最 終 話 ひとりぼっち
「紡車君……君は、まさか」
狼狽した光本が虚喰らいから手を離して後ろへ下がる。
「なんだ……やればできるじゃねえか、勇者」
ツムギは虚喰らいを胸から抜き地面に投げ捨てる。そのまま溢れる血を手に取り、
すると、幽閉番人は甲高い音を発しながら高速回転を始める。
ツムギはそのまま床へ倒れた。
「ツムギ様ッ!」
オウカが駆け寄り、ツムギの上半身を抱きあげる。
「どうして、どうしてわざと負けるなんてこと……」
「やはり、紡車君はわざと……」
オウカがエルから聞いた話。
それはツムギが最後までオウカに隠していたこと。
『ですが、ツムギ様は全員を送り返すために負けるでしょう。
戻るという嘘をついて、彼は死ぬ気なんです』
オウカはツムギを見下ろす。彼の瞳に生命は宿っていない。
虚喰らいは魔王を殺すためだけにある魔剣。
魔王であれば、必ず殺せる代物だ。
だからこそ、それを受けたツムギもまた――
「紡車君は、最初から僕たちを元の世界に戻すために、犠牲になるつもりだったのか……。
そのために、わざとあんなことを言って……なんで、なんで気づけなかったんだ僕は」
光本がその場に崩れる。
オウカはそんな彼を責めるようなことはしなかった。
いや、もう眼中になかったのかもしれない。
ただ、ツムギを見つめて、その顔の上に涙を落していた。
「ツムギ、さまぁ……」
彼の身体を抱きしめる。
その時、違和感を覚えた。
オウカは、ツムギを抱きしめる自分の身体から、徐々に力が抜けていくような感覚に襲われた。
顔を上げると、ツムギを抱きかかえている自身の腕。
それだけではない。足も、身体も、オウカの全身が白い光に包まれ始めていた。
「な、なんだ、これ」
それは光本にも起きていた。
彼は今の戦闘とクラスメイトを殺してしまったことで思考がまともに働かなくなっており、状況の理解ができなくなっていた。
唯一、それを理解したのはオウカだった。
「――まさか」
オウカが上を見上げる。
ツムギが血を塗りつけた幽閉番人。
その回転が止まり――白い光を上へと放った。
地下の天井を貫き、祭壇を破壊し、魔王城を越えて。
光は空まで届く。
***
「来ましたですねー」
白い光が放たれ魔王城の屋根が崩れる音が響いた。
それが合図だと、クィは理解している。
彼女の足元には攻撃によって全身を刺されて血に塗れた者、四肢を植物に変えられ動けずに倒れた者など様々だった。
ツムギには足止めだけを頼まれていた彼女だったが、彼らがこれからどんな幸福を受けるか理解している。これはクィのただの八つ当たりだった。
「畜生ッ、畜生ッ!!」
四肢を奪われもがく藤原が、胴体だけを使ってクィの元へ這い寄っていく。
「藤原、ダメ、勝てっこない!」
片眼を抉られ、耳を引き千切られ、両腕を木の枝に変えられた両木が叫ぶ。
自分がどんな状況であっても、クラスメイトを失ってはいけないことを彼女は理解していた。
「全員が生きて、全員で勝たなきゃ意味が」
「でもッ! このロリだけはぁ!」
藤原がクィの足元に辿りつき、その細い足首に噛みつく。
クィは蔑んだ目でそれを見つめると、つまらなそうに藤原を蹴り飛ばした。
「あなたたちはですねー、自分が如何に幸せかを理解していますかー?」
クィの唐突な問いかけ。
その言葉に、答える者は誰もいない。
彼女も、答えてもらうために問いかけたわけではない。
「いまの自身があること。それが当たり前だと思うのは当然ですよー。
でもですねー、それが当たり前だと思えることが、どれだけ幸福か理解できますかー?」
クィは元々妖精だった。
そして長い年月を経て精霊になった。
しかしそれはただの精霊ではない。世界と契約し、世界を作る一つの歯車としての大精霊だ。
彼女は自由ではなかった。世界の在り方に縛られていた。
だから、解放されるこの瞬間を幸福に感じることができる。
「クィの愛した王子様は、当たり前でなくても、それが今の自分だと受け入れていましたよー。
たとえそれが他の誰もが担うことのできない、特別なものでもですー」
