第12話 十二日目 執筆活動 小説家になるためのその8 単位 遥さん対策

 翌日は少し寝坊しながらも、朝から昨日の続きで執筆活動に取りかかる。しかし遅筆な俺は、LH探検隊の続きを何とか十枚程度追加するのが精一杯だった。あくまでも四百字詰原稿用紙換算である。

 さすがに、昨日の分も合わせて二十枚もあれば、たとえ下書きとはいえ、執筆が進行しているというアピール位はすることができるだろう。この段階なら、まだいくらでも後から手直しをすることが可能だし。

 結局、午前中一杯を執筆活動についやしてしまった。久しぶりに集中して執筆をしたので、少し疲れを感じながらも、妙な充実感に浸ってしまう。俺もやればできるじゃないかと、少し自信を深めることができた。

 お昼近くになって、まだ朝食も取っていないことに気がつく。それだけ執筆活動に熱中していたということだろう。俺もようやく小説家らしくなってきたなと、つい自己満足。

 実は、北瑠と出会ってからのピンポイント空爆で予定を狂わされてしまい、ほとんど執筆できず予習に明け暮れていたのである。

 それはそうと、北瑠との講義の前には、昼食?(朝食?)を取っておかなければならない。ビッグドリームのランチということも考えたが、なんだかトモちゃんとまともに顔を合わせるのが少し辛くなった。

 ビッグドリームが無理なら家で済ませるしかない。仕方なく俺は、コレクションの中から、あっさり醤油味を選択する。トンコツでもなく味噌でもない、このあっさり感が、今の俺の気分に相応しい。


 午後二時丁度。計算通りビッグドリームに着いた。すぐに講義を始めれば、トモちゃんとのぎこちない対面を、避けられるのではと思ったからだ。

 北瑠はすでに、自分の指定席にいた。原稿らしきものをテーブルに広げて、ボールペンを片手に何やらしきりと書き足している。恐らく俺の出した宿題が、まだ完成していないのだろう。

「マスター、トモちゃん、北瑠、こんにちは」

「文豪、遅いぞ」

「あっ、先生。大丈夫ですよ。今、丁度二時ですから」

「文豪さん。さっきから北瑠ちゃんが、遅い、遅いって文句を言っていましたよ」

「トモちゃん。先生に告げ口しないで」

 どうやら俺の取り越し苦労だったようだ。みんな普段通りに軽口を叩き合っている。トモちゃんも家族会議で無事、誤解を解くことができたらしい。それはそれでちょっぴり残念な気もするが。

 結局、思い悩んでいたのは、俺一人だけだったのか。まあ、トモちゃんは、あの事を俺たちが、マスターから聞いているとは知らないのだろうけど。なんだかバカをみた気分である。

「遅いって文句を言うわりには、宿題がまだできていないようだな。北瑠」

「先生。簡易プロットは、ちゃんとできています。ただもう少し付け足した方がいいかなと思って、見直しをしていただけです」

 北瑠の言い訳をスルーして、トモちゃんが割り込んできた。

「文豪さんは何にします?」

 お水をテーブルに置きながら、注文を聞いてくれる。

「俺は、ホットコーヒーで」

 いつもと同じ自然なやりとりができて、俺はホットした――別に洒落のつもりはないのだけれど……。

 トモちゃんが注文を聞いて奥に引き上げたので、早速俺は講義を開始した。

「北瑠、今回は何回目の講義だったっけ?」

「たしか、八回目だったと思います」

「じゃあ、その八を始めようか」

 俺がそう宣言すると北瑠も、急に姿勢を正して向き直る。こんなに頼りない師匠なのに、それなりに立ててくれるのはありがたい。

「北瑠。宿題の簡易プロットだけど、どんなジャンルにした?」

「先生。私『恋愛小説』にしました。先日、先生に選んでもらった『動物図鑑』の影響を受けちゃって」

「『動物図鑑』か……俺はまだ読んでいないのだけれど」

「男女の出会いのシーンが、とても斬新なんです。絶対に普通ではありえないような。それ以外でも、普通なところと普通じゃないところが両方あって、そのギャップが、すごく新鮮で」

