第363話 私の隣にいてください

 口の中が鉄の味で満たされる。

 かけ喰らいを伝い、足元に赤い血が垂れていった。


 俺の突き刺したから喰らいは、オールゼロの脇を貫いていた。

 だがその感触は異様なもので、肉体ではなく箱でも壊したような――


「まさ、か……」

「あぁぁああ゛――――ッ!」


 オウカの叫び声。

 小さな身体でオールゼロに飛びかかろうとするが、


「これは返そう」


 虧喰らいが俺の身体から抜かれ、そのままオウカの方へ蹴り飛ばされる。


「ツムギ様ッ」


 すぐに反応したオウカが俺の身体を受け止めるが、体格差故かそのまま奥へと二人で転がった。


「ツムギ様、いま、回復魔法を!」


 オウカが俺のことを見下ろしてきて、そしてすぐに魔法を発動する。

 しかし、


「ど、どうして、なんで傷が塞がらないの」


 その声から焦りが滲み出る。


「残念だが、虧喰らいの傷は回復魔法ごときではどうすることもできない。

 死ぬまで癒えることはない。

 でなければ、魔剣の名が廃るだろう?」


 オールゼロの声。

 俺の視界には、涙を目元に溜め込んだオウカの姿と、青い空。

 腹部から熱い温度が徐々に外へ流れていく感触。











 ――ああ、負けたんだな。


 やっとそうした感覚が脳を巡る。

 所詮半年そこらだけで培ってきた戦闘技術、しかも独学。

 いままでどうにかしてこれたのが驚くくらいだ。

 本来、この世界で魔物と戦った時点でこうなってもおかしくなかった。


 王城の地下に閉じ込められた時と変わりないな。


「ツムギ様、ツムギ様、死なないでください」


 オウカの涙が俺の頬に落ちて、今度は小さな頭が胸元に埋められた。

 白い髪が俺の肌を撫でる。

 こんな姿になっても、さらさらだ。

 何回も撫でた耳を、ゆっくりと撫でる。

 柔らかくて、心地のいい。


「――――許さない」


 オウカが、ぽつりと呟く。

 その声は徐々に大きく――


「許さない。絶対に許さない。

 許さない許さないユルサナイユルサナイユルサナイ。

 何が何でも、何をもってしても、あいつは、オールゼロは――殺す」


 オウカの顔が上がる。

 青い瞳からは赤い涙が溢れて――。

 背中の尾から新たに一尾生えようとしてた。


「……オウカ、それは、ダメだ」

「ッ……ツムギ、様」


 耳を撫でていた手をオウカの頬へ。そして細い手首へ。

 力の入らない自分の腕で彼女を引く。

 オウカは驚いた顔をするが、俺の導くままに顔を寄せてくれた。


「おいで」

「――っ」


 俺は少しだけ顔を上げて、


 ――オウカと唇を重ねた。


 数秒、いや、一秒もなかったかもしれない。

 震えている感触から離れて、再び空を見る。


「血の味しかしねえな」

「……どうして」

「……まあ、死ぬ前にくらい、好きな女の子の唇を奪っときたいじゃん」


 そう答えると、俺の胸元に添えられていたオウカの拳に力が入る。

 彼女の青い瞳からまたも涙が溢れ出した。


「死ぬなんて、言わないでくださいっ!

 何がなんでも生きろって教えてくれたのは、ツムギ様ですよ!

 ツムギ様が、私に生きることを選ばせてくれたんですよ!

 それなのに、ツムギ様が生きることを諦めないで!

 私の罪も全部背負ってくれるんでしょう?

 なら、私と、一緒にいてくださいよ。

 私の隣にいてください……」


 オウカが俺の胸元に顔を埋める。


 生きたいと、生きなければと思っていた。

 でも、それは与えられた偽物だったんだ。


「――俺には、何も無かった」


 何も持たず、何も意味を為せず。 

 ただ呼吸をして、言葉を吐いて。

 それも全部、何かを得られたわけじゃない。

 何もない。

 空っぽの自分が生きていただけだ。

 浮いてしまいそなほど空虚だったから、終わりが詰め込まれて、来るべき時が来たというだけだ。


 『でも、私は思うんです。ちょっとくらい、失ってもいいじゃないですか。』


 ――そもそも、俺には失うものがなかったんだ。

 手にする前に、全部滑り落ちて、失って。


 『大切な人を、大好きな人を守れるなら』


 ――マイナスをゼロに戻すばかりだった。

 それだけだったから、最後は取り返しのつかないことばかり。


 『何か欠けても、守ったもので埋められますよ』


「ああ……でも、オウカが……好きだって、気持ちは。

 たとえ、ほかの感情を、全部、失ったとしても、ずっと……」

「ツムギ様ぁ……」


「紡車くん」

「……光本、か」


 視線を上にやると、光本が悲しげな表情で俺を見下ろしていた。


「あとは、僕たちに任せてくれないか」


 その視線の先に目をやる。

 クラスメイト全員で、オールゼロを囲んでいた。

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