第8話 八日目 小説家になるためのその5 女子学生への取材
翌日、俺の安アパートに、いつも通り近所迷惑を顧みることのない北瑠が、騒々しく飛び込んできた。未だにご近所様からのクレームが一切ないところをみると、もはや祇園祭のコンチキチンという鐘の音や夏の花火大会の爆音のような、風物詩か恒例行事として受け止められているのかも知れない。もちろん、そうなら良いのになという、俺の希望的観測もその中には含まれている。
「北瑠、ごめん。昨日大層なテーマを掲げてしまったけど、一日でそこまでできそうにないので、何日かに分けることにした。今日は取り敢えず言葉の意味とか解釈について、講義しようと思うんだ。具体的な内容に関しては後日ということでいいかな」
「先生、北瑠はもう先生の思うがままです。自由にして下さい」
おいおい、やっぱりお前の表現はおかしいよ。俺はようやくそのおかしさを理解するようになってきたけど、他の人なら絶対に勘違いするぞ、その言い回しは。
そうなんだ。約一週間に渡って、北瑠から振り回され続けた俺の出した結論だ。本人は決してそれを意図していなくても、北瑠の言い回しは聞く相手をきりきり舞いに翻弄してしまう。北瑠とそれを聞く相手との、温度差は半端ではなかった。そしてそれを計測する温度計は存在しないのだ。要するに、計測不能なほどっていうことだな。
このような未知との遭遇をしてしまった俺は結局、見て見ぬふり聞こえても聞こえないふりを決め込むこと位しか、対応策が思い浮かばなかった。
「それじゃあ、小説家になるための、その五を始めようか」
見て見ぬふり、聞こえても聞こえないふりをしながら、俺は講義開始の宣言をする。
それにしても、よく続いたものだ。最初はその一かその二で終わるんじゃないかと思っていたのに、それがもうすでにその五なんだからな。もしこのまま十とか二十まで続いたら、一冊の本にできるんじゃないだろうか? まあ、本になってもこんなに面白くないものは、買う人はいないだろうけど。
「最初に、テーマとモチーフとメッセージについて説明しよう」
北瑠は、俺の話を神妙に聞いている。他力本願な北瑠だけど、本質は真面目で一途で一生懸命なのだ。そんな北瑠になんとか応えなきゃと思うのは、男としての本能かも知れない。でも、それはけっして助平心とは言わないんだと、取り敢えず心の中で自分を正当化しておく。
「まず、『テーマ』の意味を調べると、ドイツ語で『創作などの基調となる考え。主題。題目』とある。一方『モチーフ』はフランス語で『動機。理由。主題』『創作の動機となった主要な思想や題材』となっている。ドイツ語とフランス語という明確な違いを除くと、ほとんど同じようなニュアンスになっていて、混同して使われることが多いんだ」
「本当に紛らわしいですね」
「それはそれでも良いのだけれど、敢えて区別するとすれば、テーマはその小説内で普遍的に訴えたい主題であり、モチーフはその主題を訴えるための材料といえるかも知れないね。更にそのテーマとモチーフから一歩踏み込んで、いったい何を読者に伝えたいのかを具体的にしたものが、メッセージなんじゃないかな」
「先生、何か哲学の授業を聞いているみたいです」
「確かに禅問答のようだね。あくまでも私見だけど、現実的にはテーマもモチーフもメセージも敢えて区別せず一緒に考えればいいんじゃないかな。一貫して訴えたい主題も、それを訴えるための材料も、それを通して具体的に伝えたいことも、普通は一緒に一文で表現できると思うんだよ。まあ、一文で無理なら、二文でも三文でも良いのだけどね」
哲学などと守備範囲以外の事を言われて答えに窮した俺は、少し強引かなと思いながらそう説明をする。
「それなら、何とかなりそうですね」
不思議なことに北瑠は、強引すぎる俺の論理を何の疑問も抱くことなく、自然と受け入れてしまった。なんだか、いたいけない少女を騙す詐欺師になったような気分である。少し後ろめたさを感じながらも俺は、取敢えず先に進めることにした。
「次に、プロットとシノプスについて説明しよう」
「先生、プロットって、この前少しだけ教えていただきましたよね」
「そう。そのプロットなんだけど、北瑠はこの前の説明を覚えているかい?」
