東京渋谷ストリートハッカーズ

@mk0414

第1話

「そうそう、お前渋谷ストリートハッカーズって連中知ってるか?」

「何だそれ?全然聞いた事ねーな」

「2~3年前渋谷で窃盗団が警察に捕まったの覚えてるだろ?」

「ああ、あれか。鴉って呼ばれてた」

「そう、窃盗手段が常識外れの方法で警察や政府機関にまで侵入したプロの窃盗団」

「覚えてる覚えてる。あの事件がどうかしたのか?」「あの事件警察が渋谷にあった鴉の巣を突き止めて全員逮捕って事になってるけど、鴉をとっ捕まえたのは実は渋谷ストリートハッカーズって連中なんだよ」

「なんだそれ?」

「まぁ最後まで聞けよ。その渋谷ストリートハッカーズって連中、鴉を捕まえた理由が警察と何か取引をする為だったらしいんだよ」

「取引?何の?」

「内容まではわからねーよ。でも警察側は警察外部による事件解決を公にしない事を条件に取引に応じたらしい」

「裏取引か。でも一般市民の協力を得て事件解決なんて普通は嬉しい話なはずだろ?何で隠す必要がある?」

「だからきっとその裏取引以外にも他に隠さなきゃいけない理由があるのさ」

「本当に公にはなってないのか?」

「ああ、渋谷ストリートハッカーズって連中は約束を守ったらしい」

「ちょっと待てよ。じゃあお前何でそんな事知ってんだ?」

「ああ、ネットに渋谷ストリートハッカーズの追っかけのサイトがあるんだ。渋谷ストリートハッカーズが警察とどんな裏取引をしたのかって話題で当時盛り上がってたよ」

「ネット?じゃあ何か証拠があるワケじゃねーのか?」

「ハハハ。まぁな。ネットの信憑性なんて疑わしいもんだからな。あくまで噂だよ」

「都市伝説の類かよ」

「まあそんなとこだ。でも嘘か本当か1つだけ無視できない事があってよ、そのサイトの管理者が渋谷ストリートハッカーズに遭遇したらしいんだよ」

「マジか?どこで?」

「渋谷だよ。鴉が捕まった日。事件現場に偶然遭遇して鴉の連中がブッ倒れてるとこ目撃したんだってよ」「そりゃすげぇな。あんなに騒がれてた鴉が目の前で倒れてるんだもんな」

「ああ、倒れてたのが鴉だってわかったのは次の日らしいけどな。そのサイトの管理者は倒れてる鴉の連中に遭遇するほんの十秒くらい前に同じ道ですれ違った連中こそが渋谷ストリートハッカーズだって言ってるんだよ」

「なるほどな。確かにそれが本当ならそのすれ違った奴らが渋谷ストリートハッカーズの可能性は高いよな」

「そうだろ?しかも実際見た事とその後の報道が全然違うものだったって事までサイトに詳しく載せてるんだよ」

「へえぇ、そこまで言われると何か俺も少し興味出てきたな」

「だろ?でもまぁ多分それも恐ろしくリアルな作り話なんだろうけど、俺も奴らのファンだからな。そのサイトを信じてるクチさ」

「ハハハ。何だやっぱお前ファンなのかよ?」

「まあな。こんな奴らがマジでいたらいいなって思ってるよ。お前も興味出てきたんならサイト見てみろよ。奴らがおもしれぇのは鴉を捕まえたからってだけじゃねぇ。他にもおもしれぇエピソードがいくつもあるからよ」

「そうだな」


1年に数回必ず見る夢がある。それは暗闇の中に1人立つ自分。その腕には太く分厚い鎖が幾重にも絡みついている。

鎖がのびるその先は更に深い暗闇で、夜目を凝らしても何も見えない深い深い暗闇。

目を閉じて眠りにつこうとすると、突然その暗闇に吸い込まれそうな感覚に襲われ、俺は鎖が絡み付く腕に力を込める。

それは鎖を引きちぎろうとしているよりも、むしろ鎖を引き寄せるように・・・・・・鎖はびくともせず、どれほど時間が経ったかもわからずに暗闇を睨んでいると、轟音と共に冷たく激しい雨が降ってくる。冷たく激しい雨は容赦なく体を打ちつけ全ての感覚を奪い去る。やがて心まで凍え、力尽きて倒れると、腕に絡み付く鎖を見つめながら目を閉じたところで目が覚める。

「またこの夢か・・・・・・」

1年に数回必ず見るこの悪夢に近い夢にも、見慣れた恋太は全く動じる事なく落ち着いて目を覚ます。いつからこの夢を見るようになったのかは覚えていない。恋太はゆっくり体を起こすと一度ため息をつき、部屋を見回した。

開いている窓から心地よい風が入り込み、揺れるカーテンの隙間から雲一つない蒼天が見える。

恋太はその蒼天に一瞬心を奪われると満足げに一度笑みを浮かべてソファーから降りた。

「今日も暑くなりそうだ・・・・・・」

そう呟くと恋太は部屋を後にした。

「おう恋太!起きたか!もう朝飯出来てるから早く来い!」

恋太が3階にある自分の部屋を出て階段に差し掛かると、突然2階から大声が響く。

「うるせーなクソオヤジ。わかってるよ」

恋太は頭を掻きながら呆れ顔で階段を降りる。リビングに続くドアを開け、父、雷太が居るキッチンに目を向けた恋太は頭を抱え食卓に着席する。

「オヤジまた朝かららーめんかよ。最近多すぎるぜ」

「いいから文句言わず食え。今日はらーめんじゃねぇ。つけ麺だ!まだ試作だけどな」

恋太は自信満々につけ麺を出す雷太に一度大きくため息をつき、渋々ながら食べ始める。まず最初にスープを一口ゆっくりと味わい、それから麺をスープによく絡め勢いよく一気に口に流し込む。

「どうだ?」

「・・・・・・うめぇ。でも普通だな。最初の一口のインパクトも薄い。これじゃ店には出さない方がいいぜ。中途半端過ぎる。でもベースとしてはいい出来だな」

「ほう、なかなかわかってきてるじゃねーか見習い。まぁ見てろ。看板メニュー増やしてやるからよ」

「勝手に見習いにすんじゃねぇよ。あまりにも忙しそうだから手伝ってやってるだけだろが」

「何だとこのボケナスが。給料払ってるオーナー様にそんな態度とりやがると減給すんぞ。」

「ぐっ、ちくしょお・・・・・・すぐ減給チラつかせやがって・・・・・・」

恋太は何も言い返す事ができず朝食を食べるのをやめて不機嫌そうに携帯をいじり始める。

「もう食わねーのか?」

「いくらなんでも毎日毎日朝かららーめん食えるかっつーんだよ」

「だから今日はつけ麺にしただろ」

「同じだっつーの!」

空気を読めない雷太に腹を立てた恋太は冷蔵庫から牛乳を取り出し、そのまま食卓を離れた。

「おい恋太、前から聞こうと思ってたんだがよ、お前仕事を受ける前に必ずウチのラーメン食わせるの何でなんだ?」

「別に大した意味はねーよ。うまいモン食えば誰だって気分よくなるだろ」

去り際に食卓に置いてあった新聞を横目にし、目についた記事に対し恋太は無意識に一言呟いていた。

「蜘蛛…・・・」

そう呟くと自分の部屋に戻っていった。

恋太の家は渋谷で麺屋雷太というらーめん屋を営んでいる。

恋太の父、雷太が数年前当時定食屋だった自宅の食材を使いながら自己流で研究を重ね、苦心の末に自分のらーめんを完成させると時機到来と両親を説得し、長年続けて来た定食屋をやめて長年の夢だったらーめん店をオープン。すると瞬く間に噂になり行列店の仲間入りを果たすと、1年後には東京でも屈指の行列店に成長。それ以降、現在まで業界人をも唸らせ続ける名店になっている。


午前11時、麺屋雷太の営業が始まる。今日は午前中から気温30度以上の真夏日。開店前から並んでいる客達は、屋根も日陰もない炎天下にさらされた路上で体力と気力を毟り穫られながらも活気ある表情で店に暖簾がかかるのを待っている。

