第249.5話 レイミアの夜這い大作戦 中 「お風呂で」
「レイミアじゃ、ない……?」
それどころか、名前を何と言った?
異言語理解が正しく機能しているなら、間違いなく「23番」と――数字を答えた。
名前ではなく、番号を。
いや、彼女は間違いなくレイミアで、ここが彼女の精神世界なのだろう。
防衛本能のように、自身を守るために現れる幼き姿。それは今日の特訓で何度も見てきた。
だが目の前の少女は、レイミアのはずなのに、どこか雰囲気が違う。違いすぎる。だからなのか、すんなりと受け入れることができなかった。
レイミアという女はレルネー家の奴隷だった。それは本人も認めている。精神魔法は間違いなく成功し、俺はレイミアの精神に入り込めたはずだ。
「い、如何されましたか……お客様」
なんてことはない。自分に馴染みのないことだというだけで混乱したんだ。
レイミアは幼い頃に奴隷だった。そしてレルネー家のメイドとして仕えていた。
そして奴隷に対しては番号が使われていたのだろう。
もしメイドに対してというのなら、ラセンさんだって番号で呼ばれてなければおかしな話だ。
推測でしかないが、使う側と使われる側のけじめというものだろう。
元の世界ではあまり馴染みのない光景だ。いや、漫画や小説にはそういった描写もあったか。現代社会では、少なくとも表では見かけることはなかった。
まあ、馴染みがないといえば、高校生が奴隷を買っているという時点でもおかしな話だが。俺もだいぶ感覚がおかしくなっているな。
問題点を戻そう。
レイミアから課されている試験は、この精神世界に1分以上居続けることだ。
もし魔力量が適切に放出できていなければ、目の前の少女が俺を追い出そうとするはず。その動きが見られないということは、俺の魔法は適切に処理されているということ。
このまま時間が経過したところで戻れば合格というわけだ。
「もしかしてお客様は……ツムギ様、ではないでしょうか?」
と、目の前の少女が俺の名を告げる。
そう言えば名前を聞かれていたのに、答えていなかった。
だが問題点は既に変わった。
「そうだが……どうしてそれを?」
「お、お待ちしておりました。お客様を案内しろと命を承っております!」
少女の声音から緊張が抜けていく。
案内? 何の話だ。俺はレイミアから何も聞かされていない。そもそも、自己防衛機能として存在する幼き自分に、何かを任せることが可能なのだろうか。
俺の知らない精神魔法が他にもあるということか。
つまり現状の俺は希望を叶えてもらっているようで、実際のところは、まんまとレイミアの思惑に乗せられているということだ。
少女が歩き出す。仕方なくその後ろをついて行く。
白い視界だけの、ほかの何も無い世界では、彼女に頼るしかない。
「こちらです」
「これは……」
程なくして足が止まる。
何一つなかった空間に、ひとつだけ現れたもの。
「扉、か……」
大きな両開きの扉。屋敷にあるものとよく似ている。
「聞きたいことがある。この先には何がある?」
無意味な問いかけだと思いつつも、俺は少女に言葉を向ける。
俺の中では、僅かにだがレイミアの思惑が、目の前の少女の狙いが読めてきていた。
「この先では、主の過去が待っております。ツムギ様には、主の過去を踏襲していただきたいのです」
過去、言い換えればレイミアの記憶だろう。
目の前の扉は記憶への入口。踏み込めば俺はレイミアの全てを知ることになる。
彼女の思惑に、俺は確信を得た。
だから、答えは。
「悪いが、この先へは進めない」
――拒否。
踏み込むことを、深入りすることを拒んだ。
「どう、してでしょうか」
少女は今にも泣きそうな声で疑問を投げかけてくる。
俺は一度深呼吸をして、そしてできるだけ優しく答えた。
「レイミアも、そして君も――そうやって俺を陥れようとしてるからだ」
「…………」
途端、少女の口元が釣り上がった。
「残念ですね、全部お見通しでしたか」
「流石に流れが不自然だったからな。ただ、どちらにしても俺は踏み込まない」
あくまでもこれは、魔力を有した相手に精神魔法をかける練習だ。
当然、レイミアも俺の魔法に対して抵抗するように何かを仕掛けてきているはず。
でなければメイドに魔法をかけるのと何の変りもないからな。
「お前とレイミアで組んで、俺を精神の奥へ引き込み、最悪乗っ取ろうって算段だったんじゃないか?」
「ご慧眼、さすがでございます。あくまでも練習なので、最後はお返しする予定でしたよ」
少女が両手を二度叩くと、扉は瞬く間に消えていく。
「練習はここまでです。魔力を有した者であっても、大抵は精神魔法に対する対応策を持っておりません。
ですが、精神は鍛えることができます。ことによっては、踏み込んだせいで戻れなくなる場合も。
……引き際を誤ってはなりません」
「心得た」