「確か小説を書く前の、骨組みのようなものだったと思います」
「そうだね。似たような意味でシノプスという言葉もあるのだけれど、よく混同されるので、俺なりの解釈でその違いを説明しよう」
「シノプスですか? 何か始めて聞く語句ですね」
「シノプスは一言で言えば『あらすじ』ということだね。梗概という言葉でも言い換えられるのだけれど、あったことを順番通りに簡略化して記述したものと言える。一方プロットは『構想』『設計図』などという意味で、因果性に重きをおいて物語のできごとを簡略化して記述したものということになる」
「先生、言葉の意味を教えてもらっても、難しくてよく分らないです」
「どちらも『簡略化して記述したもの』という部分が共通しているので混同しやすく、それで難しく感じてしまうんだ。だけど、その違いについて俺なりの解釈をするならば、シノプスは『あらすじ』ということから、完成した後の小説全体を要約したもの。プロットは『構想』『設計図』という意味なので、小説を書く前の計画書みたいなものといえるんじゃないかな。まあ、意味としてはこんなところだけれど、具体的には長くなりそうなので、次の講義の時にさせてほしい」
「要するにシノプスは小説が完成した後で、プロットは書き始める前という位置づけですね」
「俺はそう解釈しているし、プロットについてはそれで間違いないと思う。でもシノプスについては人によって、事前にプロットという計画書に基づいて簡単なシノプス、要するにあらすじまでを作成してから本文を書く場合もあらしいので、一概に完成後だけとまでは断定できないんだ」
「やっぱり、あんな説こんな説なんですね」
確かに、あんな説やこんな説があるのは否定できない。それを自分なりに、どう解釈をするのかが大切なのだと思っている。その解釈が適切なのかどうかについては、一般的に評価の分かれるところだが。もちろん、誰でも良い評価を得たいというのが正直なところだろう。
一般評価は別として、北瑠がどのような評価をしてくれているのかについては俺も知らないし、少し気にはなるものの敢えて知ろうとは思わない。それだけ自分に自信が無いということか。
「次にバックグランド、キャラクターシート、イベント、エピソード、シーンについてなんだけど、プロットと密接に関わってくることなので、一般的解釈は別として俺流の解釈を説明しておこう」
北瑠はここまで、なんとかついてきているようだけど大丈夫かな。マスターが言っていたように、そろそろ消化不良を起こすんじゃないだろうか。それだけ消化しにくい講義だと言えるのかも知れない。俺は説明しながらも、そんな事が心配になってきた。
「北瑠、ここまでのところは大丈夫かい?」
「先生、北瑠は全て理解しています。先生とは一心同体ですから」
相変わらず、訳の分らないことを言うやつだ。ここはやはり見て見ぬふり、聞こえても聞こえないふりをするしかない。
「バックグランドは、文字通りその物語の背景のことで、時代設定や舞台設定や世界観などのことだね。キャラクターシートは、主人公を始め主な登場人物の経歴や性格や特徴などの背景を明確にしたものといえる。予めこれらの設定を決めておくことで、ブレや矛盾のないストーリーを展開することができるんだ」
「ストーリー展開でブレや矛盾がないかについては、その設定を見ながら執筆することで確認ができるということですね」
「そういうことだね。次に、イベントやエピソードやシーンについてだけど、これはストーリーを進める上でのいろいろな出来事や場面のことといえる。ようするにバックグランドやキャラクターシートと言うのは、まだ物語ではなく物語を進めていく上で、あらかじめ決めておく設定ということになり、イベントやエピソードやシーンはほとんど同じようなもので、バックグランドやキャラクターシートの情報を元にして、実際に物語を動かして進行していくことと俺は理解している。この前提で次回、詳しい説明に入るつもりだから」
ここまで、それぞれの名称の定義を、俺なりの解釈で解説してきた。もちろんこれが全て正しいとは思っていない。しかし、この前提なしに次の解説をすることは、どだい無理な話なのである。
