勇者オウカの大冒険:Bad end

 死んだ。

 私は死んだのです。

 新たな魔王となったあなた様によって殺されたのです。


 消えゆく命が満たされたような感覚。残り僅かな灯火の中で噛み締めていたい。


 それなのに。


「残念ながらあなたは死んでしまいました」


 目の前の女は何を言っているのでしょうか。

 何を残念だと言うのでしょうか。


「ミトラス……?」


 彼女は自身のことをそう名乗りました。

 己の世界を捨て歪なものにした元凶です。私からすれば憎むべき相手です。それがいま目の前に現れたというのです。


 この世界を捨てたはずなのに、戻ってきたというのでしょうか。


 何故、いま。


「妖狐族、ひいてはその器となるあなたの死。それは世界にとって大きな悪影響をもたらします。その為、わたしがこの場に来たのです。この深層心理の世界は現実から外れ、また理からも外れています。だからこそわたしが姿を現すことができるのです」


 私の疑問を見透かしていたかのように、女神は回答を口にしました。

 そうです、この世界は妖狐族を唯一の悪として生かしていかなければならない。その仕組みを担っている私が死ぬなんてことは本来ありえないのです。

 しかし例外はありました。

 神の力、喰らいの能力を持つ相手との戦いです。絆喰らいの能力は世界の在り方にも干渉し得る。当然それは妖狐族を殺すことも可能とします。


「いいえ……あなたの言い分はおかしい。例え私が死のうとも、まだオウカがいる。私の存在が消えたとしても妖狐族そのものは残る。妖狐族さえ残っていれば、それで問題ないはず」


 だからこそ、私はそれを理由にしなかったし、あの方も理解していて私と戦った。


「……そうだね、君の言う通り」


 女神は口調が軽いものへと変わりました。

 あっさりと肯定し、そして続けました。


「君がいなくなっても、妖狐族は残る。

 だけど世界そのものには君が必要なんだよ――オウカ、君がね」


「オウカ……?」


 この女神は勘違いをしている。

 私は妖狐族の器、そして生かすために傍に居ただけの人格、理です。

 オウカは私ではない。オウカと呼ばれ愛された少女は現実世界に戻っている。


「神ともあろう存在が、人違いですか? 言ったばかりではないですか。私はオウカではないのです。私はもう必要ない存在なのです」


「いいえ、何一つ間違っていない。君は記憶を失っているだけだもの」


「記憶……まさか」


「刻喰らいの代償、失った全ての記憶。君にすべて返すよ」


 視界が青く染まりました。


「ま――ッ!?」


 ぐらりと視界が歪み、意識が脳裏に沈み。

 あらゆる記憶が全身を駆け巡り。


 私が誰であったのか。

 私が何を行ったのか。

 私が何を求めたのか。

 私が何を失ったのか。


 私が。


 私が!





 ………………






 …………






 ……





「私が……オウカ」


「そう。君がオウカなの。妖狐族として生まれ、忌み嫌われた存在。唯一愛した者と離れ離れになった存在。罪を背負い無様に生き続けた存在。誰も愛さず、愛されずに終わった存在。罰を繰り返し、想い人を殺し続けた存在。愚か者になり続けた存在」


 そうだ。私は繰り返していたのだ。

 あの日、あの方と別れて、あの方の世界でひとりぼっちになって。

 それが罪の結果だと、背負った罰なのだと受け入れて最後まで生きた。

 願い続けた転生でこの世界に戻り、あの方を殺した。

 あの方を幸せにするために、愚かな行為を繰り返した。


 何度も、何度も何度も。


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!