「暑い中ありがとうございます。中へどうぞ」

従業員の高山が暖簾を掛け客を丁寧に店内へ案内する。麺屋雷太はカウンターのみの20席。黒を基調とした統一感のある落ち着いた和風の造りが好感を持てる。席と席の間にも余裕があり、食前から食後まで狭さを感じる事なく過ごす事ができる。

メニューは食券制で、特製らーめんと特製塩らーめんの2種類のみ。

この猛暑の中、長時間の待ちによりヘバる客達を尻目に店内は静かながらも心地良い活気で満ち溢れている。客に最高の仕事を提供しようといういう店側のエネルギーと、対して待ちに待った物を食すという客側のエネルギー。そのように目には映らないエネルギーがプラスに働き充満しているからだ。

しかしその心地よい店内が突然不快な喧騒に包まれる。皿が割れる音が響き、すぐ後に雷太の怒声が店内中に響き渡る。

客に出すはずだった特製らーめんがオシャカになったのだ。

「このボケナスが!何やってんだ!」

「何だとクソジジイ!このクソ狭い厨房でテメェがいきなり振り返るからぶつかって落としたんだろーが!ちゃんと後ろ確認しやがれ!」

怒声を浴びせられた恋太はすぐさま罵り返し、クソジジイという余計な一言が雷太の火に油を注ぐ。

「クソジジイだとぉ?オーナーに向かっていい度胸じゃねぇかこのボケナスが!給料無しにすんぞ!」

雷太はそう言い終わると同時に客席のカウンターの上に置いてあるケースから木製のレンゲを数本鷲掴みし、恋太に向かって投げつけた。放たれたレンゲの数本の内の1本が恋太の後頭部に命中し、その勢いで客の方に飛んでいった。

「ぐわっ!イッてーなクソジジイ!職人のクセに商売道具投げてんじゃねーぞこのタコが!」

「上等だボケナスが!」

客がいるにもかかわらずそんな事は全く無視して恋太と雷太の罵り合いは続き、さらに過激化する雰囲気が漂い出す。

「ほらほら2人共ちょっと待った!もう終わり終わり!」

客の方に飛んでいったレンゲを拾ってきた従業員の高山が呆れ顔で厨房に戻ってくる。

「ったく、いつも言ってるけど親方も恋太さんも毎日毎日お客さんの前でケンカすんのいい加減にして下さいよ。らーめんだけじゃなくてケンカまで名物にしてどうするんですか」

高山の仲裁により恋太と雷太は睨み合いながら舌打ちし、渋々ながらお互いようやく矛を収めた。麺屋雷太ではこのようなケンカは日常茶飯事で、常連客達は別に驚きはしない。それどころか、くだらない理由でいつも巻き起こり、どこか笑えるケンカを楽しみながららーめんを食している。

「兄ちゃんワリィな。チャーシューサービスしといたからさ」

これが本当につい数分前までオーナーと過激な罵り合いをしていた人物と同一人物なのか?そう思わせてしまうような爽やかな笑顔で、恋太は被害者の若い男に新しく作り直しサービスを加えた特製ラーメンを差し出す。

「こ、こんなに!?」

通常は2枚のチャーシューがチャーシュー麺のようになっている光景に若い男はまじまじと恋太を見る。

「いいからいいから、遠慮しないで食えよ兄ちゃん。悪いのはこっちなんだからよ。その代わりまた来てくれよ」

恋太は親指を立てるポーズで合図すると、若い男も同じポーズで応え、嬉しそうに特製らーめんにがっつき始めた。

「まさか文句ねぇだろーなクソ親父」

「チッ、俺のらーめんはチャーシュー2枚ってのがバランスのこだわりなんだがな、でもあんなうまそうに食ってるの見たら文句なんか言えるか」

雷太は腕組みをして若い男を見ると、自分のこだわりを崩されたらーめんに皮肉を言いつつも、一瞬笑みを浮かべ満足そうに仕事を再開させた。

「ドケチの割にはちょっとは頭柔らかくなったみてーだな」

「ぬかせボケナスが。俺はオメーが生まれる前から太っ腹で通ってんだよ。わかったかボケ」

「ハハハ。わかったわかった」

照れ隠しの強がりを言った雷太の肩をニヤニヤしながら強めに2回叩いた恋太は、厨房の奥で笑いをこらえていた高山と目配せをし合って声を出さずに笑った。「よーし、今日は店じまいだ」

夜8時15分、スープ切れになり、最後の客が店を出たところで雷太がいつものセリフを言う。

「オス!」

高山が軽快な口調で応え暖簾を店の中にしまう。

「おいタカ、明日は休みだしよ、片付け終わったらメシ食いに行こうぜ。おごるからよ」

セルフサービスの水を高山に差し出しながら恋太も軽快な口調で声をかける。

「ホントですか?行きます行きます!俺焼き肉食いたいッス!」

「よし、じゃあ焼き肉行くか」

恋太と高山は雷太の事など忘れたかのように店内や厨房の掃除に取りかかる。

「あれ?何だこれ?」

掃除を始めて10分が過ぎた頃、高山がカウンターの下に付いている雑誌や新聞などを置く為のフリースペースに携帯が置かれている事に気付いた。

「携帯か。誰かの忘れ物だろ。店に保管しとけばその内誰か取りにくるだろ。忘れ物入れに入れとけよ」

「そうですね。取りに来なければ警察に届ければいいですしね」

高山は忘れ物の携帯を電源が入っているかだけを確認し、入り口近くに設置してある忘れ物入れに置いた。「オイお前ら、厨房の片付けは後で俺がやるから店内の掃除終わったら飯食いに行っていいぞ」

「厨房まだ使うのかよ親父。朝飯に出したつけ麺でも作るのか?」

「まぁな。完成にはまだほど遠いからな、しばらくはビールはお預けだ」

「つけ麺!? 新メニューですか親方!」

恋太と雷太の会話を聞いていた高山が店内の床をモップがけしながら駆け寄ってくる。

「おう、今度はつけ麺だ。お前ら暇があったら色んな店のつけ麺食べまくって来い。金は出してやる」

「まずは食べて知れって事か」

「そうだ。まずは食って自分で感じた事を頭の中に叩き込んで来い。それを参考にオリジナルをひねり出すんだ。いい勉強になるぜ」

「わかりました! 食いまくってきます親方!」

高山がテンション高々に掃除を再開させると、時計は夜の9時をまわり1時間に1度のアラームが響く。恋太がアラームをきっかけに時計を見上げると、閉店したはずの店の入口が開き、スーツ姿の男2人が入ってきた。

「夜分に失礼します。警察の者なんですが、よろしければ2、3お話しをお伺いしたいのですが」

2人の内、年長者の方が警察手帳を提示しながら切り出すと、もう一方の若い男も礼儀正しく深々とお辞儀をし、入口の一番近くにいた恋太に近寄って来る。

「君が四門恋太くんか?」年長者の方の男に問われると恋太は手に持っていた雑巾を置き、表情を険しくして返答する。

「そうだけど?」

「渋谷署の沖田という者だ」

「同じく吉田です」

「急で悪いが君に2、3聞きたい事があってね、よかったら少し時間をくれないか? 忙しければまた出直すがどうかな?」

「いや、別にかまわねぇよ」

即答すると恋太は刑事達に背を向けて歩き出した。その場にいる皆が疑問視していると、セルフサービスの水が入っているピッチャーとコップを2つ持って戻って来る恋太を見てその答えにたどり着く。

