勇者オウカの大冒険:Fake end

異世界ぼっちにフレンド機能は必要ない:Re load

 全身の感覚を失っていた。

 見失っている、というのが正しいのかもしれない。あるはずの身体は神経の機能を停止し、残された意識だけがぽつりと宙に浮いているような気分だ。

 こうなった理由は分からない。思い出せない。

 だけど、これが俺の選んだ結末だというのだけは覚えている。

 俺は愚か者だから、他に選べる可能性を見出せなかった。



 ただ一人だけ、大切な女の子を救いたかった。



「ツムギ様」


 守りたかった声が、俺の耳元で囁く。

 安堵して、俺もそこにあるだろう口を開く。


「ごめんな。たくさん嘘ついて、最後に裏切って」


 俺は彼女に嘘をついた。

 彼女を守るために、彼女が皆から嫌われないために。

 世界の理から外すために。


「私こそ、ごめんなさい」


 彼女は涙を含んだ悲しそうな声で呟いた。

 頬と頬が触れ合い、温もりが伝わってくる。

 俺は彼女の輪郭を探すように腕を伸ばした。すでに戻り始めていた感覚が、彼女の頭についた大きな耳に触れる。

 柔らかくて、滑らかで、俺の声をずっと聴いてくれていた妖狐族の耳だ。懐かしく感じるその感触を何度も撫でて、子供をあやす様に彼女に寄り添う。


 彼女が幸せになるためには、この世界はあまりにも残酷だ。俺の好きな笑顔を守るためには別の世界に行かせなければならない。その世界に俺がついていくことはできない。

 だから全ての準備が整った――俺の命が一度尽きた時に、事実を伝えなければならなかった。


 笑っていて欲しい。

 そう口にしようとしたが。


「私も、たくさん嘘をつきました。

 また、守ることができませんでした」


 その言葉の意味が、俺には理解できない。

 嘘は、あったのかもしれない。

 守れなかったのは、俺の方だ。

 彼女が謝ることではないはずだ。


「私……いつかは笑顔になります。悲しくありません。泣くのもこの時だけです。

 まだ、この世界に居ないといけない理由があります」


 俺が言おうとしたことを知っていたかのように、彼女は言葉を吐く。

 もしかすると、俺の考えていたことは全てお見通しだったのだろうか。

 それはそれで、少し嬉しいかもしれない。


 だが、この世界に居ないといけない理由とは何だ……?


 その疑問を打ち消すかのように、真っ暗だった視界が一変して白に染まる。

 彼女が俺の元いた世界へ旅立つ時が来たのだ。


「ツムギ様、愛しています」


 唇が重なる。

 これが最後の口づけ。最後のゼロ距離の触れあい。

 彼女はどこか慣れた様子で、口の端から端までを隙間なく密着させる。

 愛おしく、舌の奥までを求め合う。

 俺は僅かに瞼を開く。

 そして、ゆっくりと、唇が離れて――


「必ず一緒に……桜を見に行きましょう」


 俺の視界に映ったのは――。

 世界に響いた音は――。


 最後に、感じたのは――――










………………










…………










……










 何かを追いかけるように伸ばした右腕。

 しかしその先にあるのは、見慣れた宿の天井だった。


「ベッドの、上……」


 自身の状態を認識した俺は、上半身だけ起こすと同時に手で顔を覆う。自分の存在を確かめるためだった。全て失ってしまったような感覚が全身に纏わりついていたが、そもそも感覚がある時点で肉体は健全なのだと悟った。


 変な夢を見たような気がする。

 記憶は曖昧だが、どこか現実的で、どこか異様で。


 最後に見たのは、


「時計……?」


 真っ白な世界に浮かび上がっていたのは時計だった。

 円形に囲われた魔法陣らしき幾何学模様の中で、二本の針が廻っていた。

 その光景だけは、はっきりと覚えている。


 どこで、誰と、どんな状況でそれを見ていたのかは思い出せない。


 誰かに見惚れていた気がする。

 誰かに看取られていた気がする。

 その相手と話していた気がする。

 最後に何か囁かれた気がする。


 ただ、夢というのは、目が覚めた途端に忘れるものだ。

 印象的なはずだったそれが思い出せないのも、夢のせいか。


 ふと窓際を見ると、王都に並ぶ家々の上空は僅かに水色の光を帯びている。その色は早朝を示していて、俺がいつもより早く起きてしまった証明だった。


 同時に、違和感。


「オウカ……?」


 俺が起きる時、隣にはいつもオウカが丸くなって眠っていた。頭に蓋でもするかのように耳を折り、大きな尾っぽを抱き枕代わりに両手で抱きしめる姿は愛くるしいものだ。小さな寝息と、それに合わせて少しだけ動く小さな身体を眺めるのは嫌いじゃない。


 その姿が、いまはなかった。


 トイレの可能性を一番に考えたが、俺の心の中には妙な不安が渦巻いていた。


 つい数日前までオウカは邪視の影響で記憶を失っていた。レイミアから伝授してもらった精神魔法を駆使して記憶は取り戻すことができたが、また俺の知らないところで邪視に侵されていたらたまったものじゃない。


 俺はベットから降りて部屋を出る。元々宿泊客の少ない宿屋で、しかも朝方。当然他の人の気配なんて感じない。それが逆に不気味さを増していた。

 俺は一階まで降りてトイレを確かめる。残念なことに宿のトイレは男女共用だ。鍵は掛けられるので心配はないが。

 ただ俺がドアをノックしても、誰からの返事もなかった。

 では庭の方だろうかと、そのまま足を運んだが、オウカはいなかった。


 出掛けた? 俺に何も言わず?

