第249.5話 レイミアの夜這い大作戦 上 「中庭で」
※ここまでのあらすじ※
赤竜ベリルとの戦いに勝利したツムギとオウカだったが、オウカは邪視を使った代償に記憶を失っていた。
ツムギはオウカを取り戻すため、ひとまず冒険者として活動を再開する。しかしマティヴァに付きまとう貴族、インギー・レルネーの騒動に巻き込まれる。
誘拐されたマティヴァを救い出し、犯人であるインギーを罰として長い眠りにつかせた二日後。ツムギはレルネー家を訪れ、レイミアと今後について話し合った。
記憶を失ったオウカとの夜の出来事をきっかけに、ツムギは手段を選ばず、何が何でもオウカの記憶を取り戻そうと決意をする。
そのために、条件付きでレイミアと婚約を交わし、自分も天級魔法である精神魔法
※※※
レイミアの部屋に置かれた小さな丸テーブルに紅茶が置かれる。運んできたラセンさんは状況を察してか部屋に留まることなく、すぐに出ていった。
テーブルを囲っていた俺とレイミアの間にしばらく沈黙が続いた。彼女が考えをまとめているのか、それとも答えを躊躇っているのか。
レイミアは紅茶を一口だけ運んでから、ようやく言葉を発した。
「彼女に、天級魔法をか……」
何を企んでいるのか、と言った表情を向けてくる。
邪視教という驚異を理解していても、俺の考えの意図は掴めなかったのだろう。
俺も魔法を手に入れたい目的は隠している。オウカが記憶を失っていることはまだ知られない方がいい。
俺はレイミアに対して、後一歩のところで信用しきっていないのだ。
「オウカは邪視を使った影響で精神にダメージを受けているみたいなんだ。
だから原因を解明し、解消するために、レルネー家の魔法を使わせてもらいたい」
全てを語らず、最低限の理由を述べる。
「なるほど。邪視は人の精神を狂わせる呪いがあるとされている。もし彼女に宿っている邪視が同等の類であれば、戦闘で一時的に活用出来たとしても呪いは健在というわけか」
「他の邪視持ちがどんな症状を見せていて周囲に悪影響を与えているかは、俺は知らない。だが、少なくともオウカは、誰かを傷つけるためではなく、守るために邪視を使ったんだ。その代償で苦しまないといけないなんて、残酷だろ」
俺の言葉に、しかしレイミアは小さく笑った。
「君の口から残酷だなんて言葉が聞けるとはね」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
「冷酷で無情な勇者候補」
「辛辣だな」
「試験会場での様を見れば、誰だって同じ感想を述べると思うがね」
俺は紅茶に手を伸ばし、舌に伝わる熱を少しばかり我慢しながら飲み干した。
レイミアは口元の笑みを残しながら続ける。
「まあいい。せっかく君が頼み事をしてくれたんだ。それに、私も彼女が不幸な目に遭うことは望んでいない」
「そういえば、レイミアって最初にあった時からオウカには対応が柔らかかったよな」
「そうだったかい? 君は変なところをよく見ているね」
「やっぱり同じ奴隷だからか?」
「それもあるが、実は私はレズビアンなんだよ。それでオウカくんがすごく好みな見た目をしてたからね。私もレルネー家の人間だから、権力に溺れていたら無理矢理にでも君と引き離して自分のモノにしていたかもしれない」
「……さすがにそれが冗談なのはわかるぞ」
レイミアは楽しそうな表情で紅茶を啜るだけだった。
***
場所を変えてレルネー邸の中庭へ。精神魔法はレルネー家秘蔵の天級魔法だ。そう易々と外で使う訳にはいかないので、自然と練習場所は限定される。
「精神魔法は相手の内側という深い部分に干渉する。故に魔法の行使にも緻密さと洗練さが求められる」
「つまりは?」
「才能が必要ってことだよ。相性が悪ければまともに使うことはできないのさ」
精神魔法の注意点を述べたレイミアは、ラセンさんが持ってきたものを受け取るとこちらに見せるように掲げる。
「最初はコレを使っての練習だ」
「なんだそれは……ネズミか?」
「フェレットだよ」
レイミアに持ち上げられているのは、くねくねと動くネズミに似た顔をした細長い動物だった。あれか、イタチの仲間か。
「まずは知能の低い動物の精神に入るところからだ」
「知能の低さが関係するのか?」
「精神には抵抗力というものがある。知能ある生物はその力が大きいんだ。だからまずは抵抗力のほとんどない小動物で魔法の程度を調整できるようにしないといけない」
フェレットであれば、見た目からしても十円玉くらいの大きさしか脳みそがなさそうだしな。ちょうどいいのだろう。
「まずは私がやってみせる。今回は兄上の時のように連れてはいかないから、様子を見ていてくれ」
レイミアはフェレットを庭に置くと、数メートル離れた場所に移動して杖を握る。
話によれば、あの杖に精神魔法を行使するための情報が刻まれているらしい。この世界は勝手に魔法陣が浮かび上がるから、魔法陣から魔法の情報を盗めるアビリティとかを警戒してのことかもしれない。あとはお家に魔法を引き継がせるためだろう。