「ビールじゃねぇけど、よかったら飲めよオッサン」恋太は2つのコップに水を入れ、沖田と吉田に差し出すと、自分の右手も差し出した。

「ハハ。遠慮なく頂くよ」沖田と吉田はその意味を理解して順に恋太と握手した。

「オイオイ刑事さんよ、長くなるなら上の部屋行ってやってくれよ。ウチはもう営業終わってんだからよ」「すみませんご主人。早めに終わらせますから」

沖田の返答に対し雷太は背中を向けて大きく手をあげた。

「それで俺に聞きたい事って?」

恋太に問われると沖田はスーツの内ポケットから1枚の写真を取り出しカウンターの上に置いた。

「まずこれを見てくれ。今我々はこの写真の人物を探しているんだが、この付近で目撃情報があって聞き込みをしているんだ」

雷太と高山も仕事を中断しカウンターの上の写真を覗き込む。

「皆さんもこの写真の人物、最近この付近で見かけたりした事ありませんか? これといった特徴がないんで思い出すのも難しいと思いますが、客として店に来たとか」

恋太、雷太、高山は数秒写真を見た後3人で顔を見合わせて3人それぞれが首を横に振った。

「そうですか。これだけ有名なお店ならたくさんの人を見てるだろうと思ってちょっと期待してたんですがね」

「お、刑事さん達ウチの店知ってんのか? 今度食いに来てくれよ」

「親方、吉田さんの方は何回か食べに来てくれてますよ」

高山は笑顔で吉田を見る。「アハハ、やっぱ気付かれてましたか。俺ここの大好きなんですよ。マジでウマいです」

「スープと麺と具のバランスも絶妙だろ?」

「わかりますわかります! そこにまたこだわりを感じるんだよなぁ」

「お、わかってるじゃねーか兄ちゃん。しかもウチの麺はよ・・・・・・」

「こらクソ親父」

関係ない話で盛り上がる雷太と吉田の会話に割って入る恋太に続き、沖田も吉田に対し大きな咳払いで警告する。

「おっと、そうだよ。らーめんの話してる場合じゃねーよなぁ。ハッハッハッ」

「そ、そうですね。ハハハ」

恋太と沖田は呆れ顔でため息をつく。

「この写真の奴の事何で探してるんだよ?」

「スマン。それは捜査の関係上話せない」

沖田は釘を刺す意味で吉田に対し視線を送ると、吉田もそれを理解し無言で頷いた。

「もしかして今大騒ぎになってる『蜘蛛』って事件の事とか?」

高山が不意に出した『蜘蛛』という言葉に皆が反応を示したが沖田と吉田の答えはノーだった。

「いや、これは蜘蛛とは関係ない一件なんだ。もちろん蜘蛛の捜査もしているがね。全くどうなってるんだか、蜘蛛の捜査だけで困難を極めてるというのに」

「全くです。蜘蛛が神出鬼没のこんな状況でさらにこんな別件が重なると、それが餌になってもっとでかい事件を引き寄せそうで、正直俺怖いですよ沖田さん」

「おいおい、警察の方がそんな弱気でどうすんだよ兄ちゃん」

雷太は話しながらカウンターを2回叩く。

「そ、そうですね。ハハハ」

吉田は苦笑した。雷太に対し、一般人に理解できるわけないだろう。そう思ったワケではない。なぜか前向きに捜査をできない自分の弱さを隠す為の精一杯の対応だった。

「じゃあ話しを戻すが、この写真の人物がこの付近で目撃された事はさっきも言ったが、問題はそれが一度じゃないという事なんだ」

「つまり複数回目撃されてると?」

「ああ、1カ月程前から3度目撃されている。その事からこの付近、もしくは渋谷のどこかに潜伏している可能性が高いと判断した。そこで、君にこの渋谷で身を潜めるとしたらどんな場所があるのか教えてもらいたいと思ってね」

「それはかまわねぇけど、何で俺なんだ? 渋谷についてなんてアンタら警察の方がよっぽど詳しいはずだろ?」

「情報筋に渋谷の事なら四門恋太に聞けと言われたんでね。渋谷の表も裏も君以上に精通してる人物はいないと」

「何だそれ? 誰に聞いたか知らねーけど、そりゃとんでもない勘違いだぜオッサン」

「そんなに拒絶しなくてもいいだろう。君が昔渋谷の不良達を一つにまとめ上げていたのは誰もが知ってる話だろう? その君なら渋谷について何を知っていてもおかしくはない」

「ハッ、何年前の話してんだよオッサン。俺が今更そんな裏情報みてぇな事知ってるワケねぇだろ。それに俺は奴らをまとめ上げてたワケじゃねぇよ。ただツマんねぇ事してる奴らにツルむ楽しさ教えただけだ」

「そうか。スマン、失言だった。しかし君が渋谷で不良達のカリスマ的存在だった事は事実。色々な情報にも精通していたはずた。その時に知っていた事でいいんだ」

「そう言われてもなぁ・・・・・・」

困る恋太をを気にする事なく沖田は話を進めていく。「じゃあ君ならばどこに身を潜める?」

「・・・・・・めんどくせぇなぁ。わかったよ。じゃあ1万で教えてやるよ」

皆の視線が一斉に恋太に向く。

「恋太さん警察の人からお金取る気ですか!? 」

「うるせぇよ。堅い事言うな。情報料だよ情報料。いいよなオッサン? 嫌なら帰るんだな」

恋太の考えが理解できない雷太と高山は顔を見合わせ首を傾げる。

「いいだろう、払おう」

沖田は迷う事なく財布から1万円札を出すと惜しげもなく恋太に差し出した。

「いい決断力だぜオッサン。これで焼肉食いに行けるわ」

「恋太さぁん……おごるとかあんなかっこよく言ってたくせに」

高山と雷太は引きつりながら軽蔑した表情で恋太を見る。

「なっ、何だよ、そんな目で見るんじゃねぇよコラ」

「じゃあ質問の答えを聞こうか」

「………いや、やっぱ今日はやめとくわ。何か気がのらねぇ。また今度来た時教えてやるよ」

「なっ……どういう事だお前! ふざけんな!」

人を馬鹿にした恋太の態度に激怒した吉田が恋太に掴みかかる。

「待て吉田! 落ち着け!」

沖田に制止されて恋太から離れた吉田は一口も飲んでいなかった水を一気に飲み干した。

「でも沖田さん、これじゃただの詐欺ですよ。金盗られただけじゃないですか。警察ナメるにもほどがありますよ」

「恋太、吉田の言うとおりだ。スジ通らねぇ事するんじゃねぇ」

雷太は珍しく真剣な表情で恋太を睨みつけていた。高山はオドオドしながらその様子を黙って見ているしかなかったが、考えている事は同じだった。金をもらっておいて情報は渡さない。そんな道理が通るはずがなかった。まして警察が相手なのだ。しかし沖田は何も言わなかった。

「オッサンまさか一度あげたもの返せなんてセコい事言わないよな? 俺を見抜けなかったそっちの負け。オッサンはそういう奴だろ?」

恋太の言い分はさらに理不尽なものになってきたがそれでも沖田は何も言い出さなかった。

「沖田さん、何で何も言わないんですか?」

「面白い奴だな。確かに今日は俺の負けだ。また出直すとするよ」

潔く認めるも沖田は一瞬鷹のように鋭い眼光で恋太を威嚇した。

「潔さもさすがだな。でもまぁこれじゃホントに詐欺になっちまうし、アンタの相方も納得いってないみたいだからな、食ってけよオッサン。ウチのらーめん。2人分おごるぜ。親父いいだろ?」

