神喰らい
「分かってない? わたしが? ふざけた、こと、を……ッ!?」
ミトラスの言葉が小さくなり、その表情が驚愕の色を浮かべた。
言いながら俺の言葉の意味を理解したらしい。
「そうだ。ここは深層心理の世界。もちろん、今頃地下で倒れている俺とオウカのな」
理が倒されたといっても、まだ死んだわけじゃない。少しずつ力を失いオウカが目を覚ましたところで完全に消滅するのだろう。俺の推測は当たっていた。だからこそこの空間がまだ維持されている。
「残念ながら死んだ? 分離した? 煽るために適当なこと言ってくれたな。
オウカの精神はまだ切れちゃいない。まだ繋がっている。
繋がっているなら当然、精神をくっつけることも可能だよなあ?」
「この世界の精神と重ねて現実に戻る気なんだね。上書きしちゃうんだ。この世界の君たちを殺して」
「それは違うな。一番最初の俺たちからここまで続いているんだ。ここにいる俺たちも、いま眠っている俺たちも、一本道の上の同一人物。
精神の上書きじゃないぜ? 繰り返された未来の記憶を持って戻るだけだ」
「その実験が、オウカの自我に紛れ込んで傍観者を気取ってた理由?」
察しがいい。俺が現実の俺と結び付けることを可能と言えるのは、俺の意識をオウカの中に取り込むことができたからだ。
オウカに初めて殺されたとき、これが可能でなければここまでの計画は考えられなかった。
「さて、なんで俺が絆喰らいで時を遡れたか教えてなかったな。
簡単な話、俺自身は遡っていない。遡っていたのはもちろんオウカだ。
俺は無我の魔王として殺されたタイミングで、絆喰らいを使いオウカの深層心理に紛れ込んでいた」
「君の能力はキズナリストに干渉するもの。オウカの意識に紛れ込むなんて無理だ。他に何かあるんでしょ?」
「いや、他に何もない」
ミトラスが目を細める。彼女の知り得る限りの情報では辿りつけない。
偽物の女神は全知全能ではない。
「それがお前の見てこなかったものだ。絆喰らいの干渉力を見誤った。
絆喰らいはキズナリストへの干渉じゃない。絆そのものを力にする」
「絆……」
この異世界で絆喰らいは多くの力を見せてくれた。
でもそれが全てではない。
「絆喰らいの能力は七つの罪を基礎としていた。さすがに一年じゃ全部知ることはできなかったし、魔王になった後も全部使えていたわけじゃない。隠し要素はまだあるぜ?」
「その一つが、意識への干渉だというの?」
「これは色欲の力だ。この力はキズナリストでは見えてこない。互いの絆そのものが深くなければ使うことはできない。
俺がオウカの意識にいられたのは、オウカが勇者となってもなお俺のことを想い続けてくれたからだ。
何度も繰り返した一年間で想い続けてくれたからだ。
記憶を失っても思い続けてくれたからだ」
何も無駄はなかった。
オウカが俺のことを、俺への想いを忘れないでいたから、俺の意識がオウカの中から消えることもなかった。
奇跡とも呼べる、だけと確かな意志の結果だ。
「……そうなんだ。いいよ、認めるよ。君の力を見誤っていた。
けどさ――何の解決にもならないよね?」
ミトラスはなおも口角を上げたままだ。
「記憶を増やして戻る。強くなってニューゲームだね!
でも何も変えられないじゃない。君は魔王のままだよ。勇者と戦うのが運命のね。
幽閉番人のルールは変わらない。魔王と勇者のどちらかの死は絶対。
オウカを助けたいなら君の席を譲るしかない。
それともクラスメイトを殺す? できないよね?
君は一番最初に自分を犠牲にする偽善者だ。でなければオウカの愛は嘘だ!
