第394話 感謝

「私は……私は……」


 何かを言い淀んだエルが後ろを向いて駆け出した。

 二階の扉の脇にはさらに上へ続く階段があるらしく、駆け上っていく足音が響いた。

 さっきもあそこから来たのか。


「ツムギ様、追いかけなきゃ」

「いや、逃げようがないから急ぐことはないぞ」


 オウカが焦った表情を向けてくるので、俺は冷静に答える。

 言ってから、悪役っぽいセリフに自分で笑いだしそうになってしまう。


「といっても、時間が解決するものでもないけど」

「なんだか、思いつめた顔をしていました」


 俺にはこちらを非難しているような表情に見えたけどな。オウカ的には違うらしい。


「もしかしたら、王女様は自分のせいだと思われてるんじゃないでしょうか」

「エル自身がか?」

「はい。ツムギ様は王女様によって勇者候補召喚されたのですよね?

 だったら、魔王を倒すために呼んだ人が魔王になってしまった。自分のせいで魔王を復活させてしまったと思うんじゃないでしょうか」

「そういう……ものか」

「ですから、王女様を一人にしないであげてください。

 一人で抱え込んでしまうと思うんです」


 オウカの強い言葉に若干驚きつつも、言われてることは納得のいくものだった。

 もしかしたら、オウカも旅の中で悩みを抱えることがたくさん……あったんだろうなぁ。ご主人様失格ですよ。


「わかった。二人はどこかで休んでてくれ。

 ただ、オールゼロのいるそこには入るな」


 俺はそれだけを伝えて上の階とへと向かった。


***


 上の階にはいくつもの扉があり、そのすべてが個室みたいだ。この階だけ見れば王城というのも頷ける。魔王だけど。

 エルがどの部屋にいるかは、異界の眼を使えば簡単だった。


「エル」

「来ないでくださいッ」


 ノックをすると、拒絶の返事。

 それを無視して扉を開いた。


 部屋の中は殺風景なもので、ひとつだけある大きな窓から、僅かに木漏れ日が差し込んきている。

 中央には、人が一人余裕を持って入れるサイズの鳥籠があり、天井から吊るされた鎖に繋がっている。


 エルは鳥籠の中にいた。

 それこそまるで小鳥のように、小さく蹲っていた。


「あのな、エル」

「来ないでと言っていますッ」


 再び声を掛けると怒号が返ってきた。

 顔を上げたエルの瞳からは涙が零れている。


「私は魔王を復活させる気なんてありませんでした。

 皆様の生活を、人生の一部を奪ってまで、復活阻止を為そうとしました。

 たとえ妄言と言われ続けようとも、この世界が平和であるために、私は……」

「お前は間違ってない。

 国のため、民のため、平和を手にしようとするのは当然だ。

 俺が勝手に、魔王になっただけだ」

「ツムギ様は悪くありません……私が、呼びさえ、召喚さえしなければ」

「そんなことはない」


 思わず声を張り上げる。

 エルは驚いた顔で俺を見上げる。

 どうやらオウカの予想通りらしい。

 俺は少しだけ笑ってみせて、そして彼女の身体を抱き寄せた。


「なにを」

「俺は、エルに感謝しているんだ」


 俺から離れようと身悶えしていたエルの動きが止まった。


「感謝……?」

「元の世界の俺には何もなかった。

 でもこの世界で得たものがあった。

 それは、エルが召喚してくれなかったら手に入れることもなかったし、知ることもなかったことだ」


 エルの身体がゆっくりと離れ、今度は見つめ合う形になる。


「でも、みなさん最初は帰りたいとおっしゃっていました……」

「まあ、誰だっていきなり知らない土地に放り出されたらな……でも、慣れてきた後は誰もエルのことを責めたりしなかっただろ?」

「そう……ですが」


 まあ、そんなことで納得してもらおうとは思っていない。

 こんなゲームみたいな世界だ。好きな奴の方が多いだろう。それに皆がみんなチートみたいなアビリティを手にしていたら尚更だ。

 これは単純にエルに話を聞いてもらうための導入に過ぎない。


「エル、俺の首元が見えるか?」


 エルの視線が移り、そして驚きに見開かれた。


「キズナ……リスト!?」

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