「チッ、俺は手伝わねぇぞ。自分で作れよ」

「わかってるよ」

恋太は沖田と吉田の反応を待たずにさっさと厨房に入ると、麺屋雷太自慢の特製らーめんを手際よく作り始めた。

「らーめんで誤魔化すつもりなんですかね? 納得いかないなぁ。でもここのらーめんホントにおいしいんですよ沖田さん」

吉田が沖田にしか聞こえない小さい声で話すと沖田は笑みを浮かべカウンターに着席した。

10分程で2人分の特製らーめんを作り終えた恋太は何も言わずに沖田達に差し出した。

「それじゃ頂こうか」

「あっ! チャーシューがいつもより2枚も多いッスよ沖田さん!」

沖田と吉田は今日ここへ来た目的を忘れたかのように特製らーめんを食べた。

「ウマいだろ?」

「ああ」

「じゃあ俺は部屋に戻るぜ。タカ、悪いけど焼肉は中止な」

「ゲッ! そんなぁ!」

「それとオッサン、領収書はレジの隣に置いといたからな」

「ちょっと待ってくれ。最後に1つだけいいか?」

恋太は立ち止まり沖田の方に振り返る。

「渋谷ストリートハッカーズという名前を聞いた事は?」

沖田の最後の質問に恋太は数秒考えた後、首を横に振って自分の部屋に戻っていった。

「はあぁ、やっぱ何回食ってもうまい。ねえ沖田さん?」

「ああ、そうだな。ご主人、本当にウマいですねこのらーめん。」

「ヘヘッ、言った通りだろ? よかったらまた来いよ刑事さん」

雷太は得意げな顔で沖田と吉田の顔を見た。

「ええ、ぜひ。彼にもごちそうさまと伝えて下さい。それじゃあ我々はこれで失礼します」

「ええ? 沖田さん本当に何も聞かずに帰るんですか?」

「ああ。何か聞きたい事があればまた食べにくればいいだろ?」

沖田は吉田が止めるのも聞かず、恋太が置いていった領収書を取ると、自分の連絡先を書いたメモを雷太に渡し麺屋雷太を後にした。

「アイツが四門恋太か………」

「何なんですかねアイツは、完全に警察ナメてますよ。らーめんは相変わらず凄いウマかったけど」

「ハッハッハッ、お前さっきからそればっかりだぞ? 大丈夫か?」

「笑い事じゃないですよ。でも沖田さん、アイツが置いてった領収書って一体なんですか? らーめんはおごりだったから領収書なんていらないし」

「コレ見てみろ」

「あっ! 」

沖田に渡されたものを見た吉田は驚いた。恋太が領収書だと言って置いていったものは、ある場所の住所が記されたメモと、沖田が情報料として恋太に渡した1万円だったからだ。

「アイツいつの間にこんなメモ………、金も最初からもらう気なかったんですかね?」

「さぁな。だが1つ分かってる事はアイツが俺達を試していたって事だ」

「試す? 何をですか?」

「さぁな。アイツが何を考えてるのかは全く読めなかったが、このメモをくれた事からもどうやら嫌われてはいないようだな」

「確かに。らーめんもおごってくれましたしね」

「ああ。お前がチャーシューがいつもより多いとか大騒ぎしてたが、それもアイツなりのお詫びといったとこだろう。四門恋太、不思議な奴だ………」

沖田と吉田は渋谷署に帰る事なく、そのまま恋太に教えてもらった住所に向かい、人混みと真夏の匂いが混じり合う夜の渋谷の街に消えていった。

「やっと帰ったな」

「恋太さん」

沖田と吉田が帰ったのを見計らい、自分の部屋に戻っていた恋太が店に降りてきた。

「おい恋太、何であの刑事達に嘘をついた? あの写真の男、今日ウチの店に来てた奴じゃねぇか」

「やっぱそうですよね! 恋太さんがチャーシューサービスしてたあの若い男の人ですよね? びっくりしましたよ俺」

「アイツにどんな事情があるか知らねーけど、アイツはちゃんと客としてウチに来たじゃねーか。それにあんなウマそうにウチのらーめん食ってったんだぞ? そんな客を警察に売るワケねぇだろ」

「チッ、俺とタカの足カウンターの下で蹴りやがって。あんな事しなくても俺達だって警察にホイホイ客の事話すワケねぇだろーが」

「そうですよ恋太さん。警察はこっちには詳しい事は何も教えてくれないんだから、こっちだってお客さんの事簡単に話すワケないでしょ?」

「そーだぜ。それにそんな事警察にペラペラ話して店の周りウロチョロされてみろ、他のお客だって来なくなっちまうぜ」

「わかったわかった。俺が悪かった。とにかくウチには何の関係も無いんだ、もしもまたあのオッサンが来たらまたしらばっくれればいいんだ」

「お前握手してたけど、何か聞こえたのか?あの2人の刑事の心の声ってやつ」

「いや、何も聞こえねぇよ。向こうが俺に対してまだ大した意識を持ってねぇからな。ただ沖田ってオッサンの方は声ってより何かノイズみてぇな音が聞こえた気がしたな」

「ノイズ?」

「ああ、まるで俺が何をするか分かってるみたいなタイミングで嫌な音がしやがった」

「まさか恋太さんの読心術が読まれた?」

「それはわからねぇが、多分アイツは自分の心と精神を自由にコントロールできるんだ。その証拠にノイズが聞こえたのが握手した瞬間だった。つまりアイツは俺が心理戦を仕掛けてる事に気付いてノイズで妨害したってわけだ」

「でもどうやってそんな事コントロールするんですか?」

「さあな。自己のマインドコントロールってやつは人それぞれやり方が違うんだ。でも自分で意識的にコントロールできるようになるにはかなりの訓練と経験が必要だからな。あのオッサン、あんな穏やかな振る舞いしてるけど中身は相当のキレ者だぜ」

高山は息をのんで恋太の顔を見る。

「その自己のマインドコントロールってやつ、恋太さんはできるんですか?」

高山の問いかけに恋太の目つきが鋭くなり数秒沈黙の時間が流れる。

「俺がそんな事できるワケねーだろ。そもそもそんな事できるようになる必要がねーだろ。らーめん職人見習いだぞ俺は」

「そう言われてみればそうですね。ハハハ」

「お前今自分で見習いって言ったな?」

恋太は雷太に見られないようにしまったという表情をした。

「うるせークソ親父。俺は絶対ここには就職しねぇからな」

「大丈夫ですよ恋太さん。恋太さんの腕は俺がよく知ってますから」

高山が自分を庇う発言に腹を立てた恋太は理不尽に高山の頭をゲンコツで小突く。

「イテッ! 何で殴るんですか恋太さーん」

「うるせーボケ。お前にフォローされちゃおしまいだぜ」

恋太には他人の心の声を聞き、心と心で会話をする事ができる特殊な能力がある。いくつかの条件を満たさなければ成立しないが、恋太はこの能力を『念会話』と呼んでいる。

この能力は生来のものではなく、高校生の時ある事をきっかけに覚醒したものだ。恋太は幼い頃から空手5段、柔道5段、合気道5段、剣道5段の父、雷太に鍛えられながら育った。中学生になってからは、その腕っぷしにものをいわせ暴れ回り、高校1年が終わる頃には暴力で渋谷1有名な不良となっていた。

有名になった恋太だが、自分についてくる仲間達との信頼関係は無いに等しかった。暴力で従えていただけの仲間は次々と居なくなり、恋太やり方に反対した親友である深沢晶とさえ殴り合いをするほどだった。親友さえ離れていき孤独となった恋太は、仲間と信頼関係を築く大切さを身をもって知る。それをきっかけに暴力を捨てた恋太は信頼関係で結ばれる仲間を作る事を決意する。

それからの恋太は仲間とのコミュニケーションを大切にし、ひとりひとりを理解しようと努めた。その結果、恋太の元にはまた多くの仲間が集まり、いざという時はいつでも一枚岩と化す集団を作り上げた。

恋太の念会話はこの時に覚醒したもので、これまで他人の事など一度も考えた事のなかった恋太が、常に多くの仲間の気持ちを考えながら行動するようになった事が覚醒の原因の1つと思われる。

「恋太さんホントに焼肉中止なんですかぁ? 行きましょうよぉ」

「うるせー。中止って言ったら中止なんだよ」

「そんなぁ、上カルビとタン塩食べまくろうと思ってたのになぁ」

「お前なぁ………」

焼き肉が中止になりゴネ続ける高山を無視して恋太と雷太が新作メニュー、つけ麺の創作に取りかかろうとした時、客が忘れていった携帯電話が鳴りだした。

持ち主が忘れた事に気付き電話をかけてきているのか? 持ち主の知人が電話をかけてきているのか? それはわからなかったが、どちらにせよ持ち主の関係者である事は間違いないという結論から、この携帯は麺屋雷太に忘れ物として保管してある事を伝える為、電話に出る事にした。

