第2話

麺屋雷太を出た後、沖田と吉田は恋太に渡されたメモの場所に向かっていた。

「あ! ありましたよ沖田さん! メモの場所ここですよ!」


指を指した場所には何の変哲もない3階建てのビルが建っていた。

「ここが何だっていうんですかね? どう見てもどこにでもあるような普通のビルにしか見えないけどなぁ」

「だがこのメモを渡すって事は何か意味があるはずだ。アイツが意味のない事をするとは思えない」

「えっと、四門恋太のメモにはここに着いたら隣に建ってる家を訪ねてこのメモを見せろって書いてありますよ」

「よし、じゃあ行くぞ」

「ちょっ、沖田さんそんないきなり・・・・・・」

沖田と吉田は車を駐車場の片隅に停めて恋太からもらったメモに従い隣に建つ重森という家を訪ねた。

「うわ、金持ちそうな家ですねぇ」

吉田の言葉通り、その家は広い敷地の中、間接照明に照らされ思わず感嘆してしまう程大きく立派な和風造りの豪邸だった。その少し奥には離れ家もあり、きっちりと造園された庭には錦鯉の群れが泳ぐ人工の小川やそれに繋がる人工池があり、有り余る富裕を感じさせる。

門についているチャイムを鳴らすとモニターでは女性が対応したが、玄関からは50代半ばくらいに見える男が顔を出しこっちに向かってくる。

「どちら様ですか?私が重森ですが」

「夜遅く失礼します。警察の者ですが、少しお話を伺いたいのですが」

「警察?悪いが帰ってくれ。こっちは警察と話す事など何もない」

警察だと知ると重森は態度を急変させ、沖田達が次の言葉を発する間もなく家に戻り玄関のドアを閉めた。

「あ! ちょっと待って下さい! 四門恋太からあなた宛てに手紙を預かってるんです! それだけでも読んでくれませんか!?」

吉田が門の外から叫ぶと玄関のドアが開き、重森が沖田達を手招きする。沖田達は一礼して門の中に入ると玄関前で待つ重森に恋太からもらったメモを手渡した。

「手紙なんてアイツどういう風の吹き回しだ?」

重森は玄関ポーチの灯りを頼りに恋太からの手紙を読み終えると笑い出し、すぐに手紙を沖田に返却した。「手紙というからどんな用かと思えばたった一言だけか。まぁアイツらしいといえばアイツらしいか・・・・・・これ見て下さい」

重森に言われ沖田と吉田も手紙を読むと、そこには「重さん、この2人に力を貸してあげてくれ」それだけが書かれていた。

「アイツの頼みとあっては簡単には断れないな。とりあえず中へ」

重森に家の中へ案内されると沖田達はその豪華な造りや家財、調度品に目を見張った。

応接室に案内されると見た目だけで高価だとわかる大きな革製の真っ白なソファーと豪華な装飾が施されたアンティークテーブルだけが部屋の中央に置かれていた。

「飾り気のない部屋で退屈だと思いますがどうぞ掛けて」

吉田は少し緊張気味に自分のズボンを手で2~3度払ってから高価そうなソファーに腰をおろした。

「早速ですが私に用とは?」

重森に尋ねられた沖田達は、今行っている捜査の事や、麺屋雷太に行った経緯などを説明した。

「なるほど、人捜しですか。どんな人物です?」

吉田は黒木の写真を重森に差し出した。

「ほう、あの黒木病院の後継者ですか」

「ご存知でしたか」

「私も医者でね、もう第一線は退きましたが昔は腕に自信があって高額な報酬に目が眩み、裏社会の連中の手術なども非公式で数多くやったもんです。その時に選挙を控えた黒木病院の初代会長が公にできないからと私の所へ来てね、ヤクザの鉄砲玉に撃たれたとかで肩に残った銃弾の摘出をやった事がある」

「あ、あのそれって違法なんじゃ・・・・・・」

吉田は苦笑した。

「ハハハ、そんな事は知らないですよ。もう20年以上前の話です。そんなのもう時効でしょう?それが縁で黒木家とはちょっとした関わりがありました。その写真の後継ぎは何回か会った事がありますが、多分まだ2~3才の頃だったから私を覚えてはいないでしょう」

「四門恋太はなぜ我々にあなたを訪ねろと?」

「何も聞いてないんですか? ウチの隣のビル、あのビルは私が個人的にやっている病院でね。あるモノと引き換えに治療や手術を無償で行っているんです」

「あるモノ?」

「私はもはや金や女には興味がないんでね。かといって欲しい物もこれといって無い。ではその私が欲しがるモノといったら何かわかりますか?」

「え? え? えっと・・・・・・えっと・・・・・・」

「・・・・・・情報。といったとこじゃないですか?」

吉田が答えあぐねていると沖田が確信を得ているかのように答える。

「ほう、アナタは相当のキレ者のようですね。その通り。情報です。情報収集が私の唯一の楽しみであり趣味です。患者が持ってくる情報を私が価値あるものだと判断すれば無償で治療を行う。もちろん偽りの情報など論外。真実と証明できる情報のみが有効です」

「それは誰であってもですか?」

「まぁそうなりますね。身元確認もしないし保証人もいらないですから」

「自分の身分を明かさなくていいのであれば、つまり犯罪者やワケありの者が治療を受けに来る事もあると?」

「そんなのもいるかもしれませんね。気になるなら張り込みでもしてみたらどうです?」

「我々がそんな事をすればアナタに色々迷惑がかかりますよ?」

「そんな事はわかってます。当然病院内で事を起こすのだけはやめて下さい。私が警察と手を組んでいるなどと思われれば唯一の楽しみがなくなってしまいますからね」

「そんな事はしませんよ。今日はあくまで今行っている捜査の一環としてアナタを訪ねて来ました。それ以上の事はしません」

「それなら結構。でも残念ながら黒木病院の後継ぎはここには来てませんね。恋太の頼みなら何か力になってあげたいが、情報さえ持ってないので何もしてやれない」

「そうですか・・・・・・」

「私に用はそれだけですか? お茶も出さずに悪いが目的が済んだならお引き取り願えますか? やらなくてはならない事が山積みなんでね」

「わかりました。ご協力感謝します」

沖田は吉田に目配せすると一礼して退室し玄関に向かう。玄関を出て重森家の敷地を出ようとすると玄関のドアが開き重森が追いかけてくる。

「やっぱり恋太に頼まれた客人を手ぶらで帰すワケにはいかないんでね、黒木病院の後継ぎの事では力になってあげられないですが、1つ他の情報を。多分いい土産になる」

「情報?」

「少し前から騒ぎを起こしてる『蜘蛛』についてのね」

「蜘蛛!? 」

吉田は耳を疑った。黒木の捜査と平行して行っている蜘蛛の捜査、神出鬼没の犯行に警察さえまだ何の手がかりも掴めていない蜘蛛の情報を重森は教えるというのだ。

「信じる信じないは自由です。だがさっきも言ったように私は真実と証明できる情報にしか価値を認めない。その意味がわかりますか?」

沖田は無言で頷いた。

「気をつけて下さい。まだ蜘蛛の狩りは始まってない。今まで起こした事件は餌をまいているにすぎない。蜘蛛の狩りが始まるのは明日。なぜ明日なのか?何をするつもりなのかはわかりません。でも蜘蛛は明日から動き出す。この情報を信じるなら後は自分達で考えて下さい」

「明日だって!? そんな! 今からどうしろっていうんですか!?」

頭をかきむしり携帯で時間を確認した吉田は問題が山積みな状況が更に悪化し気が遠くなった。

「情報ありがとうございます。そう聞いてしまった以上、黒木の件もありますし時間がないので失礼します」

「警察であるアナタ方が明日から動き出す蜘蛛の事を今日知れたのも決してただの偶然ではない何かの巡り合わせ。この出会いが吉となるよう祈ってます」

「ありがとうございます。最後に1つだけいいですか?」

「何です?」

「四門恋太とはどんな関係なのですか? よければ教えてもらえませんか?」

「・・・・・・・・・・・・数年前に命を救われたんです。鴉が起こした事件に無人のバスを渋谷で暴走させて爆発させた事件があったでしょ? その時不運にも私が乗った車もそのバスに巻き込まれてね、身動きがとれなくなっているところを偶然そこに居合わせた恋太に救われた。脱出した直後バスは爆発。恋太がいなければ私は死んでました。警察も近くに居たんですけどね、遠くから見ているだけでした」