ツムギ自身が魔王に選ばれたこと。それ自体が彼にとって特別なことであるとクィは分かっていた。
しかしそれを受け入れて、それでも自分の目的のために動くツムギが、クィにとっては何よりも賞賛すべきことであると思っている。
クィが両手を叩く。
すると傷を負い、四肢を失っていたクラスメイトたちの姿が元に戻った。
「愚かな選択をしたものが愚か者とは限らないのですー。
いつだって愚か者は、何も考えられなくなった、受け入れるだけの者ですよ」
それは誰に向けた皮肉か。
クィはツムギのいるだろう方向に身体を向けて膝をつく。
両手を絡めて胸元に置き、まるで祈るように青い瞳を閉じた。
――名もなき精霊魔法。
それは精霊が一度だけ使える、死から再生する魔法。
『俺のために、死んでくれ』
「ありがとうですよー、魔王様」
大精霊の姿が、粒子となって消えた。
***
「うまく、いったようだな……」
ツムギの声に、オウカの視線が戻る。
彼の瞳に生命が戻っていた。
しかも感情を失ったツムギではなく、いままでの、オウカと共に冒険してきたツムギの、黒い瞳だった。
それはきっと一度死んで、クィによって再生したおかげだろう。
感情が、僅かばかり戻ってきていたのだった。
「ツムギ様!」
「よかった……ちゃんと、オウカが選ばれたな」
「どうして、こんなことを」
オウカが問いかける。
後ろにいた光本もツムギが生き返ったことに驚愕していたが、すでに立ち上がる力も残っておらず、二人の姿を見ていることしかできなかった。
「元の世界に戻るための魔道具、
だから、俺と光本が戦ってどちらかが死ねば、その席がひとつ空く。
そこに、オウカ――お前を紛れ込ませた」
ツムギが幽閉番人に血を塗りつけたのは、自身の魔力をもって魔道具の力に干渉するためだった。
残ったすべての魔力を注ぎ込んで、魔道具にオウカが対象になるよう仕組んだのだ。
初めて幽閉番人の能力を確認した時から、ツムギはこの案を持っていた。
そして、それを実行するためには一度、自分が死んで対象から外れる必要があった。
そのためにクィの命を貰い、世界に魔王としての自身を晒し、恐怖を与え。
そしてクラスメイトが全員でここに来るように仕向けた。
一人も欠けてはいけなかった。
欠けていいのは、紡車紡希だけだった。
「そんな……私がツムギ様の世界に行っても」
「……この世界は、オウカが生きていくにはあまりにも醜い。
世界に嫌われたままで、お前が笑っていけるはずがないんだ……」
「私は、ツムギ様がいれば!」
「俺もいつか死ぬ。
オウカも、何度も死を繰り返し、やがて新たな妖狐族が生まれる。
それじゃあダメだ。
断ち切らないといけないんだ。
だから、呪いも、罪も、罰も、全部俺が引き受けておく。
もうこの世界に妖狐族は必要ない。
嫌われるのは、魔王だけでいい」
ツムギは身体を起こす。
そしてオウカと唇を重ねた。
彼女はそれを受け入れる。
主の確かな温もりを、唇で、心で感じ取る。
ゆっくりと温もりが離れ、鼻先を触れ合わせる。
「オウカ、俺はお前を愛している。
たとえどれだけ感情を失おうとも、この気持ちだけはずっと残っていた。
本能で愛していた。
だから、ここまできたんだ」
白い光を纏うオウカの身体を、ツムギは強く抱きしめた。
「俺の世界は、お前にとっての異世界だ。
みんなちょっと冷たいかもしれない。
お前のことを好いてくれる人もいれば、嫌ってくる人もいるかもしれない。
でも、こんな世界よりはずっとましだ。
世界が一人の女の子を嫌うなんて、そんなの間違ってるんだ」
「ツムギ様、違います……違いますよ」
オウカの瞳から溢れる涙は止まらない。
「そうじゃないんです。
私は世界に嫌われたっていいんです。
誰からも認められなくたっていいんです。
ただ、ツムギ様の隣に居たかった。
ツムギ様の隣で終わりたかった。
それでよかったんです。
どうしてですか、ツムギ様。
どうしてツムギ様の幸せの中には、ツムギ様がいないんですか」
オウカもツムギの身体を抱きしめる。
そこに感覚はほとんどない。