「じゃあ、北瑠も、そんな斬新な出会いを考えているんだね?」

「ええ、まだ出会いのシーンしか浮かんでいないのですが、公園で捨て猫を拾うという設定なんです」

「えっ、捨て猫を拾う?」

 何か、前に似たようなシチュエーションがあったことを思い出して、俺は一瞬ドキッとする。

「主人公の男性が公園で、ダンボール箱に入れられたまま捨てられている一匹の子猫を見つけるのですが、その子猫が大きな目を主人公の男性に向けて、しきりと鳴き声をあげるんです。その鳴き声が、主人公の男性には『私を拾って』と、必死で叫んでいるように聞こえて不憫に思い、そのまま連れて帰ってしまうんです」

 なんだ、本当の猫だったのか……。

「自分のアパートに連れて帰って、その子猫にミルクを飲ませたり、体を綺麗に拭いてあげたりするのですが、アパートなのでそのまま飼ってあげることができず、どうしようかと悩むんです」

「アパートじゃ、ペットは飼えないからな」

「その日は、そのまま寝てしまったのですが、翌朝、自分しかいないはずの部屋で、若くてとても綺麗な女性に起こされるんです」

「分かった。その女性が、昨日拾った子猫なんだね}

「そうです。『鶴の恩返し』のようなものをイメージしたのですが……」

「これは、『鶴の恩返し』ならぬ『猫の恩返し』というところか」

「先生……出だしはこんな感じのプロットなのですが、どうですか?」

「すごくいいよ。小説やマンガではときどき見られるパターンではあるけれど、それはそれだけ注目される設定なんだと思うし、子猫が人間に変身すると子供じゃなくて、若い女性になるというギャップも面白いね。その出だしを聞いただけで、俺はなんだか読んでみたくなったよ」

「本当ですか、先生」

「だけど、ここからが今回の講義の本題なんだ」

「……」

「多分北瑠も、途中のエピソードや最後の結末位までは簡易プロットで、ひととおり考えてきてはいると思うけど、これをどう膨らませるかが大事なんだよ」

「どう膨らませるか……ですか?」

「北瑠は『鶴の恩返し』のようなものと言ったけど、それをそのまま普通に膨らませてしまうと、まさしく『鶴の恩返し』の二次創作みたいなものになってしまうんだ」

「そう言われればそうですね……でも、どうすればいいのですか?」

「一言でいうと、自分なりの個性を出すということかな」

「自分なりの個性って、どうすれば出せるのですか?」

「方法はそれこそ無限大にあるとは思うけど、その中でいくつか、俺が思いつく範囲で説明するね」

 やはり、自分の小説は人真似ではなく、自分らしい個性をだしたいものだ。そう思って俺なりに工夫してきたことなので、一般的な小説の書き方論からは外れているかもしれないが、敢えてそれを承知で、解説することにした。

「まず簡単で手っ取り早いのは、『最初』『途中』『結末』のどこかで、イメージしている作品とは全然違うエピソードを入れるとか、設定の中の一部を大きく変更するという方法が考えられるね。元になる作品があってそれを捻るだけなので、容易に取り入れることができるし。その捻り方次第で、元との振れ幅が大きければ大きいほど、より個性的で自分だけのオリジナルな小説になると思うんだ」

「本当ですね。それならすぐにできそうです」

「すぐにできそうとは言うけれど、たとえば北瑠が今の簡易プロットで、元となる物語から設定の一部を大きく変更するとしたら、どういう設定にする? あくまでも鶴の恩返しをイメージした場合という前提だけど」

「そうですね……子猫が人間に変身するのを限定的にするというのはどうですか? たとえば、決まった時間だけとか、何か特別な事をすると変身するとか。それ以外の時は子猫のままということにすれば、いろいろなエピソードを創作しやすいと思うのですけれど」

「北瑠、それ、すごくいいよ。変身した女性と主人公の恋愛小説だけど、子猫のままの時は恋愛が成立しないというジレンマも生まれるし。もうその設定だけで俺は、更に読みたくなったよ。それに、すごく個性的になったと思うよ」

「先生。自分なりの個性を出して膨らませるって、こういうことをいうのですね」

「そうだね。他にも個性を出す方法はたくさんあるのだけれど……次は『書き出しの文章を工夫する』について説明しよう」

「書き出しの文章ですか? 普通に物語をスタートしてはいけないのですか?」

「いけなくはないけれど、ここが個性の出しどころだと思うよ。同じ物語でも書き出しの文章が違えば、読者の受ける印象は大きく違ってくるからね。より読者を引き込む、個性的な書き出しを工夫してほしいんだ」