それを聞くと沖田と吉田は気まずそうに視線を下にそらせた。

「後日恋太を探し出して何かお礼をしたいと申し出たら麺屋雷太に案内されて逆にらーめんをおごられました。何とも不思議な奴ですよ」

「そうでしたか・・・・・・」

「ではそろそろ失礼させてもらいます」

「はい、わざわざありがとうございました。我々も失礼します」

沖田と吉田は重森家を出ると車に乗り込み渋谷署へ走らせた。

「沖田さん、重森さんの蜘蛛の話本当だと思いますか?」

「・・・・・・わからん。だが四門恋太に対して信を置いているのは間違いなさそうだ」

「という事は信じる価値はあるって事ですね」

「そうだ。少なくとも今はいつ動き出すかわからない黒木の捜査より、貴重な情報を無駄にせず蜘蛛に対して少しでも手を打っておく事だ。迷うな」

「はい!」

車のフロントスクリーンに映る渋谷の街並みはいつもと変わらない夜の輝きを放ち来る者を迎え入れる。すれ違う者達は皆闘う場所があり、帰る場所があり、幾百幾千の感情や思いが渦巻く中、目的に向かい歩みを進める。しかし人波と人波が重なる刹那、思考の一部をすれ違う者に一瞬でも向けている者が果たしてどれだけいるのだろうか? 大抵の者は何も考えず空気のようにすれ違い、意識しなければ記憶の片隅にも残らない。

しかし沖田は今サイドウインドを流れゆく渋谷の街に全神経を集中させていた。街の様子やすれ違う者達の表情や動き、不審車両、沖田は経験と訓練によりそれらを車内からでもすれ違う一瞬で判断する眼を持っていた。

「吉田ちょっと車止めろ」「え? は、はい。どうしたんです?」

松濤方面から渋谷署に向かっていた車は沖田の一言で急停車した。

「今センター街の方で警察官が一般人と何か話をしていた。恐らく何かの聞き込みだ。何かあったのかもしれん。今はほんの些細な情報も貴重だ。行くぞ吉田」「は、はい。」

沖田達はハザードランプをつけエンジンをかけたまま一般人と話していた警察官の元へ向かった。約10分後、車に戻った沖田達は警察官から詳細は不明だがほんの数十分前に傷害及び誘拐事件が発生したという情報を得て渋谷署へ戻った。

「沖田さん、あの警察官から聞いた情報、黒木や蜘蛛と何か関連してると思いますか?」

「明日蜘蛛が動くという情報を得たこのタイミングで誘拐事件だ。間違いなくどちらかに繋がってる」

「もう渋谷署こっちにも連絡入ってるみたいですけど、後回しにはできそうにないですね」

「ああ、それにまだ事件発生から間もない。目撃者さえ見つかればこの誘拐事件は夜明け前に決着がつくかもしれん」

「それでわずかでも黒木か蜘蛛の情報が手に入れば、そこからいきなり奴らのケツに喰いつけるかもしれませんね!」

「その通りだ。吉田、蜘蛛の捜査員以外で動ける捜査員を全て誘拐事件の聞き込みに回すよう課長に許可をとるぞ。許可が下りたらお前も聞き込みに回れ」

「はい!」

沖田達が黒木の捜索と平行して捜査中の『蜘蛛』というのは、ここ数ヶ月の間に4件の殺人事件を起こしている殺人犯の事で、犠牲者全てが銃で頭を撃ち抜かれるという方法で殺され、必ず椅子に座らされた状態で体を紐やロープで縛られている事から、マスコミや警察は同一犯の犯行とし、この犯人を『蜘蛛』と名付けた。

そして犠牲者のすぐ近くには『GAME OVER』という文字が書かれ、明らかな 悪意と計画性が感じられる事から警察は危険度や緊急性が高いと判断し、蜘蛛の捜査を最優先事項に指定している。

「山さん、状況は今説明した通りです。この誘拐事件を解決する事は必ず黒木か蜘蛛の捜査の進展に繋がります」

「お前の話はよく分かった。それといつも言ってるがここでは山さんじゃなくて山田課長だ」

「す、すみません」

「沖田、お前がそこまで言うんだから間違いないんだろうが、情報源は本当に信用できるんだな?」

「数年前に渋谷の不良達の間でカリスマ的存在だった四門恋太が大元の情報源です。重森という人物は信用できるかわかりませんが、四門恋太の方は接触前の情報に接触して感じた事や実際の言動をプラスして私なりに即席でプロファイリングした結果、くだらない小細工や騙しなどは一切しないタイプと判断します」

「つまり重森という人物がどうこうよりも、その四門恋太が紹介元である事に意味があるという事だな?」

「はい。それに情報によると四門恋太は仲間との信頼関係も厚く、友情や人間関係に対しての信義を第一に貫くといった骨のある男です。そんな男が不良達のカリスマ的存在であった上に、今でも人脈や情報網を広げ続けていると考えると、若いからといってその情報力は決して侮れるものではありません。渋谷の表と裏を全て知り尽くしていると言われている事も頷けます」

山田は真剣な表情で頷くとデスクの上のコーヒーを口にした。

「吉田、お前も沖田と同じ考えか?」

「は、はい。自分には沖田さんのような観察力はないので先の事はわかりませんが、明日蜘蛛が動くというのが真実なら、この誘拐事件、黒木の捜査は一時的に中断して今夜中に解決しないといけないと思います」「そうか・・・・・・よし、わかった。動ける捜査員を総動員して誘拐事件の聞き込みに回す。必ず今夜中に誘拐された人を助けだせ。黒木の捜査は一時中断だ」

「はい!」

「よし、吉田、大至急現時点でわかっている誘拐事件の詳細と犯人の情報を書類にしてプリントアウトしろ。沖田は聞き込みのエリアと人数編成をして捜査の指揮をとれ。30分以内に会議を開き捜査を開始しろ」

山田の指示を受けると沖田と吉田は迅速に行動を開始した。

30分後、緊急招集により集められた捜査員30名が沖田の指揮により3名編成で渋谷の各エリアに飛び誘拐事件の聞き込みを開始した。

「沖田、明日動き出すという蜘蛛についても何か手を打っておく必要がある。渋谷署ここで誘拐事件の指揮を執りながら蜘蛛のプロファイリングをして対策を錬るのにどれくらいかかる?」

「管轄外で起きた3件のデータも全て頭に叩き込んであるんで、考えついた対策を書き込めるように事件現場から半径2㎞ぐらいの地図を拡大化させたものを用意すれば何とか1時間で可能ですね」

「よし、じゃあすぐに拡大化した地図を用意する。お前のプロファイリングが終わり次第対策を錬る。大変だが頼むぞ」

「わかりました。俺は対策が決まったら聞き込みに合流します」

こうして渋谷署は誘拐事件をきっかけに、せき止めていた水が一気に流れ出すように動き出し、若者達で賑わい昼間とは違う顔を見せている夜の渋谷の街の空気を変えていく。

これから一体何が起きようとしているのか?誘拐事件、蜘蛛、黒木、この3つをキーワードに動き出した警察と、暗闇に潜みながら静かに罠を張り巡らし獲物を狙う蜘蛛の駆け引きが始まった・・・・・・


高山が眠りについたのを見計らい、恋太は1人行動を起こしていた。学生時代の不良仲間で親友の深沢晶と連絡を取り、協力を頼むために道路を挟んだ自宅の真正面にある深沢の家を訪ねていた。