それでも、これが最後になってしまうと分かっているから。
「ごめんな。たくさん嘘ついて、最後に裏切って。
だけど、お前には笑っていてほしかったんだ。
お前が悲しんで、泣いて、そんなことをする世界に居てほしくはなかったんだ。
だから、他の奴らが戻るこの時しか、なかったんだ」
視界が、空間が、白に染まる。
元の世界への転移が始まろうとしていた。
「ツムギ様」
オウカがツムギに青い瞳を向けた。
溢れる涙は抑えられない。
それでも彼女は笑みを浮かべる。
それが彼の決意だというのなら。
それが彼の選択だというのなら。
たとえ愚かな選択だとしても。
彼女もそれを受け入れる。
オウカはツムギのものだ。
ツムギはオウカのものだ。
ならば、ツムギの罪も罰も、オウカのものであると。
「愛しています、ツムギ様。
いつまでも想い続けます。
いつまでも愛し続けます。
決して忘れません。
たとえこの世界でなくても、自分でなくなっても、生まれ変わっても」
オウカから、ツムギと唇を重ねる。
これが最後の口づけ。
最後のゼロ距離の触れあい。
想いの通じ合い。
「ああ、最後に、桃色の髪が見たかったな」
唇を離れたツムギが、ぽつりとつぶやく。
「もう少し後なら、あの桃色の髪と、金色の瞳がまた見れたのかな」
「そうですね……そうだったかもしれません」
「桜は咲かなかったか……そうだ」
ツムギはオウカの白い髪を撫でる。
「俺の世界には桜っていう、春に咲く花がある。
それはオウカの名前の由来になったものだ。
戻ったら、花見にでもいくといい」
「分かりました……絶対に忘れません」
そして二人は額を重ね、鼻先を触れ合わせ。
「愛している」
「愛しています」
笑い合う。
心の底からの、笑顔を。
そして――
オウカは光となって消えていった。
ツムギの手に虚空が残る。
「……オウカ、ありがとう」
そう呟いた。
その時だった。
ツムギの視界が暗転する。
一瞬にして世界が黒一色に染まる。
ツムギはそのことに動揺しなかった。
否、動揺する感情はもうなかったのかもしれない。
もしくは、こうなる可能性を考えていたのかもしれない。
ツムギの前に、一つの人影が浮かび上がる。
この異世界に召喚されたとき、クラスメイトたちは確かに見ていたはずなのだ。
にも関わらず最後には声しか記憶に残っていなかった。
それはツムギも同じだった。
しかしいまなら、その姿を一番初めに見たと思い出せる。
一人の女性と思しき姿。
金貨の裏に描かれた顔。
「よう、最後におでましかよ――
「おめでとうございます。勇者候補様。
皆様は見事に魔王を打ち滅ぼし、世界に平和を取り戻してくれました」
ツムギがこの場に来られたのは、幽閉番人の近くにいたからか。
もしかしたら勇者候補として召喚されていたのも関係あるかもしれない。
ただ、彼が理解しているのはもっと根本的な部分。
目の前にいる神が偽物であるということ。
本物が残した残照に過ぎないということ。
これが無意味な事象でしかないということ。
「これから皆様を元の世界へお送りいたします。
長い戦いの中、この世界のために尽くしてくれたことを私は決して忘れません」
「嘘つけ……」
この神は何も見ていないし、何も知らない。
戻るための席はもう残っていない。
ツムギはそれを理解していた。
そこまでは、理解していた。
「それでは、お渡しした力を、すべて元に戻します」
「……は?」
すべて元に戻す。
それはつまり、
「召喚の際にお渡しした、ステータス、スキル、アビリティ。
そしてキズナリスト。
それらを皆様の中から消し去り、元の世界にいた時のままに致します」
「まて……ふざけるな、それはッ!」
ステータスが無くなれば、ツムギは魔王ではなくなる。
そして、アビリティを失えば――絆喰らいを失えば。
「そんなことしたら――」
戻ってきてしまう。
いままで蓋をして閉じ込めていた気持ちが。
代償としてなかったことにしてきた感情が。
それらすべてを、まとめて受ければ――心が壊れる。
「これが罪だっていうのか! 罰だっていうのか!