「でも……具体的に、どういう書き出しがいいのですか?」

「具体的にというと難しいけれど、書き出しはストーリーを停滞させず、逆に動かすようなシーンから始めると良いと思うんだ。そこに、『読者の興味を引き付ける』『その小説のテーマを暗示させる』『最後の結びとなる部分と共鳴させる』などを盛り込めればいいんじゃないかな。その上で、できるだけ短くシンプルに、読者の次を知りたいという気持ちを誘発できれば大成功といえると思うよ」

「そう考えると書き出しって、すごく難しくて大事なんですね」

「でも、あまり難しく考えすぎるとプロの作家でさえ、一行も書けなくなるというから、まず何でもいいから書いてみて、その上で先ほど言ったようなことを考えながら手直しをすればいいんじゃないかな。それから、今俺の説明した内容はあくまでも原則であって、必ずしも、そうでなければならないというものでもないんだ」

「えっ、どういうことですか?」

「実は、『できるだけ短くシンプルに』と言ったけど、個性的な長い文章の書き出しで成功した事例もあったり、普通は書き出しで『設定』や『背景』の説明を、長々とするのはタブーとされているのだけれど、中にはそれをして成功しているという事例もあるからね」

「原則通りでなくても成功するということですか」

「そう、でもそれは極めてレアなケースであって、よほどうまく書かないと失敗してしまうので、敢えてそうしない方がいいんじゃないかな。それにすべて原則通りにしなくても、原則を意識しながら少し取り入れるだけでも良いと思うし。いずれにしても、要はいかに上手に読者を引き込むような個性を出すかということだと思うんだ」

「先生、ありがとうございます。私も個性の出し方というものが、何となく分かってきました」

「それじゃあ、今回作成した簡易プロットを、今話したように『元となる作品にはないような、個性のある設定に変更する』『元になる作品とは大きく違う、個性あるエピソードを盛り込む』ということを考えながら、次の段階の詳細プロットを作成してくれるかな?」

「今の簡易プロットを、更に詳しくするということですね」

「そう、プロットというのは、何回でも追加したり変更したりしていいのだよ。そういう作業をすることで、より深みのある、個性的な作品に生まれ変わっていくのだから」

「わかりました。今日帰ったら早速詳細プロットを考えてみます」

「次の講義では、いよいよ小説を書き始めるということで、その詳細プロットをもとに、さっき話した『書き出しの文章』を考えることにしよう」

「じゃあ、明日から、やっと小説が書けるのですね」

「ごめん、北瑠。明日なんだけど、実は又、ドS編集者の呼び出しがあったので、次は明後日にしたいのだけど」

「えっ? 明日じゃなくて明後日ですか?」

「そうなんだ。だから明日は、宿題の詳細プロットをじっくりと、考えていてほしいんだ」

「そうですか、わかりました。でも、明後日には念願の小説が書けるのですね。すごく楽しみです」

 ここまで、北瑠の早く小説を書きたいと逸る気持ちを、何とか抑えて来たが、俺はそれを解禁することにした。

 今まで八回。小説の書き方なるものを、俺なりの解釈で北瑠に講義してきた。曖昧な部分も多く、中には間違った解釈をしているところもあったかも知れない。それでも、あながち出鱈目ばかりではないはずなので、北瑠もそこそこに読める小説を書けるのではないだろうか? 少し特異な表現をすることのある北瑠だけれど、それはそれで、今の若い人には受けるかも知れないし。