「何だそりゃ!? お前マジかよ!?」

「ああ、今話した事全部マジだ」

「ったく・・・・・・オメーは昔っからやっかい事に首突っ込みやがって。しかも今の話、本当なら冗談じゃ済まねーぞ」

「だからお前のとこに来たんだろ?」

不機嫌そうな晶に恋太は笑顔を返す。

「ったくよぉ。ま、いつもの事だし、いつも通り付き合ってやるけどよぉ・・・・・・お前少しは後先ってもんを考えろ」

晶は呆れたが大して考えもせず、ついでに用事でも済ますかのように協力を承諾すると、恋太とハイタッチのように拳と拳を軽く合わせた。

「でもお前そんな危険な奴に襲われてんのに何ですぐ俺を呼ばねーんだよ? こんな目と鼻の先に住んでんのによ。タカに呼びに来させればよかったじゃねぇかよ」

「正直そんな事考える余裕さえなかったな。何せいきなりだったからな」

「まぁそれもそうか・・・・・・しかしお前がやられそうになるなんて信じらんねーな」

「まぁタカとクロに気をとられてたってのもあるけど、相当場慣れした奴だったな。まず素人じゃねぇ。ホントに俺を殺す気だったのかは知らねーけどタカとクロが居なかったら今頃どうなってか・・・・・・」

「その黒木といい、襲って来て誘拐してった連中といい、お前こんなのに関わっちまったからには俺達もしっかり対策練って常に警戒してねぇと危ねぇぞ」

「わかってる。だからこそクロを今夜中に助け出す。絶対渋谷に何か手がかりがあるはずだ」

「よし、じゃあまずは連中の車だな。この渋谷で誘拐なんてふざけた事しやがって、俺達の情報網ナメんなよ」

「車の追跡の件はもう和彦に頼んであるからな、何かわかればすぐに連絡がくるはずだ」

「さすがにやる事早いな。んでタカは今何してんだよ?」

「俺の部屋で寝てる。あんな事があったからな、1人にするのは危ねぇと思って泊まってけって言ったんだよ」

「確かにな・・・・・・」

晶は自分の部屋の窓から電気が消えている恋太の部屋を見た後、警戒するかのように周囲を見渡した。

「よし晶、俺達も出るぜ」立ち上がった恋太は晶の肩を叩き、テーブルの上に置いてあった飲みかけの缶ビールを一口飲み、晶の部屋を出た。

「あ! 俺のビール!」

晶も恋太に続き缶ビールを一口飲むと、ちょうど空になった缶を握り潰し投げ捨てた。投げ捨てた缶は壁に当たりゴミ箱に入らなかったが晶は缶の行方を気にする事なく部屋を後にした。

恋太と晶は機動力を確保するためバイクを2人乗りし、渋谷の街に出るとまずは情報収集に走った。

「オイ恋太、気付いたか? さっきから街の色んな所でスーツのオッサン達が聞き込みみたいな事やってるぜ」

「ああ、間違いなく刑事だ。クロが誘拐された事をキャッチしたのかもしれねーな。ちょっと待っててくれよ」

「オイお前どこ行くんだよ!?」

突然バイクを止めて歩き出した恋太は聞き込みをしている刑事に近づいていく。

「ねえオッサン刑事の人だろ? これ何の聞き込み?」

「何だお前?」

「俺の事なんていいからいいから、何の聞き込み? 知ってる事なら協力するからさ」

「ゆ、誘拐事件の聞き込みだ」

「ふーん、そうなんだ。じゃあ沖田ってオッサンも来てんの?」

「沖田さんはまだ来てない。お前何で沖田さんを知ってる?」

「ふーん、まぁいいや。じゃーなオッサン」

「おいちょっと待て! お前何か知ってるのか!?」

「いや、何も知らねぇ。悪いな」

「おいお前!」

大声で引き止める刑事を無視して恋太は晶が待つバイクにまたがり、その場を去った。

恋太の不思議なペースに巻き込まれた刑事は恋太を追う事もせず、ただ呆然と恋太と晶が乗るバイクを見送った。

「やっぱり誘拐事件の捜査だ」

「俺達と同じに動いてるなんて警察も早いな」

「多分指揮を執ってるのはさっき話した沖田って奴だ。やっかいだぜ」

「なぁ恋太、警察も黒木を追ってるとしても早く助けるなら警察と一緒に探した方が早いんじゃねーのか?」

「それはダメだ。クロは警察からも逃げる為に俺を頼って来た。警察に見つかれば問答無用で捕まる。絶対に警察より先にクロを助けるんだ」

「確かに黒髪とかいう一件も含めて事情が事情なだけに警察に先を越されたらもう二度と黒木とは会えないかもな」

「そうだ。それにクロを誘拐した連中の目的が黒髪なら所在を知ろうとクロに危害を加える可能性が高い」「吐かせる為か・・・・・・やべぇな。でも黒木は黒髪と親父と一緒に消えた資料については何も知らないんだろ?だとしたら更にマズイぜ。ホントに知らねぇのに敵は知ってると思い込んでるワケだからな。マジで何されるかわかんねぇぞ。とにかくジンの所に行こうぜ。和彦も居るだろ」

「よし、飛ばすぞ晶」

恋太と晶はバイクの方向を変えると昔からの仲間で渋谷1の情報屋と噂されるジンという男の元へ向かった。

ジンは道玄坂下の交差点を見渡せるビルの一室で真田塾という進学塾の総務としての仕事をしている。

真田塾は恋太の幼なじみでもう1人の親友でもある真田和彦の家族が経営する進学塾で、長い間無名だったがIQ180の天才、和彦が講師として加わると、人気、経営、共に大きく業績を伸ばし急成長をし始めている。

ジンの仕事は真田塾の総務の他、和彦が独自に考え出したコンピューターの防犯システムの管理なども任されている。しかしそれは表向きの仕事であり、ジンが和彦に雇われている真の理由は恋太達が昔から築き上げて来た巨大で根深い情報網から常に送られて来る渋谷の情報の管理と処理である。

「ようジン。久しぶりだな」

「恋さん! 晶さん! お久しぶりです!」

「和彦は?」

「何か直接見に行きたい所があるとかでさっき出ていきました」

「そうか、んじゃ放っといていいな。和彦から話は聞いてるか?」

「はい。大体の事は。まさかこの渋谷で恋さんが襲われた上に誘拐事件にまで巻き込まれるなんて・・・・・・これが知れたら裏の連中も大騒ぎですよ」

「全くだぜ。それに恋太は襲われた上に家まで知られてる。関わっちまった以上いつ狙われてもおかしくねぇ。だから危ねぇのは黒木だけじゃなく恋太も同じだ。だったらこっちから攻めようぜ」

晶の発言を聞き、恋太とジンは好戦的な表情でニヤリと笑みを浮かべ晶を見た。

「和さんに話を聞いてから不審人物と不審車両に特定した情報を情報網に流しておいたんですが、さっき早速数件返信が来たんで確認してみて下さい」

「その必要はないよ。大体わかったから。恋ちゃんを襲って来た連中の足取り」

マックのハンバーガーを食べながらジンの話を遮ったのは現場調査から戻ってきた和彦だった。

「おう和彦、ワリィな」

「いーよ別に、いつもの事だし。それに今回は話を聞いた限りじゃ尋常じゃない緊急事態だ。すぐに手を打たないと恋ちゃんも危ない」

「その通りだ。それより恋太を襲って来た連中の足取りがわかったってマジなのか和彦?」

「うん。ジンが処理した情報を見たらここであれこれ考えるより直接現場を回った方が効率的だったから回って来たんだ」

「それで何がわかった?」

「僕の計算だと連中はまだこの渋谷にいるよ」

「マジかよ!?」

「うん。連中は車だからね。恋ちゃんから話を聞いてすぐに大きい通りに繋がる要所要所にポイントを絞ってここ2~3時間の情報を送ってくれるように情報網に頼んでおいたんだ。その情報と照らし合わせながら現場を回ってたんだけど、連中大きい通りに出た形跡が一切ない」

