三頁、記憶違い

「しっかし、ずいぶんと若い感じの人だったなぁ、あの騎士団長さん」


先ほど別れた騎士団長を待っている間に、次の町へ征くための準備をする。

酒場では妖精の話や、武勇伝、幻獣の伝説やらで賑わっている。

子供達の騎士団長を慕う声が、酒場の中にも聞こえた。

あんなことがあったというのに、呑気なことだ、そう思う中でアトヌスがつぶやいた言葉は、あるちょっとした疑問を自分の中に作り出した。


彼は、もしくは彼女は、何者なのだろうか。


声は若い。少年、もしくは若い女性のような感覚だった。声の高い男性かも知れない。

身長はそれなりに高く、平均男性から背の高い女性ぐらいはあった。

それだけではない。騎士団長とはいえ、評議会への進言、報告は騎士のつとめではない。

どちらかと言えば、評議会の幹部や国の大臣、偵察に向かった諜報部隊などが報告を行うだろう。何故そんなことがわかるか、と言うと、近くで酔っている重職と思しき方がそんな事を愚痴っているからである。こっちも呑気なものだ。ある意味平和なのかもしれない。

騎士は民を守り、また民を鎮め、異変を解決するための実働部隊としての働きが多い。

と言ってもにわかの常識だ、この国は、この世界では常識は違うのかもしれない。

今は素性、その姿、性格と謎が多い。


「謎と言えば、黒装束の男というのは、一体何者なのだろうか。まだ出会ってもいないが」


我々の今の目的を整理してみる。

一つ目、巨大図書館の存在する近隣の町へ征くこと。

二つ目、賢者に会いに征くこと。現在、自分の中での情報源は騎士団長と賢者、図書館のみだ。

そして、新たに出来た三つ目の目的。『黒装束の男』をさがすこと。

黒装束と言うと、あまり良い感じはしない。暗殺者、盗賊の服装というイメージが強いからだ。

今追っている男が暗殺者なら、賢者殺しもその男が現状の犯人という可能性が高い。


「だがまだ証拠がそろっていない、か…。その男を見つけるまでに長くかかりそうだね」


どうやら騎士団長が帰ってきたようだ。途中から話を聞いていたらしい。


「…許可は得られたか?」


「まさか。得られるわけもない」


だろうな、と思いつつ準備を進めようとした時。騎士団長から待ってくれ、と声をかけられた。


「だが、調査の助けになってくれ、とは言われたよ。仲間ではなく、監視役だね、どちらかというなら」


気分が悪い。いや、気分が晴れないというべきか。

何もやっていない―――むしろ、事件を解決させた―――というのに、エントの中から人骨が出て来たというだけで「あの男から危険な香りがする」と嘘を吐かれたあげく、監視役を進言したのはその騎士団長だというのだ。

信頼を得るためとはいえ、あまりにもお粗末だろう、そう愚痴をこぼしたが、


「私だって君たちの監視役になりたいとは毛頭思わないさ。嘘も方便ってね」


この調子だ。こうなれば、この妙に生意気さを感じさせる騎士団長の謎を今にでも解いてやる。正直言って、自分はそこまで辛抱強くない。それにどちらかと言うなら疑問は明かされるべきと思う側だ。

そう思い、兜を思い切り後ろからつかんで――――


…!?


「…おいおい、外れやすいんだから、気をつけてくれよ?頭を撫でるならもっと優しく―――」


そうではない。おかしい。頭がない。そこにあるはずの堅く、毛の生えた、脳が詰まった物体が。

ぽっかりと存在していない。


「ん?あぁ、私はデュラハンなのさ。元はここの騎士団長で、今も―――ん、どうした?」


どうしたもこうしたもない。自分に表情はないにしたって、これには驚きを隠せない。

アトヌスの方を見るが―――あまり驚いていない…。知っているのか…?

それにしてもひどい冗談だ、あろうことか騎士団長が魔物だったとは。


「魔物とは失敬な。もう少し霊的存在を敬ったらどうだね?とはいえ、私もこの体になるまでは信じていなかったがね、霊的存在は特定の存在にしか感じることさえままならないらしいからね」


それ以前に、何故評議会はこいつ―――もとい、騎士団長―――を起用した?