答えろ、ミトラス!」
「ありがとう。そして、さようなら」
神が口元に浮かべるは、嬉笑か、嗤笑か。
***
神から異世界の全てを消された後、眩い光に襲われた光本たちは目を瞑っていた。
身体にあった浮遊感がなくなり、ゆっくりと瞼を開く。
「ここは……?」
黒板、教卓、勉強机。
暗い教室の中に、見慣れた、忘れるはずもなかった光景がそこにあった。
「戻って……きたのか」
光本の言葉に――クラスメイトの声が沸き上がった。
「戻ってきたあああああああ!!!」
「やった、終わったんだ!」
「コウキがやってくれたんだ!」
「私、警備員の人呼んでくる!」
何人かが警備員を呼びに教室を飛び出し、残った者たちは抱き合ったり、握手をしたりと、各々の形で喜びを分かち合っていた。
しかし、それも束の間だった。
「どうして!!」
一人の、怒りの声が響いた。
この場に似つかわしくない声に、それがいつもおとなしい両木であるという事実に、クラスの全員が固まる。
「どうして、あなたが!」
両木が睨む先。
教室の一番後ろの列。
春の席替えから両木の後ろだった、ツムギの席。
そこに一人の少女が座っていた。
黒のパーカーにプリーツスカートを身に纏い、手元には赤い頭巾が握られている。
しかしその服装以外は、両木たちの知るものではなかった。
黒色の髪と瞳。
頭の上に大きな三角の耳はなく、背中から尻尾も生えていない。
肩まで伸びたストレートの髪からは人の耳が少しだけ覗いている。
整った顔立ちは、少しだけこの世界からかけ離れたように思えてしまうのは、全員が異世界にいたからだろうか。
「あなた、紡車と一緒にいた子じゃないの?
どうして紡車じゃなくて、あなたがいる!
紡車は、どうした!」
両木の怒りは様々な感情を孕んでいた。
クラスメイトの中に紛れた少女への驚き。
全員で帰るつもりだったのに、紡車がいないことへの悲嘆。
それ以外にも、言葉にできない感情が、彼女の声を張り上げさせていた。
しかし、
「落ち着け、セツナ」
光本が、その肩を叩く。
「でもッ!」
「僕が、説明するよ。
紡車君が、僕たちのために何をしてくれたのかを」
警備員が連れてこられるまで、光本は静かに真相を語った。
その間、オウカは俯いたままだった。
ただ、机の上で赤い頭巾を握り締めて。
「ツムギ様――」
小さく、想い人の名を呟いて。
***
外は人が寝静まる頃合の夜だった。
しかし警察や救急車、保護者に教員たちもが駆けつけて、学校の入り口前は騒然としていた。
どうやら光本たちが集団行方不明になっていたのは二週間程だったらしい。テレビなどでも大騒ぎになっていたが、手掛かりがまったくなく警察も手詰まりだったところに、丁度戻ってきたということになる。
皆が家族と再会を果たし、抱き合ったり、言葉を交わす中。
最後に学校を出てきたオウカは――空を見上げた。
「ここが」
――ツムギ様の世界。
オウカから見れば、周囲にはダンジョンの様な建物が多く、それらが光を放っており、空の星はわずかしか見えない。
彼女は自然と、ツムギと眺めた夜空のことを思い出してしまった。
――私にとっての、異世界。
顔を下に向ける。
手に握っているのは、赤い頭巾。
何故あるのかも、どうして持ってくることができたのかも分からない。
それでもこれだけが、ツムギとの繋がりを確かであったと教えてくれる唯一のもの。ひとつだけの現実。
オウカはそれを持ったまま、両手で自身の顔を覆った。