「明治通り、玉川通り、山手通り、旧山手通り全てか?」

「うん。まあいくらウチの情報網でもさすがに車の追跡までは難しいからね。標的を捕らえられなかった可能性もある。でも後部ガラスにヒビが入った車なんてそうそういない。そんな車が走ってればこの渋谷ならどこを走っててもウチの情報網に引っかかるはずだよ。それも踏まえると僕の計算では連中が渋谷に潜んでる可能性は五分五分ってとこ。あ、みんなポテト食べる?」

マックの紙袋からテーブルの上に出されたポテトを無言で食べる恋太は既に次にとる行動を決めていた。

恋太に続き晶とジンもポテトに群がると、テーブルの上はあっという間に塩と油汚れだけになった。

「ガラスにヒビが入ったそんな目立つ車、すぐに乗り捨てる可能性が高いから計算上では五分五分だけど、直感的にまだ渋谷に潜んでる気がするんだ」

「で?どうすんだよ恋太」

和彦のコーラを勝手に飲みながらポテトの塩と油だらけになった右手を拭くティッシュを探していた恋太は晶の問いかけに動きを止めた。

「そんなの決まってんだろ。奴らを探す。和彦、不審車両の最新の目撃情報は?」

「道玄坂2丁目。ここからすぐ近くさ。危険な運転をしながら走行する後部ガラスにヒビが入った黒いワンボックスだね」

「間違いねぇ。奴らだ」

「そこからだと怪しい場所はホテル街の一角のまだ建設中の建物だね。まだ奴らが渋谷に居ればの話だけど」

「ホテル街のその建物は2〜3日前から工事が中断中だったな。一時的に身を隠すならちょうどいいぜ。それとハンズ近くにも工事中の地下駐車場があるからな。そこも怪しいぜ」

「よし、じゃあまずはホテル街の建設中の建物と、ハンズ近くの工事中の地下駐車場に行こう。それとジン、情報網に他の地下駐車場の情報を送ってくれるように頼んでくれるか? まだ誰かしら街にいるはずだ」

「わかりました。すぐに」

「俺達はまずハンズ近くの工事中の地下駐車場を調べに行く」

「恋さん、警察も街で誘拐事件の聞き込みをやってますからね、なるべく騒ぎを起こさないように気をつけて下さい。動きづらくなります」

「わかってる。じゃあ行くぜ」

恋太は晶の肩を不自然になするように叩くと玄関に向かい歩き出した

「コラ恋太、今俺の服で手ぇ拭きやがったな?」

ついさっき食べたポテトの塩と油がついた手を晶の服で拭いた事がバレた恋太は逃げるように外に出て行った。

情報管理をジンに任せ、晶と和彦も恋太を追いかけ部屋を後にした。

3人の後ろ姿を見送ったジンは一瞬このまま3人が帰って来ないような予感が頭をよぎった。

しかしあの3人に限ってそんな事があるはずない。

そう強く心に、言い聞かせ自分の仕事に戻って行った。

恋太達はまずハンズ近くの工事中の地下駐車場に向かった。

「なあ、恋太を襲って来た連中ってホントにまだ渋谷にいるとしたら一体何の理由で居るんだ?」

「確かに。奴らだってもう警察が動き出してる事くらい街の様子でわかるはずだからね。人質を連れるリスクを冒してまで渋谷に居る理由はない」

「まあ考えられるとしたら、接触しちまった俺をまだ狙ってるか、クロに関係がある事だろうな」

「ふーん。とにかく早く助ければわかるワケだ。僕も早く会ってみたいなぁ、その黒木って人。黒髪の話も実に興味深いね。黒髪争奪戦、恋ちゃんも参加したら?」

「お前なぁ……ゲームじゃねーんだぞ? 助けてくれって奴を逆に困らせてどーすんだよ? アホかお前」

「ほっとけほっとけ。コイツは天才でアホなんだからよ」

「ぼ、僕がアホ? 全然理解できないなぁそれ。僕の事をアホなんて言っていいのは僕以上の天才だけだよ。恋ちゃんと晶くんだけには言われたくないね。そもそも……」

「わかったわかった。俺達が悪かった。ほらガムやるから早く行こうぜ」

恋太と晶は納得がいかないとブツブツ小言が止まらな

くなる和彦の癖が出始めるのを悟り、その癖を遮るように少し強引に和彦と肩を組み前に歩かせた。

「ちょ、ガムなんかで誤魔化そうったって」

恋太がふてくされる和彦の口の中にガムを強引に突っ込む様子を隣で笑いを堪えながら見ていた晶は、背後の人の気配に気付き、先を行く恋太と和彦を無視し振り返る。振り返るとそこには見覚えのないスーツ姿の男が立っていた。振り向いた瞬間にスーツ姿の男と眼が合った晶は、明らかに自分達の事を知っているかのような表情でたたずむ男に警戒する。

「また会ったな」

警戒した晶が前を行く恋太と和彦を呼び止めようと声を出そうとすると、それを遮るように一瞬早くスーツ姿の男が声を発した。

恋太には聞き覚えのある声だった。晶はそのまま立ち止まり鋭い眼つきで男を見つめ、和彦は声に反応し即座に振り返る。声の主を理解していた恋太だけは振り返らずに舌打ちし、「めんどくせぇ……」と小さく呟いた。

「また今日会うとはな。君のおかげで重要な情報を得る事ができた。協力感謝する」

声の主は沖田だった。恋太は表情には表さなかったが、しまったという思いで振り返った。

恋太のしまったという思いは黒木に協力すると決めてからずっと危惧していた事が現実となってしまった事だった。

自分が紹介した重森から黒木の情報が警察に渡ってしまったと思い込んだのだ。恋太はその事を危惧し晶の家に行く前、重森に黒木の情報を警察に与えたのかを確認しようと思ったが、自分が黒木と関わっている事が漏れるのを防ぐため確認していなかった。

「誰だよ恋太、このオッサン」

「さっき話しただろ? 沖田って刑事だ」

「へえぇ、この人が例の沖田さんか。興味深いね。ぜひチェスか将棋でお手合わせ願いたいね」

沖田はタバコに火をつけながら和彦の方に近づいた。

「偶然だな。チェスと将棋は得意でね。一度も負けた事がない。君も得意なのか?」

「僕は天才だからね。僕を負かしてくれる人を探してるんだ」

「噛みつくな和彦。で、何の用だよ?」

恋太に制された和彦は後ろに下がる。

「さっき聞き込みをやっている刑事に俺の事を聞いたのは君だろう?」

「さあな・・・・・・」

「とぼけても無駄だ。大体の人相を聞いてほぼ君に間違いないのはわかっている。それに俺相手にそんなごまかしは通じない事は君が一番わかってるだろう?」「チッ、めんどくせぇなぁ。そーだよ俺だよ」

「やはりそうか。今日俺と会った後、わざわざ自分から刑事に話しかけ、更に俺の事を聞く。よっぽど知りたい事でもあったようだな。俺の事を聞いたのは俺と遭遇するのを回避する為といったとこか」

「刑事みたいなオッサン達が街中で聞き込みみたいな事やってたんでね 。気になって聞いてみただけだけど?」

「それで誘拐事件だとわかって今動いてるってワケか?」

「まあね。この渋谷で起きた事だからもしかしたら知人かもしれないんでね」

「誘拐事件の巻き添えをくって街中で倒れていた若い男性被害者を助けて連れて行ったもう1人の若い男というのも君じゃないのか?」

「さあな」

「コイツ・・・・・・どこまで鋭いんだよ」

図星をつかれ内心そう思ったが、恋太は何とか平静を保っていた。

晶と和彦も平静を装っていたが、沖田の推理の鋭さに驚いていた。

「その反応だと当たらずとも遠からずといったところか・・・・・・まぁそんな事はすぐにわかる事だ。それにこれ以上追及したところで君達が今素直に口を割るワケがないからな。今はこれ以上何も聞かないでおくよ」「そりゃどーも」