「ですが、少々残念です。できればツムギ様にはあの扉の奥へ進んでほしかった。
あの先には、本当に、私の過去が全てあったのですから」
そう言って少女は少しだけ寂しそうな表情を見せながら、俺に向かって手を振った。
同時に、視界が歪み、すぐに庭の景色へと変わる。
「……これで終わりか」
「無事に達成できたようだね。いや、嬉しいやら悲しいやらだ」
目の前にいたレイミアは、白々しく笑みを浮かべている。
「これだけ安定して発動できるなら問題ないだろう。やはりツムギくんは魔法の才能がある」
「…………」
じっと睨むと、レイミアは視線を逸らす。
「さて、まずはゆっくりと湯につかるといい」
「……そうさせてもらおう」
お言葉に甘えて、俺は浴場へと向かった。
***
「あぁー、極楽かー」
湯船に浸かると、思わずそんな声が漏れた。
異世界だろうと、こういう反応が特別変わるわけでもなく、全身に染み渡る温かさを受け入れる。
大きな浴場はさすが貴族といったところか。この世界の一般家庭には浴室なんてものはなく、宿だって小さなものを全員で時間を分けて使う。
全身を湯につけてのんびりとできるのは貴族くらいだろう。
ぼんやりとそんなことを考えながら、天井を埋める湯気を眺める。
全身の感覚がとてもふわふわしている。
なんだか、夢の中に居るような気分だ。これは精神魔法を使ったことによる副作用なのだろうか。
あるいは、実はまだ精神魔法を使っていて、誰かの意識の中にいるとか。
そうなれば、課題をクリアしたように見えて、精神魔法のデメリットに引っかかっていることになる。
指先の感覚も、水の感触も。
「お邪魔するよ」
裸のレイミアも。
これら全ては精神世界の見せる幻であるかもしれない。
天井を見上げながら肩まで浸かる。やはり視界というか、感覚がふわふわしている。
「ん、いい湯加減だ。私はもう少し熱くてもいいけどね」
「そっかぁ……俺はまだ精神世界の中か」
「何を言っているんだい? 君はもう現実世界に戻ってきているよ」
ここが現実世界なら、目の前にレイミアがいるはずないと思うのだが。
「混浴は慣れてるのかい? 恥じらいも見せてくれないとは冷たいじゃないか」
「それはこっちの台詞だ。っていうか、なんで入ってきてるわけ?」
「もちろん、君を労うためさ。背中を流してあげようじゃないか」
レイミアが俺の腕を掴んでゆっくりと立ち上がらせる。
妙に身体のだるい俺は抵抗する気力もわかず、レイミアに引っ張られるがまま湯船の外へ連れ出されてバスチェアに座らされた。
タオルを握ったレイミアが俺の前で両膝をつく。
「……君は本当に男の子かい?」
「なんだ人のサイズに文句があるのか? 全世界の男子がそこを言及されてどれだけ落ち込むか理解できないわけじゃないだろう? 喧嘩するってなら受けて立とうじゃねえか。俺の全力をみせたって構わないぞ」
「ツムギくんが全力を見せてくれるなら喜ばしいことだが……。そもそもサイズについて言及したわけではないし、傷ついたのは私のほうさ。まさかこの状況で普通に話していられるなんてね」
勝手に風呂に乱入してきてよく言えたものだ。
というか、いつもの三つ編みは下ろされ、青い髪が肩から流れて胸元を綺麗に隠しているのはわざとなのだろうか。その方が艶めかしく映るというのは俺の世界にもあった知識だが、やはりどの世界でもロマンの感覚は変わらないか。
要は大事な部分が綺麗に隠れていて逆にエロい。スレンダーで長身な体型と肌を伝う水滴が余計な魅力を引き立てている。何が傷つくだ十分魅力的だよこんちくしょう。言わないけど。
「さて、タオルで洗うのと、手のひらで洗っていくの、どちらがお好みだい?」
「どこを洗う気なのか知らんが手のひらでまともに洗えるわけないだろ」
「そこはこう、指を一本一本絡ませて」
「絡ませないで。背中を流すんだろ? 前じゃなくて後ろだろ?」
「つれないね」
そう言いながらレイミアは、先っちょを指先でつんと跳ねた。俺の鼻の。少しイラッときた。
俺の後ろに移動したレイミアがタオルで背中を撫でる。すると嗅いだことのない良い香りが鼻腔を掠めた。
レイミアの小さな手は絶妙な力加減でタオルを上下に動かしていく。
「精神魔法というのは、他のどの魔法よりも自身の神経に影響してくる。君が今感じでいる気だるさもそのせいだ」
「レイミアは随分と普通にしているが……慣れでどうにかなるものなのか?」
「ある程度はね。それでも覚えたての頃は何日も寝込んだりしたものだ。
神経がすり減っていって、自身がどこか遠くへ行ってしまいそうな、そんな感覚に……んぅ……襲われる」
話しながら、背中に伝わる感触が変わる。タオルのザラザラとしたものから、何かぬめりとした柔らかいものだ。レイミアの圧迫されて漏れたような息が耳元を通過し、彼女の腕が俺の胸元を撫でる。あれ、背中は何で洗ってるの?