 そして、


「ようやく、辿り着いた結末が、これだというのですか……」


「結末が決まっていたことは、君自身が一番わかっているでしょ?」


 私は知っていた。あの方に出会ってから決められたオウカの歩む道を。彼と出会い共に旅をする運命を。

 だけど私が見れたのはオールゼロに敗北する瞬間まで。そこでの死は終わりでないことは知っていた。だから手を出さなかった。

 ここまでの出来事は全て自分で選んでいた。そう思っていた。


 それすら決定された未来であったのなら。


「私が出会った時点で結末は決まっていた。私が出会ったことで彼とオウカが結びついてしまった。私が出会ったことで彼の意思を決めさせてしまった。

 私が彼を追い込んだ。

 私が、一番愚かだった……」


 無駄だった。

 私が行うことすべてが無駄だった。

 私が動くことでこの物語が決められていたとしたなら、ハッピーエンドなんてやってこない。

 繰り返せば繰り返すほど、同じ失敗をするだけ。



 変わりのないバッドエンドを迎えるだけ。



 頭の中が、真っ白になった。

 心に大きな穴が開いたようでした。


「…………」


「泣きわめかないのは、偉いね」


 女神は子供にでも声を掛けるような口調で言いいながら笑みを浮かべるのです。それに違和感を覚えるのは、私が彼女を憎んでいるからでしょう。彼女からすれば自分の創造した世界に生まれ落ちた存在はすべてが子供。愛すべき存在なのかもしれません。


 ならば。


「どうして……」


 疑問がありました。


「どうして私を、再びこの世界に連れてきたのですか」


 私は彼の犠牲によって別の世界で一生を終えた。彼女の手元から離れて新たな存在――紡車桜花となって一生を終えました。

 それで罰を終えたのだと思いました。

 でもこの世界に戻ってこれたことも幸福だと思っていました。


 それは私の想いや意思が強かったからではないはず。あるとすれば、私という存在が元々こちらの世界のものだったから。

 それ以外で考えられるとすれば、女神の故意によって連れてこられたこと。勇者としての条件は揃っていたかもしれません。だけどそれは――


 女神は表情を元に戻すと、浮かく考え込む様な動作で目を閉じた。


「わたしはね、盟友の神なの。人の想う心や繋ぐ絆を司ってきた。だからこの世界には人々の心を強さを繋ぐキズナリストがあったの」


 女神は小さな、しかしはっきりとした声で続ける。


「血の繋がった者同士の愛、血など繋がっていなくても、時間と語らいで仲を深めた愛、同じ意思を持ち、同じ目的に向かう者たちの愛。そういった友情や友愛には深く関わってきたわ。だけどね――」


 ちょっとした不幸話のような雰囲気で、彼女は小さなため息を吐いたかと思ったら、その次には瞳を輝かせ、大きな声で言いいました。


「恋愛は知らないの!」


「……は?」


「だーかーらー。わたしは恋愛を知らないのよ」


 言葉とは真逆に、彼女は恋する乙女の様に少しだけ頬を赤らめ、もじもじと腰をくねらせながら続けます。


「約束とか契約の延長で、友情や友愛の守護を務めていたんだけどね。だけど恋愛に関しては多くの神が関わっていたみたいだし、わたしには当然の繁殖行動としか見えなかったのよね。だからこそ自分の役割に集中していたんだけど――そこに現れたのがあなたよ、オウカ!」


 女神が私を指差します。


「彼と出会って僅か一年。その間に生まれた感情は相手への尊びや敬いだけではない。何物にも代えがたく、故に守り通したいと。その為には全てを捨て、己すら捧げ、世界を壊してでも想いを主張し続ける。別の世界で一生を終えてもなお変わらない意思で再びこの世界の地を踏み歩んできた。自分勝手にも等しい一途な感情は、友愛なんてものを当然越えている。これはまさしく、恋愛だと思わない?」


 そうだ、と言えばこの女神は満面の笑みを浮かべるのでしょう。彼女の言葉に間違いはありません。私は自分勝手に彼のことを想いここまでやってきた。一方的な恋慕に変わりはなくとも、彼の幸せのためになら何でもする覚悟でいました。