この先の結果は決められている!」
ミトラスは嗤う。悪魔のように嗤う。
愚かな人間の行為だと。無策の齎す無様な結果だと。
そんな様子に、俺は大きくため息を吐いた。
「この状況なら、そこらへんも考えて出てきてるってわかりそうなもんだがな」
「あるんだ? なら見せてよ、この隔離された世界で。
わたしまで拘束してできることを!」
ミトラスが全身に力を入れた。
そこで彼女の表情は固まった。
瞳に僅かな動揺が伺える。
「解けないだろ?」
依然として彼女の身体には絆喰らいが纏わりついている。黒い靄は簡単に振り払えそうに見えるが、ミトラスはそれをしない。否、できない。
「俺がこのタイミングで出てきた理由だったな。
それはお前だよ、ミトラス」
「わ、わたし……?」
ミトラスが声を震わせながらこちらを睨む。
想定外が続いた上に、自力で解けると思っていた絆喰らいも合わさって相当焦っていることだろう。随分と滑稽だ。
「幽閉番人が戻せるのは召喚された三十一人。だが俺はオウカも連れていきたいからあと一席欲しいわけだ。
さてどこかにないかなと探したぜ。オウカが繰り返す一年の中でずっとな。残念ながら見つからなかった」
「なら……」
「そこで考えを変えた」
俺はミトラスの言葉に被せて遮る。
「席ではなく、道を見つければいいと。二つの世界は人を転移させられるよう繋げられているはずだ。ならその道を辿れば戻れるんじゃないかってな。
そう気付いたら答えはすぐ近くにあった。この世界を捨てて別の場所に行った実例があるじゃないかと。その立場になればいいじゃないかと」
「君が探していたのは……
理想の反応に、俺は口角を吊り上げた。
そう、俺は繰り返すオウカの意識の中でずっと待っていたんだ。
ミトラス、お前が目の前に現れるこの瞬間を!
「貰うぞ、お前の席を。異世界へ繋がる道を」
絆喰らい――
ミトラスの足元から波紋が一度だけ広がる。
そして――白い牙がいくつも生えてきて彼女を取り囲んだ。
「わたしを取り込む気なのかな? でも無意味だよ!」
ミトラスは腕を伸ばし、生えてきた牙を一本掴む。
そして力を入れて――しかし牙は折れなかった。
「どうして……」
「まだ分からないのか? お前はもう力を失っているんだ」
「そんなはずはない!」
「お前の力は人々の信仰心だろ? いまここにお前を信仰している奴がいるか?」
「深層心理には信仰心が届かない……!?」
「絆喰らいで覆っているしな」
その為に最初にこの空間を黒く染めたわけだ。
「あはは! やってくれたね! すごいよ君!」
焦りの様子が打って変わって子どものような笑顔になる。
まだ何か対抗策があるのかと疑ったが、無知な子どもが純粋に喜んでいるようにも見えてくるから不思議なものだ。
「でも残念!」
ミトラスは叫んだ。
「神の座を奪うってことは、君がこの世界の神になるんだよ!?
そうなったらこの世界の全ての管理は君に修正されるだろうね!
捨てるの!? 神になった世界を!
君の大切な人がいっぱいる世界を!
