無我の魔王

***


「頑張ったな、オウカ」


 素直な労いの言葉を掛けたのだが、掛けられた本人はこちらを見て固まっていた。


「おーい、どうした? 久しぶりすぎて顔を忘れちゃったかー? 数分前まで戦ってたじゃねーか」


 ほれほれ〜と言いながら頭をわしわしと撫で回すが反応なし。まるで時でも止まっているかのように動かない。


「まあ、驚くのも無理ないか。それはあっちも同じようだしな」


 視線を別へ向ける。俺たちの前に立っていたミトラスは、口元は嘲笑を浮かべたまま、目を見開き黙っていた。


「何を驚いているんだ? まさか女神様がこの状況を想像できていなかったわけないよな?」


 挑発的な言葉を投げかけると、ミトラスの表情が無に変わる。

 無機質とも呼べる視線をこちらへ向けながらミトラスが口を開いた。


「君はさっき現実世界に戻ったはずだよね? どうしてまだここにいるのかな」


「ああ戻っているだろうな――


 そう返すと、ミトラスの片眉が吊り上がる。どうやら理解したらしい。


「そうだ。オウカであった理がいるように、無我の魔王であった俺がいる」


「ぁ」


 突っかかるような息を漏らしたのはオウカだった。彼女は俺を見上げた格好のまま、信じられないと言った様子で口元を両手で抑えている。ここまで理想的な反応を貰えると、これまでの彼女を見てきていたとしても嬉しさが込み上げてくる。

 今すぐにでもオウカとゆっくり話がしたいのだが、それには一人だけ邪魔な奴を片付けなければならない。

 俺は一度しゃがむと、オウカの白い髪に手を乗せて耳元に顔を近づけた。


「すぐ終わらせるから、少しだけ待っていてくれ」


 何百年、何千回と待ち続けてくれた彼女に、これ以上待てというのは酷なことかもしれない。

 だからこそ、早めに決着をつけよう。


 勇者オウカの大冒険はここで終わりだ。

 ここからは無我の魔王の逆襲ってところか。


「大丈夫だから」


 そう言い加えて耳元から顔を離すと、オウカは驚きの表情のままだったが、すぐにその青い瞳は涙を堪えているような力強いものになった。そして全て委ねてくれることを了承するように、無言で深く頷いてくれた。


 俺は立ち上がりミトラスの前に立つ。

 相手も待ってくれていたわけじゃないだろう。突然現れた俺に警戒したままだ。


「あんま冷たい態度をとってくれるなよ。何千年ぶりかの再開だぜ? まあこの世界じゃ結局一年ぶりになっちまうが」


「……どうやら君も時を遡ってたみたいだね。いつから?」


「一番最初からだが? オウカが勇者として俺の前に現れた一番最初。まあそれ以前から刻喰らいが発動していたら俺には干渉できないけどな」


「面白いことを言うね。そもそも絆喰らいで他の喰らいに干渉できている時点でおかしいよ。一体何をしたの?」


「知りたいか?」


 俺はにやりと笑ってみせる。僅かにだがミトラスの目が細められた。


「知りたいよな? だってお前が知り得ない状況が起きているんだもんな」


 ミトラスの表情がさらに冷たさを増す。上辺だけでも女神を気どればいいものを、必要が無いのか、はたまた余裕が無いのか。

 そんな様子を伺いつつ、俺は言葉を続ける。


「喰らいの能力は女神ミトラスの力、この世界での権限が分散して他者に与えられたもの。ゲームでいえばシステムごとに管理者を分けたようなもんだ。一つ一つがその能力に特化しているものの、他の能力には干渉できない……と、お前は思っている」


「違うと言うの?」


「ああ違う。全然違う。外側からしか俺たちのことを見てこなかったから気が付けないんだ。そうだろう――偽物さん?」


 ミトラスの表情からはっきりと敵意が漏れ出した。

 