「もしもし」

携帯の一番近くにいた高山が電話に出た直後、表情を曇らせ首を傾げながら恋太を見る。

高山の様子がおかしい事に気付いた恋太は作業をやめて厨房から声をかける。

「タカ、どうした?」

「恋太さん、電話の人が恋太さんに代わって欲しいって」

高山がまたも首を傾げながら恋太に電話を持って来る。

「俺? 何で俺なんだよ?」

恋太もワケがわからないまま電話を受け取った。

「もしもし」

「アンタが四門恋太か?」「ああ。そういうお前は誰なんだ? 何でこの電話から俺にかけてくる?」

「俺の素性はまだ教えられない。そんな事より警察が俺の事を聞きに来ただろう?」

恋太の目つきが鋭くなる。「そうかお前か………警察に追われてる身でなぜ危険を犯してまでウチの店に来た?」

「アンタがどんな奴か直接会って知りたかった。そしてこうやって一度話をしてみたかった。だから携帯もワザと置いていった」

「俺に何の用だ?」

「その前に質問していいか?」

「………チッ、めんどくせぇな。何だよ?」

「今日俺を見た事を警察に話したか?」

「話してねーよ。ここにいる全員な」

「なぜ話さなかった? 俺を忘れてたとは言わせないぜ?」

「めんどくせぇなぁ。お前ウチのらーめんあんなウマそうに食ってたじゃねぇか。俺は客を警察に売ったりしねぇ」

「そんな理由で俺の事を黙ってたのか?」

「そんな理由? ウチにはそれが一番大事だぜ。ウチのらーめんウマいって食ってくれる客なら誰だろうがな。それに親父の言うとおり、ペラペラしゃべって警察に店の周りウロチョロされたら客が来なくなっちまうぜ」

「ハッハッハッ。アンタおもしれー奴だな。最高だぜ。じゃあ次の質問だ。俺について警察に何を聞いた?」

「何も聞いてねーよ。教えてくれなかった。」

「そうか、じゃあ最後の質問だ。アンタ仲間を絶対に裏切らないってのは本当か? 仲間の為なら自分が犠牲になってもかまわないと?」

「さあな。お前には関係ねーよ」

「もしそれが本当ならアンタを見込んで頼みがある」「おいおい、その前に今度は俺が質問する番だろ?」「………わかった。」

「まずなぜ俺を訪ねてきた?」

「ある裏の情報筋からこの渋谷で一番信用できて頼れる奴はアンタだと言われた。そしてアンタは心の声を聞けると」

「お前もかよ。全くどいつもこいつも………」

「人に言われた事はともかく、アンタを実際に見てこうやって実際に話してみると、なぜかわからないがアンタが信用できる奴だと思えてくる。たった数分話しただけで知り合いでも何でもないのにな。不思議な奴だなアンタ。心の声が聞けるっていうのはホントなのか?」

「そんな事どうでもいいからよ、俺に頼みって何なんだよ?」

恋太が問いかけると数秒間沈黙の時間が続く。一息入れる余裕ができ、視線に気付いた恋太は周囲を見渡すと、雷太や高山も自分の作業をやめてずっと恋太の様子をうかがっていた。

それに気付いた恋太だったが、何も会話する事なく水を一口飲み、電話の相手の反応を待った。

「………実はある理由があってアンタの助けを借りたい」

突然切り出されたその声は電話越しからも冗談ではない雰囲気を感じ取れた。助けを求められるという意外な展開に恋太は一瞬戸惑ったがすぐに冷静になった。

「助け? そりゃ穏やかじゃねーな。それならお前自身の事を隠さずに教えろ。話はそれからだ」

「拒否しないのか? 有無も言わずに断られると思ったんだけどな」

「お前がどんな奴であれ頼って来た奴を話も聞かないで追い払うのは俺の趣味じゃない。話ぐらいは聞いてやるさ」

「そうか、恩にきる。でも今の俺の状況を電話で伝えるのは不可能だ。今からアンタの店に行っていいか?落ち着いた場所で話したい」

「それは別にかまわねぇけどよ、俺を信用していいのか? 話を聞いてやるとは言ったがお前は警察に追われてる。俺は警察呼ぶかもしれねーぞ? 現にお前の事を聞きに来た刑事にお前が潜伏してそうな場所を教えた」

「………………アンタに助けを求めると決めた以上は信用するさ。アンタが俺をとっ捕まえる気なら好きにすればいい」

「いい覚悟だ。じゃあ待ってるぜ」

電話を切った恋太は雷太と高山に経緯を説明し、電話の男を待った。

何もわからないという状況に、重苦しい空気が店内を包む。事情を聞いた雷太はつけ麺作りを中止して上階の自宅に戻っていった。

高山は不安にかられ落ち着かず、店内を歩き回り外を覗くという行為を繰り返した。

「おいタカ、お前怖かったら帰るかオヤジがいる部屋にでも行ってていいんだぞ?」

見るに見かねた恋太が声をかける。

「そ、そんな事ないですよ! 俺も一緒に居ます!」

正直高山は今の恋太が理解できなかった。警察に追われている素性の知れない男を家に招き入れ話を聞こうというのだ。

警察を呼ぶ素振りも見せず、緊張している様子もなく、余裕さえ感じる恋太にどう接すればいいかわからなかった。

「恋太さん、どうして警察に追われてるような奴をわざわざ呼ぶんですか? 警察に追われてるんだから悪い奴に決まってますよ」

高山は意を決したように聞いた。

「………それはアイツが多分独りだからだ。信用できる仲間がいれば見知らぬ俺に助けなんか求めに来ないだろ? そういう奴は何か放っておけねーんだよ」

「そんな理由で? 犯罪者なんですよ?」

「お前は独りになる事の 苦しみなんて知らないだろ? 俺は身を持って知ってるからな、そのせいもある。それにアイツを犯罪者って決めつけるのは早いだろ? あの沖田ってオッサン容疑者とは言ってなかったからな」

「た、確かにそれはそうですけど………じゃあ言う通り助けてやるんですか?」

「そうは言ってないだろ? とりあえず話しを聞くだけだ。そう心配すんなよ」どうしても不安を拭い去れない高山は雷太がカウンターの上に置いていった沖田の連絡先が書いてあるメモをポケットに忍ばせた。いざという時は自分が沖田と連絡をとろうと決めたからだ。

電話を切ってからまだわずか10分たらずだが、時間が経つのが妙に遅く感じられた。この重苦しい空気の中、一体どれほど時間が経過したのか?

高山は頭の中で自分が何の考え事をしたか忘れるほど考え事をしたが、時計に目を向けるとさっき確認した時からまだ3分しか経っていなかった。その事に気づき、精神的な疲れが押し寄せてくる。

厨房の方にふと目を向けると、恋太が突然店の入口に向かい歩き出した。電話の男がやってきたのだ。

「お前ホントに来たんだな」

「来るさ。ほんのわずかでも助力を得られる可能性があるならな」

「とりあえず俺の部屋に行くぞ。ここは親父の部屋みたいなもんだからな。お前もその方が落ち着くだろ」電話の男は店内をゆっくりと見渡した。

恋太はすぐに電話の男を店内から自分の部屋に誘導する。3階の一番手前、階段のすぐ脇にある部屋が恋太の部屋である。

「どこでもいいから適当に座れよ」

恋太の部屋は8畳の和室でテレビ、パソコン、ソファー、ミニ冷蔵庫、ちゃぶ台程度のガラステーブルがバランス良く配置されている。テレビ周りは大量のゲームソフトが散乱しているが、それ以外ゴミなどは落ちてなく、比較的キレイな部屋である。

恋太はベッドでないと快眠できないのだが、部屋が狭くなりホコリっぽくなるのがイヤだという理由でベッドは置かず、一年中いつもソファーで寝ている。マンガも大好きで数百冊ももっているが、それを収納しているスライド式の本棚も部屋が狭くなるのがイヤで別の部屋に置いているためいつも雷太とケンカの種になっている。

部屋に入り立ち尽くしたままだった電話の男は、恋太に声をかけられると無言で腰をおろし、ホッとしたのかぐったりと壁に寄りかかった。

「おい、お前大丈夫か? とりあえず何か飲み物でも飲めよ」

恋太はそう言うと部屋の隅に置いてあるミニ冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、電話の男に差し出した。