レイミアは言葉を続ける。
「それに比べれば、元気な君の方が、十分に才能はあるよ」
「そう……なのか? 別に元気というわけではないが」
「そうだよ……例えば――」
俺の胸元を這っていたレイミアの手が、指先だけで撫でるように動き、泡を滑らせながら俺のふとももを通過する。
そして――
「……ほんとに元気がないね」
触れたものに対して、レイミアは少し悲し気に呟いた。
「冷静なんだね。いや、冷静なら尚更おかしいか。
私が君に密着し、全身を絡ませているというのに、まったく興味を示してくれない。背中に感じないかい? 私は緊張と興奮で胸の先端を固くしてるというのに。この小さな刺激をもう少し敏感に感じ取ってもらいたいものだ。やはり、私みたいな貧相な胸では興奮できないかな?」
「いや、俺は大きさとか気にしないし。女性に女性らしさも求めてない」
ただ俺はずっとスキルを発動しているんだ。
素数を数えることで効果のある――煩悩喰らいを。
「……もしかしたら、私は根本的な勘違いをしていたのかもしれないね」
「予想できるから早々に否定するが、決して男色なわけじゃないぞ」
どうして人というのは異性に対しての反応が鈍いと、すぐに同性愛を疑うのだろうか。
「それでは、単純に私の魅力が不足しているというわけか。
最初に結婚を断られたときも少し考えたが、オウカくんほどの美少女を奴隷に持っていては、普通の女性では物足りなくなるのだろうか」
「俺とオウカがそんな関係じゃないことくらい、お前も分かってるだろう?
所詮あいつとは1年限りの奴隷契約なんだ。あと半年もすれば解放することになる」
「……君は本気でそんな事を言っているのかい?」
レイミアの声音が、空気が変わった。ふざけた色が消え、途端に真面目なものになる。俺は思わず後ろを振り向き、レイミアが裸なのを思い出して直ぐに回した首を戻した。
「本気も……本気だ」
「まさか、その後の道を彼女に選ばせると?
君は随分と酷い選択を迫るんだね」
「酷いことはない。この世界で、ひとりで生きていくための術は教えているつもりだ。冒険者としてでしか生きていけないかもしれないが、魔物を倒し生活費を稼ぐ最低限のことはオウカもできるようになった」
「君は言い訳をする時だけ饒舌になるのかな?」
少しだけイラッとくる返しだったが、ここで言い返せばレイミアの思う壺なので我慢する。
「彼女がこの世界で、あんな環境で、ひとりで生きていけると本当に思っているのかい?」
レイミアの指摘したことは、俺が一番憂慮している点だ。
妖狐という存在は世界に嫌われている。そのことは、ライムサイザーとの戦いで思い知らされた。
他人からぶつけられる悪の感情。それを全てオウカに背負わせるのはあまりに酷だ。
オウカを肯定し受け入れ、支えられる……そんな存在が必要なことはわかっている。
「だからと言って、俺がずっと一緒にいられるわけじゃないんだよ」
俺が一緒にいてやればいいなんて、何度でも考えた。
ずっと一緒にいられるなら、オウカの家族になれるならそれが一番だろうって。
だが、俺は異世界転移者で、召喚された身で、目的がある。
将来、魔王の復活を阻止できれば、俺やクラスメイトは元の世界に戻る可能性がある。たとえその意思がないとしてもだ。
最悪のシナリオは、俺が突然元の世界に戻されて、オウカがひとりぼっちになってしまうことだ。
俺以外の誰がオウカの未来を考えてくれると言うのか。
「……まだ解決の糸口も掴めない議論だったね」
「これは俺とオウカの問題なんだ。あまり口を挟まないでくれ」
「一応婚約者なのだから、相談にくらい乗らせておくれよ」
「必要になったらな」
そう言って俺は立ち上がる。あまり長居してのぼせても仕方が――
「っ!?」
立ち上がった瞬間、視界が歪む。
立ちくらみ、とは違う何か。本当にのぼせた?
違う。視界だけでなく、全身の神経がふわふわとしたままだ。
何か、された。
「レイ、おま」
俺は思い当たる犯人を睨むが、その表情を伺う前に、意識は暗闇に落ちていった。
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