 言葉を返せないでいるのは、私の歩みを楽しそうに、それこそ物語の一部を語るかのような調子で口にする彼女の本音が読み取れないからです。

 ですが彼女は私の沈黙を肯定としたのか続けます。


「ある人間が言ったわ。一人だけを愛し続ける価値観は醜いと。別の人間が言ったわ。多くの人を愛してこそ心は豊かになると。

 わたしはね、それを愛に対する傲慢ではないかと思っているの」


「愛に対する、傲慢……?」


「人を愛し愛される。わたしはその光景をずっと見てきた。だけどね、それは心の契約があってこそ。友愛の根底には心を繋ぎとめておくための約束がある。

 相手に何かを求め、貰うために何かを成す。それが無くなると人間はすぐに契約を破棄してしまい、裏切りを行う。そんな様を、千の耳と一万の眼で管理し続けた。契約を破るものに罰を与えながらね。

 君がオウカとして彼と過ごす中で、キズナリストの契約を切ったものにはそれなりの不幸があったんじゃない?」


 そんなことは覚えていません。誰かの約束や裏切りなどを数えているほど、私には余裕などなかったのですから。


「人間は愛を簡単に捨てる。愛せば愛されると思っている。恋は難しい愛は難しいと嘯きながら、手に入れることが容易だと思っている。愛は落ちていて、転がっていて、捨てられるものなら拾えるだろうと。それなら自分の望む愛を見つけようって試しに拾って、違ったら捨てるを繰り返す。まるで高みを目指す様に、純粋を濾すように。

 それは傲慢じゃない? 愛を軽視しすぎじゃない? 約束は守られるもので、守れないなら約束すべきじゃないのよ。愛も捨てるようなら拾うべきじゃないし、愛せなくなるなら愛するべきじゃないの。

 なのに愚かな人間は愛を数で競うまでに至った。多くを愛する方が偉いのだと謳うようになってしまった。

 所詮人間よ? わたしたちのように創造もできず、すべてを管理できず、耳も瞳も二つしかない。数の数え方を知ったくらいで見えない愛まで数えちゃうのだから、笑っちゃうでしょ?」


