第404話 失ってきた感情が

「来たのですね」


 白い世界。

 目に映ったのは、軽蔑とも敵意ともとれる、今までに見た事のない理の視線と、その隣には鳥の巣のようなベッドで眠るオウカ。

 そのベッドから木の根が生えてきて、オウカを絡め取りながら上へと吊るし上げた。

 木の根が全身を這っていてもオウカは目を覚まさない。

 いや、ここが精神の世界である以上、目覚めないよう理が押さえ込んでいるのだろう。


「お前がそこまで手段を選ばない奴だとは思わなかったよ」

「それは、これから知っていくべきことです」

「そんな未来はもうない」

「そうですか?

 こちらとしては、あなた様が来てくれて好都合ですが」

「なに?」


 理の言葉に俺は眉を顰める。

 オウカを精神の中で殺すのを止めに来たつもりだったが、それを相手が好都合とする理由が読めなかった。


「無理に精神魔法を発動させてここに来たのでしょう?

 だから――あなた様自身の心も連れてきてしまった」


 理の視線は俺ではなくその後ろに向けられていた。

 つられて俺が後ろを見る。


「ッ!?」


 そこにあったのは。

 否、そこにいたのは――俺だった。


 椅子に座らされ、気を失ったように俯いている俺自身。

 その周囲には無数の鎖が張り巡らされていた。


「これが……俺の心ってか」


 なんて醜いことか。

 思わず鼻で笑ってしまいそうになる。


「そのような姿も仕方が無いのです」


 視線を戻すと、理の目は少しばかり悲しそうなものに変わっていた。


「それはもう一人のあなた様。

 この世界に降り立ってから閉ざされた心」

「これが、お前の好都合だっていうのか」

「そうです、あなた様の――喰らいを壊してしまえば」


 それは、後ろにある俺が絆喰らいそのものだと言いたいのか。


「絆喰らいを壊せば、あなた様の精神も破壊される。

 そこにオウカがいなければ、あなた様の拠り所は私だけになる」

「随分と病んでいるな」

「まだわかりませんか?」


 理の問いに、俺は思考を巡らせる。

 理はオウカを消すことで俺とオウカを分かたれようとしている。

 しかしそれだけで俺が理に靡くことはない。

 だから彼女は俺の精神を壊し、自身に依存させようと言っているのだ。

 ならば、俺が精神を壊すに至る方法と絆喰らいの関係は――


「まさか、感情は消えてないのか……ッ!?」


 理が頷く。


「あなた様の絆喰らいは代償に感情を失う。

 しかしそれは正しい解釈ではありません。

 感情はなくなっていない。あなた様の心の奥に閉じ込められて蓋をされているだけなのです」

「つまり絆喰らいがなくなれば、いままで失ってきた感情が一気に発露すると」



 そうすれば心が持つわけがない。

 当然だ。約一年殺してきた感情だ。


 いくつもの戦いで得た恐怖。

 いつくも目の前で訪れた死。

 いくつも味わってきた絶望。


 喜怒哀楽が入り乱れれば心は摩耗し潰れる。

 時間をかけることでしか直せない感情からのダメージを一度に受けられるほど、俺の心は強靭ではない。


「心を壊し、拠り所すらも失えば、あなた様でも目の前にある存在に縋るしかない。

 その時私は改めて提案しましょう。

 新たなる世界を。

 オウカすら忘れられる世界を」


 理が俺を横切り、鎖を壊しに向かった。

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