嘘と感情(魔王城)

第408話 オウカのすべて

 どうか嘘つきを許してほしい。

 この選択は愚か者だと言われるだろう。

 それでも、これしかないと思うから。


***


「おはようございます、ツムギ様」


 朝、オウカが目を覚まして最初に行うのは、隣で寝ているツムギへの挨拶だ。

 それは言葉だけでなく、頬に口づけも加えて行われる。


 ツムギはというと、キスを受けてようやくと言った感じで瞼を開ける。

 気だるそうな感じで起き上がると、オウカを見て僅かに笑みを浮かべた。


「おはよう、オウカ」


 そう答えて彼はオウカに身体を寄せた。

 オウカは拒絶することなくそれを受け入れて、ツムギの身体を抱きしめる。

 大きな背中に手を添えて、寝起きの少し熱のある温度を感じとっていた。

 彼女の表情には嬉しさと、それを上回る不安が浮かびあがっていることを知る者はいない。


 これが、いまのオウカとツムギの日常である。

 ツムギが地下で感情を失ってから、一ヶ月近くが経とうとしていた。


 ***


 オウカは現状を把握しきれていない。

 正確に言えば、把握する前にツムギがこうなってしまった。


「おはようございます、ツムギ様」

「おはよう、エル。

 光本たちはまだ来ていないか」

「はい、今朝方、大精霊様もまだ接触していないと報告がありました」

「そうか、わかった」


 ツムギは食堂に向かう途中で、毎日のようにエルに声を掛けては、勇者たちの動向を確認している。

 これまでと違うのは、言葉を発する声音、表情に一切の感情が伺えないことだ。

 この伝達事項ですら、本当は興味がないのではないかと疑わしくなるほどに、無関心で事務的な雰囲気である。

 しかしエルはにこりと笑みを浮かべて対応していた。


「食事はもう並べてありますので」

「そうか、毎日悪いな」

「いえ、一応誘拐されている身ですから」


 眉一つ動かさないまま礼を言うツムギに、エルは軽く頭を下げて調理室へと戻っていった。


 ***


 ツムギは明らかに感情表現を失っていたが、それはオウカ以外に対してだけである。

 今朝の通り、オウカには僅かながら笑みを見せることが多い。

 ただそれはオウカにとっては大きな違和感であり不安でもある。

 今の状態になる前までは、笑みを見せることは少なかった。現状のツムギは、機械的に、タイミングを選んで笑みを作っているように思える。

 なにか一種の悟りを開いたように、オウカは感じていた。


 ――やっぱり、あの時に何かあったんだ。


 一ヶ月前の地下での出来事。

 そこで何が起きたのかはツムギ以外誰も知らない。

 彼自身があの状態で何も語らないのだ。誰も事情を聞けないでいた。

 オウカが知っているのは、隣にあった黒い物体が、ツムギの言っていた元の世界に戻るための魔道具であること。

 そして、彼が勇者と戦うためにここに居続けていること。


 ――でも、勇者はツムギ様と同じ、異世界から召喚された人。


 ツムギは同郷の者と戦おうとしている。

 なぜそうしなければならないのかは、エルから聞いていた。

 魔道具を発動するための魔力は、魔王と勇者の戦闘でしか溜められないらしい。

 だから勇者候補として召喚された者たちを送り返すには、魔王であるツムギと勇者であるコウキがどうしても戦う必要があると。


「私の責任です」と何度もエルから頭を下げられた。

 ツムギをこの世界に呼んだのは彼女の指示によるものだ。

 それがきっかけでこの状況が生まれていると考えれば、エルが頭を下げる気持ちもオウカには理解できた。

 しかしオウカは彼女を責めはしなかった。


 ――王女様が召喚を行わなければ、私はツムギ様と出会えなかった。


 いまのオウカはツムギによって齎されている。

 ツムギはオウカのすべてなのだ。

 だから彼女は、その出会いを作ってくれたエルに対して「ありがとうございました」と返した。


「おいしいですね、ツムギ様」

「ああ」

「今度は、私も王女様のお手伝いをしてなにか作りますね!」

「それは楽しみだな」


 二人きりでの朝食。

 ツムギは相変わらず言葉に似つかわしくない表情だが、オウカにとっては冒険者の頃に戻ったようで幸せな時間だった。


 描いていた、なんでもないありふれた日常。

 いまですらそこにはツムギの感情の死が伴っている。

 なんでもないというのがどれだけ遠いのかを、オウカは痛感していた。


 ――それでも。


 いま、この幸せを噛み締めていたいと彼女は思う。

 たぶん、これが最後になるだろうから。


 ツムギはオウカに何も言っていない。

 逆にその事実が、彼女にとっての言葉である。

 それは当然の考えで、当然の結末で、当然の自分への報いだ。


 だから、最後、彼がそれを口にする時、オウカは笑って送ろうと思っていた。

 霊聖域アーカディアの時みたいに泣きじゃくらずに、一人で生きていけるように。

 わがままなんて言えないのだ。


 ――ツムギ様には、帰るべき世界があるんだから。


 ***


 食事を終えたあと、ツムギに付き合って欲しいと言われたオウカは特になにか訪ねることなく彼の背中をついて行った。

 森の中をしばらく散策して紅葉を楽しんだ後、着いたのは――


「教会……?」


 黒い棺が大量に置かれていた、ツムギとオウカが蘇生した灰色の教会であった。

 ツムギに続いて中に入ると、待っていたのはエルだった。


「ツムギ様、何をなさるんですか?」


 さすがに気になったオウカはツムギに問いかける。

 彼は無表情のまま答えた。


「オウカを、解放する」

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