魔法が使えるのは全ての人間ではないからして、それが遺伝によるものなのかは俺は知らない。ただ関係あるなしにしても、万が一魔法が使えない者が後継者になった場合の対策としては妥当なところか。
余計なことを考えているうちに、レイミアの握った杖が青白く光りだす。
「精神魔法――
輝きが稲妻のように杖から放たれると、フェレットを覆う。フェレットは何かに取り憑かれたかのように、一切の動きをしなくなった。それはレイミアも同じで魔法を放った状態のまま石像のように固まっている。
なんていうか、まあ隙だらけというか見た目がギャグっぽいというか。
この魔法が秘匿にされているのはこういうデメリットのせいじゃないのかと疑ってしまう。
ただその光景も3秒と続かなかった。
レイミアの身体が動き出し、フェレットは動かないままだ。
「まあ、こんな感じだ。傍からだと見栄えが悪いが、一対一の戦闘で使うなら確実に相手を止められるし、時間もかからない。というのも、精神世界は現実よりも早い流れで進んでいるから、あちらに長く居てもこちらでは数分なんてことがよくある」
時間が短いというのは大きな利点だろう。複数相手に向いていないとしても、暗殺とかには便利そう。他にも考えれば色々と使い方は出てきそうだ。
「ツムギくんにも、いま私がしたことと同じようにしてもらう。あのフェレットは現在精神を捕縛されて思考できない状態にしてある。君はフェレットの精神に入りそれを解いてもらいたい」
「囚われた精神を解放させれば、あのフェレットが再び動き出すから、それで成功したかわかるってわけか」
「理解が早くて助かるよ」
俺はレイミアから杖を受け取り、彼女と入れ替わる形で中庭に立つ。
数メートル先の動かないフェレットに杖を向ける。
「いいかいツムギくん。適切な魔力を流し込めば、杖に刻まれた魔法が発動する。少な過ぎず多すぎずだ。適切な魔力量を見極めてみてくれ」
「少なすぎたら発動しないというのは分かるが、多すぎることのデメリットってなんだ?」
「精神魔法は魔力量によって干渉力と潜る深さが変わってくる。魔力量が多すぎると干渉力が上がりすぎてしまい、相手の精神と自分の精神が混ざりあってしまうんだ。運が悪いと自分の精神を見失って帰って来れなくなる」
想像以上に怖い話だった。生きる物の内側に入るというのはそれ相応のリスクがあるというわけだ。
俺は「わかった」とだけ返事して意識を魔法に集中させた。
この世界の魔法はイメージ力である程度補えることは承知している。だが既に魔法陣が刻まれている杖に魔力だけを流すだけの簡略化された仕組みだと、そのイメージが逆に反映しにくい。仕方なく言われた通りに魔力量を気にかけながら杖に魔力を流し込んでいく。相手のサイズからしても、さほど多くは必要ないはずだ。相手を魔物と仮定して、倒すのに必要な魔力量だと考えてみればしっくりくる。
「精神魔法――
言葉と共に、杖から光が放たれてフェレットが白く輝く。
同時に俺の視界を囲むように、どこからともなく黒い靄く現れた。
「ほう、素晴らしい」
そう言ったのはレイミアだ。
どうやら成功でいいらしい。だが、なんでレイミアたちまでいるんだ?
「魔法の効果範囲が私たちに及ぶのは、相応の練度が必要になる。やはりツムギくんは魔法師としての素質は十分みたいだ」
俺の表情から察してか、レイミアが説明してくれた。魔力にもいろいろとパロメーターがあるということだろう。単純に魔力が使えればいいと言う話ではないみたいだ。
「これはレイミア家の跡取りにも期待できるというものじゃないかい、ラセン?」
薄ら笑みを浮かべて何やら余計なことを呟くレイミアと、それに頷くメイドのことはまあ放っておくとしてだ。
真っ暗になった空間の、丁度フェレットがいた所にフェレットが浮いていた。何を言っているかわからないと思うが言葉通りだ。フェレットが浮いてるんだよ。
そんな異様な光景だからこそ、ここが精神世界なのだとはっきりしているわけだが。
俺はフェレットに近づいて、小さな体躯を軽く叩いてみた。
すると意識を取り戻したようにフェレットが跳ねる。同時に黒い靄が何かに吸われるかのように消えて中庭の景色が戻ってきた。
地面に転がっていたフェレットはすぐに身体を起こすと庭の隅の方へ逃げるように駆けて行った。
「うん、まずは第一段階は突破だ」
レイミアが軽く拍手をする。
「あまり時間が無い。さっさと次を頼む」
「焦らない方がいい、と言っても無駄なんだろうね。本来なら一日置いて次の段階に進むのだが……まあ、君の能力の高さに期待するとしよう」
レイミアが視線をラセンさんに向けると、彼女は無言で頷き中庭の真ん中へ移動する。
「次は人に向けてだ。今度はツムギくんにも見られるように範囲を広げるよ」