俺の説明を全て理解したという北瑠だが、そんなことを無条件で信用してしまうほど、俺もお人よしではない。しかし、これを理解したという前提でなければ、話が進まないというジレンマにも陥っている。
「北瑠。今日は取り敢えず、ここまでにしよう。今日、それぞれの語句の意味や定義を説明したので、よく理解しておいてほしい。次回はそれを前提に、もう少し詳しい説明をする予定だから」
北瑠がどこまで理解できたのかは別として、次に進める為にはこれを前提とすることが不可欠だった。
「分りました、先生。明日は、もっと具体的な講義ということで楽しみです。よろしくお願いします」
「ごめん、北瑠。明日なんだけど、実は、ドS編集者との打合せが急に入っちゃって。LH探検隊が編集会議で一応のOKがでたらしいんだ。だから講義は、明後日にしてもらえないかな」
なんで先生が、弟子にお伺いを立てなければならないのかと、漠然とした疑問を感じながらも俺は北瑠にそうお願いした。なんでお願いなんだろうね。
「そうですか。それじゃあ仕方がないですね。わかりました。北瑠は大人しく、明後日まで待っています」
北瑠もこの講義を始めてからは、出会った頃に比べると随分と素直な性格になってきたものだ。最初は『ああ言えばこう言う』状態だったからな。いつもこんなに素直だったらいいのに。
「ところで、北瑠。女子学生への取材のことなんだけど、女子学生はLHについて、どんなイメージを持っているのだろうか」
講義が一段落したところで、俺は急遽LH探検隊への取材に切り替えた。
「LHですか? でも今は、LHじゃなくてカップルズホテルっていう方が、主流だと思いますけど」
「えっ、カップルズホテル? もうLHは古いのか」
「LHって直接的な表現なので、女子としてはやっぱり抵抗があると思うんです」
「そうなのか。じゃあ、そのカップルズホテルでもいいけど、女子にとってはどんなイメージなんだい」
「恐らく対外的にはあまり良いイメージではなく、悪いイメージで表現してしまうんじゃないでしょうか」
「対外的な表現って?」
「ええ、実は興味津津でも人から訊かれたら、そんな恥ずかしいことは言えないので、多分悪く言っちゃうと思うんです」
「本当は興味があるっていうことか」
「そうですね。LHとかカップルズホテルって、女子は自分から積極的に行くことができないので、余計に興味があるんじゃないですか?」
「北瑠もそうなの」
「先生。そんなことを私に訊かないで下さい。北瑠は先生の小説のためにと思って、いろいろと答えているのですから」
「ごめん、ごめん。でも、すごく助かった。主人公の心の動きや葛藤のようなものが、なんとなくイメージできてきたので、明日の打合せの参考にさせてもらうよ」
北瑠のおかげで俺は、何となくではあるが女子学生というものをイメージすることができた。
「それじゃあ次回、今回の内容をもっと具体化するということで、今日は終わりにしよう」
聞きたい事を聞き出せたので、俺は安心してそう宣言をした。
思えば今日も長い講義だったな。北瑠も疲れやすい頭を抱えながら、よく俺の拙い解説を理解してくれて、ようやく今日の講義を終了する。
長い講義に満足したのか、北瑠はすんなりと帰宅していった。
北瑠が帰って一人になると俺は、遥さんの宿題について頭の中を整理することにする。『女子学生への取材』と『もっと工夫するように』のうち、前者は北瑠の御蔭で何とか目処はたったように思う。後は工夫か……サークルのメンバーである女子学生の個性を、際立たせるしかないかな。
主人公は男性恐怖症だけどそれ以外は、例えばプレイガール風とか、逆に男性より女性が好きとか、遥さんみたいにドSとか。いや、これは失言。こんなプロットの内容を遥さんに言える訳がないし。まあ、いろんなパターンを考えるしかないか。
明日は遥さんから、どんなダメ出しを受けることやら。戦々恐々となりながらも何故か少し楽しみでもあった。断わっておくが、別に俺がドMという訳ではない。単に田舎者が都会に行けるので、ウキウキしているだけだ。そんな自慢にもならない自虐的なことを考えながら、自分で自分に言い訳をしている。
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