第383話 嫌われるために

「き……?」


 唐突なお願いに、俺は言葉を失った。

 切り裂く……?

 つまり――


「私を、殺してください」


 俺の思考を読み取ったかのように、理は言葉を変えて告げてくる。

 それはいつか聞いた言葉。


「できるわけ、ないだろう」


 以前、俺は彼女を殺すも同然のことをした。

 ただしそれは精神的なものだ。表に出ていた彼女を閉じこめて、オウカの人格に戻したのだ。

 それはオウカを取りもそどすための当然の行いで、しかしそれ俺のわがままで。

 彼女はそれを受け入れてくれた。

 結果として、いまは自由に人格を入れ替えられるみたいだが、それとこれとは話が別だ。


「もう、碧鏡の我エルゴニドは持っていない」

「もちろん、人格ではなく、この肉体をです」


 確認するように、苦し紛れな言葉を放つも否定される。


「……できない」


 肉体を殺してしまえば、それはオウカを殺すことになる。

 どうして彼女がそんなことを言い出したのか理解に苦しむ。


「そうですか」


 彼女は少しだけ笑みを浮かべて両腕を下す。

 後ろを向いて数歩だけ歩き、くるりとスカートを揺らめかせながらこちらに向かい直す。


「これは証明ですよ」

「証明?」

「この子……オウカは世界に嫌われるために生まれてきました。

 それは神が消えた時に生じた歪み、人が神に抱いた憎悪の部分だけを担うことになったからです」

「憎悪、だと?」

「すべての人が神を愛し信仰すると思いますか?

 そんなはずはありません。

 神に願い、そして叶わなかった時、人々は見放されたと憎悪するのです」


 この世界であれば神の存在は特に近い。

 それを表すキズナリストが首元にあるからだ。

 すでに奇跡としてキズナリストがあるのに、自分たちの願いが叶わなかった時、人は神に見放されたと思うのだろうか。


 そもそも神なんていないとは、思わないのだろうか。


「憎悪は人を滅ぼします。それを形にしたのが、邪視です。

 そして邪視を生み出した種族として生み出されたのか妖狐族。

 そうやって世界は調整され、現実とするためにこの子は存在する」


 だから、と。


 そう呟いた彼女は、アイテムボックスからダガーを取り出し――なんの躊躇もなく、自分の首を切裂いた。


「……」


 何が起きたのか分からなかった。

 目の前で、大きな赤い華が咲いたように見えた。

 数メートル飛んだ赤色が雨のように降り、理が倒れる。


 
















 何秒、いや何分だ。

 ようやく状況に脳が追い付いた。

 俺は慌てて理に近づき、赤い海の中から、その小さな身体を抱きかかえる。

 頸動脈……?

 青い瞳に光はない。


 ……即死。

 死んだ?


 ――思考が闇に落ちそうになった時。

 理の身体が緑色の光に包まれた。

 それは周囲の気流を乱し風を生み出す。

 理を囲うようにして幾重もの魔法陣が現れると、周囲に飛び散った血が蠢き、彼女の首へと戻っていく。

 やがて傷口までもが塞がり、光は消え、そこには何事もなかったかのような静寂を取り戻した。


「……つまりは、こういうことなんです」


 青い瞳に光を取り戻した理が、俺のこと見つめながら口を開いた。


「この子は世界に嫌われるために存在し続けなければいけない。

 だから、この子が死んで消えることなど、世界が許さない。

 オウカは、そういう風にできているんです」

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