――私は、この異世界でひとりぼっちだ。
ツムギはこの世界にいない。
オウカはこれから、一人で生きていかなければならない。
これがツムギと一緒に背負う、罰なのだと。
そこに、声が聞こえてきた。
「ツムギ――」
想い人の名を呼ぶ声が、聞こえた。
オウカは咄嗟に顔を上げる。
「紡希お兄ちゃん!」
どこから声がするのか。
いまのオウカではすぐに聞き取れない。
周囲を探していると――声の主と目が合った。
黒い髪を二つ結びにして白のシュシュをつけた少女。
その少女がオウカをみて、何かを感じたのか慌てて駆け寄ってくる。
何故なのか。
オウカはその少女からツムギの面影を感じ取っていた。
いないはずの想い人の影を、僅かだが感じ取っていた。
そして、その答えはすぐに返ってきた。
「あ、あの、紡車
紡希おに……紡車紡希を知りませんか? 私の兄なんですっ!」
「……ッ!」
オウカはすぐに理解した。
同時に、自分の罪がどれほど重いのかを、気付かされた。
――ツムギ様には、戻る場所があったんだ。
ツムギはよくひとりぼっちだったと言っていた。
しかしそれは、オウカのひとりぼっちとは大きく違っていたのだ。
ツムギには血の繋がった家族がいた。
帰るべき場所があった。
――それを、私が奪ってしまった。
オウカは――涙を我慢できなくなった。
「ふえっ!? あ、あの大丈夫ですか?
どこか具合が悪かったんですか!?」
結は、目の前の高校生らしくない少女が涙を流し始めたせいで狼狽えた。
彼女自身は、目が合った時に何か知っていそうな気がしたので尋ねただけだったのだが、泣かれるとまで思っていなかった。
「ご、ごめん……なさい」
オウカは俯き、再び両手で顔を覆う。
「私、が、いけないんです。
私のために、ツムギ様は……」
「え、あの、様……?
ツムギお兄ちゃんを知ってるんですか?」
「私は……ずっと、ツムギ様の奴隷で」
「ど、奴隷!? え、なに、どういうこと?
紡希お兄ちゃんにひどいことされたんですか!?」
「そうじゃないんです……。
ツムギ様は、ずっと、私の隣にいてくれました。
ずっと、私のことを想ってくれていました。
なのに、私は、すべてを奪って……ここに来てしまったんです」
オウカの拙い、説明にもなっていない言葉を聞いて、しかし結は何かを悟った。
目を細め、ふっと息を漏らすと笑みを浮かべる。そして、同じくらいの身長のオウカを優しく抱きしめた。
「ありがとう」
「え?」
結の言葉の意味をオウカは理解できない。
いまこの場で、恨まれるならともかく、感謝の言葉を述べられるとは考えていなかったからだ。
それを結も理解している。だから彼女は続ける。
「私ね、前にすごく怖い夢をみたの。
紡希お兄ちゃんが、知らない世界で、知らない場所で、目を隠した変な男の人と殺し合いをしててね」
「……!」
それは紛れもなく、ツムギとアンセロの戦いのことだった。
彼女は知っているのだ。
あの世界のことを、ツムギたちのことを。
「私はいきなり、紡希お兄ちゃんを殺さなくちゃいけなくて、怖くて、苦しくて。
でもお兄ちゃんが『悪い夢だ』って言って終わらせてくれたの。
それは確かに夢だった。でも、夢だけじゃない、何か本物みたいな感じがしたの。
だから、もしそれがすべて本当で、もしそこに皆がいて。
紡希お兄ちゃんがいて、あなたがいたなら。
紡希お兄ちゃんがずっと隣にいたってことは、あなたもずっと、紡希お兄ちゃんの隣にいてくれたんだよね?