この世界、魔物はごまんといる。自分が狩っているのは人間から変容した魔物であって、自然発生した、独自の文明や生態を持った魔物は標的ではない。それにしたって、魔物を都市の中枢に味方として起用するなど…

待て、デュラハン?確か、さっきの酒場でデュラハンは妖精だと聞いたが…


「…あっ、そうだ、デュラハンは特殊な妖精でさ、憑依するんだよ、人の魂に。鎧だとかに魂をつなぎ止めようとするんだとさ。きっと善意だろうが、人にも霊にも迷惑なんでアンシーリーコートとして記録されてる。女妖精だからなのか、憑依された魂が男だろうが女だろうが、結局は女性の霊としてつながれちまうのさ。声はそのせいか、団長さん?」


当の本人は兜が乗ったおかげで辛うじて判断できる状態で、首をかしげた。


「それが、私もよく覚えていないんだ。どうやら代償に記憶を多少なりと奪われたらしい。ありがた迷惑な上に記憶を奪うとは、善意というより無意識の悪意だな。今後出会うことがあるなら記憶の代わりに服をはぎ取って売ってやろう」


騎士団長とあろう者が、ひどい発言だ。これでは山賊と変わりない。

だが言いたいことはもっともだ。記憶を奪われることほど不安なこともそうそうない。

…また疑問が浮かんだ。

自分の記憶。よくよく考えなくても、自分の記憶はかなり疑わしい。まるで頭を弄られたかのようだ。だが、それ以前に恐ろしいのは、自分の生まれが思い出せない事だ。何故か頭の中で「つい最近目覚めた」という感覚と「古くからこの世界にいた」という感覚がぐるぐると答えを求めている。どちらが正しくても、どちらにも矛盾が生じるのだ。もしこの世界に元々いたというのなら、この活気のある町も、少なからず妖精、精霊の話も覚えているはずだ。つい最近に目覚めた、もしくはこの世界に産み落とされたなら、記憶が無いことも頷ける。しかし、自分の記憶には、おそらく今よりもずっと過去の記憶が残っている。自らの起こした大虐殺。それを裏付けるような処刑の感覚。

そして、「神」の声―――――――

自分は人形だ。何もかも信じられなくなる前に、そう思い直した。

皮肉だ、自分が操られているという自覚が、自分の精神を繋ぎ止めているとは。

心配そうにアトヌスが顔を覗き込む。


「おい、大丈夫か…?今すぐ出発しなくても、少し休んでからの方が良いんじゃ…あんなことがあった後だし…」


心配は嬉しいが、それどころではない。ただでさえ黒装束の男の身元が不明なのに、これ以上動かれると本当に影に消えてしまう。


「いや、大丈夫だ…寝るのは野宿でも出来る」


「野宿?まさか、旅で使う枕を硬い石で代用でもするのか?駄目だ、ただでさえ野宿自体危ないのに…」


騎士団長がそう言うと、リングを操作して、何かを手配した。その様子を見て、


「じゃあなんだ、乗り物でも用意してくれたのか?」


と言うと、ハッキリとした答えが飛んできた。

ご名答!

相手はそうさらっと答えたものの、街…いや、国を巻き込んで移動するのは気が引ける。あまり目立つと黒装束の男に先読みされて移動される可能性もあるからだ。いつ襲われるか分からない、だが無いよりはマシかと考えて町の外に出たは良いが…ここまで大がかりだとは聞いていない。目的の国まで遠いとはいえ、たった三人を運ぶためだけに、馬車を五台も出すとは。そのうちの三台はチャリオットであり、残った馬車は糧食がこれでもかと積み込まれている。彼女の地位の高さがうかがえる。評議会の幹部の身内なのか?