 ああ、やっぱりな。


 この自称女神はまだだ。


「友愛を司る女神が今更恋愛を見たい? 随分と滑稽な話じゃねえか」


「滑稽なんかじゃないよ。時と世界を越えた一途な愛は、神の力を与えられて初めて到達する領域。わたしがいなければ成り立たない」


「馬鹿か。人の恋は人の力で成し得る範囲でいいんだよ。更に上は「神の恋」だ。そんなもの知らなくていい」


それに、と俺は続ける。


「愛に価値なんて求めてねえよ。互いが認め合えば、それが愛だ」


 その言葉を合図としたかのように、俺の足元から黒い靄が空間に拡がっていく。

 白かった世界を瞬く間に黒に塗り替えた。

 ミトラスは広がる靄を横目に見ながら、小さく喉を鳴らす。


「随分と恥ずかしい物言いじゃないか。君が愛を語るなんて似合わないね」


「そりゃお互い様だろうが。愛について語るほど経験もないくせに」


「そうだね、その通り。にも関わらず、自分たちの愛はこんなのスゴいだの、喰らいの本当の力を見せてやるだのと宣う気? わたしを誰だと思ってるの?」


「残念だが女神とは思ってないぞ? 女神ミトラスはこの世界を捨てた。お前は世界の修正の時に生まれた残照に過ぎない。この世界のシステムを維持するためにな」


「残照? ならなぜわたしはここにいるというの? 残照ならわたしの役割は世界と世界の接続。君みたいな転移転生者をこの世界の形に調整することでしょう? どうしてここに現れることができるの? どうして愛を探求できるの?」


 自分は組み込まれたシステムでないと。自我があり意思があるひとつの存在だと。


「まるで自分に言い聞かせるみたいに喋るな?」


「…………」


 ミトラスは口を閉じた。感情を伺わせない人形のような表情で黙り込む。

 自身のことであるからこそ、その理由を一番理解しているはずだ。口にするまでもないのだ。

 だから代わりに俺が答えてやる。


「確かにミトラスはこの世界を捨ててどこかに消えた。しかしミトラスという存在と信仰は世界に残った。キズナリストという力がある以上、世界はそれを残さざるを得なかった」


 ミトラス自身がいなくなっても、知識として、概念として、架空として、信仰として残っていれば、キズナリストの存在理由が証明出来る。


「信仰される概念のミトラス。そして異世界から人を招く仕組みのミトラス。世界の調整によってふたつのミトラスが生まれた。

 だが、それが間違いだった。世界はミトラスなんて概念を残しちゃいけなかったんだ。負の感情が邪視という力になるくらいだ。当然、信仰心も何かの力になり得る。


 最後の一言でミトラスが俯いた。


「……全部、バレちゃったんだね」


「ずっと見ていたからな」


 ミトラスは確かにこの世界を捨てた。

 世界は魔王を倒したことで役割を終えた。

 それでも存続するために、世界は歪な修正を行った。


 そこで生まれたのは、異世界を繋ぐ役割を持ったミトラスだ。


 役割だけのために生まれたミトラスに自我はなかっただろう。異世界から呼んだものに知識と力を与え目的を伝える。目的を終えたなら与えた力を回収して元の世界へ戻す。


 一回目は魔王の血で幽閉番人カムペの起動したことにより目的が成された。そして俺は力を失った。

 