「俺はコーヒーは飲まねーんだけどよ、ウチに来る連中が勝手にこの冷蔵庫に何でも入れていきやがるんだ。おかげで俺の物なんて1つも入ってやしねー」

電話の男は無反応で缶コーヒーを開けると、よほど喉が渇いていたのか一気に飲み干した。

「やっぱりアンタ不思議な奴だな。緊張感とかないのかよ?」

電話の男の問いかけに恋太は呆れ顔をした。

「お前なぁ、自分の部屋で緊張してどーすんだよ? 」

自分の部屋だろうがこんな状況なら普通緊張するだろう。電話の男は内心そう思ったが反論するのをやめた。

「おい恋太入るぞ!」

廊下から大きな声が響くと雷太がノックもせずに部屋に入ってくる。

「テメークソ親父、いつもノックぐらいしろって言ってんだろ」

「バカヤロ、ガキの部屋入るのにノックなんかいるか。抜き打ちだ抜き打ち」

「教師かテメーは!」

雷太に気付かれた電話の男は礼儀正しく頭を下げると雷太は1度頷いた。

「クソ親父何の用だよ?」

「おう、晶の親父とちょっと飲みに行ってくるからよ、出かけるなら鍵かけてけよ」

「そんなのいちいち言いにくるんじゃねーよ!小学生か!」

「ハッハッハッ、じゃあ行ってくるぜー」

雷太はドアを開けっ放しで陽気に出ていった。

「ドア閉めてけコラ!」

雷太のマイペースさが気に入らない恋太はいつも息が上がるほど食ってかかる。

「ハァハァ言ってますけど大丈夫ですか恋太さん?」「うるせー」

「ハハハ。アンタら面白い親子だな」

「ほっとけ。そんな事より落ち着いたんなら教えろよ、何で俺のとこに来たのか」

「・・・・・・・・・・・・わかった。だが今から俺が話す事はアンタらには少し現実離れしてる話だ。俺からこの話を聞く事によってアンタらまで危険に巻き込まれる可能性も高い。それでも聞いてくれるのか?」

「俺は相手がどんな奴だろうが約束した事は守る」

「そうか、恩にきる。じゃあまず俺は黒木。呼ぶ時は黒木でいい。俺は今ある物を持っているせいで警察に追われてる。犯罪を犯したワケじゃない」

「あ、ある物って何ですか?」

高山はいつの間にか恋太の横に座り口を挟んだ。

黒木は恋太だけでなく、高山がこの場に居る事に少し不安を抱いたが、かまわず話を進めた。

「俺が持っている物の事より、まず先にある組織について話しておききたい。いきなり話しが飛んで悪いが日本政府の中にはある特殊な諜報機関が存在するんだ。政府の中でもほんの数人しか存在を知らない『梟』って呼ばれる組織だ」

「政府ってクロ、お前役人なのか?」

ソファーに座っていた恋太は手掛けの部分を枕にして横になった。

「ク、クロ? ま、まあいいか・・・・・・いや、俺は役人なんかじゃない」

黒木は友達感覚で接してくる恋太に戸惑いながらも、話しをそらす事なく進めていく。

「その梟って組織は政府が公にできない裏の仕事を遂行する連中だ。奴らは任務遂行に必要なら盗聴、盗撮、侵入、身分偽造、何でもする。奴らはそれらを駆使して公にできない政府の黒い歴史ってやつを重ねて行くんだ」

黒木はそこまで話を進めると急に立ち上がり、部屋の隅に置いてあるミニ冷蔵庫に向かい勝手に飲み物をあさり始める。

「もらうぞ」

黒木はペットボトルの烏龍茶を出すと、またも勢いよく飲み出した。ペットボトル半分ほど飲んだところで勢いはおさまり、フタを閉めずにテーブルの上に置くと話しの続きに戻る。

「梟が遂行する裏の仕事は国の中枢の中でもトップシークレットだ。映像、音声記録、梟が直接調べ上げたその他の状況証拠、公になれば国がひっくり返るような記録がいくつもある」

高山は黒木の話しが進んでいくにつれ、どんどん不安を膨らませていた。黒木が話している事が本当なら、決して自分が関われるような事ではないと直感したからだ。

まだ話の核心には触れてないが、何が起きてもおかしくないという雰囲気がすでに漂っていた。

高山はズボンのポケットに入っている沖田からもらったメモを無意識に握りしめた。

「梟が重ねてきた政府の黒い歴史は『黒髪』と呼ばれ、膨大な記録が政府の中枢機関のどこかに厳重に保管されている」

「ど、どうして黒髪と呼ばれているんですか?」

「………奴らが積み重ねる罪に終わりがないからだって言われてる。切っても切っても生えてくる髪の毛みたいにな………」

「確かに俺達には現実離れした話だな。でもお前、こんな事話しちまって平気なのか?これが本当の話ならお前の方がヤバいんじゃねぇのか?」

「わかってるさそんな事。一般人を巻き込んじゃいけないって事も重々承知してる。だがどうしても渋谷を裏まで知り尽くすアンタの助けが必要なんだ。協力してもらえればそれなりの報酬を用意させてもらおうと思ってる」

「まだ協力するとは決められねーけどな。とにかく最後まで聞いてから考える」

「わかった。じゃあ続けるぞ。まだ言ってなかったけど、ウチは代々医者の家系で親父が病院を経営してる。俺もその流れで医者をやってる」

「マジかよお前、じゃあ金持ちなんじゃねぇか。早く言えよ」

「何ニヤニヤしてるんですか恋太さん。まさかまた変な事考えてるんじゃないでしょうね?」

高山は疑いの眼差しで恋太を横目で睨みつけながら言った。

「な、なんだよその最初から人を疑うような目つきはよ」

「疑うようなじゃなくて疑ってるんです。完全に」

「お、お前そんなズバッと斬るか?金持ちってのはなぁ、少しぐらい庶民におごらねぇといけねぇんだよ。その為に金持ってんだからよ。銀龍とか伊勢屋とか蕎麦壱とかよ。なあクロ?」

「全部恋太さんの常連の店じゃないですか……」

「あのなクロ、銀龍の餃子と炒飯、伊勢屋のレバニラ定食、蕎麦壱の天ざると鍋焼きうどんは世界一ウマイんだぞ?お前も食いたいよな?」

「週1回は必ずどれかに行ってるじゃないですか。おごってもらう時ぐらい他の店行きましょうよ。お寿司とか」

「バカヤロ、床が油まみれで普通に歩くだけでコケる中華料理屋とかよ、頼んでねぇのに特盛出してくれる親父がいる定食屋なんかには到底縁がなさそうなこのお坊ちゃまを連れてくのが俺達の役目だろーが」

本当にこいつら大丈夫なのか?黒木の胸の内はそんな思いでいっぱいだった。

恋太の言動や緊張感の無さ、触れれば触れるほど恋太が自分が求める渋谷の表も裏も知り尽くす重要人物には思えなかった。

「まぁ、お前におごってもらう話しは後にして、まだ最後まで話しは聞いてねーけど、病院やってるお前んチとさっきの梟って連中の話がどう繋がるのか? 要するに肝はそこだろ? 政府の中でも数人しか知らないなんて組織を知ってる医者だもんな。どう考えても普通じゃねえよ」

恋太の問いかけにより、部屋の空気はまた黒木が来た直後のように重苦しいものに戻る。それを感じとった高山は思わず息を飲む。

部屋の壁にかかる時計の秒針の音が無意識に頭の中に響き、ペットボトルからにじみ出る水滴が下に流れ落ちる瞬間を待つように黒木が言葉を発するのを待つ。黒木は腕を組み少しうつむいて考え込むと、ジワジワと周りの水分を吸収し、今にも流れ落ちようとするペットボトルの水滴が流れ落ちるより早く口を開いた。「その通りだ。黒木家はただの医者一家じゃない。黒木家は政府の特別許可と保護のもと、政府の特別嘱託医として今の地位を築いてきた」

