3
またあの夢。
彼女が去る夢。
血を濡らしてあたしを抱き締める夢。
その夢を見ながら、あたしは傍にある感覚を感じていた。寒さに震えるアリア。
迷子。お互いの素性も知らない。ただ、野良となって最初の冬は、アリアには過酷すぎた。飼い猫は温室で育てられていたに等しい。まして、日本という国の中枢は冬に雪が降るというのは、近年でも稀だ。あたしが若い時の冬とは格段に違う。
肌と肌を重ね合わせただけでは、アリアに暖を与える事はできない。
が、暖かい場所は他の野良猫のテリトリーとなっている。
二つ名を持つ猫は争いを好まない。他の猫に干渉をしない。それは他の猫が自分にも干渉しない事を意味する。干渉がなければ、猫は平和に過ごせる。干渉する時は、物の怪の化けの皮を、自ら剥ぐ時だ。だてに長く生きたから二つ名を冠しているわけじゃない。
夢が終わらない。
アリアと震えと彼女の震えが、合成されるような感覚だ。
あたしはアリアの事はよく知らない。
でも、あたしはアリアの事を離したくない。
温もりを欲しているのかもしれない。この子猫を彼女と同一視しているのが、自分でも分かる。
まだ冬になっていないのに、夜の寒さが厳しい。
アリアはこの寒さに耐えられない。
そうじゃない――そうじゃないのは、あたしが知っている。アリアはあたしと、アリアに「みゅう」という名前をつけてくれた少女を重ねている。
あたし達は似た者同士なのかもしれない。
風が凍てつく。
「何やってる」
風を切る音。眠っている脳が、わずかに警告をする。が、麻痺したように動かない。彼の声だ。あたしは瞼をうっすらと開けた。
「間違いない」
人間が五人、あたし達を囲んで立っていた。
「銀猫だ」
アリアに向かってそう言っているらしい。
「しかし猫にも催眠ガスは聞くのですね」
「……関係無い。俺は銀猫を殺すだけだ」
コ・・ロス?
「そう急がないでください。私達はスマートに行いたいのですよ。この猫を一度、研究所に連れていきます。そこで、君は君の好きなようにすればいい」
「……分かった」
「難儀ですね、猫を殺しても敵討ちにはならないでしょうに」
「うるさい」
「まぁ、我々は銀猫の屍体があればいい。これほど高級な猫は、剥製の方も貴重価値があります」
「黙れ」
男達がアリアに手をのばす。
あたしは精一杯の抵抗をしたが、体は全く動かなかった。
と風を切る音がした。
彼がそこにいた。
「猫?」
と男達の一人が、肩をすくめた。彼など眼中にないようだ。だが、彼は容赦なく物の怪の皮を剥いだ。風を切る音がする。彼の目が深紅に輝いた。
風が彼らの肌を切り裂く。それは単なる、デモンストレーションでしかない。男達の表情に驚愕の色が宿る。
「ば、化け物!」
と男の一人が銃を乱発した。それが彼に効果があるはずがない。
あたしも、化けの皮を剥いだ。
黒い瞳が、さらに深闇に染まるのを感じる。何も無い場所から、炎が上がる。その炎が男達を容赦なく焼く。
「馬鹿」
と彼は笑った。その声が呆れている。
「必要最低限にしとけ。猫が人間を殺してどうする」
あたしは炎を止めた。彼はあれで必要最低限だったのだ。確かに、彼の攻撃は威嚇程度のものでしかない。
男達が散り散りに逃げまどう。
あたしは肩で息をしつつ、彼を見た。そして、もう一人の人間が優しく、あたしに笑いかけている。
「こりゃまた、随分と派手にやったな、ルル」
「炎上させたのは俺じゃない」
「似たようなもんだろ」
と男はクスクス笑う。あたしは呆気にとられた。あたしが物の怪となった日、それはあたしが一人の人間を守りたいと思った日だった。二百年も前の話だ。
その人を守るためにあらわれた炎は、その人を脅えさせるだけだった。
あたしは人間社会に関与する時は、皮を剥がない事を心に決めた。
彼女が死んだ日にも、あたしは炎を出さなかった。
むしろ、あの炎で一緒にあたしも焼かれたいと思った。
でも、この人間はごく当たり前のように、あたしの炎を見て驚かない。
「暖かい炎だな」
と彼は優しく笑って言う。
「さすがルルの友達だ」
「何だかひっかかる言い方だな」
と苦笑する彼の笑いが止まった。その意味にあたしも気付く。アリアがその場所にいなかった。ただ、土に猫の言葉で置き手紙が書いてあった。
ただ、一言、ありがとう、と。
あたしはまた、寄り添う相手をなくしてしまった。呆然と、その手紙を見つめる。
と、男があたしを抱いた。
「そんな寂しそうな顔しないでくれよ」
猫のあたしに向かって、男は照れもなくそんな台詞を吐く。あたしは呆れて、彼の顔を見た。
「
と彼は優しく言った。
あたしはアリアの残した手紙を見返した。また逢えるよ、と小さく書いてあった。
アリアの方が大人にあたしは見えた。アリアは知っていた。人間はいつか裏切る動物だということを。あたし達はそれ割り切って付き合っていけばいい。アリアの飼い主のように全身全霊で愛情を注いでくれる人がいれば、アリアを高価な銀猫と、商品のようにしか見ない連中もいる。アリアはそれを知っていた。
あたしは二百年生きても、それが分からない。ふがいない。
「そんな事はない」
と猫にしか分からない言葉で、彼は言った。キョトンとして私は彼を見て、そして体が熱くなるのを感じる。
「あたしの心を読んだな」
「分かりやすいんだよ、マリアは」
「……憶えていなさいよ」
「たかだか二百年じゃないか」
と彼は笑った。
「え?」
「後悔や懺悔はもう少し長生きしてから言うんだな」
意地悪く彼は笑い、そしてあたしは絶句した。
「ルル、何を話していたんだ?」
「聡一には関係無いな」
聡一とあたしを抱く男の名前は言うらしい。
あたしは精一杯、彼にむかって鳴いた。声を出した。
あたしは『騎士』のように、人間に言葉を伝えれない。それでも、あたしは聡一と言う名の人間に声を出し続けた。
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
それだけを何度でも。何度でも。
――アタシデイイノ?
――アタシデイイノ?
伝わらない。伝わらない。あの時もそうだった。あたしにマリアと名前をつけた彼女に「生きて」と言葉を伝えたかった。でも伝わらなかった。
きっと今回も伝わらない。伝わるわけが無い。
「君が、いいんだ」
と聡一は言った。ルルは彼に何も伝えていない。あたしは彼を見上げた。人間だったら泣いていたかもしれない。あたしただ彼に擦り寄る事で愛情を示した。
「よかったね」
と女の子の声がした。『騎士』を抱き上げ、にっこりと笑っている。『騎士』――否、ルルは少しくすぐったそうにしながらも、彼女に体を預けた。
「萠」
萠と呼ばれた彼女が、ルルの飼い主――家族らしい。
「黒くて綺麗な毛並み。人間なら美人ちゃんだよ」
「だ、そうだ?」
とルルは意地悪く笑んで、あたしに言葉を投げかける。あたしはあえて無視をした。ルルは小さく笑った。
あたしも笑った。
秋風がますます冷たく吹き付ける。
冬が来る。
アリア――あたしがつけた名前。
あなたが百合ちゃんに会える事を心から願っているから――。
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