「魔王として倒された俺も異世界転移者だ。目的が成されれば力を回収される。

 この世界の誤算は、俺が残ったことだ。

 結果として絆喰らいはお前に回収されず、最終的には俺の手元に残っている」


 周囲を包んでいた黒い靄が意思を持つようにミトラスに纏わり付きだす。

 対して彼女は反応を示さない。

 当然だろう。ミトラスの名を持つ彼女が与えてきた力だ。与える者が制御できないのでは意味がない。

 制御できる自信があるからこその態度だ。


「魔王の死によって世界は再び修正を求められる。新たな魔王と勇者の準備だ。

 さて、ありがたいことに元魔王が焔の森でビービー泣き喚いていた。そんなわけで俺は再び魔王の座に戻ったが」


 俺は一度オウカを見る。彼女も長い間で多くの情報を得ている。その表情は俺の話を十分に理解して先も読めているものだった。

 この話はあくまで確認でありなので続ける。


「世界は勇者を必要とした。調達係はお前だ、ミトラス。

 お前は他の世界から勇者となり得る存在を探した。この世界に適し、力を持つに値する強い意志を持った者。

 簡単に見つかっただろうな。なんせ元々この世界で生まれた人物だ。

 オウカがあっちの世界で死んだところを拾い上げて、この世界に転生させた。同時に、ミトラスの力の一つである刻喰らいを与えてな。

 その時点でお前は計画していたな? この長い長い無限ループを」


 しばらくの沈黙。否定の言葉は一向に出てこない。

 代わりに響いたのは、


「ふふ、ふふふ――あはは!」


 ミトラスの笑い声だった。

 次に声を張り上げて言った。


「で?」


 馬鹿にしたような顔で、何一つ悪意を隠す気のない声音で続けた。


「そうだね。勇者が必要になって彼女を見つけた時からわたしは決めていたよ?

 この子に本当の愛を見つけてもらおうって。

 時を越える力を与え、最初の冒険で君を殺す様に干渉して――目論見通り、彼女は時を戻した。記憶が削れることも知らずに!」


 隣から歯の軋む音がした。

 自分の踊らされていた事実を悔やんでいるのだろう。

 それは俺も同じだ。魔王という役割を与えられ、俺自身も記憶を削がれ、結局ミトラスの思惑合わせて動くことになっていたのだから。


「で?」


 ミトラスは再び大きな声で煽ってくる。


「一度力を奪われて、涙と鼻水で顔を汚しながら「オウカぁ」って泣き喚いていた君が今更なに?

 魔王となって負の終着点になった君が今更なに?

 全部終わったところで出てきて、また絆喰らい使っちゃってどするの?」


 一番最初の言わないで欲しかった。すごい恥ずかしい過去なのに。もう何百年前の記憶だよ。一か月後に現実の俺がやる予定の記憶だよ畜生。


「出るならもっと前でしょ!? オウカを助けるなら二周目の時点で出るべきだったでしょ!?

 それを何百年も、何千回も続けさせちゃって! 酷いね! 人間のすることじゃないね! 魔王だもんね!

 いまだってそうだよもっと早く助けるべきだった! この世界でも君が理を殺した理であるオウカを殺した!

 すでにそこのオウカとこの世界のオウカの精神は分離した! 君がそうした!

 残念だけど今回も救えないよ! また戻ってやり直してもらうよ!

 君の登場は無意味だった! 必要なかった!」


 ケタケタと笑うミトラスを俺はじっと見ていた。

 本当は優しい心とか、実はこの世界の人のことを想ってとか、僅かにでも善人的な要素があるかもなんて考えていた。

 特になかったわ。こいつは本当にオウカがどこまで俺を救おうとするか見るためだけに、こんな状況を作ったんだ。


 神と呼ぶ価値はない。


「ミトラス、足元が見えてないぞ?」


 俺は彼女の足元を指差す。

 綺麗な顔で笑っていた表情が固まり、視線だけを足元に向ける。黒い靄が脚を這っているだけで、それ以外は何もない。

 そういう行動をとった時点で、ミトラスの残照は既に俺の計画に飲み込まれている。


「何も分かっていないな。お前は


 俺が現れたことを無意味と言っている時点で理解できていないんだ。

 俺は二回目の魔王を終えたツムギであり、さっきまで理と戦っていたのは一回目の魔王として殺される前のツムギだ。

 

 話を伸ばしている間に、どうやら絆喰らいの準備も整ったようだ。


 ミトラスの残照は知らない。俺たちの物語の外側に居続けたのなら知らない。


 だから絆喰らいに警戒もしないし、俺の長話も気にならない。


 故に未熟と思った。


 それじゃあいい加減――神でも喰らおうか。

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