「だが1つだけ言わせてくれ。捜査の妨げになるような事は絶対にするなよ? 君達のような何もわかってない素人に引っ掻き回されるのが一番迷惑で足手まといだからな」

沖田は麺屋雷太で接触した時に見えそうで見えなかった恋太の不思議な人間性の正体を探ろうと、わざと挑発的な言葉を使い恋太の反応をうかがった。

「ああ、アンタらの邪魔はしねーよ」

「ほんの一瞬表情が強張ったがその他の言動には何も変化がない。受け答えも迷いがなく自然だ。なかなか冷静なようだな・・・・・・今コイツに挑発は通じない」

恋太のたった一度の受け答えで沖田は素早くそう判断した。

「何かわかったらすぐに俺に連絡するんだ。必ず力になる」

「その心配はいらねーよ。警察の力は借りねぇ。俺達で突き止める」

「冗談じゃ済まない事件に巻き込まれるかもしれないんだぞ? それでも首を突っ込むつもりなのか?」

「そういう事だ」

恋太の即答に晶と和彦はわかりきった表情で笑みを浮かべた。

沖田は恋太達の眼を見据えると決心がかたい事を悟り引き止める事をやめた。

「オッサン俺達もう行っていいか?」

「ああ、かまわんよ。だが危険な事に巻き込まれる前に身を引け。警察でない君達はできる事に限度がある。下手な事をされると君達を捕まえなければいけなくなる」

「聞くだけ聞いておく」 そう言い残し去っていく恋太達を沖田は鋭い目つきで見送った。

「おいおい、あのオッサン何者なんだよ? なんか全部お見通しって感じだったな」

「だから言ったろ? タダ者じゃねーって。しかも今は全く心の声が聞こえなかった。最初からカーテンかかってたからな。アイツの心の声を聞くにはもっとアイツの意識の中に踏み込まないとダメみたいだな」

「政府の膨大な黒い歴史の記録黒髪に初対面で恋ちゃんの心理戦を見破った沖田か・・・・・・ますます興味深くなってきた」

「それとあの様子じゃ恋太が誘拐事件に関わってる事がバレるのは時間の問題だぞ」

「わかってる。絶対沖田にマークされる前にクロを助け出すんだ。急ぐぞ」

警察の動きが予想以上に早い事を知った恋太達は目的地に向かい走り出した。井の頭通りを横断し、スペイン坂を抜けパルコ前を通過するとオルガン坂に辿り着く。そこからハンズ方面に進んで行くと目的地が見えてきた。

「あそこだな・・・・・・」

目的地の建設中の建物が見えてくると恋太達は一度前を通過し、尾行がいないかを確認してから再度目的地へ戻った。

約2メートルほどの高さがある立ち入り禁止のバリケードを強引に乗り越え、中に侵入した恋太達はまず地下駐車場に向かった。しかしこの時背後で黒い影が動いた事に恋太達は気づかなかった・・・・・・

月明かりだけを頼りに下り坂を下り、たどり着いた駐車場の中は更に深い暗闇に包まれていた。

「思ってたより広いな。こんだけ広いとさすがに何も見えねーな」

「これ使えばいいんじゃない?」

和彦が指したのは天井にぶら下がっている電球だった。暗闇に目を凝らすと建設中の地下駐車場には工事用の仮設電球が所々に設置されていた。

壁づたいに歩き電球に繋がる電線の元を探すと、三脚の台に置かれた四角い箱に行き着いた。

箱を開け、携帯の灯りを頼りに箱の中を見るとブレーカーが複数あり、恋太は気にする事なく全てのブレーカーをオンにした。すると全ての仮設電球に灯りがつき地下駐車場を明るく照らす。

駐車場内が明るくなり周囲を見渡すとすぐに3人の視線は左手一番奥に集中した。そこには後部ガラスが割れた黒いワンボックスカーが停めてあった。それは間違いなく黒木を連れ去った車だった。3人に緊張が走る。恋太は一言も発する事なく車に駆け寄り、晶と和彦も後に続く。駐車場内に3人の足音が響き渡る。いち早く駆け寄った恋太が車の中を見渡す。

「ちくしょう! 誰もいねぇ!」

「この車で間違いねぇのか?」

「間違いねぇ」

「他の場所に連れ去られたね。一足遅かった」

「ここで新しい車に乗り換えられてるとしたらやっかいだぜ恋太」

「ちくしょう・・・・・・お前らハンカチか何か持ってねぇか?」

「僕持ってるけど?」

「ちょっと貸してくれ」

恋太は和彦からハンカチを借りると直接手で触れないようハンカチを使い車のドアを全て開けた。

「なるほどな。指紋がつかないようにする為か」

「そういう事。この車が警察に見つかって指紋採取なんてされちまったらめんどくせぇからな」

3人は車内に何か手がかりが残っていないかくまなく探し出した。ダッシュボードやその他の収納スペースを開ける時は指紋がつかないようハンカチを利用して慎重に調べた。全てを調べるのに5分とかからなかったが車内には割れた後部ガラスの破片以外、手がかりになるような物はおろかゴミ一つ落ちていなかった。「手がかり無しか・・・・・・完全に証拠隠滅だな」

「クソ!」

恋太は腹いせに車のタイヤを蹴る。

「誘拐に使う車なんて当然盗難車なんだろうけどね。でもこれで唯一の手がかりが無くなった。この先に進むには少し時間がかかりそうだね」

「そうでもないみたいだぜ?」

「え?」

晶と和彦が振り向くと地下駐車場の入口から全身黒い服に身を包み、黒い覆面をした4人組が恋太達に近づいて来る。

「そういう事か」

「ねぇねぇちょっとこんなの聞いてないよ? 僕は参加しないからね」

和彦は恋太と晶の後ろに下がると車の影に隠れた。

「コイツらに聞くってワケだな?」

「そういう事だ。でも気をつけろよ晶。コイツらそうとう場慣れしてる上に多分スタンガン持ってるからな。くらったらアウトだ」

「わかってらぁ」

恋太と晶は和彦から少し離れ、囲まれないよう壁を背にして身構えると、4人の内3人が恋太と晶に向かい走り出した。

残りの1人は車の影に隠れている和彦に狙いを定め早足で距離を縮める。

「和彦! 1人そっち行ったぞ! 逃げてろ!」

恋太の叫びに和彦は慌てて向かってくる敵の方を覗き込む。

「ゲッ! こんなの聞いてないよぉ!」

和彦は車の影から飛び出し走り出すと敵もそれに合わせて和彦を追走する。

「2分が限度だよ! それ以上は無理!」

「了解・・・・・・」

恋太と晶はアイコンタクトによって襲いかかってくる3人に対し、どう対処するかを瞬時に決めていた。

恋太と晶はまず最初に一番先頭を走ってくる敵を2人集中攻撃で倒す作戦を遂行した。攻撃をくらっても構わず1人に集中し、まずは数的不利を無くす事が勝機に繋がると理解していたからだった。そしてその作戦は数秒後、見事に功を奏す。先頭の敵が自分達の間合いに侵入した瞬間、恋太と晶は2人がかりで獣のように襲いかかり、瞬時に1人倒す事に成功する。雷太に教わり色々な武術経験を積んでいる恋太とボクシングやキックボクシングといった格闘技経験を積んでいる晶の攻撃を複数にくらった敵は卒倒した。