「文豪、講義は終わったのか?」

 俺と北瑠の話が一段落したのを見て取って、他に客がいないのをいいことに、マスターが声を掛けてきた。

「トモちゃんもこっちに来いよ。まだ三人とも、この前の報告もレポートも出していないんだからな。この分だと単位はあげられないぞ」

 いつ、マスターは大学の教授になったのか。それに、マスターの単位は必須でもないし。別に俺はいらないんだけどな。

「マスター、まだそんなことを言っているのですか。いくら訊いても何も出てきませんよ。俺は潔白なんですから」

「でも、トモちゃんも北瑠ちゃんも何か怪しかったぞ」

「まったく。トモちゃんが、話しをややこしくするような変なシナリオを考えるから。北瑠もそれに乗っかっちゃって」

「でも先生。私、演技は下手ですから。大丈夫ですよ」

 何が大丈夫なのか。北瑠の表現は俺にはよく分らない。

「本当よ。北瑠ちゃんがもう少し上手だったら、名女優になれたのに。もちろん名監督は私だけどね」

「マスター。そういうことですよ。LHではカラオケを歌ったくらいで、他になにもありませんよ。しかも俺は一曲だけですから」

「先生はとっても上手なんですよ」

「北瑠」

 俺が睨みつけると、北瑠はペロリと舌を出し、トモちゃんは訳知り顔でニヤリとした。

「でも、露天風呂のジェットバスは、とても気持ち良かったよね。北瑠ちゃん」

「そうですね。それに岩盤浴も」

「何。露天風呂? 岩盤浴? 文豪、どういうことだ」

 またトモちゃんが話しをかき回して、ややこしくする。

「マスター。俺はその時、部屋でおとなしく待っていましたよ」

「覗いていたんじゃないだろうな。文豪」

 マスターは全く信用せず、俺には身に覚えのない濡れ衣を着せてきた。

「それがマスター。文豪さんたら、すごく年寄り臭いんですよ」

「なんだ? その年寄り臭いっていうのは」

「てっきり部屋でHなDVDでも見ているのかと思っていたのに、マッサージチェアで気持ち良さそうに、マッサージなんかしていたんですよ。普通LHで、そんな事をします?」

「トモちゃん、あんまり変な事を言触らさないでよ」

「だって本当のことなんだもの。ねえ、北瑠ちゃん」

「でも先生は、とっても紳士でしたよ」

「なんだ、文豪。お前、その年でEプラスDなのか? 若いのにかわいそうに」

 助平なマスターからすればそう思ったのかも知れないが、いくらなんでもEDは酷過ぎるんじゃないだろうか。このような男としての人格否定は、どんなにベジタリアンな俺でも、到底肯定できるものではない。

「マスターも、人聞きの悪いことを言わないでくれませんか。これでも俺は、健全な日本男児なんですから」

 不能者扱いされてしまった事は不本意ながら、ようやくマスターに俺の潔白が証明されて、何とか単位を取得できそうだった――本当はそんなもの、別にいらないんだけどな。

「北瑠。俺は明日の準備があるので、今日はこれで帰るね。明後日は今日と同じく、ここで二時からでいいよね。それからマスターとトモちゃん。俺のいない間に変な噂を流さないでよ」

 俺はそう言ってこの不毛な――とは言いながら少し楽しくもあるのだけれど――やりとりに、けりをつけることにした。


 アパートに帰ると早速俺は、遥さん対策を練ることにする。四百字詰原稿用紙換算で二十枚程度の言い訳では、焼け石に水のような気がしてきたのだ。もっと抜本的な対策をしなければ、あのドSな追及をかわすのは、難しいのではないかと思い始めている。

 俺だって本当は、ビッグドリームでみんなと一緒に、もっと軽口を叩き合いたいという欲求が、ない訳ではない。しかし、遥さんへのプレッシャーは、軽くそれを超えていた。

 どうすれば、遥さんのドSな追及をかわすことができるのか。俺は必死で考えた。単なる思い付きだが、ドSには、それを上回るドSで対抗すれば、相手の攻撃を封印することができるのではないか。要は俺が遥さん以上のドSに成り切れるかどうかだ。計算上では可能だとしても、結局無理だと悟って諦める。俺はSとかMには無縁な、いたって普通の常識人なんだから。そう思っているのは俺だけかも知れないけれど。

 それから、原稿を追加することも考えてはみた。しかし、今さら何枚か増えたところで、遥さんの心証は変わらないだろう。

 そんなこんなを考えながら、結局『これは』という必殺技も思いつかないまま、今まで調査したことや取材してきた情報を整理しておくことで、何とかお茶を濁すことにした。

 まず、北瑠から取材した内容として、大学のサークル事情や女子学生の複雑な心理について纏める――北瑠教授の解りやすい講義を元に。

 次に、LHの調査内容について。LHの様態や、それぞれのシステムやサービスの内容、設備や備品やアメニティグッズ、それに利用者としての感想も付け加えておく。

 前に作成していたキャラクターシートも見直した。作成済みの三人は、それぞれの個性を更に際立たせる項目を加え、新たに二名のキャラクターも追加する。

 バックグランドとしては、北瑠から聞き取り調査をした大学の様子なども纏めようとしたが、聞いただけでは今ひとつイメージがわかなかった。これについては明日、出版社近くの大学を見学するという言い訳を用意する。以前、出版社周辺を徘徊したときに、見つけていた大学だ。小説家として必要不可欠な、知的好奇心の賜物である。

 今すぐ取れる対策としてはこれ位しかないのだけれど、この堤防でどれだけ防げるのかは分からない。でもまあ、いくら遥さんでも、百年に一度の大洪水までは引き起こさないだろう。

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