 いままでそんなことはなかったはずだ。


 嫌な予感を背中に感じながら二階へ戻ると、俺はある部屋の前で足を止めた。


 俺が使っている部屋の隣。シオンの使っていた部屋だ。

 王都に来た三人で学院に入ったまではいいものの、学生寮での生活が嫌だったために今の宿を借りている。ベリルを倒しオウカの記憶を取り戻している間にシオンは学生寮へと移っているが、部屋は一応借りたままだ。そのうちオウカに使ってもらおうと思っている。

 だから、オウカが寝ぼけてトイレの帰りにこの部屋に入った……なんてのが一番有り得そうだった。


 俺は部屋のドアノブを回して入る。
















「…………は?」


 目の前の光景に、身体が固まった。

 俺の部屋もこの部屋も、内装は同じはずだ。


 なのに、久しぶりに入った隣の部屋の中には――無数の傷が刻まれていた。

 引っ掻き傷のような痕が壁や天井、床の至る所に、隙間という隙間を埋めるかのように、余すことなくつけられている。


 何百……いや、千を超えているのではないだろうか。


 俺がこの部屋を借りた時には、こんな傷はなかったはずだし、シオンだって何も言っていなかった。

 ならば、これは最近付けられたものなのか……?


 よく見れば、傷には規則性が見られる。

 四つの平行した横傷と、それを貫くような一つの縦傷。

 こっちの世界での、簡単な数の数え方に用いられる手法だ。この傷は、何かを数えた痕だということになる。


 何をだ? わざわざこの部屋で、こんなにも目立つ痕を残してまで数えるものってなんだ?


 思考を巡らせながら、傷の部屋を見渡すと、綺麗にメイキングされたままのベッドと、その隣に並べられた小さな丸テーブル。その上に何かが置かれていた。


 俺は部屋のドアを閉めると、テーブルの前に立つ。

 置かれていたのは筒状の透明な瓶。俺はその中身を見て背筋が凍った。


「めっ……!?」


 何かの液体に満たされた瓶の中央で浮かんでいたのは――青い虹彩の、ふたつの眼球だった。


 邪視の眼。

 そんなものが、どうしてここにある。


「ツムギ様」

「ッ!?」


 動揺の最中、後ろから声を掛けられて咄嗟に振り返る。

 閉じられたドアの隣で、オウカが壁にもたれかかっていた。

 耳は垂れ、黒い髪で瞳を隠すように俯いている。


 ドアは俺が閉めたはずだ。部屋に入った時には気配を感じなかった。

 オウカは……ずっとそこにいたのか?


「ツムギ様、どうしてこの部屋に入ってきたんですか?」

「俺は、オウカを、探しに……」


 俯いたまま問いかけてくるオウカに対し、俺はたどたどしい言葉で答える。

 心の揺らぎが隠しきれなかった。


「どうして、私を探そうと?」

「起きたら、お前がいなくて」

「そうですか……。どうして早く起きたのか、なんて聞いてもわからないですよね。やっぱり偶然なのかな……」


 最後の言葉は、自分自身に確認するかのような小さな呟きだった。

「変な夢を見たせいだ」と答えることもできたのだが、その考えに至った時には、オウカが背中を壁から離して、尻尾を揺らめかせながらこちらに近付いてきていた。


「ここは私と同じなんです。刻まれた傷が消えることはない。私がこの記録を始めたのは、もう数百を超えたあとでしたが」

「同じ……?」


 テーブルの前まで来たオウカは、眼球の入った瓶を指先で撫でながら小さく頷く。


「同じです。この瞳は傷が増えていくのを見てきた。

 私が増やした傷を――私の失敗の数を」


 オウカが顔を上げる。

 まさかと思ったのも杞憂で、そこには二つの瞳が確かにあった。


 だが、瞳の色は青だった。

 邪視の色だった。


「まさかっ!?」


 俺は警戒心を最大まで上げて部屋の隅まで後退する。

 オウカは動く気配もなく、こちらをじっと見てくるだけだ。


 邪視が再発した?

 だがこの前の別人格は完全に意識をオウカに譲っていたように見えた。

 ならば別の副作用?

 それとも邪視持ちの魔族がオウカに何かしたか?