恋太と晶のあまりにもの勢いと強さに残りの2人は何もできず、仲間が卒倒するのを黙って見ているしかなかった。

「おい恋太、何だよコイツ全然弱いじゃねーか」

「おかしいなぁ、ウチで暴れてった野郎はこんなんじゃないんだけどな」

敵の1人を瞬時に倒し、数的不利を無くした事で恋太と晶は精神的に有利に立っていた。

事実残り2人の敵は恋太と晶の強さを目の当たりにした事で怯み、身構えたまま襲いかかってこなくなっていた。

恋太と晶はすかさず二手に分かれ、それぞれが1対1になり敵と対峙した。

追い詰められた敵は予想通りスタンガンを出し恋太を威嚇する。

しかし勝負はまたも一瞬で決した。恋太のプレッシャーに耐えきれなくなった敵は何も考えずスタンガンを振りかざし恋太に向かっていく。

恋太は冷静にスタンガンを持つ腕を捕まえると、そのまま勢いを利用し、柔道の背負い投げを放ち、トドメにみぞおちを踏み潰す。コンクリートの地面に叩きつけられ、みぞおちに強い衝撃を受けた敵は悶絶し勝負は決着した。

敵が反撃できない事を確認した恋太は後ろを振り返ると、晶もまた一瞬で勝負を決めていた。

晶は敵のパンチをかわすと同時に強烈なパンチで正確にアゴを打ち抜いた。アゴに強い衝撃を受け脳を揺らされた敵は、格闘技のKOシーンのように卒倒し勝負は決着した。逃走中の和彦は決着の様子を見届けると、すぐさま恋太と晶の元へ駆け寄り影に隠れた。

「さすが期待通り。頼りになるよ」

「さあ、残ったコイツどうするよ?」

恋太達はプレッシャーをかけながら最後の1人との距離をジリジリと詰め追い詰める。

「コイツもブチのめしてから色々吐かせればいいんじゃねーか?」

晶の発言を聞いた敵は怖じ気づいたのか突然へたり込んだ。

「か、勘弁してくれ! 俺達は金を貰ってその車を処分しに来ただけだ!」

突然の自白という展開は意外だったが、相手が完全に戦闘の意志が無い事を悟り恋太達も臨戦態勢を解除した。

「車の処分ってどういう事? 中は全て調べたけど証拠になるような物は何もなかったよ?」

「こ、この地下駐車場の入口にガソリンを置いてきた。アンタらをブチのめした後にそれで処分する予定だった」

「完全抹消ってワケか。えげつねぇ連中だぜ」

「もしも邪魔が入ったら全員病院送りにしろって言われてたんだ。でもまさかアンタらが居るなんて思いもしなかった」

「俺達を知ってんのか?」男は頷くと恋太を指差した。

「アンタ四門恋太だろ? この渋谷でアンタを知らねぇ奴なんて居ねぇよ」

「お前、渋谷のモンなのか!?」

恋太は男が被っている覆面を強引に剥ぎ取った。

「お前どっかで・・・・・・まぁお前が何モンかなんて今はどうでもいい。俺達が知りたい事は2つだけだ。お前らが誘拐した奴の居場所とお前の雇い主。それを教えろ」

「雇い主の事は本当に何も知らない。ガソリンで車一台火をつければ五十万。しかも前金で半額。俺達はその金に釣られただけだ。誘拐の事なんて何も聞いてない」

「チッ、お前らよくあるパターンだな」

晶は不満げな表情で男を睨みつける

「なぜ金だけ持って逃げなかった? こんな事を簡単に引き受けるんだ、それくらい思いついただろ?」

「成功したらまた仕事をくれるって言うんでな、俺達みたいなハンパ者には願ってもない稼ぎだ。金だけ持って逃げるワケないだろう」

男の発言に腹を立てた晶は会話中の恋太を押しのけて男の目の前に歩み出てゲンコツで頭を殴る。

「チッ、少しはまともに働いて金稼げボケ」

「君達がどんな金稼ぎしようと、どんな犯罪を犯そうと勝手だけどこの街ではやめた方がいいよ」

「で? 誘拐した男はどこだ? 正直に教えればお前ら全員見逃してやる」

「ホ、ホントか!?」

「ああ、正直に言えばな」 「なっ!? おいマジかよ!? みすみすコイツらを逃がすってのか!? しかも全員だと!? 冗談じゃねーぞ恋太! お前は狙われてんだぞ!? 逃がしてまた襲われたらどうする!?」

襲って来た相手を見逃すという恋太に晶は声を荒げる。

「コイツらは金で雇われただけだ。少なくとも、もう俺達を襲う事は無いはずだ。そうだろ?」

「ああ、この渋谷でアンタらとモメ事起こすなんてゴメンだ。今回だって金を貰ってなきゃアンタらに気づいた時点で逃げてたさ」

「金で簡単に動くような連中をそんな簡単に信じられるか! お前はいつもそういうとこが甘いんだよ恋太!」

晶は更に声を荒げ4人の男達を睨みつけた。

「僕もこのまま全員見逃すってのはサービス良すぎると思うけど? 彼らが正直に話す保証なんてどこにもない。だったらせめて人質の所まで案内させたら?」周りを見ると倒れていた3人もいつの間にか起き上がり、覆面を取って座り込んだ状態で話を聞いていた。「和彦の言うとおりだぜ。ここでコイツら見逃して情報も嘘だったら唯一の手がかりを無くすんだぞ!? それこそ取り返しがつかねぇぞ」

和彦の最もな提案に、少し落ち着きを取り戻した晶は一度大きく深呼吸をした。

「お前らの言ってる事の方が正しいのはわかってるよ。でもコイツら俺達を案内なんてしたら下手すりゃ殺されるぜ。ウチで俺がやり合った野郎はそういう野郎だ。何の躊躇もなく俺の首を絞めにきたからな」

「だから見逃すってのか? ったく・・・・・・襲ってきた連中の心配してりゃ世話ねーぜ。それにコイツらが何で人質の居場所知ってんだよ? 黒幕がこんな奴らに教えるはずねぇだろ」

晶の発言に男が1人反応し立ち上がった。

「証拠ならある。車にガソリンで火をつけたら預かってるデジカメで証拠写真を撮って雇い主に残りの報酬を受け取りに行く事になってる。その男は仕事を終えたらここで車を乗り換えてホテル街にある建設中の建物で俺達を待ってるって言ってた。恐らくそこがアンタらの仲間がいる場所じゃないのか?」

!!! 恋太達は一斉に顔を見合わせた。

「予想通りだな恋太。コイツらの言ってる事が本当なら思ったより早くケリ着きそうじゃねぇか」

「この後雇い主とはどうやって連絡を取る事になってるワケ?」

「もう次の接触まで連絡は取り合わない。指定の時間内に仕事を終わらせて残りの報酬の受け取り先に行く。時間内に行けなければ残りの報酬はナシ。そういう契約だ」

「お前らその指定時間ってのは何時までなんだ?」

「後30分だ」

「よし、それなら楽に間に合うな。晶、和彦、行くぞ」

「ちょっと待って。その前に・・・・・・」

和彦は携帯を取り出し4人の男の顔を写真に撮り保存した。

「これで君らの顔は覚えた。もうこの街では悪さしない方がいいよ」

「それともう一つ。もしも今度俺達に手出しして来た時はこんなもんじゃ済まさねぇからな」

晶が凄むと男達は思わず何度も頷いた。

「あ、それともう一つ」

和彦は男達のポケットを探り出すと携帯を取り出し、全ての携帯から電池を抜き取った。

「悪いね。僕らが目的地に着く前に君らに黒幕と連絡をとらせるワケにはいかない。お金は置いてくからそれで新しい電池買ってよ」そう言うと和彦は財布から3万円を取り出し1人の男に手渡した。