わたしと同じように捨てたら、今度こそ崩壊するよ!」
「そうだな。無理にお前の代わりになって、さらにそれを放棄するとなればな。誰かに神様をやってもらわないとな。でないと、さすがに修正だらけで世界が狂っちまう」
「いるわけない! 神になれるだけの力を持った存在なんて! そんなの君と同じく喰らいを持った者しか……」
ミトラスの言葉が止まった。
顔は明らかに青ざめていた。
「気付いたか?」
判断材料は揃っている。
神になり得る者は喰らいの力を持っている奴だけだ。
俺が放棄した時、喰らいの力を持つ者は誰か。
オウカは当然させない。
オールゼロはすでに死んでいる。
「憤怒ってのは絆や力を取り込むためのものじゃない。
怒りで自分を壊さないために、対象を永久の闇に封印するだけの、打ち止めの力だ」
この力に取り込まれた存在は、何もない世界で精神が崩壊するまで生き続けるだろう。
「かつて俺は憤怒を二度使っている。
一度目は学院で戦ったゾ・ルーの魂に。こいつはもう消えていたけどな。
二度目は誰も見ていない、誰も知らない所でだが――お前は検討ついたようだな?」
その相手とはすでに精神の中で話がついている。
時の流れなど気にもしない奴だ。
「新たな神は俺じゃない。あいつがなるんだよ」
ミトラスの足元にある爪を破壊しながら、黒く太い片腕が伸びてきて彼女の両脚を掴んだ。
その腕は溶かされたようにドロドロとした形になっていおり、瘴気のような白い煙を纏っていた。
『クククッ! 感謝ダ! 感謝ヲスルゾ若造!』
笑い声と共に闇の奥深くから覗き込んできたのは青い竜の瞳。
『魔ノ頂ニ立ツ十ノ竜ガ一頭。
影喰ライノ、マスグレイブ・ターフェアイト・ドラゴン、デアル!
神ノ翳リヨ、我ガ腹ニ収マルガヨイ!』
「ああああああああああッッッ!!!!」
ミトラスの絶叫が鼓膜を劈く勢いで響いた。
動かせる両腕でマスグレイブの腕を叩くが、力を失った彼女では対抗できるはずもない。
身体は徐々に闇の中へ飲み込まれていく。
『無駄ヨ無駄ヨ。カノ少女以上ニ我輩モ想イ続ケテイタノダカラ!
コレデ我輩ガ神ニナレル! 任セテオケ、良キ世界ニナルコトヲ約束シヨウ!」
俺になのかミトラスに対してなのか分からないが、ドロドロとした様子で言われても不安しか残らない。
まあでも、こいつの探求心なら大丈夫だろう。
「ツムギいいいいいいいいぃぃぃいいい!!」
ミトラスの叫びの矛先が俺に変わった。
ここでマスグレイブに喰われれば自身が完全に消失することを理解しているのだろう。必死さがいままでと段違いだ。
すでに下半身が飲み込まれて、マスグレイブの腕が彼女の肩と首を一掴みにしていた。
「残念だな、ミトラス。最後の最後までぼっちで傍観者をしていたお前の負けだ。
本当の意味でひとりぼっちだったのはお前だったな。
ひとりぼっちのお前は救うことも忘れ、そして救ってくれる誰かもいない」
「許さない! 絶対に許さないよ! 必ず這いずり出てやる!
君をあの世界まで追いかけて、この罪の罰を受けてもらう!」
「おう、待ってるぞ。俺の世界の八百万の神の頂に立てたなら、その時は罪でも罰でも受けてやるよ」
そんな未来は来ない。ここでミトラスの残照は消える。
これが繰り返した俺とオウカの新たな道だ。
この道に踏み込ませはしない。
「でもここまでの道のりも否定させない。
これは俺だけじゃ不可能だった。
オウカが諦めずに歩み続けてくれたからたどり着いた場所だ。
オウカが何千回と繰り返した分が牙となってお前を喰らうんだ」
「二人ともよ! どっちにも必ず罰を!
わたしが、こんな断片的な力で殺されるわけない!
その力を見誤ってなんていない! それだけが特別だなんて認めない!」
「いや、この力は特別だったよ。
俺とオウカの想いに無限に答えてくれた。これ以外には絶対にないってくらいの、俺たちのための力だった」
「そんなものはない!」
肩まで沈み顔しか見えないのに、いまだ残照は叫ぶ。
その姿に、俺はもう何も感情を抱くことはない。
「それじゃあ、ありきたりな異世界であまりにも無様な女神には、お約束の言葉でお別れとしよう」
俺は親指を立てて下に向けた。
「チートの前じゃ神も無力。大人しく喰われてろ」
ミトラスが何か叫ぶ前に頭が沈み、憤怒の穴は閉じられた。
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