられた手のひらに自身の手を乗せると、ゆっくり引っ張られて立ち上がった。


「······どうしたの?」


シドは質問には答えない。気配察知に全ての神経を持っていっているのだろう。やがて、地面に視線を落とした。


「······下だ」


「えっ!? ちょっと!」


今度は強い力で引っ張られる。そのまま、花畑の中を走り抜けた。何事かと思い、さっきまでいた場所を振り返る。


地面が吹き飛んでいた。


一体、何が起こっているの。


サリーは空を見上げると、思わず「上!」と叫んだ。


────嘘でしょう。まさか生きていたなんて。


凄まじい音と共に、花畑の中央に、奈落に落ちたはずの災厄の怪物が着地していた。

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