和彦の行為を見届けた恋太と晶は何も言わずに地下駐車場の出口に向かい歩き出した。和彦がそれに続くと4人の男達はただ呆然と恋太達を見送った。

地下駐車場から出た恋太達は次なる目的地、ホテル街の一角にある建設中の建物に急いだ。

「おい恋太、何も言わねぇって言ったけど、マジであいつらこのまま何もしないで見逃していいのか? やっぱ人質奪還するまでは捕まえといた方がいいんじゃねーのか?」

「いいんだよ。これ以上何も出てこねぇ奴らの相手はめんどくせぇし、何より今は1分1秒でも時間が欲しいからな、もうこれ以上奴らにかまってる暇はねぇ。」

「・・・・・・わかった。じゃあとっとと片づけようぜ。寝る時間なくなっちまうからな」

「ジンにはさっきもう地下駐車場の情報はいらないってメールしといたから。それと援軍送りましょうか? ってメール来たけどどうすんの?」

「いらないって送っとけよ。大人数で動いたら敵にも警察にも気付かれちまう」

「でも恋ちゃんチに乗り込んで来た奴は手強いんでしょ? そのレベルの奴が複数いたらいくら恋ちゃんと晶くんが揃ってても危ないと思うけど?」

「そりゃそうだけどよ・・・・・・まぁそんな心配すんな和彦。いざって時は必ずお前だけは逃がしてやるからよ」

「そんな楽観的な・・・・・・」

「でも恋太の言う通りだぜ。それに1つ教えてやるよ。いくら敵が強いっていっても複数対複数の時はただ強い奴集めれば勝てるってワケじゃねーんだよ」

「そうそう。まぁお前にはわかんねーだろうけどな。とにかく俺と晶の場合1+1は2じゃねぇって事だ」「ふーん、確かに僕には理解できないなそういうのは。1+1は2でしかないからね」

「まあ見てろ。すぐにわかる」

理解できないと言いつつも、昔から恋太と晶が暴れる姿を一番近くで見てきた和彦は本能的に恋太が言った事の意味を理解していた。幼なじみであり、今でこそ堅い絆で結ばれている2人だが、幼少時の出会いから十数年間、和彦にとって恋太の存在は不快極まりないものだった。自由奔放、横暴で自己中心的、協調性のかけらもない性格、物事を暴力で思い通りにしようとする野蛮さ、その全てが気に食わなかった。

中学に上がり恋太が晶や数人の仲間と共に暴力で近隣の学校にまで名前が知れ渡っていくと、和彦の恋太に対する嫌悪感もますます増していった。しかし、恋太はどんなに和彦が嫌悪感を丸出しにして挑発的な接し方をしてもなぜか和彦に手を上げる事はなかった。少しでも気に入らない事があれば必ず暴力で思い通りにする男が自分にだけ暴力を使わない。

和彦にはそれさえも気に食わなかった。天才である自分がまるで相手にされてないかのような初めての経験。幼なじみゆえになのか? 本当に相手にされていないのか? それすらわからない事が更に和彦をイラつかせた。

高校に入学してからは学校は違ったが家が近い2人は顔を合わせる事も多かった。

恋太は相変わらず暴力で名を馳せ、対照的に和彦は名門校の中でも学校始まって以来の天才として自分の周囲の全ての者達から一目置かれ、暴力とは対極の道を進んでいた。

決して交わることのない線と線。誰が見ても2人の関係はそう見えた。

しかし高2の夏、決して交わることはないと思われていたその線は、和彦の理解が及ばない世界で交わることになる。

ある日和彦は些細な事で数人の男に絡まれ、殴る蹴るの暴行を受けた。

生まれて初めて味わう恐怖に和彦は無抵抗以外の選択肢を持っていなかった。通行人は見て見ぬフリをし、若い野次馬達は面白がって見ているだけ。和彦は地面に這いつくばりながら暴力の恐怖に耐えていると、突然暴行が止まり周囲がざわめき出した。

警察・・・・・・希望も込めて最初に頭をよぎったものだった。これで助かる・・・・・・そう思い顔を上げると、ざわめきの原因は警察ではなく恋太だった。

和彦に暴行を加えていた男達は恋太の姿を見ると一目散に逃げ出した。恋太は何も言わずに立ち去ったが和彦は我を忘れて恋太を追いかけた。

この頃の恋太は人が変わったように穏やかになり、暴力をふるわなくなったともっぱらの噂だった。

「全てを暴力で思い通りにしてきた男が次は良い人ぶって人助け? 冗談じゃない! コイツの偽善に付き合わされてたまるか!」

和彦は体の痛みを忘れるほどの怒りに震えながら恋太を追いかけた。これほどの怒りは生まれて初めてだった。

「おいちょっと待てよ! 一体どういうつもりだ!?」 気付いたら恋太の前に回り込み声を張り上げていた。

「何だお前いきなり? 何の事だ?」

「どぼけんなよ! 何で僕を助けた!? 子供の頃少し遊んでたってだけで善人ぶってるつもりかよ!?」

「そういう事か・・・・・・そりゃお前勘違いもいいとこだぜ」

「じゃあどういうつもりなんだ!?」

和彦は激昂した。

「俺がお前を助けた? 冗談だろ? 俺はたまたま通りかかっただけだ。そこにお前が偶然倒れてた。助ける気なんてさらさらなかったけどお前をやってた連中は勝手に逃げ出した。それだけだろ?」

「ふざけるな! それがワザとらしいんだよ! 結果的に僕を助けた事に変わりはない! お前みたいな奴に借りなんて作ってたまるか!」

恋太はゆっくりと和彦に近づき胸ぐらを掴んだ。

「テメェこそふざけんな。俺はテメェがどこのどいつにやられようが知ったこっちゃねぇ。俺に借り作っただの負い目なんて感じるくれぇなら俺を見て逃げ出してくれた奴らに感謝でもしてろ。たまたまだろうが結果的にだろうが、勝手に俺を正義の味方にしてんのはテメェの方だろうが。天才だか何だか知らねぇが、相手に噛みつく度胸もねぇくせにチンケな根性だけぶら下げて偉そうな事言ってんじゃねぇよ」

「だまれよっ!」

和彦がそう言い放った直後、バキッという鈍い音が周囲に響く。

和彦はこの時生まれて初めて人を殴った。直後、人を殴ったという事実に、えもいわれぬ恐怖と震えがこみ上げてくる。

しかし次の瞬間、和彦の顔面には衝撃が突き抜け、気付くと目の前にはアスファルトが広がっていた。

「くだらねぇ御託ばっかり並べやがって。俺が気に入らねぇならそうやって最初から噛みついてこいよ天才くん」

「うああぁっ!」

和彦は立ち上がり再度恋太を殴りつけた。

「へぇ・・・・・・口ばっかのヘタレ野郎だと思ってたけどよ、思ったよりは根性あるじゃねぇか!」

この後、言うまでもなく恋太に叩きのめされた和彦だったが、不思議とスッキリした気分だった。しばらくしてさっきよりも更に痛む体を起こし恋太を探すと、そこには目を疑うような光景が広がっていた。

何人もの男が地面に倒れ、その中心で獣のように荒い息づかいをした恋太が立っていたのだ。

よく見ると倒れている者達はさっき自分に暴行を加えた数人の男達とその仲間らしき者達だった。野次馬の話によれば、恋太を見て逃げ出した男達が仲間をさらに数名引き連れて戻って来たのだと言う。自分が常に忌み嫌ってきた暴力の光景。しかし和彦は暴力にまみれ、獣のような息づかいで立つ恋太の姿がなぜか美しく感じられた。

「よぉ天才くん。警察の奴らが来る前に帰った方がいいぜ」

「ハハ、それ無理。体中痛くて動けない」

「そ、じゃあ俺帰るからこれお前がやった事にしといてくれよ。これなら正当防衛だろ?」

「ハハ、誰が信じるんだよ」

「ま、とにかく俺は警察が来る前に帰らせてもらうぜ。じゃあな」

「何で今日まで僕に何もしてこなかったんだよ? 噂通りの君ならもっと前にとっくに僕をぶちのめしてたはずだろ?」

「あぁ? お前人を殺し屋みてぇに言うんじゃねぇよ。今日はお前が先に殴ってきたからな。やられたらやり返す。それだけの事だ。昔の事はそうだな・・・・・・強いて言えばお前、ずっと死んだ眼ぇしてたからな。死んじまってる野郎なんて相手にできるかよ」