 嘲笑の声を漏らしながら、彼女は遠い眼をしていました。その瞳の中で、いままで見てきた数多くの契約を、約束を、人々の友愛を思い出しているのでしょう。

 自身が司るものを、愚かと笑っているのでしょう。


 この女神は、いかれています。

 もはや神などと言われ崇められる価値を失っている。


 人間は自分の幸せのために精一杯生きています。その為に誰かと関わり、衝突することも、想いが重なることも離れることもあるからでしょう。


 生きているからです、一人じゃないからです。


 途方もない時間の中に埋め込まれた己の人生に全力なのです。数多の人生があれば、それは必ず絡み合う。

 生きているだけで人は人と関わり合っていく。

 それを愛だけに絞り込んで笑うこの女神は女神などでありません。


 許してはいけない。

 だけど、いまの私に何ができるのでしょうか。

 ほとんど力は残っていません。もしかすれば一度だけ時間を巻き戻すことができるかもしれません。戻せば力は復活するでしょう。


 でも、これまでの話を聞いて、それでもなお愚かな行為を繰り返せというのでしょうか。


「そうだよ」


「ッ!?」


 女がこちらを見下ろしてきます。冷酷、無感情、虚無。そんな言葉が相応しい視線でした。


「なに余計なことを考えているの?」


 見透かされている。やはり私の考えなどお見通しのようです。

 ならば素直に、純粋に、問いかけるだけです。


「あなたは……私がその話を聞いて受け入れると思っていたのですか? それを聞いて協力しましょうと手を貸すと思っていたのですか? ならば随分と愚かなことですね」


「君は協力するよ」


 あっさりとそう返してくるのです。

 心の奥底まで覗かれているような気配が私の全身に纏わりつきます。地に伏せた身体がいまにも浮かびだして感覚を失ってしまいそうです。

 彼女は母親の様な顔を浮かべてさらに言葉を紡ぎます。


「人間なんて矮小な存在が多くを愛するのはおこがましい。それに比べて君は身の丈に合った一つの恋をずっと続けてきた。

 わたしはその結末を見たいの。

 見てみたいのよ、想いがどれだけ続くのかを。

 誰にも否定させないよ。一人だけを愛すること。愛し続けること。

 一生という括りを越え、世界を越え、どれだけ途方もない困難と絶望が待っていようとも諦めない。そんな純粋な恋」


「私の恋の結末……。だから、この世界に呼び戻したのですか?」


「愛し続けるには人の寿命は短すぎる。本当の愛を見るためには時を司る力が必要。だからあなたに与えたのよ」


「ならば、私はあなたの求める結末を紡ぐためだけに踊らされ続けた、愚かな人形だったわけですね」


 認められたかったわけじゃない。

 ただ愛し続けたかった。

 想い続けたかった。

 幸せにしてあげたかった。

 そのための奇跡だと思っていた。


「諦める?」


 笑って女は問いかけてきます。叱責するでもなく、発破をかけるわけでもなく、悲観するわけでもなく。それはただ純粋にこちらの回答を受け入れますと言いただけな姿勢です。


 私がここで諦めようが諦めなかろうが彼女は関係ないのです。

 どこまで続くのか見てみたい。本当にそれだけなのでしょう。


「諦めないよね?」


 関係ないくせに、そう問いかけるのです。

 限界を測ろうとしてくるのです。


 私は最後の力を振り絞り、上半身を起き上がらせます。


「何千年、愛することが出来ますか?

 あの者に愛する価値はありますか?

 あなたに愛する価値はありますか?」


 真面目な口調で、女神のふりして問いかけてこないでください。

 価値の問題じゃない。

 一方的でいい。独善的でいい。対価はなくていい。


 最初からわかっていた。

 ひとつの、ただひとつの結末に辿りつければいいのです。

 それが女神を騙る悪魔が求めたものであっても、手のひらで躍らされた人形劇であろうとも構わない。


 ここはその結末ではないのだから。



































「アビリティッ!!」


 叫ぶ。


 魔法陣が浮かび上がり、時を刻む音が響き渡ります。

 時間の逆風が空間を歪ませ始めました。


 気が付けば、再び涙が溢れてきていました。

 視界がぼやけていきます。

 息が苦しくなります。

 頬を熱が伝います。


 ぽろぽろと、ぽろぽろと。


 彼に敗北した時の悲しみとは別の涙。

 己の惨めさが、滑稽さがひたすらに悲しく、なのにこの力に頼るしかない弱さに嘆くのです。


 涙は止まらない。

 止めることはできない。

 この先に待つのはゼロに等しい可能性。

 だけど、ゼロじゃない限り諦められない物語。 


「愚かなる時間を――!」


 繰り返さないといけないのです。

 終わらせたくないのです。

 ぽっかりと空いた心に何かが埋まります。

 唸る。

 何も考えるな。

 必要のない意思を捨てなさい。


「喰い滅ぼして!」


 ハッピーエンドか、バッドエンドか。

 二つに一つ。


 心してかかれ。

 心殺してかかれ。


 終わらないとしても、私は――!


「さあ勇者オウカ、また始めましょう。完全なる愛と幸福を享受するため、幾度と繰り返される終わりなき歩みを!」


 ミトラスが口元に浮かべたのは、嬉笑か、嗤笑か。



 勇者オウカの大冒険 了


















「愚かだな。物語に終わりがあるように、人生にも終わりがなきゃ意味がない」


 誰かの声。

 そして、頭の上に何かが乗った。

 大きな力に包まれたかのように、刻喰らいが力を失い、不協和音をあげて時計が崩れていく。

 頭を撫でられる感覚。

 大きくて柔らかいそれは、私の知っている手だ。

 耳と耳の間を優しく撫でる手。


 私は振り返った。


 そこに居たのは、あの世界の制服姿の、私が一度しか見られなかった姿の――


「頑張ったな、オウカ」


 ツムギ様が、そこにいた。

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