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「マリア、うなされていたね」


 とアリアは心配そうにあたしの顔を見上げた。秋の境界線、まもなく冬になる日のことだった。彼女の夢を見ると、かならずうなされる。今さらと思うけど、あたしはあたしに名前をつけてくれた彼女の事が忘れられないでいる。

 

 北風が冷たい。公園の滑り台の下でアリアと体を重ねながら、この冬をどう越すかを考える。あたし一人なら、冬は楽に越せる。物の怪と言われるに至った長寿の猫だ。自分の年すら忘れたが、百年を二周ほどしているのは確かだった。が、つい最近まで飼い猫だったアリアは、人の手を離れて自分だけの力で生きていくには、困難なものがあった。だからあたしは、保護者としてアリアの傍にいる。アリアの名前は私がつけてあげた。

 

 猫は猫に名前をつけない。言ってしまえば、家族には父と母で充分だし、兄弟がいても結局は自立するのが猫という種族――人間以外の種族の慣習だった。人間という生き物は兎に角、他人に名前をつけたがる。灰になってしまえば、名前なんか意味もないのに。

 

 アリアの体は純白だ。白く長いが、「白」というには語弊がある。アリアの毛並みは「銀色」と言っても過言じゃない。それこそ、女のあたしなんかよりも、アリアはとても綺麗だった。

 あの日、あたしを助けてくれたお節介な猫も白猫だったが、アリアの美しさにはかなわない。

 

「まだ、ここにいたんだな」


 と声をかける相手がいた。あの日の白猫がそこにいた。あたしは無視をした。が、白猫は優しく微笑して、アリアの元に歩み寄る。当初は知らない場所に迷って迷子になって脅えていたアリアだが、この白猫にすっかり打ち解けていた。アリアは彼を他の猫達にならって『騎士』と呼んだ。

 

 二つ名があるのは、物の怪たる証。彼はきっと、私以上の生を経過している。達観した目が、そう物語っている。あたしは時々、その視線に射貫かれるような気分なになる。だけどあたしは彼を『騎士』とは呼ばない。彼はあたしを『魔女』と呼ばないのと同じように。

 

「アンタ、また来たの?」

「お前さんが心配で来たんだ」


 当たり前のように、そんな台詞を交わす。彼は小さく笑った。

 

「アリアが、じゃないの?」

「勿論、坊主もだけどな」


 飼い猫が野良となって冬を越す、というのは難関というレベルではない。町中では人間達が消える事は無いから食糧事情は豊かだが、猫社会は縄張り争いが苛烈だ。それに最近では、人間達も野良猫対策を図っている。人間達の町の衛生上、あたし達の食糧調達はよろしくないらしい。――言い変えれば、あたし達は不潔。

 あたしからして見れば、人間達の行為の方がよっぽど不潔だ。

 

「僕は坊主じゃない!」


 とアリアは反論した。


「僕はみゅうって、ちゃんとした名前があるんだ!」

 

 むきになって言う。人間がつけるありがちな猫の名前に、あたしは苦笑する。笑ったあたしの顔見て、アリアはますます膨れる。猫だって人間が分からないだけで、表情は豊なのだ。

 

「勝手にいなくなった人間のことなんて、忘れればいいのに」


 あたしはこれで何度目かの言葉をアリアに諭した。人間を信じ過ぎると痛い目にあう。人間という生き物は勝手な存在だから。飼うという言葉は『家族』と同レベルの意味では無い。生かすも殺すも人間次第という意味だ。言うなれば、食肉となる牛や豚の末路と同等といえる。だからこそ、信じすぎてはいけない。それを理解するにはアリアはまだ若すぎるらしい。

 

「百合ちゃんが僕につけてくれたんだ」


 とアリアは言う。あたしが『アリア』と名付けたから、アリアはその呼び名に従っていたが、何かある毎にアリアは「みゅう」という自分の飼い猫の時の名前を出す。アリアは余程、その少女に愛されていたらしい。それが何の理由で離ればなれになったのか。それはあたしは聞かないし、アリアも話さない。それでいいと思う。あたしは、この子を見捨てておけなかった、それだけが理由だ。

 

「間もなく冬になる。嬢ちゃん一人ならまだしも、坊主も一緒じゃつらいんじゃないのか?」

「飼い猫が偉そうな台詞をほざくわね」

「あまり飼われてるとあいう感覚は無いけどな」


 『騎士』という二つ名を冠する彼は小さく微笑む。彼の台詞に嘘は無いことをあたしは知っている。彼は悠々自適に人間と猫の社会を行き来している。どちらに甘える事もなく、彼は『騎士』の二つ名に相応しく、あたしを助けたように他の猫を助ける。今もこうして、お節介をやきにきているわけだ。

 

 彼に言われるまでもない。今年の冬は、かくも厳しい。一週間後には人間達の天気予報が、近年まれに見ない大寒波と報道することだろう。ハイテクと言われる機械を手にしても、猫の感覚に劣る人間の手腕に哀れみすらおぼえる。

 

「お互い、飼い猫だ。人間と生活する事に苦はならないと思うが」

「は?」


 あたしは彼が何を言っているのか理解できなかった。

 彼の後ろで、人間の女の子と、男性と言うべき大人が待っていた。

 

「冬だけでも、どうだ?」

「……馬鹿なこと言わないで」

「考えとけ。悪い話じゃないはずだ」


 と彼はあたし達に背をむけた。

 

「ルル、もういいのか?」

「うん、今回はキャンセルだとさ」

「今年の冬は、雪が降るんでしょ? あの二匹、凍えちゃうよ」

「野良でも厳しいかもな、今年は」

「ルル、それがわかっているなら――」

「アイツもそれほど馬鹿じゃない」


 あたしは彼らの会話を聞いていた。そして、ふと顔を上げる。彼らの姿は遠くに消えかけてて、ようやく気づく。

 あたしは耳を疑う。彼が喋っていた言葉はに違和感があった。――考えて、あたしは呆れる。

 

 彼は、ごく当たり前のように、人間の言葉を喋っていた。



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