■世界■■■に■■■■機能は必要ない

 煩い音が聞こえてくる。

 人々が密集し、騒ぎあい、甲高い声を投げ合う。

 これは脳の作ったまやかしだ。

 どこにもありはしない幻だ。


 そう気付いた時には、音が消えていた。


 薄暗い時間帯か、部屋の中は闇と静寂が漂っている。

 否、この部屋はいつも薄暗い。外の明かりが入ってこない場所にある。

 光明石が入った壁の蝋台には蓋がされて、そこから僅かに光が漏れているだけだ。


 焔の森にある魔王城。かつてそんな呼ばれ方をしたこの場所には、相変わらず誰も来はしない。だからすることと言えば、静かに目を瞑っていることくらいだ。

 部屋に置かれたひとつだけの椅子。そこの座っていた俺は、改めて部屋の中を見渡す。


「どうした、無我の魔王?」


 静謐でか細い、だけどはっきりとしたが隣から聞こえてきた。


「……夢を見ていた、ような気がする」


「夢?」


 俺の呟きに、声は首を傾げたような返事をして続ける。


「くだらないな。夢なんて記憶の踏襲と整理に過ぎない。お前には見るべき夢なんてないだろう」


「……なら、気のせいか」


「そうだとも。お前にはやるべき事がある。うつつを抜かす暇はない」


「やるべき事……?」


 それが何なのかすぐには浮かばなかった。そもそも、自分が何者なのかすら、思い出すことが煩わしく感じてくる。

 俺の答えが気に入らなかったのか、声は仰々しくため息をついた。


「勘弁してくれよ、無我の魔王、いや、ツムギか。それとも紡車つむが紡希つむぎか。実際なんでもいいがな。お前が魔王という役割を担ってくれれば、それだけで十分だ」


「俺が、魔王……」


「何をもの寂しそうに呟いている。お前が望んだことだ。あの子の為に」


 あの子。そう言われても、何も思い出せない。


「大丈夫。お前なら思い出せる。どれだけの感情に心をすり減らしたとしても、わずかな欠片がそれを残してくれた。だからお前は必ず覚えている」


「俺が、覚えていること」


「そうだ、思い出せ。彼女の言葉を、願いを」


 彼女の願い。

 彼女とは誰だ。

 願いとはなんだ。


 何を言った。何を言われた。

 俺に残っているのは――


『――――まの隣に居たかった。

 ツ―――――の隣で終わりたかった』


『ごめんな。たくさん嘘ついて、最後に裏切って』


『もう死にたく、ないのです』


 残っているはずだ。

 俺が言った。何を言った。


 俺の願い。

 俺は何者だ。

 願いとはなんだ。


『お前が悲しんで、泣いて、そんなことをする世界に居てほしくはなかったんだ』


 だから―――――


『――――様』


 だから。


『愛している』


『愛しています』


 だから。


『ツムg――――――――――――――――











『あなた様』


 だから……。


『あなた様を愛し、あなた様と新たな世界に向かうのです』


「思い出したか」


 声が俺の耳元で囁く。


「何時ぞや誰かが言っていた通りだ。

 何一つ物語は始まっていない。だからここから始めなくてはならない。

 お前の役割は魔王だ。魔王は世界を滅ぼすのが定めだ。

 お前が成すべきことは魔王として世界を滅ぼし――新たな世界を作ることだ」


「新たな……世界」


「かつて一人の少女が望んだ世界。

 神に捨てられたここは歪んだままだ。

 だから壊して再構築しなければならない。

 それができるのはお前だけだよ、無我の魔王」


 俺は立ち上がり部屋を出る。長い廊下を進み、大きな階段を下り、巨大な入り口から外へ。

 空まで届きそうな巨木たちは全て枯れ、夜空の星々の輝きが腐ったような地面を照らす。それでも森の奥までは見えず、どこまでも暗闇の道が続いているだけだ。


「俺は、どうすればいい」


「相応しき力を与えよう。

 一度はすべてを失ったお前だが、その心を残すために俺が生まれた。

 大丈夫だ。お前は一度死んだ時点で俺たちと精神を共有している。世界との契約者はもういない。いまは空席だ」


 俺の身体を包むように、冷たい影が纏わりつく。

 旋毛から足の指先までを冷気が通り、俺の感覚をどこか遠くへ追いやる。

 声が嗤うような声で問いかけてくる。


「首元に数字は必要か?」


「必要ないな」


 いま必要なのは、目的のための力だろう。


「始めよう。俺と、世界と、お前との契約。

 約束のため、すべてを壊し、再構築するために」


 俺は膝をつく。目の前に人影が現れた。

 暗闇に溶け込みそうな漆黒の長い黒髪。対照的な雪のように白い肌が僅かな星の光を吸い込む。

 裸の女が俺の目の前に立ち、青白い唇で笑みを浮かべる。

 そして俺に顔を近づけると、額に唇を寄せて触れさせた。

 これが、契約。


 ――――同時に、鈍い鐘の音が轟いた。

 古びた柱時計の様な、もしくは教会の錆びた鐘の様な、ともかくここには存在しないはずの、低くて重い鐘の音。

 そして――――夜空を赤い魔法陣が覆った。


「意志なき神が動いたか。こうなってしまった以上、新たな勇者の訪れも覚悟しなければならないな」


「勇者?」


「当然、魔王であるお前には越えるべき壁が、敵が現れる。世界はそういう風にできている」


「そうか……」


 俺は立ち上がり、目の前の女を見る。


「ところで、お前は何者なんだ?」


 問いかけると、女はゆっくりとを細めてから答えた。


「分からないか?

 俺はお前だ。

 お前は何だ」


「…………喰らう側」


「そうだ、俺たちは絆喰らいだ」


 そして女は再び耳元に唇を近づけて、俺に囁く。


「大丈夫、俺がお前のことを愛してやる。

 だからお前は、ずっと、一人ぼっちでいるんだぞ」


■ 終

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