第XXX話 勇者オウカの大冒険:Loop end
死因、老衰。
そうして私は、長すぎた人生の幕を閉じました。
次に目を覚ましたのは、真っ暗な空間。
無を強調する終わりの世界に唯一いたのは――女神。
『初めまして。私は盟友の神。名をミトラスと言います。』
その運命は、私が長く望んでいたもので――。
でもきっと、罰だったのでしょう。
***
異世界。私にとっては生まれた故郷。
ですが、その世界は一変していました。
私のいた頃よりも遥かに時が過ぎていて、世界はひとつの恐怖に支配されている。
無我の魔王。それがこの世界を支配する名です。
私は勇者である妖狐族としてこの世界に転生しました。
雪の降り積もる北の大地で生まれた私は逸る気持ちを抑え、二十歳になるまで自身を鍛え続けました。それが最善で、無知となった私のできることでした。
全てが変わり何も分からなくなった、未知の大地。
きっとツムギ様も、同じような気持ちでこの世界にやって来たのでしょう。
だから、再び会う時は。
寂しさでいっぱいであろう、彼の心に寄り添いたいと思いました。
そう願うことは、悪いことなのでしょうか。
目指すことが、罪なのでしょうか。
愚か者の、選択だったのでしょうか。
***
無事二十歳になった私は、一人で旅を始めました。
様々な出来事、出会いがありましたが、私の目的はたった一つです。
最後に辿りついた広大な砂漠は、かつて焔の森があった場所です。
木々は全て枯れ落ち、生命は居場所を失い、今では砂の海しかありません。
そんな場所に座り込んでいた私は、自分が膝枕をしている相手の顔を見下ろします。
私が生涯愛し、愛し続ける人――ツムギ様。
その頬に手を重ねると、ひんやりとした温度が伝わってきます。
彼は別れた時の姿のまま、永遠の眠りにつきました。
私は妖狐族に転生したものの、容姿は以前と少しだけ違います。前よりも背が高く、髪も亜麻色で瞳は紅。ツムギ様が見たら私だと気づけるはずもありません。
実際、目の前で眠っている彼は私のことなど覚えていませんでした。
それも仕方の無いことです。世界は彼を魔王とすることで修正されました。それによって彼自身にも大きな影響が起きたのですから。
過去の記憶も、思い出も、その全てを世界に奪われてしまったのなら、どうしようもありません。
だから私は、彼を取り戻すために戦ったのです。
そして結末はこの有様です。
心を通じ合わせることのできなかった二人は、命をかけて戦い、彼の死で決着を迎えました。
もう、どうしようもなかったのです。
俯き続けていると、遠くから女の怒号が響き渡りました。
「ふざけるなよ、勇者ごときがぁッ!」
同時に、黒い影が空中を槍のように飛んできて、私の右腕を抉りました。
肩から下を黒い影が奪っていきます。血は出ません。代わりに砂鉄のような粉々とした物体が切断面を貪るように覆います。
声のした方を向くと、そこには下半身を失い横たわっている女の姿がありました。かつてツムギ様が擬人化のスキルで女性の見た目になった時と同じ姿です。
彼女は、ツムギ様の姿のひとつを借りてこの世界に具現化した、『絆喰らい』でした。
「なんで、なんなんだ、お前は!」
彼女の顔が怒りと憎しみに歪みます。
残された上半身で振るってきたのは、神域をも犯すことのできる黒の魔剣、
かつてツムギ様もオールゼロから虧喰らいの攻撃を受けました。私の回復魔法がまったく効かなくて焦ったのをよく覚えています。
でも、あの時は私の使い方が間違っていたのです。
回復魔法は治す魔法。治すというのは、傷ついた事実があるからこそのものです。
私の回復魔法の本質は――戻すことです。
抉られた右肩を緑色の光が包みだすと、黒い砂は逃げるように霧散します。そして私の腕は瞬く間に戻りました。
私は軽蔑の眼差しを『絆喰らい』に向けます。
「いい加減、無駄だということを理解してほしいのですが……それを毎度言っても意味がないのですよね」
「何が言いたい!? 喰らいの力は神に至るもの……それは虧喰らいだって同じだ。
それをお前が無効化できるわけがない!