あまり詮索するべきではない、単純に、いや本能でそう思った。この時点で既に先読みされるだとか、そういう憂いが完全に吹き飛んでいた。

門番が敬礼をして、出発する。その中で一人、走ってくる兵士がいた。先の作戦で開始宣言を行った門番だ。


「お~い!二度と死ぬんじゃないぞ~!帰りを待ってる元上司がいるんだからなぁ~!!」


どうやら騎士団長に言った言葉らしい。言われた本人は「少し恥ずかしいが、期待はされてるみたいだ」と、まんざらでもないようだ。それにしても、騎士団長があの門番に敬語を使っていた理由がやっとわかった。組織というのは、人というのはどうも変わっている。実力主義ならではと言えばそれだけだが。今の言葉から察するに、どうやら死んでいることは大体の人に知られているらしい。アトヌスが驚いていなかったのは仕事柄噂を多く聞くからなのだろう。


そういえば、先の作戦の前に自分が銃を脳天に撃ったときも、一人だけあまり驚いていなかった。

…同類と思われたのだろうか。だとしたら大正解だが。


「……少し、次の町へ着くまでに話したいことがある。あちらの方の事件の話だ」


唐突に物騒な話を始めるのは構わないが、休息もしていられないだろうことは話から大体わかる。

それにしたって、自分の中で今一番気を遣うのは自分ではなく、仲間だ。自分はもはや死ぬことすら出来ない状態だ。だからこそどれだけ傷付こうとどれだけ疲労しようと、結局はその時いた場所と同じ場所で目が覚める。しかし、人間のアトヌスも、おそらく不死である団長も、何かのきっかけで死ぬのだろうか、そう思うと鳥肌が立つ。団長は魂を縛られただけだ。きっと、鎧が潰れたりでもしたら、いなくなってしまうのだろう。アトヌスは言わずもがなだ。

しかし…自分勝手すぎやしないだろうか。自分の都合だけで、彼らを縛り続けるわけにもいかない。

少しため息をついた団長から事件の話を聞き始める。


「その事件というのは、あちらの国内に魔物が発生したと言うことだ。本来であれば、あの国には魔道結界、大図書館からの魔法重力がかかっているために魔物が国内に発生することはない。噂によれば、その魔物は君が今討伐し続けている変化した人間かもしれないそうだ。またある噂だと、それは魔物ではなく、別の魔法生物かもしれない、と」


「…急いだ方が良さそうだな」


「待て、まだ話は終わっていないんだ。ここからがかなり怪しいのさ。…現場に例の黒装束が現れたらしい。魔物が人目についた同時刻にね。まだそれが追っている男とは言えないが、先の町の騒動、あれが発生した前にも、黒装束の男が現れている。おかしいと思わないか?こんな短時間で、同じような動きの男が現れるなんて。それも大体四、五分程度の時間しかかかっていないんだ。あり得ないはずなんだよ。瞬間移動装置なんてここ最近設計図が技術連合の集会で少し触れられただけで、ここまで早く試作型を作ることすら無理なはずなんだ」


言っていることがよくわからなかったが、異常な速度での移動は不可能であること、そしてそれに似た移動を例の男が行ったのは大体理解できた。

それに、どうやら技術は相当進んでいるらしい。銃に改造で魔法弾を搭載できるわけだ。だが随分と飛んだ話だ。瞬間移動装置があれば、流通は上手く回るだろう。まだ設計図の段階だと言うことはある意味期待と不安の入り混じる状況かもしれない。どちらにせよ、少し触れられた程度ならその技術連合とやらの中でも重要度はさほど高くはないのだろう。


「そういや、唐突だけどさ、団長さんはどれぐらいまで記憶が残ってるんだ?」


「さぁ、どうだろう…あまり考えないようにしているんだ。戦いの間でも記憶の無い空虚感があったら、きっと仲間どころか自分を守ることさえ出来ないだろう。…いや、今のは言い訳かもしれないな」


しんみりとした声が馬車の中に響く。馬車の車輪が回る音と妙に合っていて、どこかさみしさを感じさせた。


「私はね、怖いんだ。もし、自分が恐ろしい怪物だったら…?もし…もし自分が、本当は何も知らない、遠い何処かの街の人間だったら…?そんなことはまず無いとは思う。だけど、可能性がないとは言えないじゃないか。今の私が、今までこの世界に居た私が消えてしまうことが、私にとっての最大の恐怖なんだ。霊であることや、元の記憶が戻らない事に抵抗はないが、自分の記憶が全て消えてしまうのは我慢ならない。カリオンという名前が奪われなかっただけ良かったかもしれないね」


