カミノシマ・実行(バイナリファイル)
【全自動学習システム良好】
星一つない夜にネロは、老描に呼び出されて、投射映像を見させられていた。マリアには内緒で、だ。今のところカミノシマの防衛ラインをヒト種に突破されることはない。だが、それに安心できない。残された時間はわずか、だと思う。マリアのネロに対する弟のような扱いに危惧を抱くのだ。あのままではネロは戦えない生き物になてしまう。それでは、カミノシマを守る者がいなくなってしまう。
映像は、紅だった。
紅。滴る。流れる。痛み。
それは苦悶だった。そして歓喜していた。明らかに、同じ種族が殺し合いながら歓喜し、そして悲哀の叫びとともに倒れ、何の価値もない戦いを続けていく。有史から、今現在まで、ヒト種という存在は闘争本能と我欲でつき動いている。禍々しい魔物にすら思える。ネロは暗い眼差しで、物もいわず、映像に食い入るように見つめていた。
「何をやっているのですか?」
映像が止まる。早い、と思った。いくら中核であるマリアであっても、攪乱素体をカミノシマ中にばらまいた。ネロを学習させるチャンスをねらっていたのだが、マリアの行動はあまりに早い。
【学習システム停止】
マリアは瞬き一つで、血塗られたビジョンを消してしまう。後にはカミノシマの命の息吹が脈打つ。風の音、鳥の鳴き声、獣達の安眠、虫達の囁き。そして地下200メートルで稼働する、多重管理プログラム[カミ]の静寂に溶け込む電子音。
「マリア?」
「ネロ、何を見ていたの?」
「ドクターが勉強を教えてくれていたんだ」
純真にそう言う。
「……ドクター」
老描にむかって言う。いつもの優しい微笑みはなかった。感情というプログラムを覆い隠して、人形のように表情なく老描に視線を送る。
弁解するつもりはない。
「最終システムに学習させることを怠っているのは貴女でしょう?」
「学習する必要はありません」
「しかしヒト種は、哨戒ラインを突破しました。今回は前回までのような生やさしいおもちゃで攻めてくるのではないですよ?」
優しく、子供をなだめるように言う。ヒト種とて文明を発展させている。無知なままではない。ただし、賢明であるとは到底いえないが。
「必要ありません」
と凛とした姿勢で否定する。マリアの目に意志が強く輝いていた。ネロと顔を見合わせ、小さく笑う。
「ドクター、心遣いに感謝を」
ネロは一礼した。老描は訳がわからず、目をパチクリさせた。
「でもね、ドクター。過去ログで何があったかは知っているし、僕は最低限の仕事を放棄するほど、不良品じゃないよ」
「不良品?」
「そう。戦えない兵器は不良品でしょ。ドクターはそれに危機感を感じていたんでしょ?」
「ネロ、それは違――」
わない。違わない。全く違わない。老描はそう思っていたから。
マリアは手のひらをかざした。優しい光が球体を形成し、その球体の一部分が拡大されて、天空に浮かぶ島――カミノシマの映像を投射する。
「私はネロが起動するのを待っていました」
「は?」
「兵器ではない人格が育つことを」
「マリア?」
「ヒト種に遺伝子改造された貴方がたは同胞です。その想いを忘れたわけではありませんが、私の意見は反対されることは目に見えていましたから」
「貴女は何を言っておられる・・・」
言っている意味が理解できない。
「今のヒト種にはあまりある遺産ですね。危険すぎます。――いえ、今も未来も永劫、あるべき遺産ではありません。カミノシマは」
「だからこそ、最終システムが !」
「ドクター」
柔らかい笑みを浮かべつつ、当の最終システム――ver.13は穏やかに首を振る。ネロという人間よりも人間らしい感情を見せる少年が。
「僕は今まで十三回、学習してきた」
過去ログと、何度もその言葉を言う。老描は耳を疑った。やはり過去の出来事について最終システムが認識している。しかし、そんなはずがない。最終システムは純粋な防衛兵器であり、過去の出来事が影響されないように、再起動時に初期化される運命にある。
「初期プログラムは改変しています」
マリアはにっこりと笑い、老描は絶句した。
「当初のカミ計画では、才能ある人間を使徒と呼称し選民し、マリアを絶対制御管理機構【KAMI】とするはずだった。選ばれた人間だけの楽園がカミノシマ。でも、使徒はカミノシマに選ばれず、世界を焼き尽くした最終システムの犠牲となった。使徒のおもちゃでしかない遺伝廃棄体がカミノシマの住人となったんだよね?」
老描はうなずく。そのおかげで、彼らは生きながらえ、カミノシマを維持するために、遺伝改造を繰り返してきた。
破壊した上で再生修正を施し、自分たちの好みの楽園を作り出す。悪魔の芸術品だ、カミノシマは。その脅威は身をもって体感してきた。
「で、中核たるマリアよ、貴女はカミノシマをどうするつもりだ?」
「海の底へと落とします」
「な……」
息を飲む。予想もしていなかった答えだ。
「天空を浮遊する事を目的としていましたから、防水加工はされていません。カミノシマを徹底的に中枢から破壊することが可能です」
「本気なのですな」