「嘱託医?」

「ああ、政府の要請で亡くなった人の遺体の検案をするという仕事をしてる」

「オイオイ、そんな小難しい事言われても俺達にはわかんねぇよ」

「それもそうだな。遺体の検案ってのは簡単に言えば遺体の死因を判断する仕事って事だ」

「ふぅん、そういうのって警察関係の連中がやるんじゃねぇのか?」

「ああ、通常なら遺体の検案は警察嘱託医が行うんだけどな、ウチの場合は警察が介入しない特殊な案件を扱う。だから警察じゃなくて政府の要請で動く」

「政府の極秘要請なんて、何か映画みたいな話ですね」

高山がそう言うと黒木は一度大きなため息をつき首を数回横に振った。

「聞こえはいいけどな、実は何て事ないただの政府のご機嫌とりだ。政府の都合のいいように遺体の検案を行い、政府の都合のいいように死亡検案書や死亡診断書を書く」

「よくわからないですけどそれってつまり・・・・・・」

高山は助けを求めるように恋太を見た。

「そうだ。多分アンタらが今想像してる通りだ。確証はないけど黒木家は医者としてやってはいけない事をしていた。その見返りとして黒木家は今の地位を得た。俺はまだ遺体の検案に関わった事はないが、多分親父は政府と何か取引をしていたはずだ」

「親父さんからは何も聞いてないのか?」

恋太が問いかけると黒木の表情が一瞬険しくなる。

「親父は1ヶ月前に失踪した」

「失踪⁉︎」

高山は思わず声をあげた。

「すでに緊急事態かよ」

「俺が医学の勉強を始めた頃に親父から梟と黒髪の話しを聞いた事があるんだ。俺にとっちゃどうでもいい話だったから全然気にしてなかったけどな。でも今思い出すと特殊な話だったから結局親父に色々質問しちまったのをはっきり覚えてる。親父が失踪した時にこの事を思い出した。だからもしかしたら親父の失踪はこの事が関係してるんじゃないかって思ったんだ」

黒木が話しを区切り一呼吸つくと、恋太は立ち上がり冷蔵庫からコーヒーとコーラを取り出し、コーヒーを高山に放り投げ自分はコーラのフタを開ける。黒木もそれに便乗し、姿勢を楽な体勢に少し崩し飲みかけの烏龍茶を一口口にする。

「親父さんは何でお前に梟と黒髪の話をしたんだろうな? 政府の中ですら極秘の話しをよ。政府から仕事の要請があるからって役人じゃない親父さんがそんな事知ってる理由は考える限り1つしかねぇよな。クロ、お前の親父さん梟のメンバーなんじゃないのか?」

恋太が梟という言葉を口にした瞬間黒木は額に手を当てて数秒考え込む

「恐らくその通りだ。俺もそう思ってる。でも何で親父が俺にその話しをしたのかはわからない。とにかく俺がまず最初に話したかった事は梟、黒髪、親父の失踪、この3つだ。それを踏まえた上で俺の依頼を聞いてもらいたい」

「やっと本題だな」

「おれが依頼したい事は2つ。まずは渋谷ストリートハッカーズ。そう呼ばれている奴らを探して欲しい」 「ああ? お前もかよ? 今日店に来た警察にも同じ事聞かれたぜ」

「じゃあやっぱりアンタ知っているのか?」

「いや、残念ながら俺は知らねぇな。だがお前も警察も何でその渋谷ストリートハッカーズってのを知りたがる?」

知らない・・・・・・恋太のその答えに、黒木は急に押し寄せてくる精神的疲労を必死に押さえ込みながら反応する。

「嘘か本当か、数年前にテロなみの事件と窃盗を繰り返してた『鴉』って窃盗団を警察より先に捕まえたらしい。その情報力と力を買いたい」

「ええ!? マジですか!? 鴉って警察が捕まえたんじゃないんですか!? 警察が遂に捕まえたってあんなにテレビでやってたのに・・・・・・」

「ふーん・・・・・・」

「噂を耳にしただけだからな、ワラにもすがる思いだ。存在するのかしないのか? その真偽を知りたくて渋谷を知り尽くすと言われてるアンタのとこに来た」

「僕も聞いた事ないですね。そんな奴らの話」

「やっぱり都市伝説の類なのか?・・・・・・それともう一つは渋谷のどこかにある親父の隠し部屋を探すのを手伝ってもらいたい。親父を探す手がかりが必ずあるはずなんだ。警察が俺を追っている理由ってのは多分今まで政府がウチに依頼してきた遺体検案の資料だ。それを手に入れたくて俺を追ってるんだ。それ以外思い当たる節がない」

「実際お前が持ってんのか?」

「いや、俺は持ってない。親父の失踪と一緒にその資料だけがごっそり消えてるからな。親父が持ってるか隠し部屋にあるかどっちかしかない」

「なら逃げないで知らないって本当の事言った方がいいんじゃないですか?」

「それはできない。俺を追ってる理由が本当にその資料の事かはまだわかんねぇし、何より今は警察さえ信用できない」

「何かあったんですか?」

「あったなんてもんじゃない。親父が失踪して捜索願いを出してから、事情聴取に来た警察に何となく違和感を感じてな、奴らが帰った後念のために家を調べてもらったら盗聴器が大量に出てきた」

「ええ!?警察がそんな何でもありみたいな事するんですか!?」

「警察だから何でもありなんだろ」

「でもそれだと警察もお前の家に来る前から既に水面下で動いてたって事になるな」

「確かにな」

「黒髪の事は警察に話したのか?」

「いや、話してない。話すつもりだったけど警察の対応を見てからにしようと思ったんだ。そしたらいきなりコレだぞ?捜索願い出した家に事情聴取に来て盗聴器なんて仕掛けるか?どう考えたって普通じゃないだろ?ここまでされりゃ何かヤバい事が起きてるって事ぐらいバカでも気付く。だから逃げてきた。こんな事をされればもちろん黒髪の事なんてこっちから奴らに話す気はない」

「逃げるあてはあったのかよ?」

「そんなあてはない。なかったけどあのまま家にいるのは何かヤバい気がしたんだ。警察に連れてかれるとか、そんなんじゃなくて気付かない内に危険が迫ってるような予感がしたんだよ。よく映画とかであるだろ?知らない内に殺し屋が迫って来てて、間一髪のとこで気付いて部屋を脱出するってシーン。まさにそんな感じだ」

「それからずっと家に帰ってないのかよ?」

「ああ、でも俺もバカじゃないからな。ただ逃げ回ってただけじゃない。アンタの情報収集をして様子を探りに行ったり、親父を探すために逆に警察を監視したりしてた」

「ハハハ、お前ボンボンだけあって頭いいな。でもよ、その政府の要請でやってた遺体検案の資料って、政府にとって都合が悪いもんだとすれば、その資料も黒髪の一部なんじゃねぇのか?」

恋太に言われると黒木は背筋が寒くなり、一瞬震えた指先を隠すように拳を握る。

「とにかく俺が警察に追われてる理由が親父に関係する事であるのは間違いない。だから親父を探し出して一体何が起きているのか、俺が自分の眼と耳で真実を知るまでは警察に捕まるわけにはいかない」

恋太は黒木が話し終えると立ち上がり窓を開け、風に当たりながら外を眺める。

「・・・・・・ワリィけど少し考えさせてくれ。今日は安全に休める所に案内するからよ、明日店が終わる時間にまた来てくれ。それまでに必ず答えを出しておく」

「わかった。それと言い忘れてたけど協力の報酬は1千万だ。良い返事を期待してる」

「いっ1千万!?」

高山は驚きのあまり次の言葉を失った。

「ああ、これは冗談なんかじゃない。それだけ出してでも今起きている事を知りたいって事だ」

恋太は冷静に受け止めると、黒木を送る為に一緒に部屋を出た。高山も慌てて2人に続く。

「とりあえず今日はゆっくり休めよ。休める部屋に案内してやるよ。そこは俺の母親が東京にいる時だけ使ってる部屋だ。絶対に誰も来ないし誰も知らない」

「スマン。恩に着る」

2階にある正規の玄関を通り過ぎ、靴が置いてある1階の店内で靴を履くと、店内の片隅で動く人影が目に入る。

「ん? 何だ? クロ、お前のお迎えか?」

「いや、俺はそんなの呼んでない」

「おい、お前そこで何してる?」

恋太が声をかけた直後、それは暗く狭い店内で突然始まった。全身黒ずくめで覆面をした何者かが突然襲いかかって来たのだ。恋太はそれにいち早く気付くと一瞬で迎撃態勢をとり、殴りかかって来た男の腕を掴み、その勢いを利用して転倒させた。男は一回転しながら床に倒れ込む。