「……なんというか、その、申し訳ない…」


構わないよ、とカリオンは優しげな声で答えた。記憶が消えたままで良いとは、変わっている。だが、わからない訳では無い。自分でも思い出したくないこともあるだろう。記憶を望んでいるのではなく、記憶を失ったことも含めた自分を失いたくない、これ以上消えたくないという執念なのだろうか。

どちらにせよ、自分にとっては彼は、彼女はここに居る。鎧と霊体だけの姿になっても、今は新しく迎えられた仲間なのだから、そんなことは関係なくなる…多少どころではなく無理があるかもしれないが。


「…その恐怖も、消えると良いな」


「もしそんなことがありうるなら願ったり叶ったりだがね、心というものはそうはいかないものさ。障害を取り除いても、いつかまた戻ってくる。病と同じ、いつか戻ってくるんだ。そう、たとえば、自分がこの世界の存在だったとしよう。それでも、自分が人間だという保証はない。もし自分が正真正銘この世界の人間なら、それはそれでまた新しい病にかかるだろう。自分はなぜこうなんだ、とか、自分にはなぜこれがない、とか。曖昧だけど、その分おぞましい」


今の発言も、伝えたい事がわからなくはない。だが自分には「心」という単語が妙に弱々しく感じた。ただ、「曖昧だけど、その分おぞましい」という言葉にはかなりの重みを感じた。自分はもはや曖昧の塊と化していそうではあるが、肉体まで曖昧になりたくはない。曖昧になるのは記憶と自分の心で十分だ。だが犠牲は失敗の連続を生むものでもある。たとえば、どれだけ手を尽くしたところで不治の病は治すことが極めて難しいだろう。治せずに死んだ患者からまた感染するかもしれない。それどころか、手を尽くした医師は遺された人々に「人殺し」と呼ばれて、それを背負い続ける人生を送るのかもしれない。何もかも極論だが、どちらにせよ全て曖昧だし、個人的に曖昧なものは好きじゃない。自分を含めて。


「…すまないね、変な話をしてしまって。あっ、ほら、見えてきたよ。我らの最初の目的地、大図書館の国だ」


馬車が止まり、自分たちの体も十分に休まったところで、馬車を降りる。

目の前に広がったのは、どこか機械的なパイプや、それについている薄く輝く水晶。さらに、遠くから見ても巨大な図書館…いや、これは…浮遊図書館、か?

驚くことに宙に浮いている。しかも、その浮遊する図書館の底には、輝く何かがついていた。


「珍しいかい?まぁ、初めて見る人は珍しがるだろうな。あれはね、錬金術の一つなんだ。人工の太陽なんて、一昔前は冒涜的だとか、危なすぎるだとか、批判的な意見が多かったんだけど、ある魔術師が、錬金術で限りなく小さい太陽と同等の塊を作り出したんだ。触れても熱を感じない点と、紫外線を発しない以外には、太陽と同じ状態だったらしいよ。あれは成長し続けている。だけど、最近成長が止まったんだ。その魔術師はここに未だに住んでいるらしい。一度見てみたいものだ」


「どんな原理で浮いているんだ」と言う前に、近くの子供が、おそらく別の町から来たであろう子供に、自慢げに「あの図書館って浮遊石で浮いてるんだぜー!」と話していた。なるほど、よく見ればどことなく紫に似た色でゆっくりと点滅している。例の浮遊石が含まれているのだろう。


「やーい!弱虫ー!」からかうような声が聞こえた。視線を向けると、複数人の少年が大きな帽子をかぶった少年に群がっている。…いじめか?いじめられているであろう少年はうつむいて、何も言わない。


「なんだありゃ…気分悪いな…よし!」そう言ってアトヌスがいじめっ子のグループを割って少年に話しかける。「ごめんだけど君、ここの町に詳しいかな?」帽子の少年は何も言わない。すると周りの子供達が、「そんな頭悪い奴に聞いたって分かるわけないよ!」と少年を馬鹿にした。アトヌスは少し待って、また帽子の少年に「何かこの町の事でわかる事無いかな?」と言った。…いじめっ子達を無視しているようだ。