 思考を巡らせ、いくつかの回答を導き出す。しかし確証には至らない。

 この部屋の傷も、テーブルに置かれた眼球も、理解できない要素が散乱しすぎている。


「大丈夫ですよ、ツムギ様。これは邪視とは違います。

 私は私ですよ」


 オウカが微笑む。その言葉を鵜呑みにできるほど、もう俺は寝ぼけていない。


 しかし、警戒していたはずにも関わらず、


「ほら」


 オウカが目の前にいた。

 俺自身は、瞬きすらしていなかったはずなのに、その動きが全く見えなかった。


 気付けば唇が重ねられていた。


「ん――」

「っ!?」


 小さな呻きは、彼女の舌が入り込んできたことよって行き場をなくす。

 身体が反射的に後ろへ逃げようとするが既に壁際だ。動けないまま、俺の舌がオウカの舌に蹂躙される。

 混乱する頭の中は、とにかく離れないといけない、それだけを考えていた。

 オウカの唇が酸素を求めて少し離れた隙に、俺は彼女を思い切り突き飛ばした。

 ふらついたオウカは数歩後退するも転ぶことはなかった。

 俺が拒否するのを理解していたかのような悟った顔で青い瞳を向けてくる。


「私はオウカです。ツムギ様がくれた、大切な名前です」


 愛おしそうに、その名を告げる。


 数日前の光景が脳裏によぎる。

 記憶を失い別の人格が現れたオウカは、俺に受け入れてもらうために身を捧げようとした。


 あの時、俺はオウカを汚すなと激昴し暴力を振るった。

 オウカの姿で、淫靡に、蠱惑的に迫ってくる様を、俺の心の何かが耐えられなかった。

 いま、同じような感覚が俺の全身を駆け巡る。


 拒絶に近い、否定的な感情。


 記憶を取り戻したオウカがこんな事をするはずがないと思った。


 だから、俺は問いかけた。




「お前は……誰だ?」











 直後、彼女は目を見開いて硬直した。


 そして、俺の言葉が受け入れられないと言わんばかりに肩を震わせ、信じられないと言わんばかりにゆっくりと頭を左右に振る。

 瞳から溢れた涙が頬を伝い、小さな顎から床へと落ちてゆく。


 少女らしい切ない表情はまさしく、俺が今まで見てきたオウカのものだった。


「どうして、どうして、そんな、ひどいこと、言うんですか……」


 オウカは床に膝をついて、両手で顔を覆う。


 俺は自分の失言に後悔した。

 目の前にいるのは間違いなくオウカだ。なのに俺は自分の中に残った不安で、少しでも彼女を疑ってしまった。


 信じなければいけいない相手を、裏切ってしまった。


「オウカ……」

「来ないでっ!」


 近づこうと一歩出た俺を、彼女の怒号が阻む。その声で金縛りでも受けたかのように、俺の身体は動かなくなった。


「分かってるんです。知ってました。ツムギ様が疑うことも、私が少しずつ私じゃなくなっていることも。

 重ねれば重ねるほど変わってしまう。

 時間は必ず付き纏う。私を腐らせてしまう」


 オウカはしゃがんだまま左右に大きく頭を振る。何かを否定し、振り払うように。


 俺は声を出せない。手が伸ばせない。

 すまなかったと謝って、泣いている彼女を抱きしめたいのに。


 目の前のオウカに、どうしても届かない。


「大丈夫です、ツムギ様」


 途端に落ち着いた声音になったオウカが、ゆっくりと立ち上がりこちらを見る。

 目元は赤く腫れ、しかし虹彩は青色のまま。


「ツムギ様がこの部屋に来た時点で、もう失敗なんです。

 この先はどう足掻いても私たちは離れ離れになる。

 原因はわからないままですが、これまで数回しかありませんでした」


 彼女の言葉の意味を理解しようと、これまでの記憶を探る。


 そして、ここに来てやっと、俺の中でひとつ繋がった。


 考えてみれば、それしかなかった。


 今までの中で残された違和感は、朝の夢だけだ。



 刹那、夢の記憶がフラッシュバックする。



 魔王となり、全てを使ってオウカを俺の世界へと送ろうとした。

 最後に嘘をついて、それを謝ろうとして――


『また、守ることができませんでした』


 彼女の言葉は、


『必ず、一緒に……桜を見に行きましょう』


 オウカには、桜という名前を教えていない。


「オウカ、お前はまさか――時間を!」


 解にたどり着いたと同時に、夢の光景が再び眼前に現れる。


 オウカの背後に巨大な魔法陣が出現し、そこには、時計のようにふたつの針が廻っていた。


「私はツムギ様の幸せを諦めません。

 ハッピーエンドは必ずどこかにあるはずです。

 だから、傷の数だけ、あなた様を愛してきました」


 彼女の瞳には確かな意志が宿っていた。


 オウカが時間を巡っているのだとしたら。


 ならばこの部屋に刻まれた傷は。





 一体、彼女は、何千回目の時を生きているのか。






「やめろ……やめてくれ!

 オウカっ――!」


 伸ばした右腕は届かない。

 室内に風が巻き起こり、俺の声と動きを鈍らせる。


 代わりに、オウカの叫びが響いた。


「愚かなる時間を喰い滅ぼして。

 アビリティ――とき喰らい!」


 俺の視界に映ったのは、巻き戻る時計の針。

 部屋に響いた音は、巨大な鐘の音。

 最後に、感じたのは、


 ――――自身が、砂になる感覚だった。



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