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 目を開ける。寒気。そして汗。ダウンライトの淡い光。その光をぼーっ、と見ながら、萌は枕元に置いてある携帯電話に手を伸ばした。メールを送ろうとしたが、やめて直接電話をかけようとする。電話帳に登録してある名前を確認して、押す。しばらくコール音。繋がらない。時計を見ると、まだ朝の5時を回っていない。これで起きていたら奇跡に近い。起きたとしてもきっと怒りだすに違いない。


 が、電話は繋がった。


「あ……」


 すごく眠そうな声。可笑しくて萌は吹きだした。


「萌だな、その声は……」


 怒りたいのだが、眠くてその気力の無いのが分かる。くすくす笑う萌に、彼はため息を大きく一つする。


「今、何時だと思ってるんだ、お前は……」


「だって聡一そういちに聞いてほしかったの」


「また夢、か?」


 とため息。だがその声は拒否していない。そんな優しい聡一に萌はついつい甘えてしまう。5歳年上で、現役の高校教師である聡一。わけあって夜間の四年制の高校に通う萌。そんな萌が教育学部のある大学に進学したいと言ったとき、驚いたのは両親でもなく他でもない聡一だった。


 萌の定時制に通う理由はありふれたものだった。登校拒否。別に誰かに苛められていたとかそういうたぐいのものじゃなかった。突然、学校そのものがつまらなくなったのだ。それは聡一が小学校を卒業した時から、顕著になり、萌が中学校を卒業する頃には、内向的な性格に曲がってしまっていた。


 それを修正してくれたのが、また聡一だった。聡一は萌のために色々なきっかけを作ってくれた。外に連れ出したり、どこかの高校の野球の試合につれていったり。勉強を教えてくれたり。聡一の口癖はいつもこう。テストの勉強なら塾ですればいい。テスト以外の勉強を教えるのが学校の先生なんだ。


 その聡一の目がきらきらと輝いていたのが忘れられない。でも一番、感謝しているのは友達と普通に話すきっかけを作ってくれたことだ。中学の友達と道端であった時、むこうは社交辞令で挨拶をしてくれた。萌は何と返事していいのか分からず、おろおろして、口ごもり、言葉にならなかった。


 その背中を押してくれたのは聡一。


 ────友達に焦る必要はないだろ?


 深呼吸。息を吸って吐く。萌は振り絞るような声で、言った。


 コンニチワ。


 それだけなのに、萌の心臓はドキドキした。その後は口から不思議なほど自然に、言葉がでてきた。今まで話せなかったことが嘘のように。そんな萌に驚いたように、友達も話しに乗ってきた。すごく自然に。もっと前から萌ちゃんとお話すればよかった。その子は言った。嬉しくて、笑顔が込み上げる。


 聡一にありがとう、と言おうとして振り向くとすでに聡一はいなかった。友達と別れてから、聡一を探すと、彼はレコード店で、試聴をしいてる姿が見えた。萌が勝手にいなくなる事を怒ると聡一は笑った。まるで子供が駄々をこねるのをなくめるように、萌に接する。むっとする萌に聡一はまた笑う。


 出席日数がたりず、学力もたりなくなった萌にアドバイスをしてくれたのも聡一だった。夜間定時制に行くことを薦めてくれたが、押し付けたわけではなかった。アドバイスはあくまでアドバイス。他の学校の先生のように「あーしなさい、こーしなさい」と言うわけでもない。ただ自分で決めろよ、と笑顔で言ってくれる。時間はいくらかかってもかまわないら、と。


 そんな信頼関係がいつのまにか萌と聡一にはあった。


 萌は両親や弟に言わない悩みも聡一に相談したが、決定的な答えはくれなかった。それで萌は苛々したこともある。でも、と聡一は言う。萌の事は萌が決めるしかないだろ? 聡一はまた笑う。萌は頷くしかない。


 聡一に夢のことを話すのは何回目だろ? と思う。


 はじめて、この夢を見たのは小学校3年生くらいだったと思う。怖くて萌は、うなされ、大泣きしてしまった。両親が言葉をかけてもどうにもならず、弟は萌に感染して、大泣きしてしまい、手のつけれない状況だった。萌よりも弟の声に、隣にすむ聡一一家が駆けつけてきた。聡一は萌の頭をそっと撫でてあげる。それだけで萌は落ち着いた。今となっては恥ずかしいが、あの頃から聡一は何も隠さなくていい存在だった。それは今も変わらない。


「今度はどんな夢を見たんだ?」


 と眠いのを必至にこらえているのが伝わってくる。少しずつ夢の緊張が解けてきた。

「ローマのあの夢……」


「萌がお姫さまになってるヤツか」


 夢にはある程度のパターンかあり、何回も夢を聞かせられる聡一は、それだけでどんな夢かを理解するに至っている。が、それでうんざりしたり、嫌がることはない。それが萌をなお、安心させてくれる。いつも聡一は真剣に話しを聞いてくれた。


 一字一句、夢の出来事を話す。聡一はそれを聞いてくれる。夢の恐怖は消え、萌に安堵が染み込む。それで体の力がぬけていく。閉じる瞼。萌は自分でも気づかない間に眠りに入っていた。


「萌?」


 電話の向こうの聡一は苦笑した。その寝息をもう少し聞いていたい気もしたが、それでは萌の電話代が大変だ。いい気なもんだ、と意地悪く呟くが説得力に欠ける。


「おやすみ」


 と聡一は電話を切った。萌が携帯電話を抱きしめるように寝ている姿を聡一は知るよしもない。


 その眠りで、萌は夢を見なかった。

 

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