「おい、兄ちゃん、さっきも言ったけどそいつは頭悪いし、よそ者なんだ!知ってるわけねぇんだよ!」


そう言ったいじめっ子に合わせて、取り巻きのように他のいじめっ子達が「そーそー」と言った。それを聞いて、アトヌスは、


「そんな事を言ったら俺だってよそ者さ、それに頭悪い、だって?この子は魔術師だろ?頭悪かったら魔術なんて理解出来ないし、君達の方がよっぽど何も知らないガキンチョだろうが、えぇ?言っとくが俺は『危ない人』だぞ?」


と言って、歯を少し見せるように、にやりと笑った。


怖がったのだろうか、いじめっ子達は即座に逃げ出した。…何が怖かったのだ?

アトヌスは「ガキなんてざっとこんなもんさね」と得意げに戻ってきた。後ろを見ると、帽子の少年がアトヌスの腰巻きをちょんちょんと引っ張っている。「おっ、坊やか、どうしたー?」とアトヌスが聞くと、


「あ、あの、さっきはありがとうございます…あの、僕で良ければ、何か教えますよ」


とおどおどして答えた。


「ちょうど良い、彼に教えて貰おう。君、お父さんやお母さんにも話を聞いて良いかな?」


「父も母もいないけど、お師匠サマなら…何か知ってるかもしれません」と少年が答えた。


「ごめんね、気を遣わせてしまって」


少年の後をついて行く。人混みをかき分け、図書館から戻ってきた魔術師団を横目に見ながら、路地の奥にある古い家屋に来た。「どうぞ、僕とお師匠サマの家です。…ただいまお師匠サマ」短い階段を登って、ドアを開ける。中はかなり変わった雰囲気だった。豪華なような、どこか懐かしいような。少年が「こっちです」と地下室に降りていった。降りた先には…


「危ない伏せて!」突然瓶が顔面に飛んでくる。間一髪でキャッチし、少年の師匠と思われる人物に渡した。


「おおう、ナイスキャッチだね。…ところで君たちは誰かね?」


「お師匠サマ、この人達、いじめられてた僕を助けてくれたんです」


「おや、それはそれは…ありがとう旅の方。ボクの愛弟子を守ってくれたんだね」


師匠はまるで…魔物のようにも見える。気になってそのことを聞こうとしたが、「この姿には突っ込まないでくれよ?大した犠牲じゃないが、必要な犠牲さ」と言われ、口をつぐんだ。だが気になる事がもう二つある。何故瓶が飛んできたのか、近くの瓶に入っている輝くものは何か。


「あぁ、さっきは申し訳ない、うちの試作ホムンクルスが暴れちゃってね…それとそこに入っているのは次の太陽さ。あの太陽はもう20年たつと死ぬ。新しい太陽が必要なんだ」


この男、心を読んだのか…?いや、もしや、こいつがこの街の賢者なのか?『賢者なら何かの能力を使える』という何の根拠もない予想だが。


「その通り、ボクはこの国に住んでる…もとい、幽閉されてる賢者。錬鉄のメギストス。ギストと呼んでくれたまえ」


全くの根拠もない予想だった。だが、気になるのは、心を読む能力があるのか、ということだ。


「そうだよ。制御は出来てないがね。…ところで、普通に話さないか?周りみんなが意味不明だって顔してるよ」


「…申し訳ない」「いや良いんだ、答えてたボクも悪いさ」賢者との最初の会話がこんな会話だとは思わなかった。


「さて…ボクを訪ねてきたのはどうしてかな?魔術を習いたいならほかの所に行きなさい。面倒臭いし、ボクはまともに魔術を教えないからね。弟子ももう間に合ってる」…冗談なのだろうか。いや、冗談ではないかもしれない。嘘か真かわからない事を言う。自分は事情をすべて教えた。心を読まれるなら、隠し事なんて意味が無い。むしろ後ろめたく思われるかもしれない。


「ふ~~む…ボクは専門外だな。図書館に行ったら?」そう、そうだ、馬車に揺られて忘れていたが、我々は図書館に情報を求めてここに来たのだ。「…なんて、冗談だよ。ほら、これを持ってお行き」…手帳を手渡された。なんだこれは…『オード・ケツァロス国図書館 重要図書許可証』?


