第379話 深淵に覗かれている

『いいだろう、ならば望み通り人でなくしてやる。

 貴様の成れの果ては無である!』


 一瞬にして景色は闇に覆われ、方向も、上下も分からなくなってしまう。自分が土を踏んでいるのかすらあやふやになり、少し動くだけでも転んでしまいそうだった。


『このまま聖域ごと大精霊を喰らう。

 ここは我輩の影の箱庭となろう』

「そう易々と飲み込まれてたまるか!」


 ドラゴンへ対抗するとなれば。

 平凡以下のステータスで、すでに支配下に置いた者もいない俺だが。

 唯一繋がっているのはオウカだけで。

 それを断ち切らせたりはしない。


 人でなくなるとしても。


「――絆喰らい」

『――影喰らい』


 互いの声が重なる。


『クククッ! 楽しいぞ! 楽しいぞツムギ!』


 場に不釣り合いなマスグレイブの笑い声が響いた。


***


 敵である人類のツムギに止められて、エルフたちは動くべきか躊躇っていた。


 戦う意思はあった。

 数的にも勝っていたし、魔法だって劣っていないはずだった。

 しかし竜が叫んでツムギに近づいた時の殺気は、聖域に来る前のものとはまったく違った。

 単純に、格が違った。

 それは同時に、エルフたちに向けられていたものがお遊び程度のものだったと確信させることとなった。


 ――どうして、人類ごときが。


 魔物の頂点である竜と戦えるというのか。

 ひ弱そうな男だったと、ツインテールのエルフは感じた。

 なぜ大精霊があんな人類に懐いているのか理解出来なかった。

 そんな幼女の方に視線を向けると、隣には妖狐族もいる。

 忌々しい存在だ。

 いますぐにでも殺したい。

 だがそれよりも、竜を聖域に招いてしまった罪悪感で動けない。


 この状況の異様さは何なのか。

 焔の森で何が起きているのか。

 エルフの思考では到底たどり着けるものではなかった。


「ッ!?」


 異変は突如して起こった。

 聖域を覆うような闇が現れたのだ。

 エルフたちの視界が一瞬にして奪われる。


「大精霊様を守って!」


 ツインテールのエルフが指示を出す。

 しかし居場所が掴めなくなったいま、どう守れというのか。

 もしこれがドラゴンや人類の策略であるならば大精霊が危険だと、エルフは焦るが、


「大丈夫ですよー。すぐ終わりますー」


 クィの呑気な声が聞こえてきた。

 あの方は自分の立場というものをわかっていないのか。とエルフは突っ込みを入れたいところだった。

 だが大精霊の言う通り、すぐに闇が消えて視界が元に戻る。


「な、なんだったの」


 エルフの誰かが呟いた。

 同時に、いまのが竜と人類の起こしたことであることは確信できていた。

 聖域内の気配が変わったのだ。

 気味の悪い殺気が薄れて、静寂と静謐さで満たされたいつもの聖域へと戻っている。


 だから、遠くの足音もよく聞こえた。

 徐々に近づいてくるその音で、誰なのかをエルフは想像できた。


「人類……」

「…………」


 歩いてきたのはツムギだった。

 信じられないことに、人類が竜に勝ったと、エルフたちは心の中で驚嘆した。

 しかし接戦だったのか、目の前の人類は顔を下に向け、ふらつきながら向かってくる。

 

 ――いまなら殺せるかもしれない。


 そう考えた時、軽く顔を上げたツムギと目が合った。

 瞬間、


「――――ッ!!」


 エルフたちの全身を『死』がすり抜けていった。


 一瞬か、数秒か。

 意識が暗転し、何かに魂を掴まれたような感覚に襲われた。


 ――いま、殺された。


 冷静にそう思ってしまうほどだった。


 ――なんだ、あの眼は。


 竜と遭遇する前のツムギは、死んだ魚のような目をしていたものの、まだ人らしさが残っていた。

 

 しかし、いまはまるで別。


 どこまでも黒く、冷たく。そこに光はなく、感情もなく。

 ただ絶対的な支配者を示す様な、圧倒的な存在であることを殴りつけてくるような。


 深淵に覗かれている、と表現するのが正しいだろうか。


 エルフたちは悟った。

 目の前の人類が、すでに別の何かであることを。


 ――そうだ、これは、魔王だ。


 かつて精霊を目指していた頃、一度だけ魔王を見たことがあった。

 それは人類の雌を真似た、丁度エルフと似たような形をしていた。

 ただ一点違うのは、赤い瞳だったことを覚えている。

 見るだけで石にされてしまいそうなほど、冷徹な瞳だったことを。


 そして、いまエルフたちは魔物である。


 だからなのか。


 全員が膝をついて頭を垂れた。


 その眼を見続けることはできない。

 空気までもが冷たく肌に張り付いてくる。

 本能が恐怖に耐えられなくなり、感情が畏怖へと変換されていく。


 ――だが、


「ツムギ様」


 その声が聞こえた途端、死を孕んだ空気が霧散した。

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