和彦は何も言い返さなかった。自分でも気づいていたのだ。これまでずっと自分が生きる屍だった事に・・・・・・

昔から天才と他人に認められる事以外、自分の中に眠る何かを探すという事を何一つしなかった。退屈な日常、つまらない自分、天才と呼ばれる事だけを糧にして生きていた。天才と呼ばれなくなる事が怖かった。そして恋太の存在・・・・・・天才であり続ける事だけに縛られ、同時にそれが唯一の逃げ道だった和彦にとって恋太の存在は眩しかった。圧倒的な存在感、敵対する者全てを獣のように叩き伏せ、常識の枠をぶち破る力、そして何より何にも縛られない自由・・・・・・

恋太は和彦が何よりも求めていた力と自由を持っていた。

そう、和彦は恋太が羨ましかったのだ。しかし天才として暴力とは対極の道を進む和彦にとって、自分から恋太に同調する事は天才としてのプライドが許さなかった。

しかし和彦は知りたかった。常識の枠をぶち破り全てを叩き伏せる恋太が持つ力を・・・・・・

嫌悪感を丸出しにしたり、挑発的な接し方を繰り返したのはその為でもあった。恋太の暴力という力を自らの体に叩き込み体感する事で自分の世界に亀裂を入れようとしたのだ。呪縛を引きちぎる武器を手に入れる為に・・・・・・

そしてこの日和彦は初めて力というものを知った。人間としての本当の強さという意味の力とは全く別物である暴力という力だったが、それでも和彦の世界は根底から覆された。

新しい世界へ一歩足を踏み入れたのだ。

「よお天才くん。お前ってさ、友達いねぇだろ?」

「・・・・・・そんな事君には関係ないだろ? 警察来る前に早く帰れよ」

「すぐに帰るつもりだったけどまぁ聞けよ。どうせまだ体動かせねーんだろ? つまんなかったら寝ていいからよ」

「・・・・・・・・・・・・手短にしろよ」

「ああ、警察が来る前には帰るからよ」

そう言うと恋太は仰向けに倒れている和彦の隣に座り込んだ。

「お前も知ってると思うけどよ、俺も昔からつい最近まで友達なんてほとんどいなかったんだよな」

「・・・・・・気に入らない奴がいれば誰構わず問答無用で叩きのめしてちゃあね」

「ハハ、ほんっとその通りだよなぁ・・・・・・誰が強いだの気に入らねぇだの、そんなモン仲間とツルんで馬鹿やる楽しさに比べりゃクソみてぇなモンなんだよな・・・・・・」

「へぇ・・・・・・少しはマシになったんだ・・・・・・」

「まぁ当然最初は誰も信じちゃくれなかったけどな」「ハハ・・・・・・だろうね」

「うるせーよ。でもよ、どんな奴にも本気で気持ちぶつけりゃちゃんと通じるってのがその時わかった」

恋太の力強い言葉に和彦は思わず顔を背けた。

「みんな集めて本気で頭下げて謝ってよ、後は俺流にケジメのつけ方して・・・・・・そこからだな。みんなでツルみ出したのはよ」

「ケジメって?」

「集めた連中全員に本気で殴ってもらった。ありゃ痛かった。色んな意味で痛みってのもその時初めて知ったな・・・・・・」

「やっぱ頭固いね。わざわざそんな事させるなんて。僕ならもっと他の方法考える」

「ハハ、だよな。でもよ、次の日学校行って今までいがみ合ってた連中まで俺んとこ来てくれた時は痛みなんか忘れたよな」

「・・・・・・・・・・・・今まで暴力の塊みたいな奴だったのに何がきっかけなワケ?」

「晶に本気でぶん殴られて説教されてよ、まぁその時は大ゲンカになったんだけど、後で冷静になって考えてみたらマジで楽しくツルめる仲間なんて1人もいなかったんだよな」

「ふーん・・・・・・」

「正直俺は仲間なんて何とも思わない奴だったけどな、でもツルむ楽しさ知ってくると自然に大事な存在になってくるんだよな。仲間ってのはよ。笑ったり助け合ったり馬鹿やったり。気付けば絶対に切れねぇ絆で繋がってんだ」

「結局何が言いたい訳?」

「回りくどい話になっちまったけど、お前毎日つまんねーなら俺のとこ遊びに来いよ」

「何でそんな事わかるんだよ? 僕は君らみたいな連中とツルむなんてごめんだね」

「・・・・・・・・・・・・お前俺よりよっぽど頭固いじゃねぇか。本心じゃねぇくせによ」

「・・・・・・・・・・・・だから何でわかるんだよ?」

「わかるんだよ俺には。理由はわかんねぇけどわかるんだよ。今の俺にはな」

和彦は図星だった。しかし図星をつかれた言い訳を考えるよりも、なぜ恋太に自分の心の内が見透かされたのかに興味がわいた。

「天才だって別にいつも天才でいる事ねぇんじゃねーのか? たまにはハメ外して馬鹿やれる仲間がいるのも悪くねーぞ? 今まで通して来た意地みたいなモンのせいで自分を変えられねーって言うなら変わるまで俺が何回でも誘ってやるから百回に一回でいいから遊びに来てみろよ」

和彦は無言を貫いた。しかし少しずつだが恋太の言葉に心を動かされていた事も事実だった。

自分が変われと言うのではなく、変わるまで誘うと言う恋太は自分が今まで接して来た初めてのタイプだった。

「何で僕なんかにそこまでするんだ?」

「何でって・・・・・・・・・・・・そりゃ多分お前が独りだからだろうな。つい最近まで俺もそうだったからよ、そういう奴は何か放っておけねーんだよ」

そう言う恋太の横顔は口元は笑っていたが表情はどこか寂しげだった。

「悪いけど余計なお世話だよ。それにそういうのが偽善っていうんじゃないの?」

本心ではなかったが、今まで常にこうした態度で接してきた癖がつい出てしまった和彦は、恋太が反応するよりも早く後悔した。そして他人の良き助言をも素直に聞けない自分に心の底から腹が立った。

自分に腹が立つというのも初めての経験だったが、和彦はその自分に腹を立てている自分が嬉しかった。恋太に対し感情を思い切りぶつけた事がきっかけになり、自分の中に眠っていたものが一気に目を覚ましつつある事に気付いたからだった。

「まぁどう取るかはお前の自由だ」

和彦はまたも無言だった。自分には無い力を知る事により、今日自分の世界に初めて亀裂を入れ、その亀裂から足だけを新しい世界に踏み出した。昨日までの自分ならそれだけで充分満足だった。後は亀裂が入った壁を少しずつ壊していく・・・・・・それが昨日までの自分だった。

しかし和彦は突然思考を完全に停止した。

新しい世界の境界線に立つ恋太が、今まさに和彦の世界に大穴を開けようと、何もかも吹き飛ばす事のできる風となり手を差し伸べている。

その風に身をまかせる事を決意したのだ。

何か行動を起こす時は常に理論的かつ論理的な裏付けや計算を求める和彦が生まれて初めて感情のおもむくままに決断を下したのだ。その瞬間、和彦は呪縛から解き放たれた。

「じゃ、俺は帰るぜ。その気になったらいつでも来いよ」

「ああ・・・・・・」

和彦は小さくつぶやいた。天才であり続けなければならないという呪縛・・・・・・今までずっと自分をがんじがらめにし続けてきたものはたった一度のきっかけと、ほんの一欠片の勇気でこんなにも簡単に吹き飛び、遙か彼方へ消えていった。

「あ、それともう一つだけ言っとくわ。今日のお前の眼は死んでないぜ」

そう言って去っていく恋太の前方にはいつの間にか数え切れないほどの人影が現れていた。恋太が揉め事を起こした事を聞きつけ集まって来た仲間達だった。その数え切れないほどの人影は恋太を包み込むように集まると、まるで波が去るように静かに跡形もなく渋谷の街に溶け込むように消えていった。

その光景は和彦にとって今まで見て来たどんなものよりも幻想的で荘厳だった。そしてこの日を境に2人の絆は急速に強まっていく・・・・・・・・・・・・

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