「ここ、かなり情報を封印している部分があるんだ。ボクはここから出られないし、ボクはあそこが退屈で仕方ないから、君達にあげよう。…そうだ、ミシェル、彼らの道しるべとなってあげて」


「はい、お師匠サマ。…それじゃ、皆さん、お茶を飲んだら行きましょうか。美味しいですよ、毒も入ってません。僕が入れたお茶ですから」いつの間にか、お茶が出されている。どことなく自信を感じられる一言だったが、自分ではその味の感想をしっかりと伝える方法がわからない。『神』か何かのせいで冷めた顔になったうえ、味もきっと分からないからだ。アトヌスを見ると、非常に美味しそうな表情をしていた。


「・・・お二人は、飲まないのですか?」どこか悲しそうにミシェルと呼ばれた少年が言う。相当な自信作だったらしい。仕方なしに飲み干すと、驚いた。本当に美味しい。顔に出すのは難しかったので、精一杯笑顔を真似た。

心を読まれているとわかっていたが、ギストは何も言わなかった。カリオンは…兜を脱いでいる。しかも茶を飲み干していた。…どこに消えたんだろうか…。ミシェルも驚いている。「まさか本物のデュラハンに出会えるなんて思いませんでした」と聞いてから、その驚きは感激の方だとわかったが。表情をあまり変えていない事に、どこか似ていると一瞬思った。


「…皆さん、忘れ物はありませんか?」ミシェルが心配してくれた。今のところ、失ってはいけないのは…例の許可証と、武装、あとは…特に無い。これで準備は整った。


「それじゃ、いこうか!さてミシェル隊長、目的地への道案内を!」


「は、はい。こちらです」たまに出るカリオンのテンションは良くわからない。ある意味、そのテンションがあの街で慕われる要因の一つとなったのかもしれない。


そうして、例の大図書館にたどり着いた。…のは良いのだが。

ここから、どうやってあの空に浮かぶ館に入るのだろう?

あの図書館は見るからに厳重だ。遠目から見ても、鍵が何個もついている。

内部に、罠はないだろうか?特に、おそらく確実に見ることになるだろう、重要図書の棚には。

そんな疑問や警戒が、頭の中で駆け回る。


「ご入館の方は、この箱にお乗りください」そう言って、一人の女性が誘導する。おそらく図書館の職員だろう。その箱は、一つの金属の棒に、くくりつけられるような形で密着していた。ふと見ると、ほかの箱が、空へと、図書館の入り口へと登っていく。


「ここに初めて来る方々は、エレベーターをみんな不思議に見るんです…さっきの太陽も含めて。僕たちにとっては日常の一部なんですけどね」


そういった、たまに見かける驚きの表情が好きだと、ミシェルは言った。

人間は、儚いながらに、いくらかの楽しみを見つけて、一生を終える。記憶が無いせいで、その理から自分の意思も関係なく脱してしまった自分が、ひどく滑稽に、かつ疎ましく思えた。だが、紛れもない現実である。空に浮かぶあの建物も、空へ登るこのエレベーターと呼ばれる箱も、自分という人間の皮を被った怪物と、それについてくる仲間達も、何もかも、目に映るものは現実だった。どれだけそれが皮肉で、滑稽なものであっても、この世界には、魔法がある。魔法の存在と、何よりあり得ない生まれ方をした自分がこれらを決定付ける最もらしい理由になった。エレベーターが魔法で動いていないとしても、この国には錬金術がある。それに、この街はどこか機械的だ。建物も、山や森にあるような三角屋根ではなく、角張っていて、堅牢だった。中には、浮遊石がついている家まである。図書館に圧倒されて気付いていなかったが、空を見れば羽のようなものが生えた細長い箱が空を飛んでいた。進む方向と逆の部分から、白い煙が出ている。さっきの街から一変して、技術が発達したように思えた。