「恋太さん! 何ですかコイツ!?」

「知らねぇ! タカ! クロ連れて下がってろ!」

そう叫ぶと恋太は倒れている男に向かって蹴りを放つ。

「テメェ何モンだ!?」

男は転倒した状態で蹴りをくらいながらも恋太の足を掴み恋太を転倒させる。両者は床でもつれたがそれを機に素早く立ち上がり対峙する。

男は次の動きも素早く、鋭い蹴りを恋太の顔面にめり込ませる。

「恋太さん!」

高山は叫んだ。しかし状況は良い意味で高山を裏切っていた。顔面にめり込んだと思われた蹴りを恋太が寸前で防いでいたのだ。

恋太は即座に反撃に転じ、1発2発と連続で相手の腹部や顔面にパンチを叩き込む。

「やった!」

高山は歓喜の声をあげるがすぐさま我に返る。決着したと思われた勝負が決着していなかったのだ。

男は恋太の攻撃をくらっても倒れるどころか反撃してきた。恋太はそれを上手く回避し、再び対峙する。

「コイツ動きも構えも素人じゃねぇ。しかも相当場慣れした奴だ。クロの野郎こんな厄介なオマケ付けて来やがって・・・・・・めんどくせぇな!」

今度は恋太が先手を取る。パンチや蹴りを連続して繰り出し、暗闇でさばききれなくなった相手に命中させていく。

「やった!今度こそ!」 高山が再度歓喜の声をあげるが、またも決着とはいかなかった。

男は攻撃をくらいながらも強引に恋太を掴み投げ飛ばした。

恋太は厨房に投げ飛ばされて食器や調理器具を収納している棚に激しく激突し転倒した。

食器や調理器具が恋太に降り注ぎ激しい落下音が響き渡る。

「恋太さん!」

男はそのまま恋太を強引に掴み起こし、厨房の壁に激しく何度も叩きつける。男は更に恋太を壁に叩きつけ、壁に押し付けたまま遂に首を絞めた。

恋太の危機にもあまりの展開の速さと激しさに高山と黒木は足がすくみ動けなかった。

「ぐっ!」

恋太は渾身の力で首を絞める手を振りほどこうとしたが態勢で優位に立っている相手の力を上回る事はできなかった。

恋太の危機に黒木は震える膝を叩き意を決すると、大声で怒声を放つ。

「やめろー!!」

男が黒木の怒声に反応し、首を絞める力が一瞬弱まると、恋太はその隙を逃さなかった。相手の急所を膝で蹴り上げ手を振りほどくと低い態勢から回転し、みぞおちあたりに肘を叩き込む。

敵が大きくバランスを崩すと高山が背後からカウンターの椅子で背中を殴りつけ動きが止まる。

恋太は高山と黒木にニヤリと笑みを浮かべると渾身の蹴りを男の顔面に炸裂させた。男は吹き飛びながらカウンターを飛び越え落下して激しく体を打ちつけた。「ハァ、ハァ、おいクロ、こいつ一体何者なんだ? 心当たりねぇのか?」

「全くない。俺が聞きたいくらいだ」

「あ! アイツ起き上がりますよ恋太さん!」

「チッ、しつけぇ野郎だ。お前ら下がってろ」

恋太は上がった息を整え構えると、敵は予想外の行動に出た。最後の気力を逃走に使ったのだ。

男はカウンターの椅子を恋太に向かい投げつけると外へ飛び出した。

「テメェ逃がすか! お前ら追うぞ!」

恋太が飛んできた椅子を回避して男を追走すると高山と黒木もそれに続いた。

「この野郎ぉ、渋谷で俺から逃げられると思うなよ!」

追う者と追われる者、一般的に精神的にも肉体的にも有利なのは追う者だが、恋太は追う者の有利を全く感じていなかった。追いかける敵の背中からペース配分をしているような冷静さと全く迷う様子がない計算性をを感じたからだ。

しかし数分間の追走が続き、恋太と激しく争ったせいか、必死に逃げる男のスピードは明らかに遅くなってきている。

恋太も同様に限界が近づいていたが、疲労センサーよりも警戒センサーの方が最大に鳴り響いていた。コイツを今ここで絶対に逃がしてはならない。逃がしたら必ずまた災いをもたらしにやって来る。絶対に逃がさないという強い意思が敵との距離をジワジワと近づけ、あと少しで捕まえられると確信した次の瞬間、突然1台の車が後部のスライドドアを開けながら恋太のすぐ横を追い越していく。恋太はその意味を瞬時に理解した。

「ちくしょう! やられた!」

そう言い放った直後、敵は車に飛び乗り恋太の追撃を逃れた。

「この野郎ぉ、タダで逃げられると思うなよ!」

そう叫ぶと恋太は通行人が買っていた缶ジュースを奪いとり渾身の力で逃走車に向かって投げつけた。開封していない重いスチール缶は見事に逃走車に命中し、後部ガラスにヒビを入れた。

しかしそんな事はおかまいなく男を乗せた車は猛スピードで去っていった。

「ハァ、ハァ、ちくしょうあの野郎ぉ・・・・・・」

恋太は追走を諦め後ろを振り向くと数百メートル先に人だかりができていた。

「何だあれ? !! まさか!」

恋太は走り出した。人だかりに近づくにつれて悪い予感が頭をよぎる。この悪い予感が的中しない事を祈りつつ人だかりに辿り着く。しかし恋太の悪い予感は的中した。人だかりの中心で高山が路上に倒れていた。恋太は人だかりをかき分けて駆けつけ、高山を抱え上げた。

「おいタカ!! 大丈夫か!? しっかりしろ!? 何があった!?」

「う・・・・・・恋太さん・・・・・・多分スタンガンです。後ろからやられました・・・・・・」

「後ろから!? あの車の野郎か! お前大丈夫か!?」「はい・・・・・・段々落ち着いてきました・・・・・・そんな事より恋太さん・・・・・・クロさんが連れていかれました・・・・・・」

「何だと!?」

恋太は立ち上がり慌てて周囲を見渡したが黒木の姿はどこにもなかった。

「車で連れてかれました・・・・・・すみません・・・・・・」

「そんなのお前のせいじゃねぇ。気にすんな」

恋太は襲撃して来た敵を追走した事を深く後悔した。高山が傷つき、自分を頼って来た黒木がさらわれた。この取り返しのつかない結果を招いた自分が許せなかった。

「ちくしょう・・・・・・何て事だ。タカすまん」

「あの状況じゃ誰でも同じ事すると思います。それよりこれからどうするんですか?」

恋太は肩を貸し高山を立たせると、心配して声をかけてくれていた周りの人達に頭を下げ歩き出した。

「これからどうする? そんなの決まってるじゃねーか。クロを助けてお前がやられた分やり返して、あのケンカ売って来た連中に店の壊れた物弁償させんだよ!」

高山は笑った。可笑しくて笑ったのではなく、嬉しさで笑った。黒木と関わりをもち、こんな危険な目にあったにもかかわらず、何故か恋太の力強い決心が嬉しかった。

「それにクロとお前には助けられた借りがあるからな。その借りはまずクロを助けてから渋谷ストリートジャックってのを探してまとめて返すぜ。お前の場合はスタンガン野郎に3倍返しだ」

「そいつ俺にも殴らせてください恋太さん」

「おう、やれやれ。それとお前一応今日はウチに泊まってけ。まだ何があるかわかんねぇし、1人は危ねぇ」

「そ、そうですね。わかりました」

こうして長かった1日がやっと終わりを告げた・・・・・・

恋太達は麺屋雷太に戻ると明日に備え、いくつかの手を打ってから眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る