「ネロが目覚めた時に決めました。この子はようやく、ヒト種が太古に設定した原則命令構造を脱却する事に成功しました。私もようやく中核との切断を可能にしました。もう私たちを縛るものは何もありません」
「しかし、それでは生命維持の限界の来る日がいつか」
「おかしい事を言うのね?」
「は?」
「生命はいつか枯れるもの。ヒト種のねじ曲げた輪にドクターも毒されたようですね」
「……長く記録をつけすぎたのでしょうな」
老描は目を細めた。
耳鳴りのように、警告のアラームが鳴る。ヒト種が防衛ラインを突破してきたか――。
闇夜に浮かぶ、千をゆうにこえる翼のある船――有史の最先端技術を模倣した飛翔艇だ。先回の侵攻時よりも、より洗練された兵器になっている。遺跡を発掘し、徹底的に有史文明の科学を調査したにちがいない。だが、カミノシマの悪魔的兵器にはまだ遠く及ばない。――及んだら、もうこの惑星は再生することなく、死の星と成り果てるが。
そして及ぶことはない。カミノシマは今日で落ちる。
竜が空へはばたき、迎撃を開始した。
巨人の騎士団が槍をかまえて、飛翔艇を一隻一隻、貫通させていく。
天馬の歌う歌に、ヒト種は同士討ちを始める。
白い蛇が、ヒト種の反撃を受けた同胞達の傷を、淡い光の雨で癒していく。
老描もまた戦いに加勢しようと跳び上がろうとしたが、巨人兵の一人と目があった。柔和に笑っている。彼らはすでに全てを知っていた。それを一瞥の一瞬で彼に告げた。老描は遺伝廃棄体を統括する地位にある。彼らとは深層周波でリンクしている。逆を言えば老描の命令は、全て彼らに即時伝達される。その命令信号を逆探知したにすぎない。それに気づかないほど、老描は疲れ切っていた。
マリアは深々と頭を下げる。
「皆さんに感謝を」
「儂からも感謝を」
「え?」
「儂は単なる遺伝複製品だった。実験の一環としてヒト種は儂に知能を与えた。増殖と培養と融合を繰り返してな。意味もなく生きてきた儂の存在意義がカミノシマだ。それを落とせる。儂らの積年の夢を果たせるというわけだ」
「ドクター?」
ネロはきょとんとして聞き返す。老描の疲れ切って目の奥に、歓喜の色が宿ったから。
「正直、有史から千年、あまりに長すぎた。遺伝改造を繰り返し、儂らの細胞は限界点にきている。カミノシマは、地表を修復すると同時に、自己学習機能よって、兵器としての能力を明らかに高めている」
老描はヒト種と戦う同胞を見上げた。
「頃合いなのでしょうな」
と老描はネロに向き合った。
「カミノシマを落として、最終システムは何を為す?」
まっぐにネロの目を見つめる。ネロもまた、老描の宝石のような赤い目を見つめ返した。答えるべき言葉は一つのみ。彼の生存意義は、ヒト種から製造されてから何一つ変わっていない。
「マリアを守ることが僕の唯一の命令系統だよ」
にっこりと笑って言う。老描も小さく笑い返した。
「ネロ、汝の幸運を祈る」
別れの言葉はそれだけだった。老描もまた空へと跳び上がる。その跳躍で、竜の首の上に乗った。それぞれに的確な指示を与え、ヒト種の飛翔艇を駆逐させていく。遺伝廃棄体とはとても思えない。その的確さ冷静さは、自分に埋め込まれた戦闘プログラムを凌駕していると、ネロは思った。
マリアはネロを見た。
ネロもマリアを見た。
マリアとネロが言語構造の切れ端でしかない時から、思い描いていた計画。千年以上の経過をもってわようやく叶おうとしている。
マリアの手のひらでふわふわとゆれる映像のカミノシマを、ネロはそっと指で撫でた。
ぶん、と空気が震える。
【認証】
【そのプログラムは全てを初期化・停止します。取り消しはできません。実行しますか?】
ネロはマリアの顔を見た。その目に迷いは無い。
あるはずもない。望んでいたこと。偽りの無人楽園を落とすことだけを夢見ていたから。その為にヒト種と戦い、カミノシマの防衛監視システムすら欺いてきた。無垢の罪もない生物達と共存しながら。
ようやく自由になれる。
ネロはその手で、カミノシマを握りつぶす。
地響き――風が、荒波のように、暴れ回る。
髪をかき上げる。マリアはネロの手を繋ぐ。
ぐらっ、と大きく傾き、そして落下する瞬間を体感する。
警告のアラーム音――それがノイズ混じりで鳴り響くのを聞きながら、カミノシマは落ちる。中核のマリアとカミノシマが切断されて生命維持機能も停止した。遺伝廃棄体は次々と力を失い、海の底へと落ちていく。その中に老描の姿も見た。
老描は幸せそうに笑っていた。
石礫――雨のように降り注ぎ、大地が割れた。
ネロはマリアを抱きしめた。二人は宙を舞った。部品、細胞、骨、花、薬液、電子機器、骨董、絵画、墓、十時、英雄像、聖女、神――舞い散る。
叩き付けるように水しぶきが上がる。
水泡。
そして全てを溶かす熱が、空へと駆け上がる。カミノシマの全エネルギーが天空から呆然と見下ろすしかなかったヒト種達に牙をむいた。それも刹那、一瞬の出来事だった。
灰の雨が、ぱらぱらと海に降り注ぐ。
【システムは解除されました】
か細い電子音が、海の底からぶれた音で囁き、そして消えた。
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