扉の前に来た。この水晶に触れてください、とミシェルが言う。せっかくだから、初めて扉を開くときの表情を見せてほしい、と。だが、自分にはその表情を行うための感情を、表に出すことが出来なくなっている。少し前の会話から察するに、カリオンはきっと、ここに来たことがあるのだろう。アトヌスは観光気分でここに来ていた。自分も、せっかくだから、と理由を付けて、アトヌスに扉を開けさせた。扉に付けられた水晶に、光が灯る。光は細部に付けられた硝子のパイプを通る。すると、扉の至る所についていた歯車が動き出した。ゆっくりと、だがそれなりのスピードで、扉が開いていく。素人目で見ても、評価されない方がおかしい技術だと思った。完全に開いてから、全員で前に足を踏み出し、中へと入った。


中は非常に荘厳な雰囲気で、そして静かだった。聞こえるのは、ページを捲る音、誰かが発したくしゃみ、足音、そしてかすかに聞こえるゆっくりとしたテンポの音楽だけ。広すぎる、ともとれるほど、広大な図書館だった。


「まずは、ここの地図を見ましょう。未だに迷って出られない人もいるらしいですからね」


静かに、小さな声でミシェルはそう言い、案内板へと向かった。

…少しだけ、思ったことがある。彼の言ったことに嘘や偽りはないだろう。だが、聞こえたことが物騒すぎる。

出られない?それは行方不明者がいるということなのか?そう聞いたら、静かに頷かれた。気が滅入る。今、自分達は迷宮に足を踏み入れようとしている。もしその頷きが本当のことならば、そういうことになってしまう。だが、その後聞いた「といっても、つい最近になって地図が至る所に書かれたおかげで、いくらかマシになったんですけどね」という言葉に、ほんの少し救われた。それでも、その発言には不安が残る。表現できない心のどこかで、不安が強く主張していた―――――「ここは危ない、何かがおかしい」と。まだ、その原因が何かはわからない。それでも、計り知れない不安感があった。


案内板や、ミシェルの先導、道の途中にあった地図を頼りに、まず見つけたのは、「神」という存在についての文献だった。ミシェルの話によると、「本には、その危険性や重要性を基準に作られたセキュリティレベルがある」らしい。この「神の所在、その存在」というタイトルのセキュリティレベルは、4だそうだ。0~9まであるセキュリティレベル(以下、SLとする)は、0~4までは、誰でも見ることが出来るらしい。5~7は、重要な役職に就いている人物、もしくは例の許可証を持っている人間のみが、見ることが出来るという。8、9は、許可証を持っている人間しか見ることが許されず、また、9は「禁書」だそうだ。SL9の書物の一つに、かの「ネクロノミコン」が該当するらしい。

選定基準はさらに細かいらしく、これ以上言おうものならすべて口にするまで一晩以上はかかると言われている。いかに厳しく選定しているかがよくわかる。だが、SL9のものは、その選定を「人々の噂」に任せてしまうことも多いらしく、中にはほかの街で英雄と称えられた人物の書き残した手記が、SL9とされる事も珍しくないのだという。


「神か…」


この本を読み解けば、何か繋がるものがあるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、それを読み始めた。


「前書き」と記されたページに目をやる。


神とは。

ある人間は、「それは恐ろしく、そして慈悲に満ちあふれている」と言う。

またある人間は、「それは無数に存在し、我々を見守っている」と言う。

ほかにも、「ひどく曖昧で、さらに言うなら魔法の祖である」「不可思議ながら我々の見る現実を形作るものである」「ちょー凄くてちょー強い」などなど、とにかく曖昧なものであると言うのが通説である。

この本は、そんな無数の考えに基づいて書かれたものであると同時に、これからこの本を読む読者に、一つの考え、答えを導き出して貰うための道しるべでもある。   ~神学者クリウス・メトロジスタより、灯火を添えて


前書きには、簡潔にあいさつが書かれていた。もう一度、表紙に目をやると、「筆者 クリウス・メトロジスタ」と書かれていた。だが、タイトル以外に記されているのはこの筆者の名前だけである。このクリウスという人物が、この本に記されている事をすべて調べたのだろうか。第一章を見ることにする。