だから、ありがとうだよ」
「それ、は……」
オウカは言葉を返せなかった。
何も浮かばなかった。
ただ、抱きしめられているの温もりが本物で。
これがツムギの与えてくれたものだと知って。
だから、
「ごめんなさい」
それはツムギに向けてなのかもしれない。
罪を。
罰を。
幸せを。
「ごめんなさい――」
オウカは空を見上げて泣いた。
届くはずのない彼へと。
ただひたすらに、赤子の産声のように。
その首元に、キズナリストはもうない。
***
煌々と輝く星々の空の下。
地を這う一人の少年の声が、焔の森に響いていた。
「オウカぁ」
少年は想い人の名を叫ぶ。
それは喜びとも、悲しみとも、怒りともとれる、様々な感情を交えた声だった。
「オウカぁあああ――!」
少年は別の世界から召喚され、いまの世界にいる。
この世界で出会った一人の少女を救うためにすべてを捨て、すべてを失い。
そして神から与えられた力も、人類に与えられた絆さえも奪われた。
少年に残されたのは、想い人への愛のみ。
大好きだった。
ずっと傍に居たかった。
一緒に泣いて。
一緒に笑って。
どこにでもある当たり前の、ありふれた日常を二人で送りたかった。
そんな感情をすべて殺して、彼女を別の世界へ送ったのだ。
それが彼女にとっての幸せになると思ったから。
たとえ愚かな選択であっても、
それしかないと思ったから。
「大好きだった。愛していた!」
しかし、殺したはずの感情は心の奥底に積み上げられたままだった。
殺したつもりで、溢れないように蓋をしただけに過ぎなかった。
その蓋を取り上げられ、積み上げた感情を崩され。
すべてを受け入れざるを得なかった彼の心は。
「―――――――!!」
叫ぶしかなかった。
泣き喚くしかなかった。
壊れて、崩れて、潰されて。
どうしようもなくなった感情の行き先は、声となり、咆哮となる。
「オウカ、俺は傍にいたかった!
一緒にいて欲しかった!」
伝えられなかった本音が漏れだして、彼の心を徐々に喰らっていく。
それでも、たとえ耐えきれずに壊れきってしまったとしても。
ずっと、これからも。
彼女への想いだけは残るだろう。
「ごめん、オウカ――」
少年は異世界でひとりぼっちになった。
彼を救える者はいない。
その首元に、キズナリストはもうないのだから。
***
初めまして。わたしは盟友の神。名をミトラスと言います。
残念ながらあなたは死んでしまいました。
あなたは誰にも愛されず、誰も愛さず。世界でただひとりぼっちで、孤独に死んだのです。
ですが、そんな可哀想なあなたに、わたしは目をつけました。
もう一度、別の世界でやり直す気はありませんか?
これからあなたを転生させます。
あなたが新たに生きる世界は、剣と魔法の世界。
いまその世界は無我の魔王によって支配されています。
魔族も魔物もいますし、ダンジョンもいっぱいあります。
あなたには勇者として転生してもらい、魔王から世界を救ってもらいたいのです。
転生先はですね……あら、すごい適性な種族が。
昔は多くの人に嫌われていましたが、いまでは魔王を倒せる唯一の種族と言われています。
それは、妖狐族。
あなたにはこの種族に転生してもらいます。
そしてわたしからは、あなただけの特別な魔法と、この世界の人類に与えられた、唯一の力を与えましょう。
あなたの首元に数字を刻みました。
それはキズナリスト。誰かと契約を結ぶことで、ステータスを上げる力を持っています。そうですよ、ステータスがある世界なんです。
あなたは元の世界で誰とも関わりを持たず、生涯を終えました。
しかしあなたにはとても純粋で、強い心が、想いが備わっているみたいです。
そうでなければ、勇者には選べませんからね。
それでは、準備はいいですか?
え? 魔王の名前?
だから無我の魔王ですよ? 他の名前?
確か――ツムギと呼ばれていたかと。
……どうしましたか? なにか嬉しいことでもありましたか?
あ、確かに、こんなゲームみたいな異世界、楽しみで仕方ないですよね。
冒険も友情も、恋だってたくさんあります。
だから、この世界を救ってくださいね?
それでは、次は魔王を倒した時に会いましょう。
ご健闘をお祈りしています。
新たなる勇者――オウカ。
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