お前は一体、何の力を持って――」
「ツムギ様の話し方を、真似しないでくれますか?」
私は再生した右手に魔力を集め青い剣を顕現させると、絆喰らいに向けて振りました。
一閃が絆喰らいの驚いた顔を真っ二つに切り裂き、沈黙させます。
「あなたが神に至る力だというなら、私は神に至った力というだけです」
その返答はすでに届きません。
私は静かなになった砂漠で、小さくため息を吐きました。
「また……失敗しちゃった」
これで何度目でしょう。
数えていたはずなのに、ふとしたときに忘れてしまっています。
これも、あのアビリティの影響なのでしょうか。
――それでも。
「私は、やり直さないと……」
私が持つ力は一つだけです。
勇者としてこの世界に転生した時、与えられた新たな喰らいの力。
ツムギ様と同じ、喰らう側の能力。
「ツムギ様、またすぐに会えます」
私は冷たくなった想い人の頬を撫でながら目を閉じて、自分の戻るべき場所を思い出します。
この戦いは失敗でした。
だからもう一度、私は剣を握ります。
あなた様を救うために。
正しき道へ進むために。
無我の魔王と戦い――殺します。
「お願い、すべてを戻して――
風が吹き荒れ、全てが黒い粒子に変わり、最後に巨大な鐘の音が響いて――。
***
初めての戦いは絶望の連鎖でした。
愛した人が自分のことを忘れていて。
失った記憶を取り戻すためには戦うしかなくて。
そして最後は己の手で殺してしまう。
とんだ茶番だ、あまりにも滑稽な物語だと……そうやって目の前の現実を偽物にしたかった。
誰かに「くだらない話だった」と鼻で笑われた方が気が楽でした。
私がツムギ様を殺した。
それが嘘であってほしかった。
だけど、目の前の事実は覆りません。
愚か者の私が犯した過ちは、想い人の死という罰を与えたのです。
恨みました。
神様を。
世界を。
自分を。
「……まだ」
まだ、一つだけ、可能性はある。
事実を覆せないならば――なかったことにする。
それが、私の得たアビリティ。
私はやり直す決断をしました。
アビリティ――刻喰らい
それは他の喰らいの能力を圧倒的に上回っていました。
時間そのものを操れたのです。
過去、現在、未来。それらを掌握することは、相手の行動や思考を全て掌握することと同意義です。
だから、この能力に隙はなく、何物にも敗北はなく。
そして失敗もないと、驕っていました。
***
「……もう、何百回目でしょうか」
誰に問いかけるわけでもなく、そんな言葉が漏れました。
初めてツムギ様を殺した時は、泣くことすら忘れていました。
目の前で眠るツムギ様をただ見つめ続けるだけでした。
それが何日だったのか、何十日だったのかはわかりません。
神様を呪い、世界を呪い、自分を呪ったあの日から、私はこの運命に抗っています。
「……ツムギ様」
私は膝の上で眠る彼に囁きかけます。
再び失敗した結末が、目の前の光景です。
彼の胸元には魔王を殺す魔剣、
無我の魔王を、ツムギ様だけを殺すためにある剣でした。私は虚喰らいを手に何百回とツムギ様と戦い、そして何百回と殺してきました。
全てが私の望まない結果。
「一体……私は、どうすればよかったのでしょうか」
ツムギ様ならどんな答えを導き出してくれたでしょうか。
きっと彼ならば、どんな困難も切り抜けられたのでしょう。
ずっと傍にいたからこそ分かります。
なのに……
「声が……」
私が繰り返していた時間は、ツムギ様と戦うこととなる数時間の間だけです。
殺しては戻りまた戦い、殺しては戻りまた戦う。そればかりを繰り返していました。
その間にツムギ様と交わされた会話はほんの一言、二言です。
だからでしょうか。
……いいえ、きっと違います。
時の逆行を繰り返すなかで、確実に。
私の中にあるツムギ様の記憶が、思い出が、だんだんと掠れてしまっている。
忘れるはずがないと思っていた全てが、薄い膜のように弱々しくなっていく。
「ツムギ様……」
私は自分の
冷たくなっていく彼の温度。
ツムギ様、声は出せますか?