第一章 神の定義、それの否定


まず第一に、神に対しての固定観念は捨て去って貰いたい。読者諸君は、「土着信仰」を聞いたことがあるだろうか。人々が生まれ育ち、そして愛した故郷。どの街にも、何かしらの信仰は残っている。それの対象は、英雄かもしれないし、精霊かもしれない。また一部の地域ではある存命の人物だと言う。だが、その中に、我々の言う「神」が存在している。神とは、まず第一に、たった一つだけのものではない、と言いたい。それこそ、宗教というものが存在せず、民族特有の神話でさえ存在しなかったならば、一人一人の考えに神がいるかもしれない。それは想像の域を出ないが、神とはつまり必ずしも「これだ」というものは無い。確実に言えること、それは「神とは信仰の中に生まれるものである」と言うことだ。


ここまで読んで、自分の頭に痛みが走った。それも単なるものではない。激痛だ。思わず顔をゆがめてしまうほどの。近くの人に「大丈夫ですか!?」と言われ、周りを見るまで、自分が突然に大声を出したことに気がつかなかった。


「大丈夫か、旦那…びっくりしたぜ、二重の意味で」


「…二重…?それは、どういう…」


「だってよ、そりゃ突然の声でびびったのもあるけど、すごい顔してたんだぜ、あんた。苦しい、って言うから、仮面外したんだけどよ、目をかっと開けて、顔ゆがめて…火に焼かれるみたいな顔してたぞ」


苦しい、だと?自分はどこも苦しいと思っていない。ひどい頭痛だけで、それ以外は何も起こらなかった。強いて言うなら、今この本に触れようとしただけで、謎の恐怖を感じることだ。試しに、勇気を振り絞り触ってみる。



激痛。


激痛激痛激痛。


ひどくおぞましい、まるで地獄にいるような激痛を味わった。

今度は、自分の叫び声がはっきりと聞こえた。表れるはずのない、痛みの感情が。今ここに、表れた。

今度はなんて皮肉だ?まさか自分を苦しめる瞬間が、自分の感情を顔に出す条件だとでも?マゾヒストじゃないんだぞ。


「く…くそッ、クソッタレがッ」


「お、落ち着いてください!本に当たったって何も解決しませんよ…!」


今度は子供であるミシェルに、一瞬だけ現れた憎悪に満ちた行動を止められる。これでは、まるで狂人じゃないか。いや、狂人だ。今思えば、自分は生前虐殺の限りを尽くしていたじゃないか。狂人でないわけがないのだ。

あぁ、くそッ。よりによって最初に現れる感情が負の感情とは。いつか考えて、心の中にとどめていた悪い予感が、旅を始めて早々当たってしまった。


「あ、あの…何かございましたか…?」老年の紳士が、話しかけてくる。

良かったら、これを―――――

そう言われて渡されたのは、金だった。


「あなたがた、旅の方なのでしょう…?これを旅の資金に使ってください」


その老紳士は、自分たちの付けているリングと同じリングを使って、自分たちに金を送った。

その総額、なんと2,000,000。

庶民では普通手に入らない、いや、旅人が持ってはいけない金額だった。

さすが金持ちは羽振りが良い。そんな皮肉を言おうとしたとき、その老紳士がこう言った。


「突然で申し訳ないのですが、どうかその資金を受け取る代わり、私の頼みを聞いてはくれませんか…?」


その老紳士は、涙目になっていた。どうやら、我々に先に金を払って、成るべく断れないようにしてまで、頼みたいことのようだ。ここの館長らしい。断ろうにも断れない要素がいくつも出来てしまった。一度気持ちを落ち着かせて、「用件を聞こう」とだけ、館長に伝えた。


「どうか、私の娘を探してほしいのです」彼は、そう言って、この図書館の地図を、正確に言えばその地図に少しだけ加筆されたものを渡してきた。印には言葉が添えられている。「ここで突然消えてしまってから、見かけていない」と。これがどんな意味を持っているのか。印の場所にたどり着くまで、それはわからない。迷宮に迷い込んだ女性を相手に、無謀とも言える捜索が始まった。

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