俺から杖を受け取ったレイミアは、そのままラセンさんに杖先を向けて魔法を放った。
「精神魔法――
景色が変わり、目の前の光景が変わる。
そこに現れたのは俺たちよりも少し歳下と思える少女だった。
ただ、メイド服姿は変わらないので、彼女が幼い頃のラセンさんであることは直ぐに理解した。
「インギーの時とはまた違った様子だな」
「あれは精神を封じるために特殊な魔法を加えていたからね。いまは単純に精神の中へと入り込んでいるだけさ」
レイミアが幼きラセンさんに笑いかけると、彼女もにこやかに笑いお辞儀をした。
あの人も、あんな可愛らしく笑えたんだな……。
「意外かい? 昔はラセンも笑顔の絶えない女性だったんだ。まあそれも、兄上が妹さんを実験に使ってからは変わってしまったがね」
なんとなく経緯は察する。すでに終わってしまった話だ。
「鞭を手に、それはもう楽しそうに奴隷へお仕置きしていたものさ」
「…………」
聞かなかったことにしよう。
「話が逸れてしまったね。本来、精神世界に入れば、このように幼き頃の相手が出てくる。彼女らは精神の守護者とも言うべきか、私たちのような干渉者から当人を守るために本能的に現れるんだ」
「防衛本能ってやつか? 出てきたところで影響は――」
と、言いかけたところで、幼きラセンさんが手を振った。それは「さようなら」を示すように。
途端、突風が全身を襲いかかり、一瞬で視界は中庭へと戻っていた。
「魔力の調整が弱いと、こんな感じで簡単に追い出されてしまう。ツムギくん
には、屋敷内のメイドの何人かに精神魔法を掛けてもらい、彼女たちの精神に最低1分は居てもらいたい」
「まじかよ……」
この訓練は思った以上に難しいものだった。
突発的に魔力量を増やすのではなく、適切な魔力を流し続けなければいけないし、相手の精神の抵抗力も見極めなければならない。
俺が屋敷内のメイド数人をクリアする頃には、すでに空は茜色に染まっていた。
***
「いやはや、それでも今日中に達成してしまうのだから、やはり末恐ろしいね」
涼しい顔をして笑うレイミア。一方俺は立て続けに精神魔法を発動したせいで汗だくだった。肩での息が続きまったく整わない。精神魔法の使用がこれほど負担が大きいとは想定外だ。いくらかリスクは覚悟していたが、それはもっと別の方向にだ。
「さて、ゆっくりと湯船に浸かって頂きたいところだが、どうやらまだ準備が整っていないらしい。
というわけで、ここで最後の練習をしよう」
「ま、まだあるのか……」
「大丈夫。これが成功すれば特訓はおしまいだ」
そう言いながらレイミアは赤みがかった中庭の中央へ移動する。
「さあ、私に精神魔法をかけてみたまえ」
「レイミアに……?」
思わず眉を顰める。
ここまで、動物、そしてメイド、つまり対人に精神魔法を使ってきた。となれば、レイミアに魔法を掛けるのは対人と変わりない。
「君が疑問に思うのも無理はない。ただ、これまで精神魔法を掛けてきたメイドは、全員魔力を有していない」
「ああ、なるほど」
俺から見たこの異世界は魔法という存在が一般的だ。しかし実際に魔法を使えるものは一部の者に限られている。というのも、生まれつき魔力を有しているかどうかで魔法が使えるか変わってくるからだ。魔力が無ければ魔法は使えない。
まあ、キズナリストを結ぶことで相手の魔力を借りるという手段があるから、魔力がないくらいでは困りはしないだろうが。
魔力がある、それは魔法への抵抗力があるということでもある、特に身体の内部に影響を及ぼす魔法は、相手の魔力量によってが効果がないという話もどこかで聞いた。
「抵抗力のあるレイミアが突破できるようになれば問題ないというわけか」
「そういうわけだ。さあツムギくん、私を侵したまえ」
カモンと言いたげに両手を広げられると逆にやりづらい。なんか言い方も妙に語弊があるし。
だが、これを突破しないと終わらないし日も完全に落ちてしまう。
俺はレイミアに杖を向けて魔法を放った。
「精神魔法――
***
「……あん?」
一面に広がる景色は白。
これまでが闇だっただけに、なにか失敗した気がする。
それとも魔法に抵抗力があるが故に、俺が完全に入りきれていないとか。
どちらにしても、何も無いのであれば失敗ということだろう。
「お客様」
が、その認識は間違いだった。
小さく聞こえた声の方へ振り向く。
「お客様、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
女の子がいた。
小綺麗なメイド服を見に纏い、少しだけおどおどとした様子で青髪を揺らしながら、 の瞳を向けてくる。
「お前……まさか、レイミア、なのか?」
俺の確信めいた問いかけに、しかし彼女は首を横に振ってから答えた。
「いえ、私はレルネー家に従事しております、23番と申します」
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