まだ、お話できますか?
あなた様の声を聴かせてください。
忘れてしまいそうなのです。
何度も聞いていたはずなのに、鼓膜に焼き付けていたはずなのに、繰り返していくうちに薄れてしまうのです。
だから、囁いてください。耳元で、ゆっくりと。
「――――」
触れた遺体は何も答えてくれません。
無我の魔王は私の手で殺され、それは同時に、私の愛したツムギ様も死んだということです。
「……何百回目でしょうか」
思わず同じ独り言を呟きます。
どこで間違えたのでしょうか。
最初に戦ったモンスターが違ったのでしょうか。
旅の途中で買った奴隷がいけなかったのでしょうか。
感情的になってアビリティを使った時でしょうか。
考えれば考えるほど、自分の行動の全てが間違いに思えてきます。
目の前の結果がそれを訴えてきます。
お前は間違えたのだと。失敗したのだと。
そしてやり直せば直すほど、記憶と思い出が薄れていくのです。
何かに上書きされるように掠れていくのです。
繰り返した膨大な時間の数に、私の記憶力が追いついていないように感じました。
あるいはこれは代償なのかもしれません。
ツムギ様の力が孤独を求めるように、私の力は空白を求めるのかもしれません。
このまま同じ戦いを繰り返していけば、いつか私はツムギ様の記憶を全て失ってしまう。
だから私は、戦いではなく――歩みそのものをやり直すことにしたのです。
「アビリティ――刻喰らい。
お願い……私を、ツムギ様と出会ったあの日に」
淡い光が、私を包み込んで――
***
暗い闇の中だった。
誰かに連れられて歩かされる。
不安と恐怖でいっぱいの心が、真っ暗な視界の先を進む。
「銀三十!?」
鼓膜を震わせる声はどこか懐かしく感じました。
「で、どう飲ませれば……」
「垂らすなりしゃぶらせるなりご自由に」
会話が聞こえてきたかと思えば、柔らかな手が私の顎を少しだけ持ち上げてきます。
そして口の中に僅かにだけ鉄の味が入り込んできて、途端に全身を駆け巡りました。
自分の知らない知識や常識が、脳を叩くような勢いで入り込んできて、頭痛と目眩に襲われます。
「それでは」
手の叩く音がした途端。視界が眩しくなりました。
白い何かに覆われた世界に眩しい橙色の光が煌めきます。
自分の両目を布が覆っていることに気が付きました。私は邪視を持った妖狐族なので当然の措置です。
ですが、布地が薄いのか、もしくは何か魔法が掛かっているのか、布越しでも目の前の光景を見ることができました。
大きな建物。歩く人々。
水色の空に、流れていく雲。
数分前まで知りえなかった知識が、それを見ただけで何かわかるようになっていました。
なのに――
「まあ、終わったもん買ったもんは仕方ないし」
ぶっきらぼうな声の方へ向くと、黒髪に黒い瞳の少年が面倒臭そうな表情を浮かべて頭をかいていました。
彼が私の主であり、私は彼の奴隷。
その事実ははっきりと理解できるのです。
……それしか、理解できないのです。
知らないことを叩き込まれて、代わりに抜け落ちたもの。
「あの……」
驚きの表情を見せている彼に、私は震える唇を開いて問い掛けました。
あなた様が主で、私は奴隷。
それを理解出来る私とは――
「誰 、でしょうか?」
私は、私自身の記憶が抜け落ちていました。
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